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2007年11月10日 (土)

河島みどり『リヒテルと私』

スヴャトスラフ・リヒテルのことは、クラシック音楽と付き合うようになった初期にカラヤンとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のLPで何度も聴いてその演奏には親しんだが、長いことそこに留まり、未だにあまり聞き込めていないピアニストだ。

1990年代の来日の折にも、リサイタルのチケットが入手できたのだが、故障?か何かで来日がとりやめになったとかで、結局生演奏を聴くことはできなかった。

その後LPではマタチッチとのシューマンとグリーグの協奏曲、コンドラシンとのリストの二曲の協奏曲と言ったいずれも大曲、派手な曲の類から聴いてきたので、非常に腕達者で、集中力が凄い、というような漠然とした印象しかもっていなかった。

愛読書の吉田秀和『世界のピアニスト』ではプロ・コンの両面から書かれており、バッハやシューマンは誉められていたが、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やアメリカ録音の『熱情』はけちょんけちょんだった。 この本は、数年前に出版され、吉田秀和氏の『音楽展望』でも紹介された本(●2003年10月21日 (火)  吉田秀和「音楽時評」 リヒテルのこと)だが、ようやく読むことができた。

リヒテルがヤマハのピアノを愛用していたこと(これはリヒテル生前の音楽雑誌の広告にヤマハCFモデルの広告でよく見た)、NHKのドキュメンタリーで日本人の調律師がリヒテル専属として活躍していたこと、日本に何度も来て日本びいきらしいこと程度は知っていたが、まさか通訳で付き人、マネージャー的な女性がいたということは知らなかった。

その女性がリヒテルの思い出を、クロノロジカルなものではなく、いくつかのテーマに沿ってエピソードを並べながら記したもので、読み物として、気楽に読めるものだ。

リヒテルの初来日は、ちょうどセルの初来日と同じで、1970年の大阪万国博覧会のときで、この河島さんはそのとき、初めてリヒテルの通訳として付き、それ以来20年以上の長きに渡り、リヒテル夫妻と家族的な付き合いをしながら、ピアニスト・リヒテルのサポートをしてきた。

リヒテルの伝記(が読めるのかは知らないが)には、当然書かれていることだろうが、この本はリヒテルの祖父から父母、母方のおじおばのことも詳しく書かれており、興味深い。父方の家系は、Richter というだけあり(あのバッハ演奏家のRichterと同じつづり)、ドイツ系であり、ソ連邦のパスポートには、民族はドイツ人と明記されていたという。そして、リヒテル本人も自分のドイツ人の血のことを強く意識していたようであり、また幼少の頃の環境からドイツ語は自然にしゃべれるようになっていたようだ。ロシア系のピアニストは、ドイツ音楽を得意とする人は多いが、ドイツ民族としての自覚が、彼の音楽を考える上で非常に重要だと思う。

日本では一部にリヒテルの茫洋とした田夫野人的な風貌から想像してのことだろうが、教養もデリカシーもないなどとひどい誤解をしている宇野功芳氏や福島章恭氏のような評論家がいるようだが、それが単なる思い込みであることもこの本が有力な反論となるだろう。ソ連時代に帝政ロシア的なサロン風の活動ができたというのもいい意味でも悪い意味でも凄いことだが、リヒテルの知性・教養は、日本の偉そうな評論家でそれと太刀打ちできる人がどれだけいるのだろうか、と思う。物を知らないにもほどがあるだろう。(『クラシックの名盤 演奏家篇』)

この『リヒテルと私』を読むと、リヒテルが、よく演奏家にある単なる目立ちたがりで自己顕示欲の強い性格とはまったく違う人格の持ち主であることがよく分かる。そして、ドイツ人の意識を持ちながらよきロシアを愛し、ソ連という社会の中で生きてきたということの意味の深さ。また、 この本の詳細な記述を読み、吉田秀和氏が『世界のピアニスト』のリヒテルの項で不満を漏らしているところを対比するとなかなか面白い。

聴衆は、舞台上で聞こえる音楽しか拠り所がないが、舞台裏には多くの(聴衆にとっては瑣末だが、演奏家にとっては重要な)事柄が数多くあるのが、分かる。 吉田氏が『音楽展望』で引いていたムラヴィンスキーのエピソードもこの本の最後の方で出てきたが、巨匠と呼ばれるような音楽家でも、絶えず恐怖と戦っているということが書かれている。気楽なリスナーとしては忘れてはいけないことだろうと思う。

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コメント

リヒテルの話題は一度しか生を聞いたことがないのですが大変興味あります。鉄のカーテン時代から幻とつくような経歴が、現在においても彼の音楽への評価に影響しているからです。

逆説的にいえば、決してブレンデルらと比べて超絶技巧でもありませんし、正規のフィリップスでのライヴなどはかなり好い加減なタッチが散見しています。また、決してアラウやゲルバーに比べてドイツ的なピアニズムでもないと言えるでしょうか。

これらのことは、ギレリスが言う「我々が掛かっても誰それ(名前失念、熊みたいなピアニスト)には適わない」の皮肉や、態々非伝統音楽的なヤマハの楽器への愛好に、上の逆説が証明されています。

手元にベーゼンドルファーを弾いた録音がありますが自然に楽に音楽作りがされています。敢えてそれをせずに表現しようとしたものがこのピアニストの音楽なのでしょう。そしてあの打鍵はやはりロシア東欧的としか言えないように思いますが、どうでしょう。

こんばんは。
この本は読んでおりませんが、他の評伝を読んでリヒテルの内省的な人柄の一端を知りました。一度、彼の生演奏に接したときは(オール・グリーグのプログラムに不満はあったものの)、繊細で折り目正しい音楽とステージマナーに感動しました。
宇野功芳や福島章恭のような、おおげさでぞんざいな文章を書く評論家にしてリヒテルを無教養扱いできるのでしょう。彼らが面白いのも事実ですけれど。

pfaelzerweinさん コメントありがとうございます。

幻や神格化はリヒテルの枕詞のようなものですが、この本を読み、人間リヒテルを身近に感じられるようになったように感じました。

リヒテルの経歴は大変興味深いものでした。彼がドイツを絶えず意識していたのは、この本で多く指摘されています。父親はヴィーンで学んだピアニストだったそうです。

しかし、彼が最も影響を受けたのは、今ではブーニンの祖父として知られるネイガウスで、ロシアン・ピアニズムを(ネイガウスには「リヒテルには教えることはなかった」と言われたそうですが)叩き込まれたようです。彼のピアニズムはロシアン・スクールのものですが、本人の意識はドイツ民族の出身であるというものだったようです。

ほかにこの本で印象深かったことは、彼ほどのピアニストが泰然自若とはしていられず、晩年まで絶えず練習をしていたこと、そして舞台での出来を絶えず気にしていたことでした。非常に繊細で、不安定と言ってもよい性格の持ち主だったようです。また、心臓病と糖尿病を抱えていたようです。

『クラシックCDの名盤』で、中野雄という評論家は、どうしてああいう(バックハウス、アラウ、コルトー、ケンプ、ホロヴィッツのような晩年の完成のない)歳のとり方をしたのかと酷なことを書いていますが、リヒテルについてのこの本を読んで彼がどう語るのか興味があります。

吉田さん、こんばんは。コメントありがとうございます。

オール・グリーグプロについては、この本でも書かれていました。各国のリサイタルでよく取り上げたようです。

録音では、ギレリスのグリーグの抒情小曲集が有名ですが、リヒテルとギレリスと並び賞せられたソ連きっての「ヴィルトゥオーゾ」が、二人ともグリーグを愛好したというのは、結構興味深いですね。リヒテルの「幻」「神格化」同様、ギレリスにしても「鋼鉄の」が形容詞として今でも付けられますが、そのような特徴は、当時のソ連で求められた社会主義リアリズム的な要請との関係も考える必要があるように思いました。ギレリスの録音もそう沢山は聴いてはいませんが、セルとの『皇帝』の声高に叫ばない抑制された演奏にそんな感じを受けます。リヒテルの場合も、有名なチャイコフスキーやラフマニノフの協奏曲の録音を福島氏のように「デリカシーのなさ」と聴くのか、もう一歩踏み込んで聴くのかで、相当受ける印象が変わってくるのではないかと思うのですが。

宇野氏や福島氏の評論はは、印象・感情・感性に基づく好悪がはっきりした文章は面白いのですが、その一貫性のなさや、底の浅さが気になります。

「当時のソ連で求められた社会主義リアリズム的な要請との関係」-

なるほど。鋼に拳ですね。それでもロストロポーヴィッチのチェロは精密機械とは言われなかった。冗談のようでも、リヒテルがヤマハを使い出した理由のひとつに複雑に絡んでいるような気がします。勿論、ドイツ音楽との距離の定め方をも含めてです。

カラヤンやムラヴィンスキーなどとの丁々発止とした競演や荒っぽいマタチッチの指揮のサポートなど、ソヴィエト文化省の意向が、マネージメントを含めてそこに感じられます。音楽産業もジャーナリズムもそれに沿った売込みを一斉に行なうので、その影響を受けずにいれないのです。

しかし、上のコメントでもあったように繊細は、90年代中盤に聞いた印象でもあり、そこに芸術家としての晩年の歳のとり方として飄々とした足取りのタッチとリズム感を挙げておきたいと思います。

今、不評なシューマンの協奏曲を聞いているのですが、A面のグリークに隠れて好演をしています。しかし、なぜこんなにどうしようもない管弦楽団との録音なのかモスクワの意思は一向に分りませんが。

pfaelzerweinさん、再びコメントをありがとうございます。

ロストロポーヴィチやバルシャイ、アシュケナージなどのソ連時代の亡命者とソ連に残り、国家英雄として遇されたリヒテル、ムラヴィンスキー、ギレリスなどとの比較は難しいですね。先日のコメントの「熊のようなピアニスト」ベルマンは亡命したのか忘れましたが、晩年はイタリアで過ごしたようです。

この本によれば、ヤマハのピアノを好んで使ったのは、ヤマハの日本人調律師を気に入ったからだそうで、ソ連国内ではソ連製のピアノとソ連の唯一のお気に入りのチューナーに依頼したとのことです。

この本を読み、数少ない手持ちのリヒテルの録音からちょうどマタチッチとのシューマン、グリーグやマゼールとのブラームスの2番と同じ頃、カルロス・クライバーと録音したドヴォルザークのピアノ協奏曲を聴きました。この共演などもエピソードに満ちているものと思いますが、残念ながらこの本では言及されていませんでした。

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