ポリーニ ショパン ピアノ・ソナタ第2番、第3番
ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op.58
ポリーニ(ピアノ)
〔1984年9月5-11日 ミュンヘン、レジデンツ、ヘルクレスザール〕
あのポリーニが久しぶりにショパンを録音したということで、田舎町のCD屋にもすぐに入荷して1985年の発売直後に購入したものだったと記憶する。新譜で出たポリーニのディジタル録音、CDのうちで初めて購入したものでもあった。
どんな凄い演奏が聴けるのかわくわくしながら、買ったばかりのヤマハのCDプレーヤーで聴いたのだが、研ぎ澄まされた鋭利な刃物のように凄みのあったポリーニが変わってしまったのではないかという危惧を抱いて、今日まで至っている。
もちろん、破綻のない技術は安定感がある。しかし、どこかよそよそしく空虚で、『エチュード』や『プレリュード』で聴いたポリーニはそこにいないように感じた。これは、その後1988年に録音されたベートーヴェンの『テンペスト』『ヴァルトシュタイン』『告別』、第25番でも感じられた。
今回本当に数年ぶりに取り出して聴いているのだが、やはり『エチュード』や『プレリュード』の延長線上の演奏ではないように聞こえる。言葉にならずもどかしいのだが、ピーンと張り詰めた緊張感が薄れているのではないかと愚考する。
1972年の『エチュード』、1974年の『プレリュード』から10年経過する間も、ベームなどと共演し協奏曲も録音し、次第に円熟していったとも言えるのだが、たとえば、この第2番の異様なフィナーレなど、もっと凄みをもって演奏ができたのでは?と思ったりする。
音楽としてより豊富な第3番のソナタでは、第1楽章の微妙なルバートがあまりポリーニらしくない、ポリーニは前進するリズムよりも細部への拘りが優先しているのではないかと思ったり、第2楽章のスケルツォの主部の滑らかで精緻な音楽は素晴らしいが、トリオの部分は生気がなく、第3楽章のラルゴの歌も透徹した抒情はあまり聴けず、左手の合いの手も平凡に聞こえる。言い方はひどいが、どこか空虚さが漂うのだ。それでも、フィナーレの音の充実は、1970年代のポリーニを彷彿とさせてくれるところもあるが、リズムの弾力性やしなやかさなようなものが少し欠けているようにも聞こえるところがある。ただ、この全部で8トラックの中では、このフィナーレの熱情的な音楽に最も聴き応えが感じられる。
誰か別のピアニストの演奏だということで、ブラインドテスト的に聴かされれば、逆に見事な演奏だと感じることはあるのだという予想はあるのだけれども、あのポリーニという先入観がどうしても頭を離れない。
まことにリスナーの身勝手な思い込みによる理想像を押し付けて聴くような姿勢になってしまっているのが、我ながらひどいものだと思うのだが、今回もそのような態度への傾斜を止めることができなかった。
なお、比較的初期のディジタル録音ということもあるのだろうが、音の鮮明さがそれまでのポリーニのアナログ録音よりも落ち、音の芯の実在感のようなものが少ないように聞こえるところも印象を相当左右しているように思う。
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個人的にはこのピアニストとは、最初の来日公演から券を入手していながら行けなかったりと、ブレンデルとは対象的に、複数回券を捨てて仕舞っているぐらい、相性がよくないようです。そのような理由で、上の70年代から80年代への鈍り方が実感出来ていません。
最も印象に残るのが90年代のザルツブルクのリサイタルで、86年のベルリンでの弾き振りよりも、遥かに能弁で明晰かつ考え抜かれたものでした。
録音も結構所持しているのですが、そうしたプログラミングの妙に比べると意外と繰り返し聞いて感心するものは限られている感じもあります。
「音の鮮明さがそれまでのポリーニのアナログ録音よりも落ち、音の芯の実在感のようなものが少ないように」の印象は興味深く、なにか打鍵による音響のスペクトルのバランスの変化のようなものを感じさせますが、どうなんでしょう。
今このピアニストの何を聞きたいかと問われてもなかなか思い浮かびません。元々年間50回に押さえていた演奏回数ですが、最近はもっと少ないような気がします。殆ど名を聞きません。
投稿: pfaelzerwein | 2008年3月11日 (火) 13:09
pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。
ポリーニのチケットを入手されていながら、何度も聴かれなかったというのは勿体ないですね。私のようにこの80年代のショパンのソナタにケチをつけるケースはあまりないようで、このディスク自体は一般的には非常に評価の高いもののようです。2000年代になってからのポリーニプロジェクトでの来日のおりにポリーニはすっかり変わってしまったという感想が多く飛び交ったように記憶しております。
ポリーニのショパンのディスクは、EMIに入れた10代後半のショパンコンクール直後のピアノ協奏曲第1番のみずみずしい演奏で最初に触れ、その後の『エチュード』で度肝を抜かれ、それが固定観念になってしまったようです。それとの比較で、比較的最近の録音をどうしても聴いてしまっています。
90年代の実演を聴かれての感想、参考になります。70年代の神経質で能面のようなジャケット写真に比べると80年代、90年代とどんどん表情が柔和になり、それに応じて突き放した表現よりも、音色も解釈もより柔軟で情熱的になっているように思うのですが、それが反面物足りなさにつながってしまっているようです。ディジタル録音の問題は、この盤がLPで入手できれば聴き比べも可能かと思うのですが、その後のベートーヴェンのソナタの音色はもっと輝きや芯のあるものなので、CDの初期盤特有の問題かも知れません。
つい最近、またモーツァルトの弾き振りが発売されたようです。ベームとの19番と23番はLPで愛聴しましたが、弾き振りにはあまり興味がわきません。ブレンデルの引退、アルゲリッチのソロ活動の長い中断(?)、アシュケナージの停滞(?)、そして現在のポリーニへの私の関心の低下。我ながら少し寂しい気がします。
投稿: 望 岳人 | 2008年3月11日 (火) 22:19