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2007年10月25日 (木)

小さな不愉快

毎日朝晩満員電車に揺られて通勤している。ほんの短い時間なのだが、いわゆる鮨詰めギュウギュウ詰めの満員電車で、朝の渋谷方面行きの東急東横線のように駅員が何人か待機していてプラットフォームで乗客を車内に押し込むほどではないが、駅ごとに降りる人を通すために降り、再び後ろ向きに強引に車内に乗ったりを繰り返さざるを得ないほどの混み方なのだ。

こちらに転勤してきた早々は、朝晩、特に疲れて帰る晩の帰りの電車までが朝並みの混雑なのには閉口し、また見ず知らずの乗客と身体を接触することに非常に抵抗があったが、そのような混雑には相当慣れてきた。

ただ、最近特にこのような激混みの電車内で携帯電話でメールをしたりWEBサイトを覗いたり、ゲームをしたりする人がいる。それも他人の背中に硬い部分が触れるか触れないかの距離で無理をしてやるため、やっている本人は気がつかないようだが、背中に結構触れる。特に電車が揺れるときなど不愉快な思いをする。携帯電話の車内での使用には、会話以外にもメールやゲーム、ウェブ閲覧も含まれるはずだが、どうもマナーが乱れている。

また、これは以前からだが、同じように激混みの電車内で本を読む人も結構おり、本の硬い部分が同じように背中に触れることがある。これが、同じように結構チクチク背中を刺激するのだ。

熱中している本人には他人の不愉快はほとんど意識できないようで、こちらが肩を揺すっても身をよじっても止めた人はいない。こちらが後ろを振り返るように視線を動かしてもダメだ。

混雑している車内で声を出して注意するには、思わぬトラブルの恐れがあるため、我慢していることが多いが、まったく不愉快である。

p.s. 思わぬトラブルと言えば、2年ほど前込み合う出勤時の駅の階段で、若いサラリーマンが肩で押してきたので、こちらも負けずに押し返したら、その男がまた押し返し、それを繰り返しているうちに奴さん、血がのぼったらしく、階段を上りきったところで、自分から押してきたのを忘れたのか、私に向かって「何のつもりだ」とすごんできたことがあった。一瞬周囲の人たちがさっと我々二人の周りから身を引いたのが分かった。こちらは急いでいるし、こんなところで言い争いをして暴力沙汰になったらと家族の顔も浮かんだので、無視をしてさっさと勤務先に向かったが、しばらくはアドレナリンの分泌か身震いが止まらなかった。先日の漱石展でも割り込みを罪悪感なしにするような理不尽な人間がいたが、そのような人というのはどこでもいるようで、そういる人物とかかずり合うのはできるだけ避けたいものだ。

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