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2008年4月の19件の記事

2008年4月29日 (火)

レオナルドのヴェッキオ宮殿の壁画が発見!?

日本テレビ 2008/4/29 19:00-20:54  

ダイワハウススペシャル 天才ダ・ヴィンチ 伝説の巨大壁画発見!

 フィレンツェのヴェッキオ宮殿の広間に描かれた後、失敗作として放棄されたと伝えられたレオナルドの『アンギアリの戦い』が隠されているのが発見されたらしい。アメリカのカリフォルニア大学のサンディエゴ校の工学博士でフィレンツェ出身のマウリツィオ・セラチーニによるとのこと。あの「画家伝」のヴァザーリが隠したらしい(ヴァザーリのフィレンツェの他の教会でもマザッチオの祭壇画を保存のためか?隠したらしい)。

ただ、またニッテレなので眉唾も必要かもしれない。例のたけしとアイルワースのモナリザを制作放映したのも日本テレビだったので。

BGMでは、レスピーギのローマの松や泉、メンデルスゾーンの『イタリア』などが用いられているが、これも何だかな。レスピーギなら「古風な舞曲」ではなかろうか?

追記:その後、ネットで検索してみると、例のNHK地球ドラマチックで2006年に既にセラチーニによる『アンギアリの戦い』の捜索が海外ドキュメンタリーとして放映されていたのに気が付いた。たけしの『もう一つのモナリザ』でもそうだったが、またもやニッテレによる「新発見」ものは、過去にマスコミが取り上げたもの(モナリザではニッテレが過去に取り上げたものだった!)のいわゆる「焼き直し」だった!? 

『ダビンチ捜査官~消えた名画を追え!~』 2007年11月17日(土) 10:00~10:45

原題:The Da Vinci Detective
制作:Darlow Smithson Productions

とは言え、このような番組はついつい見てしまうのだから、私も懲りない。ただ、この番組で「新たに」新発見とは言っていなかったようだし、CGにより有名なルーベンスの模写の周囲の絵までも再現して、いわゆる完成版を復元して見せたのはこの番組の手柄なのだろうか?

ちなみにアンギアーリの闘い(La Battaglia di Anghiari, Battaglia d'Anghiari)の Anghiari の場所はGoogle mapで、Italy Anghiari で検索すると表示される。フィレンツェの東南東約65kmの地。ミラノからは300kmもある!

参考ページをいくつか探してみたら結構あった。

イタリア語:http://www.artive.arti.beniculturali.it/Disegni/Battaglia%20d'Anghiari/Frame%20Anghiari.htm

http://www.anghiari.it/italiano/s0/da4.htm

wikipedia イタリア語

イタリア Nazione紙のサイトの記事 セラチーニのことが特集されている?2008年3月3日のものなのでまだ新しい。 La ricerca della 'Battaglia di Anghiari' raccontata in un documentario

英語: wikipedia 英語 セラチーニのことも記述されている( Possible recovery)

日本語: 不埒な天国 (フィレンツェ市在住の日本人の方らしい)

2005年06月23日 失われたダ・ヴィンチのフレスコ画を探す鍵

2007/10/30 数字で見るイタリアの常識・非常識 vol.226

2008年04月29日 TV「ダビンチ巨大壁画を今夜発見」 

 今回の「発見」も2005年頃にも日本でも報道されていたらしい。

YouTube: Il mistero della Battaglia di Anghiari (2007) 短編ドキュメンタリー

p.s. フィレンツェは、新婚旅行のローマからのオプションの日帰りツアーだったが、ミケランジェロ広場、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、サンタ・マリア・デル・フィオーレ、シニョーリア広場、このヴェッキオ宮殿、アカデミア美術館、サンタ・クローチェ教会、そして駆け足で回ったウフィッツィ美術館をみて回ることができた。アメリカ人の団体客と、日本人の女子学生たち、それに我々夫婦という構成のバスツアーで、ガイドさんは日本にも滞在したこともあり、長野オリンピックの前だったが長野のことも知っていた若い女性だった。英語、日本語、イタリア語を駆使して案内してくれた。当時はフィレンツェに関する予備知識がほとんどなかったので、帰国後様々なフィレンツェ関係の本を読み漁った。塩野七生『わが友マキアベリ』が面白かったし、和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』も面白かった。実際に自分が体験した風景を思い浮かべながらそのような書籍を読むのは非常に面白いものだった。

なお、先日関口知宏のファーストジャパニーズ(FJ)という番組で日本人カバン職人がフィレンツェで独立して工房を開いたことを特集していたが、フィレンツェの裏町の石畳の風景が懐かしかった。

P.S. 「弐代目・青い日記帳

にトラックバックさせてもらった。本館の BLUE HEAVEN も凄い美術サイトだ。

追記:2008/05/03
 他の番組の関係で全部見れなかったため、ビデオ録画をしておいたが、ようやく今日の憲法記念日の休日に見ることができた。最初の方のモナリザの眉毛の復元は結構面白かった。これが最新の映像技術による発見。眉毛があるのとないのとではまったく印象が違う。ずっと若々しく見えた。これは何しろ、ラファエロの白黒の模写には眉毛があり、またいわゆるラファエロの円柱があるのだからそれなりの蓋然性はあるのだろう。色調の明度についての復元も面白い。例のアイルワースのモナリザには眉毛がなかったように見えるが、ルーヴルのモナリザに眉毛の跡があるというのが面白い。

次に、「最後の晩餐」に隠された音符について。これは,WIKIPEDIAの英語版からのリンクで、この番組で紹介された音楽家についての記事を読むことができ、その音楽家がREQUIEMのようだと言う音楽も聴くことができる(英語版)。ただ、手とパンに音符を当てはめるというのはあくまでもそのように読むこともできるという解釈の可能性の類で、偶然、左から音符を読むをそれらしい音楽に聞こえるというだけで、(これが音符だとして)和声的な書法と三拍子という見方は、15世紀末から16世紀初めに活躍したジョスカン・デプレなどの音楽の様式とは違うのではないかと思わせられた。なおその「曲調」からRequiem らしいというのもあまりにも「ロマンチック」な見方ではなかろうか?

暗号の「求めよ、されば与えられん」の発見は、画期的だったが、Masaccio の サンタ・マリア・ノヴェラ教会の三位一体の壁画がヴァザーリによって「なぜか?」隠されており、その隠し方がちょうど500人広間の壁画の隠し方と似ているということ。2008年の7月、8月には、電子的・原子的な透視のような手法で、現在のヴァザーリの壁画の裏にあると想定されている「アンギアリの戦い」が「見える」かも知れないという。復元については、各地に残るデッサンや下絵の原画(オックスフォードの Ashmolean Museum アシュモレアン美術館所蔵には驚かされた)そして日本にあるという彩色付きの模写から、それらしいものが提示されなかなか面白かった。

番組の作り方が日テレのこの種の番組的にチープだったが、「啓蒙的」な番組としては、私のような興味だけはある素人にはそれなりに面白かった。

名曲探偵アマデウス 事件ファイル#4 チャイコフスキー 交響曲第6番『悲愴』

前回の『ゴルトベルク』に続いて、今回はチャイコフスキーの交響曲第6番 『悲愴』だった。

今回の探偵事務所に相談に来たのは根岸季衣が扮する未亡人。夫が遺した本格的なフルスコアがチャイコフスキーの交響曲第6番。その表紙に「君に贈る」というように書かれており、スコア内部には多くの書き込みが・・・。これは一体誰に向けたどんな意味のメッセージなのか、というのが話しの発端だった。

筧利夫が演じる天出臼夫(あまで うすお)という指揮者兼探偵が、助手の響カノン(黒川 芽以という女性シンガーらしい)とその謎を解き明かす。

夕食後、日曜日の夜11時から11時45分に放送されたもののビデオを家族で見たのだが、さすがにこの曲は最近あまり聴いていないこともあり、子ども達は ほとんど初めて聴いたと言っていたが、それでもチャイコフスキーのバレエ音楽に似た部分もあるね、などと言って興味をもったようだった。いわゆるニック ネーム付きの交響曲で広く知られた名曲でもあり、私も中学生の頃からカラヤンとベルリンフィルの1960年代の録音のLPをそれこそ擦り切れるほど聴いて 親しんだものだが、ある時期からほとんど聴かなくなってしまった。いわゆる縁起を担いでというような消極的な気分も少しはある。

今回の演奏は、渡邊一正指揮のNHK交響楽団。どこかのスタジオでの収録らしいが、コンマスは、マロ殿だった。ファゴットのppppppも実際に演奏したり、第四楽章の冒頭の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンを分奏させてみたりと、結構番組に協力的だった。

専門家としては、玉川大学の准教授が出演。チャイコフスキーに詳しい人らしい。大学の電子ピアノ(笑)を弾きながら、解説していた。特に有名な名旋律として知られる第1楽章の第2主題は、曲中3回姿を変えて現れるが、そのときどきで付けられている和音が異なり、第1回目では確か減九の和音が使われているのが、特徴的というようなことを説明していた。

今回の番組でも自身の指揮による初演のわずか9日後にチャイコフスキーが急死してしまったことは述べられていてその悲劇的な死との絡みでも「悲哀」を表したものと考えられがちだが、実はということで、自筆譜のフランス語の表題「Pathetique」から日本語でも『悲愴』と訳されているが、ロシア語の表題 パテティチェスカヤの訳語には、直接「悲哀、悲しみ」という訳はなく、いわゆるギリシア語のパトスの訳にあたる「(元来は揺り動かされた心の状態をさす)知性に対して、一時的で感情的な精神。激情。情熱。情念。」(Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988より)の訳語に当たるものしかないとされるというような説明がなされていた。

しかし、この説明は、語源であるギリシア語のpathos に遡り、そこから派生したヨーロッパの各国語ということを考える必要があり、露和辞典の記述に『悲しみ』がないことで、それがその言葉にその意味がないと考えるのは早計だと思える。英語のpathetic の語源として、「後ラテン語←ギリシャ語 pathetikos (pachein苦しむ+-ikos -ic=苦しみやすい→同情心をもちやすい)Progressive English-Japanese Dictionary, Third edition ゥ Shogakukan 1980,1987,1998/プログレッシブ英和中辞典  第3版  ゥ小学館 1980,1987,1998 とあり、pachein = suffering 苦しみ が語源であるからだ。フランス語にしても、英語にしても、ロシア語にしても、日常的な用法は別として、芸術的・文学的な用法ではこの原義が失われることはないだろうと思う。一時期、パテティチェスカヤにこだわって『悲愴』と訳すのは誤りだという主張もあったようだが、逆に考え直す必要があるのではないか、とテレビを見ながら思った。参考になるのが、このページの解説だ。

パトス pathos
〈受動的状態〉〈感情〉〈情念〉などを表すギリシア語。英語ではペーソス。人間精神の能動的・習慣的・理性的契機としてのエートスやロゴスに対比されるとともに,実体に対する属性,さらには激情や苦悩,受苦,受難などの意でも用いられるようになった。

平凡社世界大百科事典

番組は、この曲の第1楽章と、第4楽章を取り上げ、第2、3楽章は割愛されたのは残念だったが、番組の時間的制約からは仕方がないとは言え、この曲の解説としては十全のものではなかったのが、少々残念だった。

ディスクで以前記事にしたのは、ジュリーニとロスフィル、マルティノンとヴィーンフィル程度だが、名盤とされるムラヴィンスキーとレニングラードフィルのDG盤、カラヤンとベルリンフィルの70年代録音、小澤征爾とパリ管のものが今手元にあり、久しぶりに聴いてみたいと思った。

2008年4月28日 (月)

小澤/SKO ブラームス 交響曲第4番(1989年)

Brahms_14_ozawa

ブラームス 

 交響曲第4番 ホ短調 作品98

  小澤征爾指揮 
    斎藤記念オーケストラ

12:03/11:05/6:18/9:45

〔1989年9月15-16日、ベルリン イエス・キリスト教会〕


参考:
ベーム/VPO〔1975〕13:18/12:06/6:42/10:23
カラヤン/BPO 〔1977〕12:48/11:05/6:04/9:57

C.クライバー/VPO〔1980〕12:45/11:49/6:04/9:12
ヴァント/NDR〔1985〕11:51/10:46/6:24/9:28

先日、この曲の聴き比べをしたが、少し食傷気味になったので、間を空けた。

今度は、独墺系の大指揮者、名門オーケストラによるブラームスの第4の中では、異彩を放つ小澤征爾指揮斎藤記念オーケストラの演奏。

この「七夕」オーケストラの意味や演奏の特徴については、同じブラームス交響曲全集の第1番の記事で書いたが、記憶力が悪いので繰り返しになったり矛盾するようなことも出てくるような危惧がある。

参考: 2006年8月30日 (水) ブラームス 交響曲第1番 小澤/サイトウ・キネン・オーケストラ

斎藤記念オーケストラの欧州楽旅の最初の頃の現地収録で、録音場所は、旧西ベルリン地区のイエス・キリスト教会。1950年代から1960年代のBPO(最近「放送倫理・番組向上機構」Broadcasting Ethics & Program Improvement Organizationの略称としても使われるようになったが)の録音が多く録音された教会で、カラヤンのLPの多くはここで録られた。先日のベームのフィガロもここで録音されている。小澤征爾もBPOとの録音(チャイコフスキーの交響曲第4番のCDを持っているがここでの録音だ)で、カラヤン・サーカス(フィルハーモニーホール)ではなく、この録音会場を使っているので、勝手知ったるお気に入りの場所としてここを選んだのだろうか?

木管や打楽器には小澤征爾の個人的な知己であるライスターや工藤重典、宮本文昭などが名を連ね、桐朋学園メソドの履修者では必ずしもないが、弦楽器はそのほとんどが桐朋学園出身のソリスト級の名手達だ。メンバー表を見るだけで、戦後の日本の弦楽器演奏での躍進が見えるようだ。そして、小澤征爾は斎藤秀雄の指揮メソドの一番弟子。

小澤はフランスのブザンソンでの優勝もあり、またミュンシュに私淑し、ストラヴィンスキーにも誉められ、メシアンの信頼を得たりしたこともあり、近現代ものが得意ということになっておりまた実際そうなのだが、斎藤秀雄からはもっぱらドイツ音楽を叩き込まれたのだという。そこで、斎藤記念オケの欧州楽旅では、ブラームスを集中的に取り上げたのだと、かつてテレビのインタビューで語っていたのを記憶している。

ブラームスの1番の時には、結構違和感を感じたのだが、この4番は結構抵抗なく聴くことができて意外だった。どこが、どうということが肝心なのだが、素直に感心したというわけではないため、感動をそのまま文字にすればいいというわけではないのがつらいところだ。

この演奏も、第1ヴァイオリンが音量的にも音色的にも表情的にもがんばり過ぎ、他の弦のパートが立体的に聴こえないのがやはり気になりはしたが、それでもその不満があまり違和感につながらなかったのは音楽の性格だろうか。

2008年4月27日 (日)

「ゴルトベルク」変奏曲を聴く

先日のテレビ番組に刺激されて、久しぶりにグールド晩年のゴルトベルク変奏曲全曲をじっくり聴いた。

アリアのテンポは非常にゆっくりだ。グールドのつぶやきや鼻歌が聞こえる部分では、一緒に聴いていた長男も驚いていた。

先日の番組の作品解説により、30の変奏が、3グループに分かれるということに気づかされて改めてそのグループ分けに注意しながら聴いてみた。現在演奏されている変奏番号が何番かということは、最初のアリアの番号1をプレーヤーに表示されるindex番号から引くことで当然分かる。その番号の数を3で割り、その余りの数で第1グループ、2、3グループと分類すると分かるわけだが、音楽を聴きながらその単純な計算をするのが結構面倒で、第1グループが性格的な舞曲(メヌエット、ジーグ)など、第2が技巧的な音楽、第3が1度ずつ音程がずれていくカノンのグループと暗算するのは結構難しかった。特に、第3グループの変奏は、index番号4のものが、1度のカノンとなり、7のものが2度のカノンなるのだが、今演奏されているのが何度のカノンかと考えるのはちょっとした頭の体操だった。たとえば、index 28 は、(28-1)÷3=9 で余り0なので、第3グループ(カノンのグループ)となり、商が9なので9度のカノンとなる。書けば単純なのだが、音楽を聴きながらだと、混乱してしまう。お恥ずかしい話だ。それでも、このように整然と曲が作られているのがわかったので、3度のカノンだと主題の3度上で追いかけ主題が提示されるのが分かる気がするし、2度や4度、7度だとよく不協和にならずに作曲できたものだと感心するなど面白さがわかるように思う。

また、そのテレビ番組で、変奏が30のため、第16変奏から後半になるというようなことを言っていたかは忘れたが、第16変奏は、管弦楽組曲の序曲と同様のフランス風舞曲になっており、これまで意識しなかったが、この曲はまさに後半の始まりを告げる序曲の趣が強い。

それにしても、私も妻もそうだが、このゴルトベルク変奏曲は、演奏には難しい曲だろうが、比較的に短い特徴的な変奏が次々に登場するためか、何度も聴いているうちに、それぞれの変奏がいつの間にか記憶に刻まれやすいようで、つい演奏を聴きながら指が動いたり、鼻歌を歌ったりしてしまう。そのために余計、伝説とは異なり、「眠れなくなる」覚醒作用のある曲なのだということがあるような気がする。

なお、今晩の「名曲探偵」は、23:00 クラシックミステリー名曲探偵アマデウス “交響曲第6番 悲愴”~遺された楽譜の謎 とのことだ。

北京オリンピック聖火リレー 長野

昨日の土曜日に行われた聖火リレーは、1998年の長野オリンピック冬季大会を顕彰して行われたものだろう。これまでアジアで行われたオリンピックは、東京、札幌、ソウル、長野の4箇所しかないのだから、北京市としても最も最近に行われたアジアのオリンピック開催都市としての長野を選んだのだろうと思う。

長野大会は、政治問題こそなかったものの、バブル経済に踊った金満日本が金で買ったオリンピックとしてそれ以降のソルトレークシティーオリンピックなどでIOCの金銭的なダーティーさが暴かれるきっかけになった大会で、その意味で世界の拝金主義を象徴するかのようなものだったが、今度の北京大会は、膨大な人口を抱える多民族国家を一党が独裁する国で行われるという点で、今後の世界情勢を占うような大会であるとも言えるのかも知れない。冷戦終結後の世界は、宗教間、民族間の紛争が激化しており、また情報化IT化によって、情報が一瞬の間に世界を駆け巡るものになっており、中国はある意味でその象徴のようなものだからだ。

昨日の聖火リレーは、UKやフランス、アメリカなどの西側諸国のリレーに比べて、中国人の「留学生」の愛国心の圧倒的なディスプレーの場となったこともあり、チベット支持派との小規模な小競り合いや、妨害はあったものの、日本の警察の威信をかけた警備もあって、大混乱にはならずに終了した。表面的には、それなりの成功だったのだろうが、テレビでところどころ生中継されたり、ニュースで何回も流された画像により、日本人にとって結構ぬぐいがたい影響があったのではないかと思う。

それは、中国人の「留学生」たちが組織的に行った、五星紅旗(五黄星旗とも俗に呼ばれる?)を振り回しての沿道での愛国的な活動が非常に奇異に感じたことだ。Free Tibet を叫ぶチベット支持派もチベットの旗を振ってそれに抗議していたが、東アジアにおける政治対立が、鄙びて平和な仏都のお膝元で繰り広げられるのは、もやもやした反発心や違和感を植えつけられたような気がしてならない。

日本に留学してきた中国人「留学生」たちは、江沢民時代の愛国教育(反日教育)にも拘わらず、敢えて日本を留学場所に選んだ親日派の学生なのだろうが、彼らの聖火を守りオリンピックを成功させようというパフォーマンスは、決して多くの日本人の共感を誘わず、却って反感を買ったような気がする。


2008年4月26日 (土)

モーツァルト 『フィガロの結婚』 3種類のベーム指揮を聴く

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1956年4月16日から22日 ヴィーン ブラームスザールでの録音。モノーラル録音。

指揮:カール・ベーム、管弦楽:ヴィーン交響楽団、合唱:ヴィーンシュターツオーパー合唱団、チェンバロ:ピルス

アルマヴィーヴァ伯爵:シェフラー、伯爵夫人:ユリナッチ、ケルビーノ:ルートヴィヒ、フィガロ:ベリー、スザンナ:シュトライヒ、マルチェリー ナ:マラニウク、バルトロ:チェルヴェンカ、バジリオ:マイクト、ドン・クルツィオ:ディッキー、アントニオ:デンス、バルバリーナ:シュヴァイガー、村 の娘:マイクル、フラス

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1968年3月12日から20日 ベルリン、イエス・キリスト教会での録音。ステレオ録音。

指揮:カール・ベーム、管弦楽:ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団、合唱:同合唱団(コーラスマスター:ヴァルター=ハーゲン・グロル)、チェンバロ・音楽助手:ヴァルター・タウジッヒ

アルマヴィーヴァ伯爵:フィッシャー=ディースカウ、伯爵夫人:ヤノヴィッツ、ケルビーノ:トロヤノス、フィガロ:プライ、スザンナ:マティス、マルチェリーナ:ジョンソン、バルトロ:ラッガー、バジリオ:ヴォールファールト、ドン・クルツィオ:ヴァンティン、アントニオ:ヒルテ、バルバリーナ:フォーゲル、村の娘(二人の少女):ドル、ギーゼ

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DVD
音声:1975年12月ヴィーンでの録音。映像:1976年6月ロンドンでの収録(演出:ジャン=ピエール・ポネル)

指揮:カール・ベーム、管弦楽:ヴィーンフィルハーモニー管弦楽団、合唱:クレジットなし、チェンバロ:フィリップ・アイゼンバーグ

アルマヴィーヴァ伯爵:フィッシャー=ディースカウ、伯爵夫人:テ・カナワ、ケルビーノ:ユーイング、フィガロ:プライ、スザンナ:フレーニ、マルチェリーナ:ベッグ、バルトロ:ラッガー、バジリオ:ファン・ケステレン、ドン・クルツィオ:キャロン、アントニオ:クレーマー、バルバリーナ:ペリー、村の娘(二人の少女):クレジットなし

『モーツァルトはオペラ』という本を最近読んだが、私にとっては『モーツァルトのオペラはフィガロ』という感じだろうか。といっても『フィガロの結婚』に一番最初に触れたのは、このオペラそのもでもなく、有名な序曲でもなかった。モノーラルのラジカセでたまたま録音できたヴェントという音楽家が編曲した管楽合奏(ハルモニームジーク)のための『フィガロの結婚』だった。中学生の頃だったので、今から30年以上も前だ。今検索してみると、「モーツァルト ハルモニームジークのための作品集 ドイツ・カンマー・フィルハーモニー・ブレーメン管楽ゾリステン」というハイブリッドCDも出ているようだが、当時の演奏はどこの団体だっただろうか?フィリップス=小学館の全集の別巻「モーツァルトとその周辺」には、モーツァルト自身の編曲による『後宮からの誘拐』、トリーベンゼーという人の編曲の『ドン・ジョヴァンニ』、ヴェント(?)編曲のこれまた『後宮からの誘拐』が収録されているが、『フィガロ』は残念ながら含まれていなかった。

外国語の含まれた音楽は、我が家の子ども達もそうだが、器楽に比べて比較的若い頃はなかなか馴染みになれないようで(どういう理由だろう?)、私もその例に漏れず、オペラにはなかなか馴染めなかったが、ハルモニームジークによる有名なアリアのメドレーは、大変親しみやすく、その刷り込みが強烈だったため、『フィガロ』に最も親しみを感じて今にいたっているのかも知れないなどと思っている。勿論、上記のDVDに収録されているものが20年以上前の正月にNHKで一挙放映され、それまでオペラに興味がなかった私の母なども3時間を越える長尺モノにも関わらず、最後まで飽きることなく見入っていたほどなので、やはり原作の戯曲、歌劇台本、そして音楽(加えて演出、映像、演奏、歌唱)が飛びぬけてすばらしいのだろうとは思う。

最上段のフィリップス=小学館の全集の全巻予約プレゼントのCDについては、以前触れたたことがあった。1955年ベーム62歳の時の録音で、モーツァルト生誕200年の1956年に合わせて録音されたもの。フィリップスレーベルへの録音のため、デッカと専属契約をしていたヴィーンフィルは使えず、そのデッカはこれまた名盤の誉れの高いエーリヒ・クライバー(カルロスの父)がヴィーンフィルを振ったステレオ録音が同じ1955年に収録されている(10CDセット所収。LPでも保有)。ベームは、やはり10CDセット所収の『コシ・ファン・トゥッテ』を同じ1955年に今度はヴィーンフィルを使って1955年にステレオで録音している(ここでは上記のフィリップス盤の伯爵を歌ったシェフラーSchoefflerが、ドン・アルフォンゾを歌っている)。

ちなみにエーリヒ・クライバー盤のキャストは、以下の通り。

アルマヴィーヴァ伯爵:ペルPoell、伯爵夫人:デラ・カーザ、ケルビーノ:ダンコ、フィガロ:シエピ、スザンナ:ギューデン、マルチェリー ナ:レッスル=マイデン、バルトロ:コレーナ、バジリオ:ディッキー、ドン・クルツィオ:マイヤー=ヴェルフィング、アントニオ:プレグルホフ、バルバリーナ:フェルバーマイヤー、村 の娘:クレジットなし、合唱:ヴィーンシュターツオーパー合唱団 (ベーム盤とはディッキー Murray Dickie と合唱が重複している)

その下のベルリン・ドイツ・オペラ盤(1968年、ベーム74歳の頃の録音)はまだ書いたことがなかったが、CDとしては、これで一番回数を聴いた。F=ディースカウの伯爵と、フィガロのヘルマン・プライは、DVD盤と共通だが、DVD盤の録音よりも8年前。

そして、一番下のものが、歌手達が自分達で歌った歌の録音に合わせてポネルの演出で演技したもので、NHKの放送の頃はVHSヴィデオやレーザーディスクで発売され、今はDVDで入手できる。1975年の録音は、ヴィーンフィルとの伝説的な来日公演後、ちょうどブラームスの交響曲全集を録音した年の録音で、1894年生まれのベームは既に81歳だったのだが、そのような年齢を感じさせないのが驚異的だ。ちなみにカラヤンが同じVPOとデッカに入れた録音は1978年

どの録音も、ベームのモーツァルトへの畏敬を表すかのように、少々生真面目さが窺がわれ、ブッファ的な軽やかさがもう少し欲しい部分もあるが、モーツァルトオペラを知り尽くしたベームの作り出す音楽は格調の点ではどれもすばらしい。1975年録音は、念願のVPOとの共演でもあり、しなやかさ、軽やかさが比較的多く感じられる。

映画『アマデウス』では、この『フィガロの結婚』の第4幕(終幕)のクライマックス(フィナーレ)である伯爵の謝罪の場の音楽(マリナー指揮)を何度も使っていた。それまでのCDでの鑑賞では、例のハルモニームジークの影響で有名なアリアが出てこないドタバタした長大なフィナーレはそれほど注目せずにいたのだが、この映画によって「狂おしい一日 または フィガロの結婚」の見方の力点が変わった。ベームの音楽作りでは、この部分はそれほど大仰にはやられていないが、こちらの受容の姿勢が変わることで充分感動的な場面となる。

ベームのフィガロは、このほかにも1963年日生劇場杮落としのために来日したベルリン・ドイツ・オペラ公演のCD1966年のザルツブルクでのDVD1980年のVPOとの来日公演でのDVDが音盤として入手可能のようだ。

なお、VPO(ヴィーン・シュターツ・オーパー、ヴィーン国立歌劇場)のフィガロでは、戦前のブルーノ・ヴァルター(ワルター)によるアセテート録音があり、●2003年9月6日 (土)  歴史的録音(1937年ザルツブルクライブ ワルターのフィガロ)で記事にしたことがある。意外なほどすっきりした演奏だ。

ちなみに、オペラ『フィガロの結婚』初演は、1786/5/1 ヴィーンのブルク劇場なので、もうすぐで初演222年になる。

2008年4月25日 (金)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 デュプレ(Vc) バレンボイム/CSO

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ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調 作品104

ジャクリーヌ・デュプレ(チェロ)  
ダニエル・バレンボイム指揮 シカゴ交響楽団

15:21/13:11/13:27   〔1970年、シカゴ〕

併録 ハイドン チェロ協奏曲第1番 ハ長調 H. Ⅶb:1   同上チェロ、同上指揮、イギリス室内管弦楽団

(新・名曲の世界73 HCD-1369)


2006年5月22日 (月) ドヴォルザークのチェロ協奏曲 フルニエ、セル/BPO の記事で、かつてよく聴いたエアチェック録音ということで、「ジャクリーヌ・デュプレは、夫君バレンボイムとシカゴ交響楽団がオケを務めたもので、デュプレの凄絶とも言えるソロに比べてオケが凡演とされるが、デュプレのソロはその通りとしても、オケはそれほどひどいだろうか?切々と訴えかけるようなソロには抗し難い魅力がある。」と書いたもの。これが、新・名曲の世界シリーズで入手できた。

デュプレについては、2006年6月 5日 (月) 「風のジャクリーヌ」で、彼女の姉と弟による生々しい回想録によって、それまでの薄命の天才チェリストという聖女のイメージが相当修正された。それ以後初めてディスクで聴くデュプレの演奏だ。この本が映画化されて日本でもヒットした頃には、一般のCD店にもデュプレのボックスセットなどが相当数陳列されていたが、最近はブームも去ってしまったようであまり見かけない。彼女のために書かれたと言われるほどのエルガーのチェロ協奏曲もまだ入手できていない。

さて、このドヴォルザークは、エアチェックでカセットテープに録音して聴いたもので、この曲としては私にとっての刷り込みなのだが、それほど細部まで覚えていなかった。デュプレの自由闊達なソロはところどころ聞き覚えがあるようには感じるのだが、上で書いたバレンボイムの指揮するシカゴ響がこういう演奏だったということは今回じっくり聴いてみて改めて驚かされた。

デュプレは、バレンボイムと1966年に21歳の若さで結婚、1970年のこの録音の時期はまだ25歳。しかし1971年頃から多発性硬化症が発症し始めたというから、この頃は万全な状態での最後の頃だったのだろう。

16歳で公式デビューを飾ったのだから、このときわずか25歳と言っても逆に驚くに足りないかも知れない。

テンポの主導権は夫と妻、どちらのものだったのだろうか?フルニエ、ロストロポーヴィチの録音に比較しても全般的にゆっくり目だ。しかし、この独奏の密度はその遅めなテンポでも緊張感をそぐことはまったくない。よく女性演奏家が、驚異的な集中力と表現力を示す際には、巫女的なトランス状態に比せられるが、この演奏もそのような女性的なテンペラメントを感じさせる部分もあり、音楽と楽器を完全に自分のものとして、音符を正確になぞるのではなく、自分の中から音楽が生まれてくるような感じを抱かせる演奏だ。

それに比較すると、バレンボイムの作る音楽は、セルとBPOのいい意味でドヴォルザークではないような剛毅で精密でソリストと一緒に音楽を作っているオーケストラとは違い、完全にデュプレに主導権を握られているように感じる。病気への予感があったかも知れないデュプレと、幸福な未来を信じていたバレンボイムとの差かも知れないが、切迫感が違うとも言える。

参考

デュプレ(Vc) バレンボイム/CSO 〔1970年録音〕  15:21/13:11/13:27

フルニエ(Vc) セル/BPO  〔1962年録音〕            14:44/11:25/12:20

ロストロポーヴィチ(Vc) 小澤/BSO 〔1985年録音〕 14:38/11:48/12:19

2008年4月22日 (火)

NHKBS11 名曲探偵アマデウス 事件ファイル#3 『バッハの魔法を解け』(ゴルトベルク変奏曲)

先日、NHKの『その時歴史が動いた』でのモーツァルトの取り上げ方に苦言を呈したが、日曜日の夜11時から NHKの衛星放送第2(BS11)で放送された『名曲探偵』は、なかなかよく出来た内容だった。題材は、J.S.バッハのGoldberg変奏曲。ゴールトベルクと英語、独語チャンポンの名称で語られていたが、これは日本の楽曲名でこのおかしな表記が通例になっているからやむを得ないとも言えよう。

NHK クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス 第3回。ちなみに第1、2回は見逃した。)

さて、探偵ドラマとしては少々チープな舞台設定ながら、演奏は豪華だった。熊本マリがゴルトベルク変奏曲をこの番組のために、レクチャー的に弾いてくれたのだった。モンポウの演奏で知られる美人ピアニストだが、このゴルトベルクについても日本の女性ピアニストとして全曲録音を行ったのは彼女が初めてだったという。それだけのことはあり、非常に掌中に納まった感じで、自由自在という感じの演奏だった。

番組も、このバッハの名曲の構造を分かりやすく説き起こし、冒頭と最後に主題(低音部が主題だが)となるアリアを配し、その間を30曲の変奏でつないでおり、その第1変奏から始まる1+3nの数列のグループ、第2変奏の2+3nのグループ、第3変奏の3+3nのグループが、それぞれ舞曲などの性格的な音楽、次第に複雑化するトッカータのような技巧的な音楽、1度のカノンから始まり2度、3度と次第に主題と応答の度数が増えていく超絶的な作曲技巧のグループに分けられていることを要領よく説明してくれていた。特に熊本マリによるカノンの解説は分かりやすかった。また、アリア主題のトリルの意味を実演で比較してくれたのも得がたい内容だった。

また、この曲には欠かせないグレン・グールドの初期の録音と晩年の録音についても触れていた。

まともに作ろうと思えば、このような正攻法でも音楽的な興味を逸らさない番組もできるのにと、あの「その時」と比較して感じたものだった。ヴィデオ録画を子ども達とも一緒に見たのだが、比較的とっつきにくいこの曲を子ども達も興味を持ったようだった。

なお、宇宙物理学者?の方が、このゴルトベルクには宇宙的なフラクタル性を感じると言っていたが、バッハの超精密な音楽作りには、物理学徒を引き付ける誘引力があるのかも知れない。ゲーデル・エッシャー・バッハではないが、エッシャーの騙し絵も紹介されていた。

P.S. 小説家の島田雅彦が登場したが、印象に残らなかった。というよりも、このストーリーへの登場の必然性が感じられなかった。とは言え、30曲の変奏というのは、月齢に関係するのかも知れない。ミサ曲ロ短調などの象徴的な数字などとにかく、バッハは数字に強かったらしいから。

2008年4月19日 (土)

Mozillaより「フォクすけ」来たる

2008年3月 1日 (土) Firefox 2 の使用感はなかなか という記事 を書き、Firefox2を導入して使い始めたが、その後安定動作して大変使い勝手がよい。No Scriptという Javascriptを制御できるアドオンも付け足してみているが、BlogでもJavascript を結構使っているのがよく分かる。

さて、使い始めてFirefoxの使い方などを調べていると「フォクすけ」というFifefox のマスコットキャラクターのぬいぐるみプレゼントキャンペーンが行われており、結構ぬいぐるみが好きな我が家なので、ものは試しに応募してみた。

忘れていたことろ、Mozillaからメールが届き、当選しましたという。それも忘れていたところ、今週「有限責任中間法人」Mozilla Japan からヤマト宅急便で少し小さめの荷物が届いており、開いたところフォクすけのぬいぐるみだった。キャラクターシールも同封されていた。Mozilla Japanさん、どうもありがとう。

P4190017 フォクすけ正面の図。普通に可愛いが...






P4190018 フォクすけ側面の図。Fire の尻尾に驚かされる!

 

2008年4月15日 (火)

相倉久人『新書で入門 ジャズの歴史』(新潮新書203)

岡田暁生『西洋音楽史』でジャズの歴史をコンパクトに分かりやすくまとめていたので、もう少し詳しくそれについて知りたいと思っていたところ、やはり新書で『ジャズの歴史』が目に留まり、読んでみた。

ジャズの音楽家は、断片的な固有名詞とその音楽をわずかばかり知るだけ。ただ、フュージョンやクロスオーバーとか呼ばれている時代がちょうど学生時代の同時代だったことで少し聴いてみたことがある程度で、ジャズの歴史の概観などはほとんど知らなかったので、非常に面白かった。

コルトレーンとしては非常に例外的に親しみやすいとされる『バラード』しか聴いたことがないので、そのフリージャズの極致を聴いてみたいと思わされた。

また、奴隷としてアフリカ大陸から連行されてきたアフリカン・アメリカン(黒人)の文化・伝統とヨーロッパの文化・伝統が時に交じり合い、時に対立しながら、ジャズという音楽ジャンルが変貌を遂げて来たという概観的な流れは、いろいろな意味で面白いものだと思った。

2008年4月14日 (月)

ベーム/VPO ブラームス 交響曲第4番(1975年)

Brahms_symphonies_boemvpo ブラームス 

 交響曲第4番 ホ短調 作品98

  カール・ベーム指揮 
    ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団

13:18/12:06/6:42/10:23

〔1975年5月、ヴィーン ムジークフェラインザール(交響曲第1番、第2番と同時期の録音)、第3番は同年6月〕

cf )C.クライバー〔1980〕12:45/11:49/6:04/9:12
ヴァント/NDR〔1985〕11:51/10:46/6:24/9:28
カラヤン/BPO 〔1977〕12:48/11:05/6:04/9:57

同じVPO、録音会場で、同じレーベルでの録音だが、カルロス・クライバー盤で感じた違和感はこちらにはない。

こうなると、自分はいわゆる伝統的、保守的なブラームス解釈の方に共感を覚えているとも言えようか。そのため、クライバーの方の少々強引なドライブによる斬新な演奏、解釈の新鮮さ・ユニークさは薄っすらとは感じつつ、新しいブラームス像というような評にある良さに共感できないということも考えられる、などとこのベームの録音を聴きながら思ったりした。

私のブラームスの「刷り込み」が、ベーム/BPOの第1番と、セル/クリーヴランド管の第4番というどちらかと言えば引き締まった職人肌のザッハリヒな演奏だということが相当影響しているのかも知れない。柔和でロマンチックと言われる演奏の典型とされるバルビローリとVPOの演奏を聴いたことがないので、なんとも言えないのだが。

ベームのこの全集は、ベーム初来日で人気が極致に達していた頃のもので、確かレコード芸術誌のレコード・アカデミー賞を受賞したのではなかったろうか。少々緩いという評も聴くのだが、私にとっては、このベームの指揮によるブラームスは充分満足の行くものだ。所要時間からは、少しユックリ目の演奏のようにも思えるが、遅すぎるという感じは受けない。

参考記事 2006年10月 4日 (水)ベーム/VPO ブラームス 交響曲第1番

バーンスタインとVPOによる交響曲全集は、1981年から1982年にかけてムジークフェラインザールで「ライヴ」収録されている。カルロス・クライバーによるブラームスの4番の録音の一年後だ。(2006年10月 9日 (月) バーンスタイン/VPO ブラームス 交響曲第1番 2005年9月30日 (金) バーンスタイン/VPO のブラームス交響曲第2番

2008年4月13日 (日)

『NHK その時歴史が動いた』でのモーツァルトの『魔笛』

第321回 音楽の市民革命 〜神童モーツァルトの苦悩〜

本放送  平成20年4月9日 (水) 22:00〜22:43 総合
全国 再放送 平成20年4月15日(火) 3:30〜4:13 総合(近畿ブロックのぞく)
平成20年4月15日(火) 16:05〜16:48 総合・全国
平成20年4月19日(土) 10:05〜10:48 総合・近畿ブロック(神戸・奈良のぞく)

本放送をヴィデオ録画しておいたこの番組を今日鑑賞した。このシリーズは、ある歴史的な出来事まであと何日というのが番組の作り方で、それに向けて歴史的な出来事がどのように推移していったかを説明するようなプログラムになっている。(梅干博士樋口清之氏の『逆・日本史』と同じ発想だ。)

この番組は、『魔笛』の初演日1791年9月30日までに、モーツァルトが貴族達とどのように戦い、ついには市民階級向けのオペラである『魔笛』をどのように作り上げ、それがどのように市民の間で大人気を得たかというストーリーだった。

その前史として、『フィガロの結婚』がモーツァルトの貴族からのそれまでの差別・抑圧の鬱憤晴らしのために作曲され、貴族の鼻を明かし、溜飲を下げたということが語られていた。確かにモーツァルトは、この番組で「ザルツブルクの領主である伯爵」と紹介されたヒエロニムス・コロレドと対立して独立しはしたが、そのことによってヴィーンでコロレドの仲間の貴族たちから音楽活動を邪魔されたということはあったのだろうか?むしろ、そのようなフリーランスの音楽家自体当時のヴィーンでは相手にされなかったのが当然だったように思う。

また、貴族達が使っていたイタリア語で書かれたオペラという指摘があったが、オペラはイタリアが本場で、ヴィーンはその影響下にあったがゆえにイタリア語が用いられたので、モーツァルトはイタリア語オペラをいやいや書いたというようなコメントは、まったく事実無根のように思う。作品解釈の要点だが『フィガロの結婚』の最終場での伯爵の謝罪は、貴族が恥をかかされて面目丸つぶれというものではなく、心からの謝罪ではなかったのではないかとも思うし。ただ、1789年のフランス革命に対するモーツァルトの反応として、近年発見された『賢者の石』という市民向けの合作歌芝居のことを紹介していたのは面白かったが、モーツァルトが果たして市民革命への賛同者だったかどうかは分からない。

モーツァルトは、職や収入を得るために、レオポルト二世逝去後の後継者の『戴冠式』に自費で駆けつけ、そこで『戴冠式』コンチェルトを演奏するなど自分の生活のためには、いわゆる革命家的な一途な反抗活動は当然のようにせずに、いろいろな伝手を頼り、また宮廷でも年棒こそ多くはなかったが、モーツァルトを宮廷作曲家として遇している。

このような突っ込みどころが多く、また、市民革命のためのオペラというような少々古臭い(マルキシズムのような)教条主義的な見方だなと思いながらそれでも最後まで見たが、この番組の監修者は特にクレジットされていなかったようで、NHKのプロデューサーやディレクターの作品のようだ。礒山雅氏や高橋英郎氏も登場して部分的に意見を述べていたが、果たして彼らの意見がこの番組の趣旨に沿ったものなのかは少々疑問符が付く。

ホームページでは、多くの批判が届いたのか、数多くのQ&Aが連ねられているが、どうもこの番組の作りは、少々やっつけ仕事的だったのではないかと思う。分かりやすい啓蒙的な図式を提示するのもいいが、自分の関心が少々強い音楽がこのレベルだとすると、他の分野でも同じような大雑把な番組作りしかしていないのではないかと猜疑心がわいてしまう。

P.S. オペラ座の書庫 その時歴史が動いた 『モーツァルト』  が、この番組の特徴を鋭く指摘されているのを読みトラックバックさせてもらった。  

 この番組って「主観的」なんだと思います。・・・・・ドキュメンタリーを謳った番組で、このツクリはどうなのかな? と思います。

参考記事:

2008年1月21日 (月) 西本晃二『モーツァルトはオペラ 歌芝居としての魅力をさぐる』

2007年11月17日 (土) 1789年 フランス革命 と ヴィーンでのモーツァルトの人気凋落に関係はあるか?

2007年11月16日 (金)『コシ・ファン・トゥッテ』をようやく全曲聴けた

2007年11月11日 (日) モーツァルト―音楽における天才の役割 (中公新書)

2006年11月 2日 (木) モーツァルト 『魔笛』 スイトナー盤

2005年11月28日 (月) 「フィガロの結婚」ベーム(1956)

2005年5月25日 (水) 映画「ドン・ジョヴァンニ」(監督 ロージー、指揮 マゼール)のDVD

2008年4月12日 (土)

C.クライバー/VPO ブラームス交響曲第4番(1980年)

Brahms_4_kleiberブラームス
 交響曲第4番 ホ短調 作品98
  カルロス・クライバー指揮
   ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団

   〔1980年3月12-15日、ヴィーン、ムジーク・フェライン・ザール〕

12:45/11:49/6:04/9:12
 cf )ヴァント/NDR〔1985〕11:51/10:46/6:24/9:28
    カラヤン/BPO 〔1977〕12:48/11:05/6:04/9:57

このCDの録音は1980年、マルPマークが1981年で、ディジタルレコーディングとなっている。CDの日本発売開始が1982年10月から(wikipediaより)だから、発売当初はLPだった。『レコード芸術』の月評では、批評子の推薦は分かれていたように記憶する。

このCDをいつ購入したのかははっきり覚えていないが、CDプレーヤーを1985年に初めて買ったのだから、それ以後のことだろうと思う。カルロス・クライバーの指揮には、それまでにあの痛快なベートーヴェンの交響曲第5番、第7番で衝撃を受けていたので、セルのLPで耳なじみになったこのブラームスの交響曲をクライバーがどのように衝撃的な演奏をしてくれるかが興味の的だった。結果的には、あまりしっくりする演奏ではなく、長いこと手元にはあるが、あまり聴かない部類のCDだった。

上記のパンフレットのスキャン画像も、2005年にスキャンを始めるようになってからすぐにPCに取り込んだものなのだが、なかなか記事にすることができなかった。一つには、この録音の評判が一般的に非常に高く、敢えてそれに異を唱えるほどの意見を持っていないことがあったし、一つにはその意見が固まらないという理由でもあるのだが、どうにもつかみ所がない演奏に聴こえるからだ。それなら敢えて書かなくてもと思うが、この違和感を何とか解きほぐしたいという自分の欲求がある。

今回カラヤンの1977年の録音、ヴァントの1985年の録音と聴いてきたので、それらとの比較でこの「名盤」を聴いてみようと思う。(これまでは前置きだが相変わらず長い!)なお、このパンフレットの解説は黒田恭一氏だが、珍しく楽章ごとに詳細な分析を書いている。

第1楽章。冒頭からクレッシェンドとディミニュエンドの表情付けが徹底されているようで、それが結構煩わしく聴こえる。特にヴァイオリンにタップリとヴィヴラートを付け、ポルタメント的な表情を付けて歌わせているのが、どうも全体の統一性を破るように聴こえる。また、背後の副次的な声部がもやもやしていて明確でないのが、この非常に情緒的な音楽でありながら、構成的な音楽でもある楽章を十全に示していないかのように思えてしまう(評者によっては、副次的な声部がよく聴こえるという人もいるが)。恐らくこの辺りが私の気に染まない理由なのかも知れない。もちろん細部の木管の裏打ちリズムの部分など非常に繊細な手触りで音楽を作っていたりして、素晴らしい音楽は聴けるのだが。

クライバーとVPOはこの楽章全体としては、熱演を繰り広げているのだが、そうすればそうするほど、あのヴォルフの辛らつな「無内容、空虚さ、偽善」といった批評が頭をよぎると言うのは少々ひど過ぎるだろうか。フルトヴェングラー/BPOの48年ライヴはエアチェックでよく聴いたがフルトヴェングラー的な熱演で、思わず引き込まれてしまうものだったけれど、クライバーの少々主観的とも言えるこの第1楽章には疎外感を覚えてしまいがちだ。オーケストラのアンサンブルの微妙なズレも気になる。

第2楽章。ヴィーンフィルの独特の美感をよく出した演奏だと思う。カラヤンとBPOは、この楽章でタップリしたフルオーケストラの音響を味あわせてくれ、その楽天的とも言える表情は却って新鮮だった。しかし、クライバーは、この楽章を暗めの響きで満たし、非常に情緒に溢れた音楽にしているようだ。セルやヴァントは、この楽章をもっと淡々と清澄な諦念のような情緒を感じさせてくれたが、クライバーのこの録音は、音楽のどこからそのような感想が生まれてくるのか自分でもよく分からないのだが、より晩年のブラームスの音楽を思わせる人間的な哀愁を感じさせてくれる。

第3楽章。ここでも響きは曇り勝ちだ。フレージング的には、これまでの楽章でもそうだったが、いわゆるタメがところどころに入り、ここでも少し第1ヴァイオリンががんばり過ぎのように聴こえる。表情過多というのでもなく、オーケストラの音色が音楽の表情とつりあわないというのだろうか、どうもこの辺の齟齬が違和感の元になっているようだ。ここでも、クライバーとVPOは集中力のある熱演を繰り広げてはいるのだが。

第4楽章。8小節単位のパッサカリアの低音主題が繰り返され、その上で変奏技法が繰り広げられる。セルの録音は、冒頭から厳しいほど雄雄しく進んでいったと記憶するが、クライバーの指揮には、この音楽にところどころ逡巡気味の表情を加えているようだ。そのため、壮麗な伽藍を打ち立てるような第4楽章ではなく、低回的な音楽に聴こえる。テンポもゆっくりに聴こえるのだが、カラヤンやヴァントに比べると所要時間は短いのが不思議に感じる。タイミングで5分あたりからの一転して激しい変奏に急転換するところの場面転換は見事で、ここのテンポは急激に上がる。このような解釈では、この楽章は様式や形式感を明らかにする構築的な演奏というより、ハンガリーラプソディーにつながるラプソディックな音楽に聴こえる。

これまで、どちらかと言うと形式感をはっきりさせた古典的な演奏の方を好んでいたので(フルトヴェングラーは例外だが)、主観的な面が比較的強く感じられるこのクライバーの演奏がしっくり来なかったのだということがおぼろげながら分かった。大変優れた演奏だとは思うが。

なお、レコード芸術の2004年9月号の『追悼特集 カルロス・クライバー』の年譜によると、1979年12月のヴィーンフィル定期演奏会が、それまでにあのベートーヴェンの第5番、7番を録音しているにも関わらず意外にも定演デビューで、このブラームスの4番などを演奏して大成功を収め、そして、翌年3月にこの録音を完成させたのだという。

2008年4月11日 (金)

ヴァントのブラームス交響曲第4番(1985年)

Wand_brahms_3_4ブラームス
 交響曲第4番 ホ短調 作品98

 ギュンター・ヴァント指揮
  ハンブルク・北ドイツ放送交響楽団

  〔1985年〕

11:51/10:46/6:24/9:28

ギュンター・ヴァントは、20世紀末に特にブルックナーの指揮で、神のように祭り上げられた指揮者だった。その人気は、日本は勿論本場のドイツでも凄かったようで、ベルリンフィルにも客演した。しかし、ヴィーンフィルとはかつての喧嘩別れの影響か指揮台に上ることはなかったと聞く。

そんなヴァントだが、私のいつもの天邪鬼が出て、多くのファンが熱狂的に誉めそやした朝比奈隆同様、これまでほとんど聴いたことがなかった。この録音は、1980年代に録音した古い方の全集がブックオフで売っていたので、そろそろヴァント封印を解いてみようと気軽な気持ちで購入して聴いてみた。

RCAレーベルだが共同制作としてハルモニアムンディと北ドイツ放送が名を連ねているのはどういう背景があってのことか分からないが、相当力の入った制作であるようだ。

先日のカラヤン/BPOの77年録音に続いて今回も第4番を聴いてみた。有名なカルロス・クライバーの録音は1980年3月なので、ヴァントの録音は1985年ということでこの後になる。

先日のカラヤンは、その音響的な美しさとダイナミックの巧みさによって意外とも言える思いがけない感動を与えてくれたが、このヴァントの録音は、それとは異なった部分で感銘を与えてくれる演奏だった。

緻密であいまいな細部を残さない非常に透徹した演奏で、マスの響きが充実していないわけではないのだが、それよりもなめらかなフレージングによる流動感と、対位法的な線的な絡み合いの妙がくっきりと演奏され、細部までよく描かれた細密画のようで、ブラームスの綿密な書法が見えてくるようだ。特に、副次的な声部や音型が微妙なバランスを保って聴こえてくるのが面白い。

指揮者の意思が細部まで行き通った相当練習を積んだ演奏だと思うが、チェリビダッケ的なテンポの遅さはなく、また、はるか昔のメンゲルベルクのように細部まで徹底していながら主観的と言われた奔放さはなく、頑固一徹にブラームスの楽譜を忠実に再現しようとしているようだ。そう書くと、これまたやけに古めかしく、また凡百の楽譜忠実主義かと思えてしまいがちだが、透明で首尾一貫したビジョンを持っていることを感じさせてくれるとことが違う。音響もそれだけで酔わすようなカラヤン的な官能性からは遠く、非常に清楚な印象を与える。かと言って渋いわけではなく、みずみずしさも残っている。全体に、静謐な印象をもたらすため、やや熱気には不足する印象を持つ。

ブラームスの交響曲は、古典的からロマン的まで様々な解釈や演奏スタイルを許容する奥深さを持っていると思うが、この指揮・演奏は、スタティックな演奏としては最右翼に位置するものかも知れない。

記憶にあるジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団のLPの演奏に近いものだが、セルのものは、1960年代の録音ということもあり、これほど細部まで聞き取れなかったように思う。また、スタティックというよりもセルの個性であるリズミックさが感じられたように記憶している。

このようなヴァントの指揮で聴けるブルックナーはまだまともに聞いたことがないので、楽しみだ。

参考:カラヤン/BPO 〔1977〕12:48/11:05/6:04/9:57

次は、カルロス・クライバー/VPOを聴い直してみたい。そして、どういうところが自分の気に染まないのだろうかを考えてみたい(もしかしたら気に染むかも知れないが)。

追記:2008/04/12

「ヴァント ブラームス 全集」で検索したところ、「にんじんタイム」というブログに詳細な録音データが掲載されているのを発見。転載・加工させていただいた。HMVのサイトでは、このCDのリマスタリング盤が紹介されている。

なお、この交響楽団がブラームスの生まれ故郷のハンブルクのものだということを書こうと思っていて忘れていた。ドイツの放送オーケストラはそれこそ枚挙の暇もないほどだが、このハンブルクのオケもヴァントの薫陶の賜物か素晴らしい演奏だと思う。

■録音・・・第1番 1982年10月26-29日&12月17日 ハンブルク フリードリヒ・エーベルト・ハレ

第2番 1983年3月 ハンブルク フリードリヒ・エーベルト・ハレ

第3番 1983年9月6-21日 ハンブルク フリードリヒ・エーベルト・ハレ

第4番 1985年 ハンブルク ムジーク・ハレ

2008年4月 8日 (火)

カラヤン/BPO('77-'78) ブラームス 交響曲第4番

Karajan_brahms_sinfonie

ブラームス 交響曲第4番 ホ短調 作品98

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
  ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

〔1977年10月-1978年2月 フィルハーモニー、ベルリン〕

12:48/11:05/6:04/9:57


4月に第4番の曲。我ながら単純な発想だが、1月から3月まで、一応同じように聴いてみると、なんとなく発見があるような気がする。ある作曲家がある分野で何曲の作品を残したかとか、いろいろな作曲家にとってたとえば3番目の作品がどういう位置づけにあったのかとか。1月は、ブラームスの交響曲、ピアノ協奏曲。シベリウスの交響曲。(2月に少しずれ込んだが)バッハのチェロ組曲の1番、ベートーヴェンの交響曲第1番(飯守泰次郎指揮)。2月は、ラフマニノフとニールセンの交響曲。3月は、メンデルスゾーンとベートーヴェンの交響曲の3番。ショパンのピアノソナタの3番(これはちょっとこじつけか?)

これまで、カラヤンによるブラームスの交響曲は、1984年(だったと思う)のザルツブルク音楽祭で、なぜかブラームスの作品が多く演奏されたように記憶しているのだが、カラヤン/BPOで交響曲全曲、ムターとワイセンベルクでヴァイオリンソナタ全曲をエアチェックしたと思う。その録音(ラジカセによるものであまり上質ではない)を結構聴いていたが、あまり馴染みのあるものではなかった。これまで音盤では、クレーメル、ムターとの共演盤のヴァイオリン協奏曲、ドイツ・レクィエム程度だろうか?

このCDもたまたま格安だったたので、気軽に聴いてみようと買ったもの。先日、ピースうさぎさんが同じCDの中の2番を爆演と紹介されていて、コメントをさせてもらったこともあり、まだじっくり聴いていなかったこれを思い出し、4月の4番の初めにもってきた。

今年はカラヤン生誕100年(1908年生まれ)ということで、街のCDショップでもカラヤンの記念盤が大量に陳列されているが、私などはようやくバイアスが掛からずにカラヤンに接することができるかというところで、カラヤン入門をようやく始めるところのような気がする。

第1楽章は、提示部から展開部に掛けては、どこかバッハのマタイ受難曲のアリアを連想させるような音楽で、視線を下に落とし諦念に満ちた表情でさびしげに淡々と進む。やはり下降音型には、そのような効果があるのかも知れない。しかし、再現部後半からコーダに掛けての盛り上がりと熱気は相当すごい。このような部分が少し演出めいているといわれる所以かも知れないが、これがライヴ演奏ならそんなシニカルなことは感じないだろう。

第2楽章は、全般的に分厚いBPOの響きをたっぷり使い、レガート(テヌート)で音楽を作っていくが、これが素晴らしい。カラヤンのブラームスでは、クレーメルと共演したヴァイオリン協奏曲の冒頭のオーケストラの弦による深深とした響きがいかにもブラームスという響きだと思ったが、この楽章でも豊かでグラマラスな音響にグっとくる。

第3楽章は引き締まって輝かしい。少々レガートで演奏し過ぎかと思わせるフレーズもあるが、前進するエネルギーがあり、楽器間の受け渡しや会話など立体的で、さすがに名手揃いのベルリンフィルという演奏を聞かせる。

第4楽章のパッサカリア。変奏曲の名人ブラームスがバロック時代の古い変奏様式のシャコンヌ(パッサカリア)を用いた曲で、19世紀も終りに近い当時の人々にとっては、古い皮袋に新しい酒を注ぐではないが、非常に時代錯誤に感じたことだろうと思うが、カラヤンのこの演奏で聴くと、鳴りの悪いとされるブラームスも非常にゴージャスな音楽に聴こえるような気がする。晩年の諦観に満ちた晩秋の風情の音楽などと言うことが言われるが、私の好きなセルの録音といい、このカラヤン盤といい、ブラームスの4番はむしろ雄雄しく闘う中年男性(当時ブラームス52歳)の音楽だと思う。

カラヤンのブラームスは、彼のハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに比べて(といってもいろいろな年代のものを少しずつしか聞いていないが)結構私の感性にはフィットする演奏のようだ。当時、70歳になったカラヤンの録音だが、エネルギッシュであり、オーケストラの鳴りもよく、ブラームスの新たな面(他の時期のカラヤンのブラームス演奏は知らないが)を聴かせてくれる。

相変わらずこれまでの聴かず嫌いを反省する。


2008年4月 7日 (月)

4月ということで4に因む曲に想いを馳せる

交響曲で第4番といえば、私が一番に思い出すのは、マーラーの交響曲第4番だ。ただ、この曲は、以前にまとめ記事を書いたことがあるので、また改めて記事にはしにくい。

このような一桁番台の交響曲では、ハイドン、モーツァルトはあまり思い浮かぶことなく、ベートーヴェン以降の交響曲が寡作の時代になってからがどうしても主役になってしまう。もちろんベートーヴェンではカルロス・クライバーの雄渾な第4を思い出し、シューベルトの『悲劇的』、メンデルスゾーンの『イタリア』、シューマンの第4番と来て、ブルックナーの第4番『ロマーンティシュ』はベーム/VPOのLPとブラームスの第4番ではセルとクリーヴランド管のLPを懐かしく思い出す。その後、ドヴォルザークの第4は未聴。チャイコフスキーの第4はよく耳にした曲だし、セルやムラヴィンスキー、小澤のCDもあるが、記事にするにはもう一つ。シベリウスも第4以降は未踏峰。プロコフィエフは未聴。ショスタコーヴィチの第4も難解だ。ニールセンの第4番は、例の『不滅』だ。

視野を広げると、協奏曲、室内楽なども視界に入ってくる。

弦楽四重奏曲は、それ自体、4に関係があるわけだし。

これもハイドン、モーツァルトは多作過ぎて、4番の曲は初期の作品になってしまうので、4番と言っても直ぐに思い浮かばない。ベートーヴェンの4番はハ短調作品18の4で、初期の作品18の6曲セットに含まれるが。現代に近くなり、バルトークの第4番は、難曲だが傑作だと思う。この曲が第4番として思い浮かぶ最も好きな曲かも知れない。これも以前まとめて聴き比べしたことがあった。ショスタコーヴィチも弦楽四重奏曲を15曲残しており、1949年に作曲されたのが、第4番ニ短調になるようだ。

チェロソナタでは、ベートーヴェンの第4番があがるが、あまり馴染んでいない。

協奏曲では、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲がある。バッハのブランデンブルク協奏曲もはずせないし、チェンバロ協奏曲もある。4番ではないが、4台のチェンバロのための協奏曲などというものもある。

ソロでは、ショパンには、ワルツ、ポロネーズ、ノクターン、スケルツォ、バラード、マズルカなどに、第4番がある。バッハの平均律クラヴィーア曲集にも、チェロ組曲にも、パルティータにも、イギリス組曲、フランス組曲にも、インヴェンションとシフォニアにも、4番がある。

オペラの番号制のアリアにも4番はあるわけだし、そのほか声楽曲でも「四つの最後の歌」(R.シュトラウス)などというものもある。

ポピュラーな曲集では、ハンガリー舞曲やスラヴ舞曲にも4番がある。

そのほかは、今はあまり思い浮かばないが、4月という、日本的に言えば新年度の始まりの時、春の盛りというような陽光きらめく雰囲気の数字でもあるので、何かそのような曲を選んでみたいような思いがしている。

今日はあれこれ思っただけで、具体的な曲は聞かなかったので、明日以降聴いていきたい。



2008年4月 6日 (日)

日本の鯨肉食は戦後の一時期に急増した

新聞を既に回収袋に入れてしまったので、いつの日付けのものだったか分からなくなってしまったが、珍しく新聞社らしい記事が読めたので印象に残ったのが、タイトルのような事実の指摘記事だった。3月末の朝日新聞だったと思う。

その記事を探して検索してみたが、そのままの記事はヒットせず、朝日新聞の社説と、週刊朝日の書評記事が見つかった。どうやら、朝日新聞社として昨今の調査捕鯨問題に対するオピニオンが基礎になっているらしい。

どちらの論も無理がある 捕鯨論争(社説) (朝日新聞東京本社発行 5月19日付朝刊)
これはいつの年のものか明記されていないが、下関市でのIWC総会をきっかけに書かれたものだということが、検索して分かった。この社説と、以下の書評記事、そして最近の2008年3月ごろの記事は、ほぼ一貫している。

 捕鯨は日本の食文化だという声も強い。だが、沿岸地域のなかに昔からあった捕鯨・鯨食の伝統と、食糧難をきっかけに国民全体が鯨肉を食べるようになった戦後の経験は、区別して論じるべきだろう。

書評記事はこれ:捕鯨問題の歴史社会学 [著]渡邊洋之 2007年の記事だが、今回の3月の記事と主旨は同じだ。

 だが、本当に捕鯨と鯨肉食は日本人の伝統的な文化なのだろうか。日本人はいつごろから鯨を食べるようになったのだろうか。渡邊洋之『捕鯨問題の歴史社会学』は、この問題を研究した学術論文である。

 結論からいうと、捕鯨も鯨肉食も近代になって普及したものだ。明治になって爆薬を装填したモリを打ちこむノルウェー式捕鯨が導入され、捕鯨会社が いくつかできた。ただし、砲手はノルウェー人、作業員の多くは朝鮮人。これによって捕鯨が盛んになり、鯨肉も一般に食べられるようになった。それまでは網 による捕鯨が一部の沿岸で行われていただけ。

 捕鯨に対する感情はさまざまだったようだ。たしかに鯨を捕って食べる地方もあったけれども、鯨を神様に見立てて捕鯨をタブー視する地方もあった。

 明治時代には捕鯨に反対する動きが各地であった。本書には青森県で起きた捕鯨会社事業場の焼き打ち事件が紹介されている。死者・重軽傷者まで出したというから大事件だ。誰もが鯨肉を喜んで食べていたわけではない。

2008年3月ごろの記事はこれをもう少しまとめ、シーシェパードの船長への電話インタビュー(徹底的な菜食主義者ということが明らかになった)も含まれていたが、グラフなどで戦後の一時期だけ鯨肉消費があがり、その後商業捕鯨が原則禁止になったことで、鯨肉が給食や家庭から姿を消したことを書いていた。日本の伝統食文化であるというのは、どうやら感傷的な思い込みの面もあるようだ。

C.W.ニコルの『勇魚(いさな』は素晴らしい小説だったが、このような伝統的沿岸捕鯨は一部だけだったのだという。そして、最終段落の事件は、実際に八戸市で起きたものだったことが記事では書かれていた。

その意味では、久しぶりによい新発見の記事だと思ったが、2002年頃から主張は一貫していたわけだ。

私は、上記の『勇魚』や、『美味しんぼ』の影響で日本の伝統的な沿岸捕鯨と、戦後の食糧難対策としてのノルウェー式捕鯨による鯨肉摂取とを混同していたようだ。

伝統とは言え、和歌山太地の伝統と、鯨を神と崇める青森八戸の伝統のような対立するものがあり、また文楽人形のゼンマイにも鯨のヒゲが重要だったという『美味しんぼ』の指摘も重要だが、それはやはり近代的な商業捕鯨と分けて考えるべきだろうと思う。

欧米の側も特にエイハブ船長の『白鯨』や、米国の捕鯨船への薪炭・水供給要請がアメリカによる開国要求の背景の一つであったように、鯨油の取得が一時期欧米による鯨資源の浪費だった時代もあったことをよく肝に銘じておくべきだと思う。

2008年4月 5日 (土)

「にがり」の続きと鶴見の「よねまんじゅう」など

昨日は、テレビニュースか何かで、厚生労働省とにがりの規制の件を扱ったのだろうか、朝から、「厚生労働省、にがり」の記事へアクセスを大分していただいた。あまり参考になる情報でなくて恐縮だ。それで改めて自分でもネットで調べてみたのだが、民主党代議士に対して厚生労働省のお役人が約束したという4月1日に出されるはずの大臣告示も厚生労働省のホームページの新着情報にもどこにも載っていないようで、非常に不可解な状況になっている。極端なことを言えば、一種の「政治、行政の闇」状態だ。

厚生労働省は、旧厚生省と旧労働省が合併した省だが、今回ホームページをざっとみて思うに、業務範囲が広範囲で、また国民生活に深く関わる部分が大きく、一つの省では扱い切れないのではないかと思った。これが社会保険庁問題や医療行政、最近の後期高齢者医療保険制度など多くの問題を処理しきれない元凶の一つではあるまいか。

さて、今日は、長男の中学校入学式で、鶴見区の方に出かけてきた。小規模校だが、入学式は、大変盛大に行われ、私立の入学式をこれまで経験したことがなかったので、非常に興味深いものがあった。

最近、また少々音楽から離れてしまっていてまとめた記事は書けないでいるが、先日はクルマのカーナビ搭載のMP3プレーヤーのディスクに保存してあるグルダの『アンコール』の中のショパンのワルツ第14番ホ短調(遺作)を聴き非常に感銘を受けた。非常に生命力に溢れて輝かしいワルツが演奏されており、グルダのきらめくような才能を実感できた。特に左手が雄弁で、リパッティの有名な演奏のような繊細さはないが、ピアニスティックな魅力を十分に味わうことができた。

2008年4月 2日 (水)

角山栄『茶の世界史』を読んだ

先日の『コーヒーが廻り世界史は廻る』 に続いて、同じ中公新書の『茶の世界史 緑茶の文化と紅茶の社会』(中公新書596)を読み終えた。こちらは、1980年初版というので、相当古い本だが、2002年で27版と相当ロングセラーとなっているようだ。

コーヒーの歴史もそれまでは俗説しか知らなかったが、この茶の歴史も興味深いものだった。意外にも西欧に入ったのは、大航海時代で15世紀から16世紀頃のことで、コーヒーと踵を接するようにして紹介されたのだという。大陸諸国では、カフェイン飲料としてコーヒーが主流となったが、イギリスとロシアでは、茶が主流になったのは、ヨーロッパの性格に思いを馳せるとなかなか面白い。

また、アメリカ、カナダで緑茶が相当の期間嗜まれていたということもこの本で初めて知った。開国以降の日本が、絹に次ぐ輸出品として相当大量に北米に緑茶を輸出していたということはほとんど知らない歴史だった。最近また茶の輸出が話題にのぼっているけれど、茶は明治の日本の経済を支えた重要な輸出品だったのは意外だ。それが、インド、セイロンの紅茶との競争に敗れ、ほぼ現在のような茶の世界地図になったのだという。

イギリスが茶を飲むようになった当初も緑茶が主だったというのは、驚くべきことで、紅茶の歴史はまだ比較的新しいのだという。それが、大英帝国の威光により、イギリス王室御用達の銘柄が今では緑茶国日本でもむやみに有り難られているのもおかしい。

なお、イギリスのインド植民地政策は、上手な支配によって行われたというのが、前回のコーヒーの本でも取り上げられたことだが、アングロ・サクソンは、インドの綿製品をつぶすために、綿織物の職人の目をつぶし指を切るというような残酷なことを行ったことが、この本に紹介されていた。また、砂糖も西インド諸島(カリブ海)で生産するために、多くの黒人奴隷を王の名の下に、三角貿易により連行してきたこと、銀の流出を抑えるためアヘンを中国(清)に持ち込み、それに抗議した清国を相手に言いがかり的な戦争をふっかけて、香港などを直轄植民地化したことなど、当時の大英帝国の帝国主義、植民地主義による乱暴な行為は、まったくひどいもので、そのような過去にはまったく口をつぐんで正義面、地球の主面している欧米諸国は、一度猛省をすべきではないのだろうかと、改めてつくづく思ってしまった。昨日見た映画『オリバー・ツイスト』(ディケンズ原作)の冒頭、教会の慈善団体が運営する孤児院の理事達の偽善者としての描かれ方は痛烈だった。あのような紳士たちが本国で植民地経営の恩恵にあずかり、その意味ではホームズやワトソンと言った中産階級的な紳士連も同じ穴の狢であろうか。

茶とコーヒーという現代社会では当たり前の嗜好品の経済史を通じて、この近代社会の非常にゆがんだ一面が活写されており、大変勉強になった。上品なお紅茶、奥深いコーヒーなどと脳天気なことを言っていられない気分だ。それかあらぬか、最近コーヒーの飲み過ぎのせいか胃酸過多気味で、少しコーヒー断ちをしている。

参考記事:2012年7月13日 (金) アクセス解析と学生の課題図書?

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