ダン・タイ・ソンのショパン『夜想曲集』
1986年9月23-28日 福島市音楽堂 ビクター音楽産業 VDC-5029-30
2005年10月17日 (月) ショパンとフンメルの命日で、ちょっと取り上げたが、ダン・タイ・ソンの演奏による『ノクターン』全集。ダン・タイ・ソンの姓名については、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の記事で書いたことがあるが、小林研一郎指揮モスクワフィルの演奏会(メインはショスタコーヴィチの第5交響曲だった)に、ダン・タイ・ソンがソリストを務めてラフマニノフの第2ピアノ協奏曲を弾くのを聴きに行き、その折に妻が購入したもの。
先日、ポリーニとアシュケナージでショパンを聴いたがその後しばらくショパンから離れてしまっていた。
1958年ベトナム生まれ。ベトナム戦争中、米軍の北爆の中、地下壕でピアノの練習をしたというエピソードが知られている。ソ連で勉強。ショパンコンクールで優勝(その回にポゴレリッチが落選しアルゲリッチがそれに怒って審査員を辞任した)。
このCDの頃は、まだ28歳。現在の貫禄のある風貌(公式サイト、いきなりピアノ協奏曲第1番のピアノの音が出る)とは大分異なり初々しい容貌だ。
このCDのピアノの音色は非常に美しい。アジア人ということもあるのだろうか、音が非常に繊細で透明。厚ぼったさや粘っこさはほとんど感じられない。植物的と言うような感触だ。ベトナムといえば、日本でも食べられるようになった米の麺フォーが有名だが、若い女性のアオザイの姿がそれと似通った楚々とした風情なのと合い通じるものがあるのだろうか?いわゆる一般的な民族的な特質で、音楽家の音楽を論じるのは粗雑過ぎるが、本当に透き通るようなしなやかな音色だと思う。
演奏スタイルは、モスクワで勉強したので、ロシアンスクールとも言えるのだろうが、やはり粘っこさがなく、サラサラとした音楽が聞こえる。その分、やや食い足りないというところもあるのだが、いわゆるいやみのない演奏だ。
同じアジア系として、多くの日本人ピアニストや中国系のフー・ツォン、近年のショパンコンクールで優勝したリ・ユンディなどと比較もできるのだが、彼らに比べてもダン・タイ・ソンのスタイルはケレンミが少ないことが特徴だと思う。
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