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2008年4月13日 (日)

『NHK その時歴史が動いた』でのモーツァルトの『魔笛』

第321回 音楽の市民革命 〜神童モーツァルトの苦悩〜

本放送  平成20年4月9日 (水) 22:00〜22:43 総合
全国 再放送 平成20年4月15日(火) 3:30〜4:13 総合(近畿ブロックのぞく)
平成20年4月15日(火) 16:05〜16:48 総合・全国
平成20年4月19日(土) 10:05〜10:48 総合・近畿ブロック(神戸・奈良のぞく)

本放送をヴィデオ録画しておいたこの番組を今日鑑賞した。このシリーズは、ある歴史的な出来事まであと何日というのが番組の作り方で、それに向けて歴史的な出来事がどのように推移していったかを説明するようなプログラムになっている。(梅干博士樋口清之氏の『逆・日本史』と同じ発想だ。)

この番組は、『魔笛』の初演日1791年9月30日までに、モーツァルトが貴族達とどのように戦い、ついには市民階級向けのオペラである『魔笛』をどのように作り上げ、それがどのように市民の間で大人気を得たかというストーリーだった。

その前史として、『フィガロの結婚』がモーツァルトの貴族からのそれまでの差別・抑圧の鬱憤晴らしのために作曲され、貴族の鼻を明かし、溜飲を下げたということが語られていた。確かにモーツァルトは、この番組で「ザルツブルクの領主である伯爵」と紹介されたヒエロニムス・コロレドと対立して独立しはしたが、そのことによってヴィーンでコロレドの仲間の貴族たちから音楽活動を邪魔されたということはあったのだろうか?むしろ、そのようなフリーランスの音楽家自体当時のヴィーンでは相手にされなかったのが当然だったように思う。

また、貴族達が使っていたイタリア語で書かれたオペラという指摘があったが、オペラはイタリアが本場で、ヴィーンはその影響下にあったがゆえにイタリア語が用いられたので、モーツァルトはイタリア語オペラをいやいや書いたというようなコメントは、まったく事実無根のように思う。作品解釈の要点だが『フィガロの結婚』の最終場での伯爵の謝罪は、貴族が恥をかかされて面目丸つぶれというものではなく、心からの謝罪ではなかったのではないかとも思うし。ただ、1789年のフランス革命に対するモーツァルトの反応として、近年発見された『賢者の石』という市民向けの合作歌芝居のことを紹介していたのは面白かったが、モーツァルトが果たして市民革命への賛同者だったかどうかは分からない。

モーツァルトは、職や収入を得るために、レオポルト二世逝去後の後継者の『戴冠式』に自費で駆けつけ、そこで『戴冠式』コンチェルトを演奏するなど自分の生活のためには、いわゆる革命家的な一途な反抗活動は当然のようにせずに、いろいろな伝手を頼り、また宮廷でも年棒こそ多くはなかったが、モーツァルトを宮廷作曲家として遇している。

このような突っ込みどころが多く、また、市民革命のためのオペラというような少々古臭い(マルキシズムのような)教条主義的な見方だなと思いながらそれでも最後まで見たが、この番組の監修者は特にクレジットされていなかったようで、NHKのプロデューサーやディレクターの作品のようだ。礒山雅氏や高橋英郎氏も登場して部分的に意見を述べていたが、果たして彼らの意見がこの番組の趣旨に沿ったものなのかは少々疑問符が付く。

ホームページでは、多くの批判が届いたのか、数多くのQ&Aが連ねられているが、どうもこの番組の作りは、少々やっつけ仕事的だったのではないかと思う。分かりやすい啓蒙的な図式を提示するのもいいが、自分の関心が少々強い音楽がこのレベルだとすると、他の分野でも同じような大雑把な番組作りしかしていないのではないかと猜疑心がわいてしまう。

P.S. オペラ座の書庫 その時歴史が動いた 『モーツァルト』  が、この番組の特徴を鋭く指摘されているのを読みトラックバックさせてもらった。  

 この番組って「主観的」なんだと思います。・・・・・ドキュメンタリーを謳った番組で、このツクリはどうなのかな? と思います。

参考記事:

2008年1月21日 (月) 西本晃二『モーツァルトはオペラ 歌芝居としての魅力をさぐる』

2007年11月17日 (土) 1789年 フランス革命 と ヴィーンでのモーツァルトの人気凋落に関係はあるか?

2007年11月16日 (金)『コシ・ファン・トゥッテ』をようやく全曲聴けた

2007年11月11日 (日) モーツァルト―音楽における天才の役割 (中公新書)

2006年11月 2日 (木) モーツァルト 『魔笛』 スイトナー盤

2005年11月28日 (月) 「フィガロの結婚」ベーム(1956)

2005年5月25日 (水) 映画「ドン・ジョヴァンニ」(監督 ロージー、指揮 マゼール)のDVD

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コメント

私も、なんとなく話の運びに無理があるような違和感を持ちながら見ていましたが、このように整理していただいて問題点がよく分かりました。
こういった”手法”が彼らの常套手段であるなら、NHKの番組を見る際はより慎重にならなくてはいけないかもしれませんね。

「魔笛」という広大無辺の宇宙が、逆に矮小化されてしまったようで残念でもあります。

hokuto77さん、コメントありがとうございます。

この『その時・・・』は、興味のある題材の回をときどき見るのですが、今回はどうも感心できませんでした。そのため本文では批判の口調がついきつくなってしまいました。冷や汗ものです。

岡田暁生『オペラの運命』ではモーツァルトの得意としたオペラ・ブッファ自体が、市民階級の擡頭とともにオペラ・セリアが衰退し、ブッファが勃興したと書いていますので、庶民劇場での上演を念頭においたドイツ語ジングシュピール『魔笛』に限らず、モーツァルトのオペラ全体が市民の時代の思潮を先取りしていたとも言えるようです。それゆえ番組では『フィガロ』を鬱憤晴らしのために書いたと語った後、『ドン・ジョヴァンニ』『コシ・ファン・トゥッテ』をどうして書いたのかの説明もなく、宮廷のために書いた『皇帝ティトの仁慈』もまったく割愛していたのが、はじめに結論ありきの御都合主義といわれても仕方がないのではないかと思いました。おっしゃるとおり、『魔笛』の奇跡的な世界を、市民のためのオペラという理念先行のように矮小化してしまったというのがこの番組に最大の欠点だったと思います。

影響力の強い番組かと思いますので、もっと慎重な番組制作を望みたいですね。

私も今回の「その時」には違和感を通り越して、怒りさえ覚えたのでNHKに抗議しておきました。
最初からフランス革命とモーツァルトを結びつけ、そこに文献や専門家の意見を断片的に貼り付け、かなり強引に肉付けしています。
それまでは高橋英朗氏などはモーツァルトの権威と思っていましたが、はっきり言って失望しました。
ご指摘の通り、ザルツブルク時代のコロレド・ヒエロムニス伯との衝突についても、コロレドをモーツァルトを意のままに操ろうとした、強欲で意地悪な貴族として描き、自由な創作活動を妨害されたモーツァルトがついに彼の元を離れたという、まるで子供向け伝記そのままの説得力のかけらもない描き方をしています。
1777年モーツァルトはザルツブルクでの職を辞して、母を伴いミュンヘン・マンハイム・パリへと旅立ちます。彼には幼いころ父に連れられ貴族の館を回り、神童ともてはやされたころの記憶があったのでしょう。しかし幼い子供ならともかく、青年となったモーツァルトは以前のようにちやほやされません。金銭的心労やアロイジアとの失恋、さらに78年にはパリで母アンナ・マリアが客死します。ザルツブルクに戻った傷心のモーツァルトを再雇用したのが、誰あろうコロレドでした。81年のウィーンでの決別の際も、父レオポルトの懇願もあり、仲介役のアルコ伯爵がモーツァルトのもとを訪れています。和解のをチャンス潰したのは実はモーツァルトなのです。
フィガロの結婚についても、番組ではこれは貴族を批判する内容で、モーツァルトは宮廷詩人と組み、皇帝を巧く取り込み上演したとなっています。フィガロ制作の過程は未解明の部分が多いのですが、間違いのないことは、これが皇帝ヨゼフ2世自らの依頼で制作されたことです。原作であるボーマルシェの戯曲は、確かに当時ウィーンでは上演禁止になっていました。ではなぜヨゼフ2世はこの作品のオペラ化を依頼したのでしょうか?私は2つの理由があると思います。第一に彼が先進的な啓蒙主義者で、ウィーン総合病院や、国民劇場(ブルク劇場)を開設したりと、貴族より市民向けの政策を採っていたこと。第2に、たかがオペラ一つで自分の宮廷はびくともしないということを、他国に知らしめる目的もあったのではないでしょうか。このころ、妹の嫁ぎ先のフランスでは絶対王政に陰りが見え始めていますが、神聖ローマ帝国での皇帝の地位は磐石であるという証です。さらに番組では、ブルク劇場での初演の際、観客である貴族たちは自分たちを批判した内容に騒然となったとありましたが、これはまったくの創作です。初演は大成功でした。(D・Jグラウト著 オペラ史=上 音楽の友社)貴族たちはこのオペラを体制批判と採るより、純粋なオペラブッファ(喜歌劇)としてむしろ好意的に捉えたのでしょう。にもかかわらず、ウィーンでの上演が長続きしなかったのは、おそらく宮廷内のイタリア派を中心とする音楽家勢力の妨害があったと読むのが自然です。
番組最後の魔笛の部分では呆れを通り越して、笑ってしまいました。モーツァルトが始めて市民のためのオペラ「魔笛」を作った?魔笛にはフランス革命の精神である「自由」と「平等」が謳われてる??
ジングシュピール「魔笛」は台本の作者であるエマニュエル・シカネーダーの依頼で制作されました。シカネダーはモーツァルトとはザルツブルク時代からの友人で、父レオポルトとも懇意にしていました。旅一座の座長で俳優、台本作者であった彼はウィーンでフライハウス劇場の支配人、さらには魔笛初演の舞台となったアウフ・デア・ヴィーデン劇場で活躍します。貧困のどん底にあった晩年のモーツァルトに、魔笛の成功によって一息つかせようと考えたのは長年の友人であり、かつまたなかなかの策士でもあったシカネーダーです。彼はモーツァルトに自分の劇場で上演する「魔笛」制作を依頼します。魔笛解釈で有名なのはフリメーソン影響です。シカネーダーもモーツァルトも秘密結社フリーメイソンに入会していました。モーツァルトは短期間で「親方」に昇進するなどかなりの熱の入れようで、魔笛の中でフリーメイソンの秘儀をばらした為毒殺されたなどという説もあるくらいです。しかし番組であったフランス革命の影響というのは初耳でした。念のため文献を読みかえしてみたところ、確かに当時の一部の左派ジャーナリズムに魔笛をジャコバン・オペラと読み解いた解釈があったようです(原研二著 シカネーダー伝 新潮選書)。しかしこれはまったく理論として破綻しています。大体、番組でフランス市民革命といってたのが何を指しているのか分かりませんが、89年のバスティーユ襲撃のこととしても、魔笛が初演された91年にその運動が思想としてまとまり、ウィーンにまで伝播していたとは考えられません。番組では、「フランス革命」と十把一絡げに言っていましたが、ルイ16世の処刑やジャコバン派による独裁、ロベスピエールの恐怖政治やナポレオンの独裁、王政復古など紆余曲折を経て初めて自由や平等が確立されていったわけで、モーツァルト生前のウィーンで、しかも大衆劇場でそんなこと言ったって一般市民がわかりっこないでしょう。
今回の番組でわかったことは、NHKには破綻した共産主義を信望し、ロシア革命の源流をフランス革命に求め、崇拝しているコテコテのマルキストが未だにいるということだけでした。

ものみんたさん、コメントありがとうございます。

大変な力作長文で、番組の場面場面を思い出しながら時間をかけてじっくり拝読させていただきました。

NHKの他の番組制作で、このような旧式な進歩史観的な内容があるのかは寡聞にして知りませんでしたが、まさに眉に唾付けて見ざるを得ないことをこの番組をきっかけに知ることができました。

拙い長文のコメントを投稿してしまい申し訳ありません。最後までお読みいただき恐縮いたしております。私は反共でもなんでもありません。ただ一介のモーツァルティアンです。今回の番組で一番問題なのはモーツァルトと政治的出来事を絡めて語ったところです。フランス革命などの政治的出来事の価値は、時代や思想により大きく変わります。現代でもあの一連の出来事は単なる暴力の連鎖反応だったのではないかという考えもあります。だが、それに対しモーツァルトの作品の価値は普遍なのです。私は芸術家の評価はすべからくその作品においてのみされるべきと考えております。あたかもモーツァルトがフランス革命に賛同したかのような伝え方は私には、モーツァルトに対する冒涜に見えてしまったのです。
心からモーツァルトを愛するあまり、思わずまた長文になってしまいました。お許しください。

ものみんたさん、再びコメントありがとうございます。恐縮は御無用です。おかげで大変勉強になりました。

今回の番組はその題名に惹かれて見たもののあまりの奇抜な番組作りに茫然とされた方も多かったようですね。以前のベートーヴェンの第九では、ベートーヴェン自身元々共和主義的な思想の持ち主なので、そちらの方面に重点を置いた番組作りでもあまり違和感がなかったように記憶するのですが、今度のはちょっとひどかった。

バスチーユ監獄襲撃に始まるフランス革命とモーツァルトの晩年については、私も今更ながら素朴な疑問を以前このブログで話題にしたことがあったのですが、確かに(ルソーやモンテスキュー、百科全書派などの)理念先行ではなく、また当初は王や王妃も幽閉されただけで直ぐに処刑というわけではなかったようで、非常に流動的な政治状況だったようですね。なるほど単なる暴力の連鎖という見方もあるわけですね。

以前からNHKの番組制作がこんなに大雑把だったのか、子供騙しのものだったのか、それまであまり気にしなかったのでよく分かりませんが、我が家でもよく見ている動物番組にしても専門家や詳しい人に言わせるとやはりNHK的な動物観があるようです。

NHKの番組でももっと政治的にデリケートな問題では、いろいろな方面から圧力がかかったことがありましたが、こういう音楽・芸術や動植物などの分野でそれに対する鬱憤晴らしをされては困りますね。(これは「魔笛」の番組の影響で、少々穿ち過ぎました。)

トラックバックしていただきありがとうございます。
「そうそう!」と頷きながら記事を拝見させて頂きました。
私にはキチンとしたことが分からず「なんか変だな」だったのですが、とてもスッキリしました。
ありがとうございます。
リンクさせて下さい。よろしくお願いいたします。

バルダさん、コメントありがとうございます。

また、記事中のリンクありがとうございました。お褒めにあずかり汗顔の至りです。

こちらこそ、バルダさんの鋭い指摘が参考になりました。下手の横好き(音楽好き)で、自分勝手な拙い文章を書き散らしておりますが、よろしくお願いします。

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