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2008年1月28日 (月)

江藤俊哉氏の実演を聴いた思い出

この1月22日に亡くなったヴァイオリニスト江藤俊哉氏の実演を聴いた思い出を一リスナーとして記録しておこうと思う。あとを読んでもらえれば分かるが、演奏自体に感心したことよりも彼の責任感の強さに強い印象を持った。

東北大学の川内講堂での東北大学交響楽団の定期演奏会には、山田一雄さんだとか、あのズデニェック・コシュラー氏だとか、この江藤俊哉氏だとか、意外な一線級の大物が客演してくれたもので、学生だった頃にはオケの楽器などできもしないのに単純な音楽好きという理由からオケへの入団も憧れだったが、流石にヴァイオリンンやオーボエ、ファゴットの経験者の同級生などが入団するのを横目で眺めつつ、定演を友人とときどき聴きに行ったものだった。

大学生活中の江藤俊哉氏の来演は1回だったか2回だったか記憶があやふやになっているが、友人とエアチェックテープでタップリ予習して出かけた期待のブラームスのヴァイオリン協奏曲の演奏が、一体何が起きたのかびっくりするくらいメロメロだったのに驚いたことを今でも鮮明に覚えている。しかし、そのコンサートの後、関係者の友人から江藤氏は持病の内臓病の痛みをおして出演し、痛みに耐えながら演奏してくれたということを伝え聞いた。比較的舞台に近い席で聞けた演奏会だったが、身をよじり脂汗を流しながらの熱演だった。

今、客観的に考えれば、学生オケの定期演奏会は、学生たちにとってはかけがえの無い経験ではあるが、プロの音楽家にしてみれば、体調不良でキャンセルしてもそれほど音楽的な経歴上も問題がないように思えるのだが、そのような功利的なことを考慮せずに、学生たちの熱い音楽への思いに応えようと無理をしたのではないだろうかと、想像する。相当の痛みを押しての熱演は、とまどいはあったが、今でも心に残っている。

ベストコンディションのときの江藤氏の演奏は、ベートーヴェンの協奏曲をその後か前に聞けたのだったように記憶するのだが、記録がウェブでは確認できないので、どうも確信がない。もしかしかたら聞けなかったのかも知れない。

彼の音色はいわゆる弓と弦の立てる擦れが多い音ではなく、脂の乗った滑らかな音色が特徴だったと思う。体格的にもオイストラフを想像させ、恰幅のよい演奏をしてくれる印象があったが、あの苦吟ともいうべきブラームスは今でも忘れることができない。

冥福を祈りたい。

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参考に東北大学交響楽団のオフィシャルページより当時の演奏会の記事を抜粋してみたが、1980年代の詳細な記録は掲載されていないようだ。ただ、メインがドボ8だったのを覚えているので第99回の演奏会だっただろうと思う。

http://www.tohokuuniv-orch.com/concerts/regconcertlist.html

95回 1980年12月6日 チャイコフスキー 交響曲6番「悲愴」他 高宮誠
96回 1981年7月11日 ショーソン 交響曲他 ズデニェック・コシュラー 
97回 1981年12月5日 シューマン 交響曲3番他 大町陽一郎
98回 1982年6月17日 ブラームス 交響曲三番他 山田一雄  

99回 1982年12月11日 ドヴォルザーク 交響曲8番他 菊地俊一  
  <<このときが江藤氏のブラームス?>>

100回 1983年6月18日 ベートーヴェン 交響曲9番 高宮誠
101回 1983年11月26日 ブラームス 交響曲1番他 山田一雄

なお、このうち、川内の講堂が改修工事のため、宮城県の県民文化会館(という名前だったと思う、定禅寺通りに面していた古いホール)で開かれた演奏会で、山田一雄さんが、『火の鳥』の組曲を指揮された記憶がある。

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コメント

はじめまして。
団塊世代のただの音楽好きですが宜しくお願いいたします。

江藤俊哉氏には思い出があります。
中学時代、昭和38年だったか、私の住む田舎町に来てくれました。会場は地元の企業の記念館のような建物でした。
曲目はツィゴイネルワイゼンとメンデルスゾーンの協奏曲でした。バックはピアノではなくてオケを録音したテープを貧弱なスピーカーから流すというものでした。
こんな劣悪な環境にもかかわらず、音楽に没入する姿と流れてきた本物のヴァイオリンの音に感激して涙したことを今でもはっきりと覚えています。

貴殿のコメントを拝見して私も思い出が書いてみたくなった次第です。
心より御冥福をお祈りいたします。

天ぬきさん、今晩は。コメントをありがとうございます。

昭和30年代のクラシック音楽鑑賞の貴重なお話をありがとうございます。ちょうどその頃といえば、私の父はもう少し上の世代ですが、地方都市の公民館のようなホールに日本の第一線の若手が時折来演し、生演奏を楽しめたものだと折に触れて話してくれる時代ですね。それこそ当時の聴衆はそれまでの音楽への渇望を満たすかのように音楽を聴いたものだとよく言っておりますが、天ぬきさんのお話を読ませてもらい、今のように手軽に音楽が聴ける時代と、むさぼるように音楽を聴いた時代のどちらが精神的に幸せだったのだろうかと、おかげで考えさせていただきました。

江藤俊哉氏は、それ以前よく見ていたNHK教育テレビの「ヴァイオリンのお稽古」では結構こわもてで厳しい指導者の印象があり、ブラームスのコンチェルトは学生オーケストラをバックにどんな演奏になるのだろうと少々こわごわだったのですが、記事に書いたような事情の力演で、指揮者やオーケストラのメンバー、そして我々聴衆に「済まないね」という表情をされていたような記憶があります。思い出に残る経験でした。

以下のリンクに少し書き込みをしました。それ以上書き込むこともあまりないのですが、そこでブラームスの協奏曲が話題となっていますので、追悼の意をもって、貼り付けさせて頂きます。

http://konstanze466.jugem.jp/?eid=165

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございました。リンク先のコメントも拝見しました。朝比奈隆と江藤俊哉の共演ですか。当時は当然のような組み合わせだったのでしょうが、こうして時代を経てみるとなかなか貴重な共演のように思います。

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