ブレンデルのハイドン ピアノソナタ 第37、40、52番
はつらつとした透明感のある音色で、ハイドンのソナタが奏でられる。1985年7月ロンドンでの録音なので、既に20年以上前のものだが、私にとっては、学生時代の終り、社会人の初めの頃なので、まだ同時代という感覚だ。1月14日(月)は、ちょうど成人の日にあたる。自分は20数年前の成人の日以来少しは成長しているのだろうか?日々成長していったことが確認できるハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの作品を聴くにつれ、内心忸怩たる思いがよぎる。
ブレンデルは、2001年に聴いたリサイタル(ブレンデル)で記事にした通り、生演奏を聴いたことのある数少ない一流ピアニストの一人だが、このときのリサイタルでもハイドンの第44番(ホーボーケン番号)のソナタを演奏してくれた。
ヨーゼフ・ハイドンは、伝記的にはモーツァルトやベートヴェンのように特に名ピアニストだったということが話題にのぼることがないように思うのだが、それでも数多くの独奏クラヴィア(クラヴィコード用も)のためのソナタを作曲した。その中のあるものは、いわゆる「ソナチネ、ソナタ」アルバムというドイツ伝統的なカリキュラムの楽譜に収録されて、日本のピアノ教育にも用いられており、私の弟が(音大は目指さなかったが)近所のピアノ教室に中学まで通っていてソナタ・アルバムまで進んだときに、ハイドンのソナタをいくつか弾いていたのを覚えている。
音盤的には、ハイドンのピアノ(クラヴィア曲)は、アルゲリッチがロンドン・シンフォニエッタを弾き振りをしたピアノ協奏曲(チェンバロ協奏曲)ニ長調Hob.XVIII-11(1780頃/1784出版)[3楽章]を所有して聴いたことがある程度で、以前ブリリアントで少し評判になった日本の鍵盤楽器奏者も参加した全集もウィッシュリストには入れてあるが未聴なのだが、以前ハイドンのピアノ三重奏曲のどの曲か(膨大な作品の内どれか記憶していないが魅力的な作品だった)を実演で聴いたとき、ハイドンもピアノ(クラヴィーア)が結構達者だったのだと思ったこともあった。しかし、ハイドンは、これらのソナタを自演したのか、献呈したのか、どのように公開演奏されたのか、そのような基本的な知識がハイドンについてはよく知らないままだ。
ソナチネアルバムにある曲は、ピアノ・ソナタ第35番ハ長調Hob.XVI-35(1780頃)[3楽章]〔第48番〕。
また、ソナタアルバムには何曲も収録され、
第1巻
第1番 - ピアノ・ソナタ第35番ハ長調Hob.XVI-35(1780頃)[3楽章]〔第48番〕
第2番 - ピアノ・ソナタ第27番ト長調Hob.XVI-27(1776頃)[3楽章]〔第42番〕
第3番 - ピアノ・ソナタ第37番ニ長調Hob.XVI-37(1780頃/1770~75頃)[3楽章]〔第50番〕 ◎
第4番 - ピアノ・ソナタ第36番嬰ハ短調Hob.XVI-36(1780頃)[3楽章]〔第49番〕
第5番 - ピアノ・ソナタ第34番ホ短調Hob.XVI-34(1784頃)[3楽章]〔第53番〕
第2巻
第16番 - ピアノ・ソナタ第40番ト長調Hob.XVI-40(1784頃)[2楽章]〔第54番〕 ◎
第17番 - ピアノ・ソナタ第49番変ホ長調Hob.XVI-49(1789~90/1791出版)[3楽章]〔第59番〕
第18番 - ピアノ・ソナタ第28番変ホ長調Hob.XVI-28(1776以前)[3楽章]〔第43番〕 である。
上記のデータはクラシックデータ資料館のハイドンの作品表のページを参照したものだが、クラヴィアソナタは正確な数は分からないまでも、ホーボーケン番号では52番まで、そして(新全集?)では62番まで番号が付けられているようだ。このCDはホーボーケン番号で表示されており、この作品表によるとブレンデルが弾いている曲は下記の4曲になる。
ピアノ・ソナタ第52番変ホ長調Hob.XVI-52(1794)[3楽章]〔第62番〕
ピアノ・ソナタ第40番ト長調Hob.XVI-40(1784頃)[2楽章]〔第54番〕
ピアノ・ソナタ第37番ニ長調Hob.XVI-37(1780頃/1770~75頃)[3楽章]〔第50番〕
アンダンテと変奏曲ヘ短調(Andante con variazioni)Hob.XVII-6(1793)[p]〔原題ディヴェルティメント〕
第40番と第37番は、ソナタアルバム所収のものなので、結構広く親しまれているものだ。また4曲目の「アンダンテと変奏曲」ヘ短調は、パノラマシリーズに収録されているものと同じ録音で少し親しい。
1732年生まれで1809年没のハイドンなので、第52番変ホ長調のソナタは既にモーツァルトも亡くなった後のハイドン晩年の作品で、ロンドンセット交響曲の後半6曲の頃にあたる。円熟した大ソナタの趣を備えながら年齢を感じさせない溌剌とした魅力のある曲だ。しかし、アダージョなどでは、モーツァルトやベートーヴェンのように息の長いメロディーが聴かれるわけではなく、モノローグと劇唱のような不思議な音楽を聴くことになる。フィナーレのプレストは、いかにもオペラブッファの幕仕舞いという雰囲気の音楽で軽快に別れを告げる音楽だ。ブレンデルは軽快なフレーズを現代ピアノの重さを感じさせず鮮やかに弾ききっている。
第40番は、ニ楽章形式の曲で、手持ちのピアノソナタアルバムの第2巻を見ながら聴いてみた。1784年と言えば、モーツァルトはハイドンに捧げることになるハイドンセットの弦楽四重奏曲を苦吟しているころにあたる。ハイドンは交響曲では、パリセットの直前の時代。第1楽章が、Allegetto e innocente という珍しい発想指示。無邪気に、無垢に、という指定だろうが、確かにのんびりした音楽で8分の6拍子の音楽冒頭の主題が変奏曲とまではいかないものの少しずつ装飾されて何度も姿を現す。だが、中間部はト短調に移調して陰りを示す。この楽章の前にもっと快速の第1楽章が付いていてもいいようにも思う。第2楽章のフィナーレは、一転プレストの明快な音楽となる。主題はハイドン風の器楽的な明朗なもの。付点8分+32分音符*2の動機が活躍する。ここでもブレンデルのピアノは重さを感じさせない冴えがある。
第37番のニ長調は、1770年-75年ということで、モーツァルトはまだザルツブルク在住。ヨーゼフ・ハイドンの弟ミハイルとは同僚として親しく付き合っていただろうから、ミハイルから兄ヨーゼフへモーツァルト家の神童の噂を手紙で伝えたことがあったかも知れない。1774年には若きモーツァルトは初期の第1番から第5番の魅力的なピアノソナタを発表している。このCDの中では最も早い頃の作品で、交響曲では、「マリア・テレジア」「帝国」「校長先生」の頃。第40番の終楽章に似た感じの第1楽章の雰囲気のAllegro con brio。第2楽章はLargo e sostenutoの短調による重々しい音楽だが、悲哀よりも落ち着きを感じさせ半終止で第3楽章のPresto, ma non troppo、再び陽気なフィナーレとなる。
第4曲目は、アンダンテと変奏曲ヘ短調(Andante con variazioni)Hob.XVII-6(1793)[p]〔原題ディヴェルティメント〕という題名の不思議な曲。アンダンテの主題は、トボトボと歩むような悲愴な感じのもの。変奏曲とは言うが、冒頭の短調主題のほかに長調の装飾的な主題も間に挟み、変奏されていくように聞こえる。その意味では、ベートーヴェンの第9の第3楽章の変奏曲と同じような二重主題によるヴァリエーションなのだろうか?劇的に盛り上がり、後をひくように終わる。(どこが、ディヴェルティメントなのだろうか?)
ハイドンの曲は、作品表を眺めると交響曲、弦楽四重奏曲以外にも室内楽など膨大な作品があり、そのほか以前盛んに吉田秀和氏が賞賛したように『月の世界』というような面白いオペラや、宗教曲も沢山あるようだが、そのほとんどを聴く機会がない。ただ、このソナタ集も、心をわしづかみにするような強烈な魅力はないものの、聴いている最中は非常に充実した時間を過ごしたという感じを味わうことができる。
なお、このCDを含んだブレンデルのハイドン ピアノ作品集は4枚組みのものが入手可能のようだ。
P.S. 気になるニュースが見つかった。2008年12月をもってブレンデルが引退する予定とのこと。詳しくは2007年11月21のロイターのこの記事を。
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引退情報初めて知りました。予想していたことなので驚きはしませんが、やはりと思いました。
この辺のあやも長年、数限りなくリサイタルに通った聞き手の感想です。
秋に既に組み込まれているであろう私の定期の演奏会には、万難を排して参加しなければいけませんね。
TBを貼ります。
投稿: pfaelzerwein | 2008年1月14日 (月) 15:19
pfaelzerweinさん、いつもコメント、トラックバックをありがとうございます。
たまたま、以前入手していたハイドンを聴きなおしての記事だったのですが、ロイターの記事を見つけてしまいました。現役のまま引退したいとの意向のようですね。
自分としては、モーツァルトのピアノ協奏曲のCD全集を入手して聞き入るなど長年の音楽上の友だったと感じておりますので、大変寂しさを感じております。
投稿: 望 岳人 | 2008年1月14日 (月) 18:45