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2007年9月14日 (金)

川崎市立日本民家園

川崎市立 日本民家園の記事は、故郷関係の別ブログでも書いたが、なかなか面白い屋外展示だった。既に40年ほど前に、日本の民家研究を専攻する学者が川崎市に残されていた古民家を保存展示したことがきっかけで生まれたもののようだ。

先に書いたラーメンを食べに出かけたついでに、クルマのナビに従って川崎市の岡本太郎美術館を目指して行ったのだが、美術館の入り口の手前にこの広大な園があり面白そうだからと入ったこの展示園をすっかり楽しんでしまった。

子どもたちにとってはまったく過去の歴史に属することであり、私や妻にとっても自分たちの父母の実家がかつてこのような茅葺屋根の民家だったことがあり、泊りがけで遊びに行って数日泊まったことはあってもそこで本格的に生活したことはなかったのだが、それでも、非常に懐かしさを感じた。

懐かしさのよって来たるところは、大人にとっては幼児体験ではあるのだが、子どもにとっては少々異世界に属するものだったかも知れない。それでも、古くは縄文時代の堅穴式の住居からこの江戸時代、明治、大正、昭和まで、農山村・漁村の庶民の暮らしは(狩猟採集移動生活から定住農業への大転換はあったにしろ)、生活レベルでは、いわゆる人間の生物サイズ(『ゾウの時間 ネズミの時間』)に見合った生活という点で、大差はなかったのではなかろうか?数千年間遺伝された我々のゲノムの中にも、自然環境の範囲でそれに見合った生活の記憶がしまいこまれているとすると、それがこのような伝統的な民家への懐かしさを思い起こさせるのかも知れないなどとも思う。

囲炉裏の火で真っ黒にすすけた室内の柱、土間の固い土と石の感触、少し土臭く、かび臭いような茅葺の独特の香り、屋外は残暑で30度を越える暑さなのに、室内は薄暗くひんやりしている。屋外の板張りの狭い農具置き場の内部が日に照らされて暑くて居られないのとは対照的だった。

ほとんどの民家が、江戸時代頃に竣工したもの。村内では比較的地位や財産のあった名主クラスの民家のようだ。

周囲は、生田緑地という、多摩南部の古くからの森林が保存された自然公園なので、木々は相当深い。当然のごとく、蚊もいる。その他の昆虫の姿も見かける。蝿の姿は見かけなかったが、当時は牛や馬を牛舎や屋内の厩で飼っていたし、便所は肥えとして使うために当然汲み取り式で、多くは屋外にある。春から秋にかけては、多数の虫の襲来に耐えねばならなかったものだろう。マラリアが日本にあったかは調べていないが、和辻哲郎の『風土』か『ヨーロッパ古寺巡礼』かに、古くからのイタリアの町が低湿地を避けて高台に建設されているのは、蚊の害を防ぐためだと書かれていたのを覚えている。日本のかつての暮らしも、もちろん生活のための水利、防災、耕作地とそれら害虫との関係によって、集落の位置が自然に決まっていったのだろうと思う。

古民家を訪ねて、懐かしさ郷愁を感じるが、その反面にあった様々なマイナス面を克服してきたのが、近現代史であったことも忘れてはならないだろうとは思う。自然礼賛は心地よいことではあるが、山野でのキャンプで不便さを感じるように、人類史の長い期間、人類は絶えず飢えと戦い続け、人生そのものが現代人のような労働と余暇の混合ではなく、生活することがそのまま人生だった時代が長かったということだろう。

現代では、過疎自治体に残された古民家を再生させて住み付く人もいるようだが、端でみるほど容易な暮らしではないと思う。しかし、現代の生活が忘れてしまった何かを取り戻すよすがになることかも知れない。

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