ホグウッドの『英雄』交響曲
これは、私のCD購入歴の比較的初期に買ったCD。当時は勤務先の独身寮に住んでおり、まだアンプとスピーカーの購入前で、CDプレーヤーにラジカセをつないで聴いていた頃だった。同じ寮に大学生時代の学内オケのトランペットを吹いていたという人が居て、彼がこのCDを聴きたいというので、一緒に聴いたところ、さすがにトランペットを吹いていただけあり、このCDの基準ピッチが約半音低いのではと指摘されて驚いたことを思い出す。幸いにして?そういう「絶対音感」はないので、この録音も別に違和感はなく聞けている。初期に買ったCDでもあり、相当耳タコになるほど聞いたものだが、ここ数年まったく聞いていなかった。
ところで、『英雄』では、現在最も好んで聞いているのが、昨年購入したDisky盤のクリュイタンスとBPOによる録音で、ときどき会社からの帰宅時に携帯電話のSDメモリーに入れてあるその録音を聴くのだが、オケの各パートが充実していること、アンサンブルが自発的で揃っていること、クリュイタンスの演奏解釈が特に快適なテンポとスフォルツァンドの狙い撃ちのような小気味よさを感じさせ、また木管の浮き立たせによる軽やかさ、主旋律と対旋律の対比などの立体感等々に感心しながら聞きほれている。その折にふと『英雄』の聞き比べをしてみようと思って、思い出したのがしばらく聴いていなかったこのCDだった。
第1楽章を聴いてみたところ、このピリオドアプローチで室内楽的なバランスの演奏が、クリュイタンスのスリムで小気味のよいテンポの録音と(気のせいか)よく似ているのに驚いた。
第2楽章は、モダンオーケストラと比べると少々滑稽な音色もするのだが、テクスチュアとも言うべき音の織りがその素朴な音色に慣れると見えてくる。また、その音楽は意外にも痛切であり、劇的でもある。
第3楽章は、やはり「トリオのホルンのトリオ」が聴き物だ。ヴァルトホルンに近い素朴なホルンであれを吹くのは難しいのだろうが、この録音ではしっかりと響き、聴き応え充分だ。
第4楽章は、この録音では、軽みが目立つ。『プロメテウスの創造物』の主題でもある、このエロイカ主題は、エロイカの終楽章としては軽すぎるという批判が初演当初からあったらしいが、この楽章をどう処理するかが、この大交響曲の一つのポイントではなかろうか?その点、このピリオドアプローチは十全の解答とはなっていないように思う。
ノリントンやホグウッドの後、数多くのピリオードアプローチが送り出され、新鮮味は欠けてはいるが、モーツァルト交響曲の大全集をなしとげた彼らの18世紀末から19世紀に掛けての音楽再現への貢献は覚えておこうと思う。
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