モーツァルト 『フィガロの結婚』 3種類のベーム指揮を聴く
1956年4月16日から22日 ヴィーン ブラームスザールでの録音。モノーラル録音。
指揮:カール・ベーム、管弦楽:ヴィーン交響楽団、合唱:ヴィーンシュターツオーパー合唱団、チェンバロ:ピルス
アルマヴィーヴァ伯爵:シェフラー、伯爵夫人:ユリナッチ、ケルビーノ:ルートヴィヒ、フィガロ:ベリー、スザンナ:シュトライヒ、マルチェリー ナ:マラニウク、バルトロ:チェルヴェンカ、バジリオ:マイクト、ドン・クルツィオ:ディッキー、アントニオ:デンス、バルバリーナ:シュヴァイガー、村 の娘:マイクル、フラス
1968年3月12日から20日 ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。ステレオ録音。
指揮:カール・ベーム、管弦楽:ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団、合唱:同合唱団(コーラスマスター:ヴァルター=ハーゲン・グロル)、チェンバロ・音楽助手:ヴァルター・タウジッヒ
アルマヴィーヴァ伯爵:フィッシャー=ディースカウ、伯爵夫人:ヤノヴィッツ、ケルビーノ:トロヤノス、フィガロ:プライ、スザンナ:マティス、マルチェリーナ:ジョンソン、バルトロ:ラッガー、バジリオ:ヴォールファールト、ドン・クルツィオ:ヴァンティン、アントニオ:ヒルテ、バルバリーナ:フォーゲル、村の娘(二人の少女):ドル、ギーゼ
DVD
音声:1975年12月ヴィーンでの録音。映像:1976年6月ロンドンでの収録(演出:ジャン=ピエール・ポネル)
指揮:カール・ベーム、管弦楽:ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団、合唱:クレジットなし、チェンバロ:フィリップ・アイゼンバーグ
アルマヴィーヴァ伯爵:フィッシャー=ディースカウ、伯爵夫人:テ・カナワ、ケルビーノ:ユーイング、フィガロ:プライ、スザンナ:フレーニ、マルチェリーナ:ベッグ、バルトロ:ラッガー、バジリオ:ファン・ケステレン、ドン・クルツィオ:キャロン、アントニオ:クレーマー、バルバリーナ:ペリー、村の娘(二人の少女):クレジットなし
『モーツァルトはオペラ』という本を最近読んだが、私にとっては『モーツァルトのオペラはフィガロ』という感じだろうか。といっても『フィガロの結婚』に一番最初に触れたのは、このオペラそのもでもなく、有名な序曲でもなかった。モノーラルのラジカセでたまたま録音できたヴェントという音楽家が編曲した管楽合奏(ハルモニームジーク)のための『フィガロの結婚』だった。中学生の頃だったので、今から30年以上も前だ。今検索してみると、「モーツァルト ハルモニームジークのための作品集 ドイツ・カンマー・フィルハーモニー・ブレーメン管楽ゾリステン」というハイブリッドCDも出ているようだが、当時の演奏はどこの団体だっただろうか?フィリップス=小学館の全集の別巻「モーツァルトとその周辺」には、モーツァルト自身の編曲による『後宮からの誘拐』、トリーベンゼーという人の編曲の『ドン・ジョヴァンニ』、ヴェント(?)編曲のこれまた『後宮からの誘拐』が収録されているが、『フィガロ』は残念ながら含まれていなかった。
外国語の含まれた音楽は、我が家の子ども達もそうだが、器楽に比べて比較的若い頃はなかなか馴染みになれないようで(どういう理由だろう?)、私もその例に漏れず、オペラにはなかなか馴染めなかったが、ハルモニームジークによる有名なアリアのメドレーは、大変親しみやすく、その刷り込みが強烈だったため、『フィガロ』に最も親しみを感じて今にいたっているのかも知れないなどと思っている。勿論、上記のDVDに収録されているものが20年以上前の正月にNHKで一挙放映され、それまでオペラに興味がなかった私の母なども3時間を越える長尺モノにも関わらず、最後まで飽きることなく見入っていたほどなので、やはり原作の戯曲、歌劇台本、そして音楽(加えて演出、映像、演奏、歌唱)が飛びぬけてすばらしいのだろうとは思う。
最上段のフィリップス=小学館の全集の全巻予約プレゼントのCDについては、以前触れたたことがあった。1955年ベーム62歳の時の録音で、モーツァルト生誕200年の1956年に合わせて録音されたもの。フィリップスレーベルへの録音のため、デッカと専属契約をしていたヴィーンフィルは使えず、そのデッカはこれまた名盤の誉れの高いエーリヒ・クライバー(カルロスの父)がヴィーンフィルを振ったステレオ録音が同じ1955年に収録されている(10CDセット所収。LPでも保有)。ベームは、やはり10CDセット所収の『コシ・ファン・トゥッテ』を同じ1955年に今度はヴィーンフィルを使って1955年にステレオで録音している(ここでは上記のフィリップス盤の伯爵を歌ったシェフラーSchoefflerが、ドン・アルフォンゾを歌っている)。
ちなみにエーリヒ・クライバー盤のキャストは、以下の通り。
アルマヴィーヴァ伯爵:ペルPoell、伯爵夫人:デラ・カーザ、ケルビーノ:ダンコ、フィガロ:シエピ、スザンナ:ギューデン、マルチェリー ナ:レッスル=マイデン、バルトロ:コレーナ、バジリオ:ディッキー、ドン・クルツィオ:マイヤー=ヴェルフィング、アントニオ:プレグルホフ、バルバリーナ:フェルバーマイヤー、村 の娘:クレジットなし、合唱:ヴィーンシュターツオーパー合唱団 (ベーム盤とはディッキー Murray Dickie と合唱が重複している)
その下のベルリン・ドイツ・オペラ盤(1968年、ベーム74歳の頃の録音)はまだ書いたことがなかったが、CDとしては、これで一番回数を聴いた。F=ディースカウの伯爵と、フィガロのヘルマン・プライは、DVD盤と共通だが、DVD盤の録音よりも8年前。
そして、一番下のものが、歌手達が自分達で歌った歌の録音に合わせてポネルの演出で演技したもので、NHKの放送の頃はVHSヴィデオやレーザーディスクで発売され、今はDVDで入手できる。1975年の録音は、ヴィーンフィルとの伝説的な来日公演後、ちょうどブラームスの交響曲全集を録音した年の録音で、1894年生まれのベームは既に81歳だったのだが、そのような年齢を感じさせないのが驚異的だ。ちなみにカラヤンが同じVPOとデッカに入れた録音は1978年。
どの録音も、ベームのモーツァルトへの畏敬を表すかのように、少々生真面目さが窺がわれ、ブッファ的な軽やかさがもう少し欲しい部分もあるが、モーツァルトオペラを知り尽くしたベームの作り出す音楽は格調の点ではどれもすばらしい。1975年録音は、念願のVPOとの共演でもあり、しなやかさ、軽やかさが比較的多く感じられる。
映画『アマデウス』では、この『フィガロの結婚』の第4幕(終幕)のクライマックス(フィナーレ)である伯爵の謝罪の場の音楽(マリナー指揮)を何度も使っていた。それまでのCDでの鑑賞では、例のハルモニームジークの影響で有名なアリアが出てこないドタバタした長大なフィナーレはそれほど注目せずにいたのだが、この映画によって「狂おしい一日 または フィガロの結婚」の見方の力点が変わった。ベームの音楽作りでは、この部分はそれほど大仰にはやられていないが、こちらの受容の姿勢が変わることで充分感動的な場面となる。
ベームのフィガロは、このほかにも1963年日生劇場杮落としのために来日したベルリン・ドイツ・オペラ公演のCD、1966年のザルツブルクでのDVD、 1980年のVPOとの来日公演でのDVDが音盤として入手可能のようだ。
なお、VPO(ヴィーン・シュターツ・オーパー、ヴィーン国立歌劇場)のフィガロでは、戦前のブルーノ・ヴァルター(ワルター)によるアセテート録音があり、●2003年9月6日 (土) 歴史的録音(1937年ザルツブルクライブ ワルターのフィガロ)で記事にしたことがある。意外なほどすっきりした演奏だ。
ちなみに、オペラ『フィガロの結婚』初演は、1786/5/1 ヴィーンのブルク劇場なので、もうすぐで初演222年になる。
« ドヴォルザーク チェロ協奏曲 デュプレ(Vc) バレンボイム/CSO | トップページ | 北京オリンピック聖火リレー 長野 »
「ディスク音楽06 オペラ」カテゴリの記事
- 小学館 モーツァルト全集のCDを夏の帰省時に持ち帰った(2014.09.02)
- 年末に届いた "LIVING STEREO 60 CD COLLECTION"(2013.01.04)
- ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの逝去を悼む(2012.05.19)
コメント
« ドヴォルザーク チェロ協奏曲 デュプレ(Vc) バレンボイム/CSO | トップページ | 北京オリンピック聖火リレー 長野 »
おはようございます。
私も言葉の壁があって、なかなかオペラには馴染めませんでしたがショルティの「魔笛」を聴いてからなんとか聴けるようになりました。
「フィガロ」はE・クライバーのLPを購入したのですが余り聴くこともなく積ん得状態だったのですが、お正月にベームの放映があったのを機に一気にのめり込みました。
1980年でしたか?来日公演の時は6時から10時過ぎまでデッキにかじりついてエアチェックしたのも良き思い出です。
そのテープをCDにしていますが目茶苦茶なフライング拍手には今聴いても興醒めというか怒りを覚えてしまいます。
投稿: 天ぬき | 2008年4月27日 (日) 09:58
天ぬきさん、コメントありがとうございます。ベームの1980年の最後の来日の公演の最後には盛大なフライングブラボーですか。86歳の老指揮者が極東の日本までわざわざやってきて、3時間にもわたるオペラを振り通すだけでも奇跡ですが、当時の聴衆はそのようなところも含めて感激したのかも知れないですね。後世が鑑賞するには不都合かも知れないですが、逆にどれだけ当時の聴衆がベームに熱狂していたかを示す貴重な記録かも知れないとも、コメントを拝読して思ったりもしました。
オペラ鑑賞での言葉の壁は大きいですね。まったく言葉が分からなくても、舞台を見ればその演出や所作により何が行われているのかぐらいはわかると思いますが、音だけではそれも難しく、延々と流れる音楽が逆に苦痛に感じられるので不思議です。それも抽象的な器楽曲と違い、具体的なストーリーが描かれているので、テレビ番組のIQサプリではありませんが、却って「もやもや」感が募り、イライラしてしまうようです。
モーツァルトは、汎ヨーロッパの象徴のような人で、母国語のドイツ語は勿論のこと、フランス語、英語、ラテン語、そしてオペラの言葉であるイタリア語に相当堪能だったようで、それだからこそ、あれほどの複雑な心理描写を音楽にできたわけで、理想的には鑑賞者側もそれなりの言葉の素養が必要なのだと思います。
現代では本公演でも、日本語の字幕スーパーでおよその意味は分かるそうですが、オペラの鑑賞を少々生真面目に考えると結構難しいものがあるように思います。国際化時代で、歌手でさえ、台詞、歌詞をマル暗記でその意味内容を充分に把握していないとも聞きますし、指揮者もそうは語学の天才はいないでしょうし・・・ イタリア人指揮者がイタリア語で書かれた多くの歌劇が得意なのもそれが彼が属している文化・民族の伝統から生まれたものであり、言葉の点でもまったくひるむところがないので当然なのかも知れないなどと思ったりもしています。
投稿: 望 岳人 | 2008年4月27日 (日) 10:40
1980年のVPOとの来日公演はDVDが出てますか?映像は中継されたのを全く覚えてません。一昨日、二十五年振りぐらいにそのときのエアーチェックを切れるテープを繋ぎながら鳴らしました。
私のリフェレンスは真ん中のドイチェオパー盤ですが、晩年のものも当時言われていた程緊張感が無かった訳でもなく、歌手が苦労しているだけで、終幕への低減からの大きなクレッシェンドなど、随分カットされているながら、要所を押さえたものだったと再確認しました。
ただ晩年のザルツブルクなどでの公演に比べるとおかしな所はあるかもしれません。やはり、繰り返し聞けるものは限られてますね。
私は子供の頃から対訳に慣れていたのでオペラを嫌煙する事はなかったです。逆に言葉が分かってしまうと作曲家を含めてその足りない部分が顕著になってくるので、問題も多いです。
さらに演出のみならず歌手の問題があるので、上演はおろか、後世に残る録音はなかなかないんですよね。小林秀雄が宣ように目を瞑って聞いたって、これだけはどうしようもない。「モーツァルトが歌を器楽した」とした主張に、ある意味「純器楽的な音楽と言うのが特殊なものである事実」を、この文化人が図らずも示している事で、「西欧音楽の需要」と言う事情を表わしています。
それが、またおかしな形で、晩年のベーム芸術賞賛や批判に繋がったのは日本の特殊事情ですね。まさにベームこそは、若い頃から「歌手などは外れっぱなし」と正直に語った流派なのですから。
となると、結局、声に魅力がなければ駄目って言う事でしょうか。
投稿: pfaelzerwein | 2008年4月27日 (日) 15:28
pfaelzeweinさん、コメントありがとうございます。
以前の「ようやくコシの全曲聴けた」でもそうでしたが、言葉の問題はオペラ鑑賞にとって大きいように感じております。日本の浄瑠璃や歌舞伎、能や狂言にしても、いくら日本語と言っても古典の素養がなければ充分に楽しめないものだと思いますが、その母国語の鑑賞者にしてもヴァーグナーの楽劇のようにオペラの韻文が充分に聞き取れる人はそうはいないと聞きますので、それほど神経質になる必要はないかも知れませんが。やはり楽しむためには充分な予備知識が必要ということなのでしょうね。
また、対訳を参照しながらの鑑賞は、どうしても音楽に耳が向かわず、言葉の聞き取りが主になってしまい、なかなか難しいですね。老眼も進み、楽しめる作品は限られてしまっております。
ベームの1980年の来日公演の映像は、本文中にリンクを張りましたが、昨年NHKからDVDが発売されたようです。
日本人の老巨匠好きは、ベームあたりから始まったのでしょうか。ブームとして熱狂し、たちまちの内に忘れてしまうというのが繰り返されているように思います。そこが日本の音楽受容の特徴のようですね。
投稿: 望 岳人 | 2008年4月27日 (日) 16:18
自分の所にウイーン国立・ベームのフイガロの結婚(1980年)の前出の国営放送流出の当時の収録用台本付きの38 2Tの録音テープ(おそらく編集時の物とおもいます。)があります。マスター巻き8本からなるものです。残念ながら、3幕の後半の1本が紛れたようです。一時オーディオを中断した時のこととおもいますので、今となっては探すのは不可能かとおもいます。
保存状態もよく、アンペックス801(録音はPcmとありますので、デンオンかとおもいます)で再生して見ると舞台の状況が手にとるような臨場感があるので、欠品がかえすがえすも残念です。
貴殿が視聴したら、どのようにコメントするかと想像いたしています。映像が無いだけに、音のみのほうが、無限にイメージできるので当方はすきです。若いころ西ベルリンですごしましたので、舞台は何度となくみましたが、舞台に飲み込まれて(舞台を見て登場人物を目で追うため)、音楽を楽しめませんでしたが、自宅でウトウト居眠りしながら、レコードとテープにかこまれての鑑賞も又おつですよ。娘はこの部屋のことを準ゴミ屋敷ともうしますが・・・・?
投稿: 横浜のおやじ | 2011年11月19日 (土) 12:40
横浜のおやじさん、初めまして。コメントいただきありがとうございます。
素晴らしい音源をお持ちのようですね。
田舎暮らしの長かった当方は、オペラの舞台を実際に見た経験はあまりないため、老後はオペラ通いができたら、などと夢想しております。
投稿: 望 岳人 | 2011年11月20日 (日) 22:23