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2008年7月の29件の記事

2008年7月31日 (木)

ベニー・グッドマンとブダペストQ、シゲティ、バルトーク、トスカニーニ

Goodman_bartok_szigeti_toscanini 昨夜は、職場の暑気払いで少々ビールの量が過ぎて、帰宅後、ヘルベルト・ケーゲルの『展覧会の絵』を聴き、相当ユニークな演奏だと思いながらうたた寝をしてしまい、目が覚めたら夜中の1時半で、結局ブログ記事も、いただいたコメントへの返事も書けずに終わってしまった。

今日は久しぶりに、音楽を聴き、ブログを読み、書いていられる。

帰途、その道を通るときには必ず立ち寄るブックオフがあり、そこのクラシック音楽のCDの品揃いはあまりよくないのだが、たまにあれっという珍盤があり、今日もそこで、表題の演奏者たちによる珍しいヒストリカル録音のCDが廉価で入手できた。

モーツァルトのクラリネット五重奏曲 1938年録音 グッドマンのクラリネット ブダペスト弦楽四重奏団(ヨーゼフ・ロイスマン、アレクサンダー・シュナイダー、ボリス・クロイト、ミッシャ・シュナイダー)によるもの。ブダペストQは、ノイエ・ザッハリヒカイトの影響か、非常にすっきりした解釈。グッドマンは崩すこともなく巧い。

2曲目は、バルトークがグッドマンに献呈したあの「コントラスツ」を、その当人グッドマンと、ヨーゼフ・シゲティ、ベーラ・バルトークが演奏したもの。1940年録音。比較的マイルドな解釈。

そして、3曲目は、トスカニーニとNBC響が アール・ワイルド Earl Wild というピアニストと珍しく?ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーを演奏したもの。クラリネットパートにグッドマンが参加という形なのだろうか。1942年のライブ録音。このコンビによる強烈なスフォルツァンド(アクセント)のついた演奏なのだが、比較的に残響が多めに取られているため、音の鮮度はあまりないが、結構聞きやすい音楽になっている。演奏としてのメリハリは、これまでいくつか聴いたものの中で随一の録音だ。

CEDAR CD48047 という型番のCDで、すべて英語表記なので、おそらくUSA製だと思うが、いずれも聴き応えのある録音だった。

追記:検索をすると、ナクソスのミュージックライブラリでは、第1曲目を聴くことができるようだ。同じく2曲目も「バルトーク・アト・ザ・ピアノ」という組み物の中で聴ける。また、第3曲目もNMLには入っていないようだが、ネット上ではPDとして聴けるようだ。

2008年7月29日 (火)

ホルスト・シュタインの逝去を悼む

今日の昼過ぎは、まるでベートーヴェンの『田園』の『嵐』のような雷雨だった。次男はちょうど昼過ぎに友達と近くの森に蝉取りに出かけようとしてこの雷雨に見舞われ、落雷に友人と体を寄せ合い、ほうほうのていで友人宅に逃げ帰ったという。5月に顕在化した我が家の雨漏りも盛大で、とうとうこの8月に同じマンション内の別の部屋に引っ越すことになった。その交渉やら暑さやら仕事のことやらなにやらでこのところ精神的にも疲労困憊で、家ではいやにイライラしてしまっている。

ところで、帰宅後、妻が夕刊に指揮者ホルスト・シュタイン氏が80歳で亡くなったという追悼記事が掲載されていると教えてくれた。「世界的ワーグナー指揮者」との見出しが付けられていた。

ホルスト・シュタインは、バイロイトの常連で多くのヴァーグナーのオペラ、楽劇を指揮したことで知られているが、その実力の割には地味な存在だったのか、あまり録音は多くなかったように思う。私も手持ちでは、グルダがソロを務めたベートーヴェンのピアノ協奏曲の第4番と第5番のカップリングのCDしかない。

ただ、ホルスト・シュタインは、1990年代に当時常任指揮者をつとめていたバンベルク交響楽団を率いて来日公演を行ったときに、以前このブログでも書いたように思うが、そのオーケストラのホルン奏者に長野県須坂市出身の水野さんという方がいて、多分その縁で須坂市文化会館のメセナホールで、一夜のコンサートを開いてくれたことがあり、幼子たちをその祖母(妻の母)に預かってもらい妻と聴きに行った(水野さんは妻の高校の先輩にあたるようだ。もちろん面識があるわけではないが。)

シュタイン氏も、水野の故郷だということもあったのか、巨体を揺さぶり重量級のプログラムを振ってくれた。第1曲が上で挙げた『田園』。メインがR.シュトラウスの『英雄の生涯』、そして、極めつけがアンコールの『マイスタージンガー』前奏曲。これを朗々と奏でてくれて、スタンディングオベイションが巻き起こったほどだった。もう10年以上も前の話で、細部までは記憶していないが、同じホールで聴いたロシアの(レニングラードの第2オーケストラ、ソコロフの独奏)オーケストラに比べると、華やかさはないが滋養分がたっぷり詰まった演奏だったような印象が残っている。

N響にもたびたび登場したので、よくテレビでは見かけ、我が実家でもオデコのシュタインさんとして人気があった。

質実剛健な演奏からは想像もつかない繊細な一面があり、奥様がいつも同行してサポートをされていたということも、確か来日公演のパンフレットに書かれていて意外に思ったが、私のそれほど多くない外来のオーケストラコンサートの中でもドイツ音楽を堪能できたコンサートとして特に印象に残っているものだ。

2008年7月28日 (月)

剣の舞/管弦楽名曲集 フルネ、アッツモン、石丸、小林研/東京都響

Tokyo_metropolitan_so_fournet_ishim 英語のタイトルは、"Fascinating Orchestral pieces" 。魅惑的な管弦楽小曲集というところか。

DENON COCO-6778。 録音年などのデータはないが、PCM DIGITAL ロゴ入りなので、1970年代以降の録音だと思われる。

昨日久々に聴いた『剣の舞』が収録されている音盤がないので、探したところこのCDが売られており、購入したもの。

私が保有している日本のオーケストラの音盤は、先日入手した飯守/東京シティフィルのベートーヴェン交響曲全集などわずかしかないので、その意味でも貴重な一枚だ。

『剣の舞』は、ネスカフェコンサートで有名だった石丸寛氏で、結構軽快で鮮明な演奏を聴くことができる。家族と一緒にステレオセットで聴いたが、さすがに昨日の打楽器は迫力があり、大太鼓の強打では、空気の振動が伝わるようだったのを思い出した。

(確か、毎年恒例の長野市の第九を歌った時の指揮者が石丸寛氏のときがあったかどうか、記憶が定かではない。あのジョージ・セルに師事したことでも知られる荒谷俊治氏の指導、指揮で歌ったことは確実なのだが、石丸氏の指揮のときには参加したかしなかったか?荒谷氏は非常に柔和で丁寧な指導だったが、石丸氏は相当厳しかったと言うことを友人に聞いた覚えもあるので、石丸氏の回は歌わなかった可能性の方が高い)

2008年7月27日 (日)

日本フィル夏休みコンサート2008で初サントリーホール

相当以前に過ぎてしまった父の日だが、その頃「父ちゃんは君たちをいろんなところに連れていってあげてるけど、こちらに引っ越してきて自分の好きな音楽のコンサートにはあまり行けていないんだ。あの有名なサントリーホールでもコンサートを聴いたことがないんだ」とか何かの拍子にぼやいたことがあり、それを覚えていた妻が一応父の日のプレゼントとして、子どもと一緒に行けるサントリーホールということで、今回の日本フィルの夏休みコンサートのチケットを家族分手配してくれていた。

そのコンサートが今日午前中の11時からサントリーホールで行われ、東横線から地下鉄南北線に乗り継いだら意外なほど短時間で、一種の「聖地」サントリーホールに着いてしまってちょっと驚いた。南北線の六本木一丁目駅では、この夏休みコンサートに行く親子連れらしい人々の姿が多かった。

駅の3番出口から約5分でカラヤン広場を通り、サントリーホールへ着く。アークヒルズ界隈も六本木再開発の最初の頃のプロジェクトだったはずで、そのせいかリニューアル工事がここかしこで行われていた。

ホールそのものはアークヒルズのビル地区の中にすっぽり と収まっているため、音楽芸術の殿堂という崇高さのようなオーラはまったくない。ローカルな比較になるが、長野県の須坂市のメセナホールという文化会館などは、低い丘の上に立っているが、建物正面のデザインなど、なかなか素晴らしいもので、地方都市には贅沢なほどの建物になっており、当時そこに住んでいたおりには、よくコンサートにも出かけ、また所属合唱団の定期演奏会や、合唱コンクールも開かれたり、自分の庭のようなホールだったので、そことの比較になるが、外観やホワイエ(ロビー)などは、あの地方ホールも、また長野県の文化会館もそれなりの豪華さだった。閑話休題。

P7270012_3家族連れで賑わうカラヤン広場で、10時半の開場の仕掛けオルゴール(オルガン)が鳴り出して人々がホールに吸い込まれていき、その後を追って我々も中に入る。ホールに入るとさすがにそこは、テレビなどでも見慣れた正面に豪華なパイプオルガンとシャンデリアのある巨大なサントリーホールの空間だった。

今回は、「のだめ」で取り上げられた「ラプソディー・イン・ブルー」を指揮者弾き振りで演奏するため、若手の沼尻竜典(ぬまじり・りゅうすけ)と渡邊一正(わたなべ・かずまさ)が指揮者として起用されており、今回のサントリーホールの午前11時と午後2時の2回で7月19日からの沼尻氏の指揮は終了、その後7月29日から8月2日は渡邊氏の番になるということで、夏休みコンサートとは言えなかなかのハードスケジュールのようだ。

曲目は、第1部がモーツァルト『フィガロの結婚』序曲。颯爽と登場した沼尻氏は、快調なテンポでモーツァルトを指揮する。初めて聴くサントリーホールのナマの響きだが、舞台に向かって左側の1階平土間の一番後ろの方で、少々音が遠く、残響の多さに慣れるまではなかなか音楽に集中できなかったが、各パートの音も分離して聴き取れるようになってきた。次は、「G線上のアリア」。チェンバロなしの弦楽合奏のみの演奏でリピートも省略されていたが、弦の響きの溶け合いが美しかった。解説と歌として江原陽子という歌手が登場し、「G線」のことを指揮者に質問し、実際にコンサートミストレス江口有香さんが、めったに聴くことができないヴィルヘルミ編曲のG線のみで弾くこのアリアの冒頭部分を弾いてくれたが、ヴァイオリンとは思えないほどの低い音で聴くこのアリアはなかなか聴き物だった。次は楽器紹介をしながら、チャイコフスキーの『白鳥の湖』の『4羽の白鳥の踊り』とハチャトリアン『剣の舞』。フルート、オーボエもなかなかよかった。『剣の舞』は、さすがにアピール力の強い曲で、終演後子どもも妻も凄い迫力だったと言っていたが、会場の残響の関係もあったのか(千葉県文化会館、府中の森芸術劇場、横浜みなとみらいホール、ミューザ川崎シンフォニーホール、大宮ソニックシティの順で、今日がサントリーホール初日)、活躍する打楽器群とその他のパートがほんの少しだけずれているように聴こえたように思った。演奏を始めてしまえば途中で修正が聴くような曲ではないし、あれだけのテンポで駆け抜けるのは結構難しいのだろう。

次は、指揮者弾き振りの『ラプソディー・イン・ブルー』。なお司会者が「日本フィル夏休みコンサート2008ハイライト版です」と紹介したが、全曲ではなく、途中の部分を巧妙にカットしていたが、聴きなれている長男などは、後で「省略があったね」と言っていたので、できれば全曲を聞いてみたかった。演奏は、沼尻氏のピアノも堂に入ったもので、ピアノの響きも美しく、オーケストラともども熱の入ったいい演奏だった。クラリネットのアドリブ風トリルから始まって、途中金管楽器がミュートを使ったりしての特殊な音響を出す部分など会場も沸いていた(ように記憶しているが)。カデンツァでは、沼尻氏はイロイロな曲のサビの部分を演奏していていて、なかなか芸達者だと思ったが残念ながらどんな曲だったか短期記憶が弱まっており思い出せないのが残念。

この後、オーケストラ演奏にのって、会場のみんなで歌を歌う(このようのコンサートでは定番の)コーナーが設けられ、「誰にだってお誕生日」「大きな古時計」「さんぽ」が歌われた。合唱から遠ざかって相当経つのでしばらく大きな声で歌ったことがなかったが、なかなか気持ちよく歌えた。

休憩を挟んでの第2部は、ムソルグスキー=ラヴェル編曲の組曲『展覧会の絵』。この曲は、コンサートでナマで聴いたのは初めてで、また単に子ども向けとも言えず期待して、昨日などは、オーマンディ(CBS)盤やジュリーニ/CSO盤(ハーセスのトランペット!)を、長男と聴き比べて楽しんだのだが、やはり生演奏の迫力は素晴らしかった。

生演奏も、数多く聴けば、もっと冷静な聴き方ができるのだろうが(ただ、それが必ずしも音楽を楽しむためによいことかどうかは別だが)、ホール全体に広がる金管や打楽器の音の迫力に圧倒されることが多く、いわゆる音楽の情報量よりも、感覚的な喜びの方がまず多くなる傾向があるように思うのだが、今回の『展覧会の絵』は、子どもを飽きさせないという多少の演出(絵のない巨大な額縁)や、黒子の持って出てくる巨大な曲名紹介でもそれほど興をそがれずに、音楽そのものを結構楽しめた演奏になっていた。

以前にも書いたが、高校時代オーマンンディ盤によって十分に親しみ、細部まで覚えきったような感じの曲だが、ここ10数年は離れていた曲だった。個性的で描写的な音楽の集合である組曲で、面白い曲揃いで、気軽に聴ける曲ではあるのだが、音楽にもっと別の充足感を求めるようになると次第に敬遠しがちになってきていた曲だった。数年前に手持ちのCDの聴き比べのような記事を書いたことがあったが、表面的な印象を書いただけで、それほどつっこんだコメントは書かなかった。私が高校のときにはまった『展覧会の絵』だが、子ども達は意外にこの曲への食いつきが悪く、今回のコンサートで魅力に開眼するかも楽しみだった。

沼尻/日本フィルの『展覧会の絵』は、結構見事な演奏だった。トランペットソロは、プログラム掲載の首席の星野さんだろうか、一曲目のプロムナードのソロは、ハーセス顔負けの素晴らしい音だった。「こびと」の打楽器、「古城」のサキソフォーン、「チュイルリー」のアンサンブル、「ブィドロ」の重々しいチューバソロも見事。ナマでは結構粗が出るのではと心配した「殻をつけたひよこの踊り」とアンサンブルが難しそうな「リモージュの市場」も颯爽とこなし、「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミュイレ」でもミュート付きトランペットが疲れることなく甲高い声でしゃべっていた。「カタコンブ」は、ひっそりとした足取りで地下墓地を歩む姿の部分が緊張感があり、「ババ・ヤーガ」では、迫力満点の魔女の姿が描かれていた。「キエフの大門」は、さすがにいつも聴いているステレオイアフォンや、大きな音を出すのは控えざるを得ないステレオセットでは聴けない大音響を聴けカタルシスを得ることができた。この曲など、指揮台で指揮できれば、爽快な曲だろうといつも思っているが、つい手が動いてしまい、子どもに後から注意されたほどだった。

アンコールは、恒例の「ラデツキーマーチ」で、手拍子の演出もたくみに、子ども向けとは言え長丁場を無事聴き終えることができてほっとした。

なお、この午前の部か午後の部は、NHKBS11が収録することになっているとパンフレットにも書かれており、それらしいテレビカメラが二階席の両側で撮影していたようだった。オーケストラがフォルテの部分で、カメラマンたちがヘッドセットを使ってディレクター?と会話しているような声が耳に入ってきたのはいただけなかった。妻もその声には気がついたようで、誰かがラジオでもうっかりスイッチを入れたのかと思ったなどと言っていたので、結構大きい音だったのだろう。テレビ放映は楽しみだが、テレビのスタッフは少々注意不足ではなかったのではあるまいか?

まあ、こうして初のサントリーホール詣でも無事終わって、いつもは子どものための外出が多いが、自分も満足できる外出もやはり精神衛生上必要だと思った次第だ。とはいえ、比較的廉価なこのコンサートでも、そうおいそれとは来れないし、ましてや外来演奏家など最近の経済事情では相当難しいこともあり、高価なコンサートでなくてもいいから、それ用に貯金でもして、数ヶ月に一度くらいはナマの演奏を聴きに行きたいものだと思う。

追記:2008/10/09

日本フィルのホームページを見てみたところ、NHKBS11の収録ではなく、BSデジタル11という放送局の収録だったとのことだ。

番組名:BS11スペシャル「日本フィル ファミリーコンサート2008~音の展覧会~」
放送日(予定):2008年11月2日(日)14時~16時30分
■BS11の試聴方法はこちら

NHK衛星第2(アナログ)がBS11とも新聞のテレビ欄に書かれていたりするので、勘違いしてしまっていた。無料放送だというが、ディジタルチューナーがないので、今のところ見れない。残念。

2008年7月26日 (土)

現代の中学校の教科書を見て

昨日、7月25日は朝の通勤時間帯から28℃ほどの気温に加えていわゆるピーカンの完璧な快晴で、日射の強さが半端ではなく、勤務先にたどり着くまでに、クールビズの半そで姿にも関らず汗でぐっしょりになってしまった。この時期は、そのままでいると28℃冷房とは言え冷え過ぎるおそれがあるため、下着の換えを通勤カバンに忍ばせておき、汗が引いたら休憩時間にトイレで換えるようにしている。それでもシャツやズボンが汗をたっぷり吸っているので、次第に汗臭くなるのは避けがたい。

昨夜は、この月曜日の早起きに続き、子ども会のラジオ体操が夏休みの初めの一週間だけ開催されて、毎日6時おきに付き合ったので、熱帯夜とあいまって毎日睡眠不足気味だったため、金曜日夜の気の緩みからブログも書かずに早寝してしまった。

ところで、夏休みになって学校の宿題をやっている子どもの教科書を見せてもらったところ、現代の教科書は約30年ほど前の自分の時代や、20年ほど前の教育実習の時代(一応教職免許を取得するため、中学校で教育実習を受けたことがある。免許は取得できたが、教職には就かなかった)の教科書に比べると、非常にカラフルで、まるで当時の参考書のように懇切丁寧な作りになっているのに驚かされる。教科書問題には別の意味での批判が多いが、体裁的には至れり尽くせりだと感じる。

時代の流れを感じたのは、中学校の地理の教科書。私の当時は、日本の人口が1億、アメリカが2億人と覚えていたのだが、現在は相当様変わりしているようだ。

日本の人口が1億2千万人程度ということは日々の報道で知ってはいるが、2007年の統計では、アメリカ合衆国は現在では3億人を越えている。 また、中国が13.2億人で世界一の人口大国なのは変わらないが、インド11.2億人とパキスタン1.6億人、バングラデシュ1.4億人を合わせると 英国植民地時代の「大インド圏」14.2億人で世界一になる。 貧しいパキスタンと極貧と思われるバングラデシュの人口が多いのはどうしてなの だろうか。インドネシア2.2億人が多いのは知っていたが、旧東西パキスタンの人口の多さ には驚いた。

ちなみに、億人単位で示すと 中国 13.2360、 インド 11.1950、 アメリカ 3.0100、 インドネシア 2.2550、 ブラジル 1.8890、 パキスタン 1.6120、バングラデシュ 1.4440、ロシア 1.4520、ナイジェリア 1.3440、日本 1.2777、メキシコ 1.0830 の順になるようだ。

経済発展の第2グループとしてBRICS  ブラジル、ロシア、インド、中国、(南アフリカ)という言葉がここ数年流行だが、人口の多さから見ても最後の南アフリカを除いては、大国揃いなわけだ。

アフリカのナイジェリアの人口の多さも驚かされる。

子どものような夏休みはないが、教員免許を持っている社会にしても、それ以外の理科、数学にしても(国語や英語は何とかなるだろうが) 「大人」も時間をみて「義務教育」教科書を読み直して最新知識を取り入れるというのは、結構必要ではないかと考えた。

2008年7月24日 (木)

7/23 ハリポタ最終巻日本語訳が発売されたが

2007年7月24日 (火) J.K. Rowling "Harry Potter and the Deathly Hallows" Bloomsburyという記事をちょうど一年前に書いたが、結局全部読み終えないうちに日本語版が発売されてしまった。昨日は、NHKも朝のニュースで「ハリー・ポッター・シリーズ」最終巻日本語版の発売を報道し、夜の番組では、ちょうど昨年の英語版の原作最終巻が発売された翌日に放映されたらしい作者 J.K.ローリングの特集番組を教育テレビで流していたほど。

妻は、最終巻の英語版を半分ほど読了したらしいが、それゆえにか日本語版を買いたがったが、何かと物入りで物価高、給与低迷の昨今、せっかくの英語版を無駄にするのももったいないし、日本語版は半年もすればブックオフなどに大量に陳列されるということで、この夏の購入はしないことに決まった。

この殺伐とした世の中だが、それゆえにか映画も小説もファンタジー、空想物語、寓話ばやりのようで、日本語では上橋菜穂子の『精霊の守り人』がアニメ化されたり、『ナルニア国シリーズ』も先日第2巻の『カスピアン王子の角笛』が映画化され、近年の英国ファンタジーの人気作『黄金の羅針盤』の『ライラの冒険』が映画化されたり、この夏は『人魚姫』を下敷きにした『崖の上のポニョ』という宮崎駿アニメが公開中だ。『精霊の守り人』はBSで毎回楽しみにして見てから原作を読んだが、原作はその続編の『守り人』シリーズも面白い。『ナルニア』第2作と、『ライラ』は未だ見ていないが、『ポニョ』は子ども達のリクエストで夏休み中に映画館で見る予定になっている。

ある人が、『指輪物語』も『ナルニア物語』も、大人たちが勝手な解釈を加えて名作に祭り上げてしまったがゆえに子ども達から切り離されてしまったと言ったということを先日何かで読んだ記憶があるのだが、子ども達が読みたいという感覚と、大人が読ませたいと思う感覚というのは微妙にずれるようで、私が買って来たいわゆる面白そうな本でも、「へー面白そうだね」で本棚行きになっていたかと思えば、ある日突然愛読書になって兄弟で取り合いをしながら読むようなこともある。

我が家では、「ハリポタ」には私と妻が初期のブーム時から時折距離を置きながらだが、継続してはまって来たので、逆に子ども達はもう既に読解力は十分付いているのに何故か読みたがらない。佐藤さとるの『誰も知らない小さな国』シリーズは、私は小学生のときに完全にとりこになったのだが、息子達はどうも敬遠気味だ。なかなか読書のきっかけというか、その世界にはまるかはまらないかというのは、人間関係、友人関係と同じようなもので、結構微妙なタイミングのようなものがあるようだ。ただ、人間は待ってはくれないが、本は比ゆ的にではあるが、「いつまでも」待ってはくれるのだが・・・。

毎晩続く熱帯夜だが、グールドの『平均律』で頭脳を冴えさせて、原書の『ハリポタ』にまた取り組もうか。

2008年7月23日 (水)

吉田秀和 季刊『音楽展望』 ブレンデルの引退

これまでは、朝日新聞の夕刊に掲載されていたはずだが、今朝の朝刊を朝の出勤前の忙しい時間帯にパラパラ目を通したところ、文化面に、季刊となった吉田秀和氏の『音楽展望』が掲載されていて驚いた。見出しは、「ブレンデルの引退 明暗の世界が生む深み 律儀な演奏に境地を見る」というもの。

昨年のバイロイト音楽祭に続いて、今年も元気に渡欧されたときの模様が書かれているのだが、その中のエピソードとして、今季でのブレンデルの引退の話題が出てくる。

意外なことに、最近の吉田氏はブレンデルを敬遠してきて、今回の渡欧時にもヴィーンでポリーニのリサイタルを聴いたのだが、その数日前のブレンデルのそれは聴けなくて、残念だったと正直に書かれている。

以前、ブレンデルが近年日本であまり注目を浴びなくなっていると書いたところ、よくコメントをいただくドイツ在住のpfaelzerweinさんから、ヨーロッパでは考えられないことだという書き込みをいただいたことがあったが、日本では吉田御大からして「このところ敬遠してきた」と書かれているのだから、そのような風潮を感じていた私の感覚もまるっきり方向違いだとはいえないようだと思いつつも、なんだか寂しい思いが去来した。

ただ、吉田氏は、帰国後、ブレンデル自選?のフィリップスの8枚組みのCDを聴き、特にベートーヴェンの第4ピアノ協奏曲がとりわけ味わい深かったと書かれている。ポリーニのような「磨き立てた石畳みたいに艶光するピアノの音の美しさ」と比べて陰翳の深みのあるブレンデルの音の性格を捉え損なっていたという。そして、同じベートーヴェンの作品126の『6つのバガテル』の演奏を通じて、改めてブレンデルへの再評価を書かれている。

吉田氏の健在と健筆を喜び、そしてブレンデルの今季での引退とその公演を吉田氏が聴けず記事が読めないのを惜しむという少々ambivalentな猛暑の朝だった。

ブレンデルの作品126は、以前記事にした「エロイカ変奏曲」のCDに収録されているので、今宵はこの曲を静かに味わってみよう。

2008年7月22日 (火)

「海の日」の翌日に交響詩『海』を聴く

Martinon_debussy_orchestral_worksドビュッシー
 交響詩『海~3つの交響的素描』
  海上の夜明けから正午まで 
  波の戯れ
  風と海の対話
  (8:59/6:59/8:06)
ジャン・マルティノン指揮 フランス国立放送局管弦楽団
〔1973年6月1,2,4&6日、9月21日 パリ、サル・ワグラム〕

ドビュッシーの管弦楽曲集は、1989年頃買ったEMI90周年特別企画の2枚組み4,000円なりでほぼ満足してしまい、他にはモントゥー/LSOの『映像』『聖セバスチャンの殉教』、ショルティ/CSOの『牧神の午後への前奏曲』程度しかなく、いわゆる非正規盤でセル/CLOによるモノ録音の『海』がある程度。人口に膾炙した『小舟にて』の含まれる『小組曲(ビュッセル編)』の音盤は手元にない。

今日は、二十四節季の一つ「大暑」に当たる日で、ちょうど真冬の「大寒」と対称的な日になるらしい。大寒から立春までが最も寒さの厳しい頃だが、大暑から8月上旬の立秋までが最も暑さが厳しい季節になるのだろうが、四季ではなく五季の梅雨の関係もあり、まだ年によっては梅雨が明けないこともあるため、大暑の暑さというのはそれほど印象に残らない。むしろ、9月上旬の残暑の方が身に応えることが多いような気がするのも、温暖化の表れだろうか。

『海の日』には、鉄道博物館で、テツに徹していたので、海の香りもかぐこともなかったが、今晩は、ドビュッシーのオーケストラ曲の最大傑作と言われる『海』を、マルティノン盤で聴いている。印象派の画家達のジャポニズムの影響で、パリに多くの浮世絵が流入したこともあり、ドビュッシーが葛飾北斎の富嶽三十六景『神奈川沖浪裏』を見る機会が生まれたのだろう。この版画からインスピレーションを得て、この交響詩『海』を着想したと言われるが、真相はどうなのだろうか。日本人にとっては少しうれしい話ではあるが。

皮肉屋サティは、この曲の初演を聴いて「何時何分ごろの海がよかった」とかこぼして、煙に巻いたというが、この名演と言われているマルティノン盤を聴いていても、なかなか理解が行き届かないでいるのが現状だ。

音楽が描写するものを映像化しようと想像力をたくましくしても、北斎の絵のような光景は脳裏には浮かんでは来ない。『海』をスケッチ(素描)した音楽だといわれれば、なるほどとは思うのだが、なかなかピンと来ない。ただ、ドビュッシーの他のオーケストラ曲に比べると金管楽器が高らかに活躍することもあり、ダイナミックな印象が強い。

このCDでは、この曲の次に収録されている『牧神の午後への前奏曲』などは、ずっと親しみやすいのだが、明瞭なストーリー性のあるなしも、理解しやすさ、親しみやすさに関係があるのかも知れない。

追記:このところ記事に取り上げている小澤征爾氏だが、ブザンソンで優勝し、ミュンシュに私淑していたということもあり、フランス音楽が得意だという印象もあり、事実フランスでの人気は大変なもので、レコーディングでもベルリオーズ、ラヴェルなどでは全集に近い選集を録音しているのだが、ドビュッシーのオーケストラ曲については、非常に慎重なのか、この『海』や『映像』『夜想曲』『牧神』などの録音はカタログには載っていないようだ。少し不思議な感じがする。 ただ、探してみたら、小澤征爾指揮パリ管の『海』のYoutube映像が見つかった。決して敬遠しているわけではないらしい。以前フォン・シュターデとフランス歌曲集でドビュッシーの曲の録音もあったという記憶もあるし。

2008年7月21日 (月)

初めて鉄道博物館を訪れた

2007年10月14日の開館から間もない10月29日(月曜日)に、我が家の妻と子ども達は小学校の振り替え休日ということでさいたま市の「鉄道博物館」を訪れたが、大混雑状態で、展示物も満足に見終えることなく、帰宅を余儀なくされて残念がっていた。しかし、その後も大混雑の情報ばかり伝わってくるので、敬遠していたのだが、ようやくこのところ落ち着いてきたという噂が耳に入るようになってきた。

今日は、その趣旨もよく分からない「海の日」という休日で、三連休の最終日でもあり、昨日から「明日の分の宿題を終わらせておけば、明日早起きして、父ちゃんがテツハクに連れて行ってやるぞ」と号令を掛けたところ、宿題はいやだがテツハクの魅力に負けて何とか二日分をこなし、今朝5時起床、6時発という我が家にしては珍しい朝駆け的な行動を取り、何とテツハクの入場待ちのゲートに8時過ぎには到着した。10時開館だし、三連休の三日目なのでと思っていたのが的中し、我々の前には10人ほどの来場者が並んでいるだけだった。前に並んだ親切な人が地面に敷く新聞を分けてくれたので、持参した小説や漫画を読みながら開館を待っていると、それでも次第に列は後ろに伸びて行き、9時半ごろには目算で1000人近くは並んだのではなかろうか。

9時半には博物館外の屋根のかかったエントランスのような場所に行列が誘導され、そこで30分待機、入場時の注意を聞いたりしながら過ごし、10時に警備 員が静かにお入りくださいと誘導しながら入場が始まった。SLのシミュレーターは無理だったが、ミニ電車の運転体験のチケットは何とか確保でき、10時半の回からこういうことが大好きな次男の運転で乗車を楽しむことができた。

ミニ運転列車勢ぞろい。ブレーキ、マスコンの2ハンドルと、1ハンドルの2種類が用意されている。

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また、駅弁を取り揃えた弁当も10時半から売り出しとのことで、すかさず入手して、11時過ぎには昼食を済ませ、列車デザインの体験コーナーなどの予約を済ませてから、広大なヒストリーゾーンの展示を見始めた。

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列車デザイン 長男の作品
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2階からのヒストリーゾーンの情景

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総括的に感想を書いてみると、秋葉原(万世橋)の交通博物館は狭かったが入場料も廉価で歴史と伝統の趣があった。この鉄道博物館は、最新鋭のシミュレーターやミニ運転トレインなどの設備、広大な敷地に列車の実物展示が数多いという素晴らしさはあるが、入場料が高く、やはり都心から交通の便が悪いというか、神奈川県民としては少し交通費がかさんでしまうのが難点かも知れない。

また、案の定、「交通博物館」が「鉄道博物館」という名称に限定されたことにより、交通史全体見渡す視点が欠けてしまったように感じた。それに鉄道でもJR東日本が主体ということなのだろう、以前の交通博物館には展示されていた将来への展望としてのリニアモーターカーの実験模型などの施設もなくなっていたのは、JR東海との関係があるのだろうか、少々寂しいものがあった。

鉄道マニア的には、充実度が上がったという評価もあるようだが、博物館の姿としては、少々視野が狭まったという辛口の評もあるかも知れない。

それでも、子ども達は、10時から15時過ぎまでほとんど疲れも知らずにところ狭しと歩き回っており、前回の見残しの無念さはすっかり晴れたようで、その意味では引率冥利に尽きる感じだ。また、「早起きは三文の得」をようやく実感させてやることができたことも教育効果の一つしてあげてもいいだろうか。

2008年7月20日 (日)

昨夜の『世界ふしぎ発見!』はルートヴィヒ二世特集

Sunzga_ludwig2nd 先週、須永朝彦『ルートヴィヒⅡ世 白鳥王の夢と真実』(新書館)という本を買ったばかりなので、最近とんと見なくなった『世界ふしぎ発見!』だが、不思議な縁を感じてじっくりと見た。

 

第1062回 狂王ルートヴィッヒ 三つの城の秘密!2008/07/19(土)21:00~

ノイ・シュヴァン・シュタイン城、リンダー・ホフ城、ヘレン・キーム・ゼー城の内部をその城の管理責任者が案内してくれるという趣向で、ノイ・シュヴァン・シュタイン城の管理人は、ケンプフさんという日本語表記が付けられていたが、もしかしたらピアニストのヴィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff)と同じ苗字かも知れないなどと思った。

以前にも、ディズニーランドを作ったような王様と書いたことがあったが、ディズニーはその夢想の世界を多くの人々に公開したけれど、ルートヴィヒⅡ世は、ただ自己愛のためだけにあれだけ膨大な城を作ったという点で、ディズニーとは似て非なる存在だという得心がいった。

この番組では、期待ほどリヒャルト・ヴァーグナー(ワーグナー)との関係については、詳しくは触れられてはいなかったが、最後のキーム・ゼーの中洲(小島)に作られたヴェルサイユ宮殿をそっくりコピーしたようなヘレン・キーム・ゼー城の離れで、皇帝ハプスブルク家の皇后となった系図的には父のマクシミリアンⅡ世の従姉妹に当たるエリーザベト(その妹ゾフィーとルートヴィヒⅡ世は婚約しており、後破棄され、ルートヴィヒは生涯独身を通した)との逢引をしていたことにも触れられていた。(その城には、あのヴェルサイユよりも広い「鏡の間」が作られたが、本家のように華やかな社交、舞踏会に使われたわけではなく、超贅沢なことに、ほんの数日、ルートヴィヒのためだけに灯りがともされ使われただけだったという。)

バイエルン国王退位の元になった精神鑑定書をルートヴィヒと面接もせずに「捏造」した精神医学者のフォン・グッデン博士という人物と、最後にはシュタルンベルク湖で一緒に入水自殺をしたといわれているが、グッデン博士は水死ではなく、絞殺されたという検死報告があるようだという。

この番組では、私が学生の頃仙台の名画座の古い椅子に座って上映を見たヴィスコンティの『ルートヴィヒ 神々の黄昏』(1972年)についてはまったく触れられていなかった。またヴァーグナーの音楽もほとんど用いられていなかった。そいういう意味では多面的な番組ではなく、「ルートヴィヒⅡ世と城」に焦点を当てた観光番組的な作りだったが、それでも面白い見ものだった。

子ども達とは、ドイツの領邦国家というのは、ほぼ日本の鎌倉幕府以来の体制と似た感じで、バイエルン王国というのも、有力な藩主のようなもので、ちょうど御三家や、加賀100万石、仙台60万石のような感じだったのかな、などと話したが理解できただろうか?非中央集権のドイツ、イタリア、日本のその後の歴史を思うと、なかなか複雑な時代だと思いながら、梅雨明けの暑さの中、これとは縁もゆかりもない小澤/CSO『シェエラザード』を聴きながら眠りについたのだった。

2008年7月19日 (土)

小澤征爾のEMI録音選集 BOX SEIJI OZAWA conducts・・・

ようやく、関東、甲信越地方も「梅雨明け」宣言が出た。朝から日差しが強烈で、35℃以上を猛暑日と言うらしいが、山梨県の甲府の近くでは体温を上回る37℃を越す気温を記録したという。確実に夏は暑くなっているようだ。ただ、梅雨明けというのに蝉の声が、前の寺の巨木の森から聞こえてこないのが、少し気にかかる。

Seiji_ozawa_emi_7cdsこれまで小澤征爾の録音は、もっぱらフィリップス、ドイツ・グラモフォン(テラーク、RCAも数枚)で聴いて来て、音盤で持っているEMI録音は、LPのパリ管弦楽団とのストラヴィンスキー『火の鳥』全曲だけだったと思う。このLPは、CDへの切り替え期の直前に購入したこともあり、いい演奏、録音だとは思いながらあまりじっくり聴けないままでいた。

先日、生活圏に数軒あるブックオフの内、時々クラシック音楽関係のいいCDが売られている店を久しぶりに覗いてみたところ、 "SEIJI OZAWA conducts・・・" という 数年前、HMVの店頭かどこかで見かけたDisky 社発売のEMI録音のオムニバス的な選集7枚組みが売られており、以前から聴きたかった初期のシカゴ響との録音などが含まれていたので、購入して聴き始めた。

(残念ながら一枚目の最後の部分の音飛びがどうしても直らずに落ち込んだが、)若き日の小澤征爾の指揮はEMI録音と今回のリマスタリングの所為もあるのだろうが、結構解像度が高く、いわゆる中心メロディー偏重に聞こえ、副次的な声部がおろそかに聴こえるような傾向の最近の指揮とは違い、対旋律や副次的なモチーフなども立体的に演奏され、それに加えてキビキビとした若々しいリズムと、本当に繊細な魅力を持つメロディーの歌わせ方、豊富な色彩感のあるオーケストラの演奏など、大変魅力のある演奏が多く、驚かされた。

シカゴのラヴィニア音楽祭への抜擢は小澤征爾の演奏史の中では、それほど大きく取り上げられないように感じるが、何しろあのフリッツ・ライナーの鍛え上げたシカゴ交響楽団をそれこそ新鮮な感性で指揮したバルトークのオケコンや、ものすごく繊細な魅力に溢れた『シェエラザード』など、立派な演奏・録音として、他の「名盤」とされるものに十分に伍すだけの力があるのではないかと感じた。これなら、時代の寵児として世界中で引っ張りだこになったのも無理はないと思わせるだけの魅力に溢れていた。

小澤征爾専門のHPは意外にもあまり見かけないのだが、昨日R.ゼルキンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番の記事を書き、それへいただいたコメントに対する返事を書いているときに偶然、このディスコグラフィーを発見することができた。

Seiji_ozawa_emi_list 世界のメジャーレーベルでは、最初RCA録音が多かった、1969年ごろからシカゴ響を指揮した録音がEMIで発売され始めている。1970年代は、DGとPhilips が主だが、1980年代になってフランス国立やベルリンフィルなどとまたEMIにも録音をしており、これらの録音はこれまでほとんど聴いたことがなかったものだった。

特に上記で触れたバルトークの「オケ・コン」とリムスキー=コルサコフ『シェエラザード』は、特筆すべき演奏だと感じた。いずれ、詳しく感想を書いて見たいが、こういうことで、小澤征爾の演奏史の中でも非常に魅力的な時代として1960年代末を忘れることはできないと感じるようになった次第だ。

HMVのサイトによると現在このボックスセットは廃盤だというが、このほかにも1960年代にCSOと入れた『春の祭典』『展覧会の絵』、チャイコフスキーの5番、いわゆる『運命』『未完成』にも興味がある。

追記:2009/6/16 同じボックスセットのシンフォニエッタ、オケコン、ガランタ組曲などを取り上げられgeezenstacの森 小沢征爾のシンフォニエッタ にコメント、トラックバックさせてもらった。せっかく『1Q84』で取り上げられたのに、小澤氏本人が若い頃の録音ということであまり再発を望んでいないのだろうか。

2008年7月18日 (金)

ルドルフ・ゼルキン、小澤/BSOによる『皇帝』

Rserkin_ozawa_emperor_s5ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調 作品73『皇帝』

ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
小澤征爾指揮ボストン交響楽団

〔1981年1月24、26日、ボストン、シンフォニー・ホール〕

〔Ⅰ:21:21, Ⅱ:8:49, Ⅲ:10:49〕

 併録:ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調 作品67

1978年にオハイオ州クリーヴランドで創立されたディジタル録音専門のレーベル「テラーク」の10周年記念として発売された豪華カップリング。ゼルキンは、小澤/BSOと、『合唱幻想曲』を含むピアノ協奏曲全集を録音していたが、その内の第5番と、小澤がBSOと公式には唯一録音した(と思われる)ベートーヴェンの交響曲録音がカップリングされたもので、当時住んでいた町の小さなCD屋で手に取って眺めていたら、そこの店員が「お得なCDですよ」と声をかけてきたのを覚えている。

ルドルフ・ゼルキンと小澤によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は、あの巨匠ゼルキンが自ら小澤を指名したという噂も聞こえてきたこともあり、録音が発売されると、レコード芸術誌でも、いつもは小澤に厳しい評をくだす宇野功芳氏も、「小澤の伴奏指揮も素晴らしく、音楽性の高さが評価される」というような抽象的な表現ながら結構誉めていたのを思い出す。

テラークの録音は、ワンポイントマイクを基本としているということを聴いたことがあり、私の当時から現在まで、だましだまし使っているステレオシステムでは、音像がくっきりしなかったり、定位があいまいだったり、楽器の分離があまりよくなかったりで、どちらかと言えば克明な録音が好きな方なので、あまりお気に入りのCDの中には入らなかった。

そんなわけでずっと聴いていなかったのだが、先日のアバドとのモーツァルトの協奏曲、ベートーヴェンの『月光』とルドルフ・ゼルキンを聴いてきて、久しぶりにこの協奏曲も聴いてみようと思った。

カップリングの第5交響曲には、ホームページで相当手厳しいことを書いているが、協奏曲の方は、ソリストの音楽性に影響されてか、楽譜をただ音にしたというような伝達内容のないような音楽にはなっていないのには安心する。ボリュームを上げても音響の粗がなく、音響的にはオーケストラの演奏も「美しい」とは言えるのだが、ベートーヴェンの音楽としては、柔和過ぎる音色で、立体感の少なさも物足りなさを生み出しているように思う。

1903年生まれのゼルキンは、録音当時77歳か78歳だったわけだが、たった二日の録音セッションにもかかわらず、闊達で安定感のあるピアノを聴かせてくれているのは素晴らしい。恐らくそのキャリアの中で何十回、いや百回以上も多くの指揮者、オーケストラたちと演奏し、すっかり自家薬籠中の物になっている曲だろうに、今この曲が生まれたかのように瑞々しい感性で演奏できているというのは驚異的だ。第2楽章のトリル、単純な音型の繰り返しでも音楽の喜びや意味が伝わってくるかのようだ。第1楽章も勿論立派な音楽だが、第2楽章の静寂から一転喜びの爆発のような躍動的なロンド主題の提示では、ゼルキンの強い打鍵によるピアノの和音が素晴らしい。続く経過部では指捌き的に少し苦労しているように聴こえるフレーズもあることはあるが、生命力と輝きに満ちたピアニズムで、このピアノの透明な音色を捉えたテラーク録音にも感心する。

小澤の指揮が、もっとソリストに遠慮がちに寄り添うのではなく、自己主張の強いものなら、この録音ももう少し聴き応えのあるものになったかも知れないと思うと少し惜しい気もする。第3楽章などはオーケストもよく鳴ってはいるのだが、もう一つ力強さが感じられないのは、録音の所為なのかも知れないし、この頃の小澤の古典への自信のなさの現われかも知れないなどと少しきついことを書いたりもしてしまう。

それでも、久しぶりに聴くゼルキンの『皇帝』は、充実した音楽だった。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番の記事
*2007年7月12日 (木) セルとギレリスの『皇帝』(米EMI盤)


2008年7月17日 (木)

オーヴェルニュの歌 デ・ロス・アンヘレス

Chants_dauvergne_de_los_angeles

マリー=ジョゼフ・カントルーブ=ド・マラレ(Marie-Joseph Canteloube de Malaret)編曲 

オーヴェルニュの歌 (Chants d' Auvergne)

ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス Victoria de Los Angeles (ソプラノ)

指揮: ジャン=ピエール・ジャキャ Jean-Pierre Jacquillat
コンセール・ラムルー管弦楽団 Orchestre des Concerts Lamoureux
〔1969年2月10日-19日、9月9日-17日 録音〕

夏に涼風を運んで来てくれる音楽としては、水や山に関係のあるものが多いけれど、この歌曲集は、フランスのヘソと呼ばれるオーヴェルニュ地方に伝承された歌(民謡)を、(通常カントルーブ編と略されるが実は上記のように大変長い名前の)作曲家が、収集、編曲(オーケストレーション)した全5巻27曲の歌曲集が「オーヴェルニュの歌」だ。あの「フランスの山人の歌による交響曲」を作曲したヴァンサン・ダンディに師事したことも、民謡に目を向けさせた要因のひとつだろうか。

このビクトリア・デ・ロス・アンヘレスのEMI盤は惜しいことに全曲は収録されておらず、24曲が収録されている。

オーヴェルニュ地方は、ミネラルウォーターVolvic が採取される ヴォルヴィックという村があるいわゆる火山性の中央高地で、日本で言えば長野・山梨・岐阜辺りの高原地帯のようなところだろうか。この曲集は、オーヴェルニュ方言ということもあり、詳しい解説と対訳はついていても、いつも聞き流すだけなのだが、春、秋、冬よりも夏に聴きたくなる。カントルーブのオーケストレーションの特色なのだろうが、爽やかな山を渡る風が身体を包むような感じを受けるからだ。

第1集の有名な「バイレロ」だけでなく、第3集「牧場を通っておいで」、第4集「牧歌」などいつ聴いても爽快な気分になれる。

絵本『木を植えた男』(ジャン・ジオノ作)は、このオーヴェルニュ地方よりも南、アルプスと地中海に囲まれた荒々しい自然のプロヴァンス地方(あのビゼー・ドデーの「アルルの女」のアルルもこの地方の町)の荒蕪の地での感動的な物語だが、『オーヴェルニュの歌』の牧歌的な明るさの間に見られる陰りは、やはり山地特有の自然の厳しさも感じさせないではない。

高温多湿の日本の夏だが、私の故郷の信州の高原は高燥な気候で降雨量も全国的にも意外なほど少ない。特に軽井沢などの浅間山麓から上田に掛けての佐久・小県地域は、標高の高さと降雨量の少なさで、本当に避暑には適した場所なのだろう。

軽井沢は、英国の宣教師ショーが避暑地として紹介するまでは、避暑などという習慣もなく、中仙道の重要な宿場町とは言え碓氷峠や和田峠という難所を控える高冷地として非常に物寂しい地域だったようだ。その後、外国人に続いて日本のブルジョア階級や文人達が訪れ、避暑地として活況を呈すわけだが、最近はバブル期のような繁華さは少しは納まって相当落ち着いたというか沈滞した雰囲気になってきて私的には結構好ましい(地元経済とか言うと話が複雑になるが)。

この軽井沢というよりも浅間山麓のどこかの眺めのよい場所で、この曲を聴けたら楽しいことだろうと想像する。残念ながら私の実家からは浅間山は眺められるが、いわゆるパノラマ的な風景が見える場所ではないので、このCDをクルマに積んで行って、第4集の「向こうの谷間に」あたりを聴きながら見晴らしのいい山道を走りってのんびりするのもいいかも知れない。

聴きながらいつの間にか夢想の中に入ってしまった。この夏も帰省する予定だが、原油高騰とは言え、この時期だけは道路も鉄道も混むことだろうと思うと現実に引き戻される。

追記:ブログで「オーヴェルニュの歌」を検索したところ、TARO'S CAFE オーヴェルニュの歌 ~名画と名曲・42という面白い記事を見つけ読ませてもらった。

2008年7月16日 (水)

良寛さんとモーツァルトは同時代人だった!

先日、新聞の雑誌・書籍広告に、今年2008年が良寛禅師の生誕250年と出ているのを見つけ、「そうか! 良寛さんはモーツァルトの同時代人だったのか!」とユーレカ(ユリイカ)した。
良寛さんは、1758年に生まれ、1831年に没した。W.A.モーツァルトは、1756年に生まれ1791年に没している。良寛さんは比較的長生きだったので、ベートーヴェンとも同時代人ということになるし、ハイドンやシューベルトとも同時代人だったとも言えるようだ。

以前、八代将軍徳川吉宗の生没年1684-1751 がJ.S.バッハ 1685-1750 とほぼ同じだという「発見」をしたことがあったが、そういう同時代人を挙げ始めれば切がないけれど夏目漱石(1867-1916)とマーラー(1860-1911)などもほとんど生涯が重なっている。

ただ、良寛さんといえば、子ども向けの簡単なエピソード程度しか知らず、越後の国上山五合庵をドライブの時に立ち寄った程度で、歌人、書家としての著名な業績もよくは知らないでいる。書の魅力は不思議な天衣無縫さにあるとされるようだが、そこからの連想で今晩は、モーツァルトのセレナード第13番 ト長調 K.525 を ブルーノ・ワルター(ヴァルター)指揮コロンビア交響楽団という少々オールドスタイルの名盤で聴いてみたくなった。

Walter_eine_kleine_nacht_musik いわゆる「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」 Eine kliene Nacht Musik 音楽之友社版の古いポケットスコアには、直訳で「小夜曲」とあったのを思い出すようなロマンチックなスタイルの演奏が聴ける。左のパンフレット写真は、正規盤ではなく "The great collection of classical music" 所収のものだが、CD自体はCBS Sony の制作になるもの。このK.525以外にも、『劇場支配人』、『コシ・ファン・トゥッテ』、『フィガロの結婚』、『魔笛』の序曲と、K.477の『フリーメーソンのための葬送音楽』が収録されており、モーツァルトを得意とした名指揮者の晩年の「天衣無縫」な境地を聴くことができる。

ピリオド・アプローチの以前から、K.525は、弦楽四重奏や小編成の弦楽合奏でも演奏され、マリナー/ASMIFや、イ・ムジチなどによる小気味よい爽快な演奏がどちらかといえば主流で、それ以後のホグウッドやコープマンなどのピリオド・アプローチの演奏は少ししゃきしゃきし過ぎて聴き疲れがすることがあるが、このワルターの演奏はワルター流の低弦の強調と、思いを込めたフレージング、ゆったりとしたテンポで、至芸を尽くした「天衣無縫」さを楽しむことができるように思う。

2008年7月15日 (火)

名曲探偵#9『月光』の回をようやく見終えた

7/13(日)夜11時からの 事件ファイル #9 ベートーベン「ピアノ・ソナタ“月光”」 ~狙われた花嫁 ~ 依頼人:曽名田 ひかる(西尾まり) 職業:OL再放送のビデオ録画は、今度は時間のずれもなく収録でき、前回の続き、仲道郁代氏が第3楽章が(表情記号)のピアノがベースで、小出しに爆発(スフオルツァンド)によって劇的な緊張を生み出していると、語るところあたりから見始めた。

激しさ、怒りを思わせるような音楽。強弱の絶妙なコントラスト。

その前、桐朋学園大学の音楽史の西原教授は、この曲の前衛性ということを言っており、1800年代のヴィーンはもっとも前衛や革新的なものを好んだ特異な時代で、ベートーヴェンの革新性もそこではぐくまれたというようなことを語っていた。いわゆる市民革命時代で、主役となったブルジョアたちは従来の音楽では飽き足らなくなったという時代風潮があったという。

さて、仲道氏による第3楽章のレッスンだが、彼女はこの楽章に「焦燥感、苛立ち、決然としていない秘められた熱情」を感じるという。一筋縄ではいかない曲だとのことだ。ピアノとスフォルツァンドの対比のないフォルテだけの冒頭部分を演奏してみてもくれたが、確かにピアノとスフルツァンドの対比の効果がよく分かる。

先日アラウのNo.13-No.15を聴いたが、これらのピアノソナタは、1801年の作品であり、1802年の「ハイリゲンシュタットの遺書」の前年であり、ベートーヴェンが自殺をさえ考え、さらに最愛の女性ジュリエッタを失った年でもあったことも、この「月光」ソナタの内容に影響を与えているとも、探偵は語る。しかし、その「遺書」で、作曲家は、「自分のもてるすべてを出し切ってしまうまではこの世を去ることはできない」と決心をする。過去を振りきり、新たな音楽を作る決意が表れた時期であり、「月光」ソナタの革新性はその前駆とも言えるのかも知れないとのことだ。

その意味では、同じ作品番号を持つ第13番も幻想ソナタという意味では革新的と言えるが、第15番の「田園」の穏やかな情緒を、このストーリーの中でどう位置づけるかは少々難しい問題になるように感じた。

ところで、花嫁の元彼による「月光」ソナタのはなむけ演奏は、「大切な女性を失った悲しみから立ち直り、一人で生きていく決意を表し、新しいステージに登る花嫁への精一杯のはなむけ」の演奏だろうという推理が示され、これを聴いて花嫁も吹っ切れたようだった。

仲道郁代氏の第3楽章全曲の演奏は、非常に気合の入った聴き応えのあるものだった。さすがに32曲全曲の録音を果たしただけのことはある。演奏にみなぎる緊張感は、スタジオ収録のテレビ用とは思えないほどの凄みがあった。

ドラマのエピローグとしては、披露宴に飛び入りしたカノン嬢は、花嫁のブーケを受け取り、事務所でアマデ探偵に盛んにアピールしていたが、二人の間柄はどうなるのだろうか、ということなのだろうか。ここでは、モーツァルトの第15番のハ長調の優しいソナタの第1楽章が流されたいたのだが。

Rserkin_beethoven8_14_23_24 音盤は、今晩は、ルドルフ・ゼルキンの録音のものを久しぶりに取り出した。

1962年12月のCBSへの録音。ベートーヴェンを得意にして、先日の青柳いづみこ氏の著書では、ホロヴィッツとゼルキンのバトルで紹介されているように、1920年代からドイツ音楽を中心に活動してきたにも関らず、とうとうベートーヴェンのソナタ全集の録音は残さなかった大変慎重過ぎる(一方では、音楽院での教授やマールボロ音楽祭で多忙だったという話もある)ピアニスト。

特に第1楽章などこの上なく荘重な趣を湛えているし、音色も重厚だ。アタッカで続く第2楽章は、リズム的に少々重さが感じられないではないが、第1楽章の荘重さからガラッと気分を変えている。そして、今回の番組の中心だった第3楽章、粒立ちのよい音でピアノとスフルツァンドの対比が鮮やか。そして、非常に生真面目な音楽を感じる。その演奏を前にして襟を正すような音楽を聴けるということはそうあるものではないように思うが、ゼルキンの場合にはそれがある。ベートーヴェンらしいベートヴェンというのは、このような演奏を言うのかも知れない。

2008年7月14日 (月)

日本語学者 大野晋氏の逝去を悼む

高校生ごろから大学生ごろまで、いわゆるアイデンティティの確立期だったのだろうが、日本語の成立、日本語の語源、日本語の由来等々に興味を持っていたときに出会ったのが、大野晋『日本語の起源』(岩波新書青版)だったと思う。日本語の語彙が、南インドのタミル語に大変共通性があるというショッキングな学説だった。学問的な想像力の点では凄いと思ったが、語彙が似ていても文法はどうなのだろうというクエスチョンが残ったように思う。

近年ベストセラーになった『日本語練習帳』は購入したが、よい生徒ではなく、途中で中断中である。

とは言え、88歳の大往生だったとのこと。御冥福を祈りたい。

ところで、日本語という世界的にも不可思議な言語を操るユニークな民族に属する自分としては、アイヌ語、朝鮮語等との比較研究の方がどうなっているのかが興味がある。最近の研究では、ジャポニカ種の起源も遺伝子的に改められようとしているようだが、それらをもたらした弥生人とそれ以前に旧石器時代から日本列島に居住していた人々(その子孫が縄文人だろうか)との融合した民族が、現在の日本人の主流の祖先なのだろうか。

ブリテン島、アイルランド島が多くの周辺諸民族の坩堝となったように、日本列島も同じく、北から、南から西から、東から訪れた諸民族の坩堝であったことだろう。

朝鮮語とは、いわゆる文法的な語順がそっくりだというのだから、そうとうの近似性があるのだろうし、アイヌ語からは多くの語彙を受け継いでいるという。近世・近代の不幸な侵略、抑圧等の関係から、相互の語学研究にはなんらかのタブーがあるのかも知れないが、日本語がバスク語のような世界の孤児的な言語ということはないように思うのだが。

ただ、朝鮮語(韓国語)は、初歩のハングルから勉強しようとして、何度も躓いてしまっている。必要性の問題もあるのだろうが、合理的に作られた文字とは言え記憶力がついていかないのは不思議だ。ハングルが読めなくても、会話を習うことは可能だろうとは思うけれど、なかなか先に進まない。

2008年7月13日 (日)

名曲探偵アマデウス#11見逃したが、今晩は#9をしっかり見よう 

事件ファイル #11 ベルリオーズ「幻想交響曲」 ~恐怖の妄想デート~  依頼人:夢見宅夫(坂本真) 職業: 会社員 BS2では、先週7/6(日)夜11時から放送していたのに、うっかり見逃してしまった。

しかし、今晩 7/13(日)夜11時から 事件ファイル #9 ベートーベン「ピアノ・ソナタ“月光”」 ~狙われた花嫁 ~ 依頼人:曽名田 ひかる(西尾まり) 職業:OL が再放送される。前回の放送のときには、後半部分が番組時間の変更のため録画できておらず、事件の結末も分からずじまいだったので、今晩はしっかり見てみようと思っている。

『幻想交響曲』も、若い頃には結構はまっていて、その後ずっと離れていたが、最近になってまた少し聴く機会が増え、ミュンシュ/パリ管やモントゥー/サンフランシスコ響の名盤や、カラヤン/BPO、プレートル/ヴィーン交響楽団の録音など少し珍しいものなども、以前のクリュイタンス/フィルハーモニア管などと聴き比べたりもしているので、また再放送があればと思っている。

小澤征爾も、師でありBSOの先任者であったミュンシュと同様、ベルリオーズを得意としており、BSOやトロント響との録音があるのだが、両方とも保有していない。先日入手したEMIレーベル録音の小澤征爾の若い頃の録音が、意外にも爽快なものが多く「これなら、この頃の小澤征爾が世界的に注目されたのも無理がないほどの魅力を十分備えた録音だ」と思ったこともあり、『ファウストのごう罰』なども一緒に聴いてみたいものだと思っている。

2008年7月12日 (土)

CMでよく使われるロッシーニの序曲(カンテルリ指揮)

Cantelli_rossini_mendelsshon_beetho 最近の東京海上日動火災保険の自動車保険のコマーシャルで、生まれたばかりの赤ちゃんたちが、「保険に入っていない車には、乗車拒否をします。泣きます」と会話をするのが可愛いものがあるが、ここで流されている音楽がロッシーニの歌劇「泥棒かささぎ(La Gazza Ladra)」の序曲の一部だ。

この曲は、結構いろいろなコマーシャルに使われていて、以前にも自動車(マツダ?)か何かに使われていたように思う。CM制作者には人気曲なのだろうか?

この音楽、そのように人口に膾炙しているのに、意外にもというか偶然なのか、所持している『ロッシーニ序曲集』 ジェルメッティのものとカラヤンのもののどちらにも収録されておらず、Testament がグィド・カンテルリの『イタリア交響曲』と不幸にも第1楽章だけが収録されていないベートーヴェンの第5交響曲のカップリングの第1曲目に、モノーラル録音で収録されているものを持っているだけ。オーケストラは、フィルハーモニア管弦楽団(SBT 1034)。

1952年10月22日 ロイヤル・フェスティバル・ホールでの録音というデータが書かれている。

このCDは、トスカニーニの再来、後継者と呼ばれた若き天才カンテルリの『イタリア交響曲』を聴きたくて購入したのだが、意外に開放的で大雑把な仕上げの演奏に聴こえ残念に思ったものだった。しかし、この『どろぼうカササギ』序曲は、非常ににご機嫌なロッシーニクレッシェンドのオンパレードで爽快だ。トスカニーニのように細かい磨き上げやバランスには拘泥しなかったタイプだったのだろうか、ブリオの輝きをもって一気呵成にクライマックスまでもっていくのは、とても楽しい。

ケルテスの不慮の事故もそうだが、この1920年生まれのカンテルリが1956年のパリでの飛行機事故で夭折しなければ、その後の指揮者界の音楽地図が変わっていたかも知れなかったと言われるほどの逸材だった天才を思い出すよすがになるCDだが、この楽しい序曲を聴くために時々取り出して聴いている。

2008年7月11日 (金)

祝 IMSLP復活

International Music Score Library Projectがこの6月30日に復活したという。パブリックドメインとなった楽譜が閲覧できる優れものサイトで、バッハもモーツァルトもベートーヴェンもpdfファイルをダウンロードすれば、楽譜をPC上で閲覧できる。ただ、20世紀の作曲家は没後50年保護と70年保護の国で扱いが異なり、一年以上法的問題を抱えて閉鎖されていたのが、ようや再公開されたようだ。

早速つないで、バッハの楽譜をダウンロードしてみたのだが、Acrobat readerのバージョンが原因なのか(現在8.0を使用)、ダウンロードした楽譜を開くことができなくなってしまった。

以前IMSLPが活動していたときにダウンロードした楽譜は8.0でも問題なく見られるので、何か設定が変わってしまっているのかも知れない。いろいろ試してみよう。

と、書いたばかりで、恥ずかしいが、こちらがFirefoxを使っているのをすっかり忘れていた。ダウンロードの方法がIEと少し違うだけだった。ちゃんとダウンロードできた。

2008年7月10日 (木)

シチューの人参とエラーCD

今晩の夕飯は、次男の好物のクリームシチューだった(いわゆる家庭用のルーを使ったものだが)。実家の家庭菜園から玉ねぎの出来がよかったということで大量に玉ねぎが送られてきて、それを沢山入れたシシューだったのだが、妻が人参がないことを忘れており、人参を入れずにシチューを作った。

食卓に出されたときには、彩りに乏しい程度の感想で、珍しいねなどと言っていたが、私も子ども達も当の妻も、味がいつもと違うと感じたようで、それぞれちょっと美味しくないねと言い出した。

これは、やはりどうも人参が入っていなかったのが原因のようだ。人参自体、このようなカレー、シチューのような料理の主役ではないが、少々子どもを人参嫌いにするあの香味というか臭みが味を引き締めるような役割をしてくれているらしい。まあ、これがスパイシーなカレーだったら(インド風の本格カレーには人参の姿を見ることはないようだ)あまり気にならなかったのだろうが、それでも意外な人参の力を改めて見直した次第だ。

Ozawa_conducts_1 さて、今日はセット物のCDで以前から欲しかったものがブックオフに出ていたので購入して一枚目から聴いてみたのだが、その最終トラックの一番最後のところで音飛び、音切れがして先に進まない。中古品なので、軽い傷かと思い、以前モーツァルトのハイドンセットを救済してくれた中国製のディスクリペア機を久々に取り出し、クリーニング、リペア、研磨とやってみたが、どうしても改善されない。よくよく見ると、最外周部のアルミ蒸着の部分がほんのわずか切れ込みが入ったようにアルミが欠損しているのが見つかった。どうもこの部分でデータが途切れてしまうらしい。全三曲入っており、前の二曲はなかなかの録音、演奏で、三曲目も少し物足りないと思いつつ、終楽章は結構いい感じで盛り上がってきた最後の最後なので、ちょっとがっかりだった。

2008年7月 9日 (水)

病の回復を願い ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番を聴く

Beethoven_lat_sq第3楽章に「病い癒えたる者の神への感謝の歌」が含まれるため、今晩はこのCDを取り出して聴いている。

先日も記事にしたアルバン・ベルク・クァルテットの1970年代後半から1980年代初めに掛けてのベートーヴェン弦楽四重奏曲全集の後期第12番から第16番が収録されている。

この深遠、孤高でユニークな作品群の中では、第14番にどういう縁か長らく親しんではいるが、恥ずかしながら、他の番号は、単一楽章『大フーガ』を除いて、曲を暗記するほど聴きこんではいない。

自分のホームページ(最近まったく更新していない)のベートーヴェンのページに作品年代表を多少の誤差はあるがまとめてみたことがある。 (今回も無理やりエクセルファイルをワードに貼り付けてHTMLを生成させたものを貼り付けてみたが、膨大なコードになってしまった。)

伯母の手術が本日成功したとの知らせをさきほど実家から受け、その回復を願い、この曲を聴いている。霊験あらたかなという神秘的な効果は求めてはいないが、下記の作品表にもあるように、一時期まったくスランプ状態になり、浮浪者のような姿でヴィーンをうろついていた作曲家が、また創作力を復活させ、それまでの形式と内容の黄金バランスを崩してまで、融通無碍な境地を展開したこの後期の弦楽四重奏曲とピアノソナタ群は、音楽家の晩年の達成という点では比類のないものだと、素人ながら思う。


作品年表

 

 

 

 

 

 

 

 

年代

年齢

出来事

交響曲

協奏曲

弦楽四重奏曲

室内楽、アンサンブル

ピアノソナタなど

その他

1770年

0

誕生12/16

 

 

 

 

 

 

1771年

1

 

 

 

 

 

 

 

1772年

2

 

 

 

 

 

 

 

1773年

3

祖父ルートヴィヒ没12/24

 

 

 

 

 

 

1774年

4

 

 

 

 

 

 

 

1775年

5

祖母マリア・ヨゼファ没9/30

 

 

 

 

 

 

1776年

6

 

 

 

 

 

 

 

1777年

7

 

 

 

 

 

 

 

1778年

8

 

 

 

 

 

 

 

1779年

9

 

 

 

 

 

 

 

1780年

10

 

 

 

 

 

 

 

1781年

11

 

 

 

 

 

 

 

1782年

12

 

 

 

 

 

 

 

1783年

13

 

 

 

 

 

3つのソナタ「選帝侯ソナタ」

 

1784年

14

 

 

 

 

 

 

 

1785年

15

 

 

 

 

 

 

 

1786年

16

 

 

 

 

 

 

 

1787年

17

ヴィーン訪問 4/7、母マリア・マグダレーナ没7/17

 

 

 

 

 

 

1788年

18

 

 

 

 

 

 

 

1789年

19

 

 

 

 

 

 

 

1790年

20

 

 

 

 

 

 

 

1791年

21

モーツァルト没12/5

 

 

 

 

 

 

1792年

22

留学のためヴィーン到着11/10、父ヨハン没12/18

 

 

 

弦楽三重奏曲第1番

 

 

1793年

23

 

 

ピアノ協奏曲第2番Op.19

 

 

 

 

1794年

24

 

 

 

 

 

 

 

1795年

25

 

 

ピアノ協奏曲第1番Op.15

 

ピアノ三重奏曲第1番から第3番

1番から第3番

 

1796年

26

 

 

 

 

ピアノ五重奏曲Op.16、Vcソナタ第1~2番

20番、第19番

 

1797年

27

 

 

 

 

ピアノ三重奏曲第4番「街の歌」

4番、第6番

 

1798年

28

 

 

ロマンス第2番

 

Vnソナタ第1~3番、弦楽三重奏曲第2~4番

5、7、8「悲愴」、9番

 

1799年

29

 

 

 

 

 

10番

 

1800年

30

 

1番Op.21

 

1番から第6番

七重奏曲,Vnソナタ第4、5番「春」

11番

バレエ「プロメテウスの創造物」

1801年

31

 

 

ピアノ協奏曲第3番

 

 

12、13、14「月光」、15番「田園」

 

1802年

32

ハイリゲンシュタットの遺書10/6

2番Op.36

ロマンス第1番

 

バイオリンソナタ第6~8番

16、17「テンペスト」、18番、「プロメテウス」変奏曲

 

1803年

33

ヴァン・スヴィーテン男爵没3/29

 

 

 

バイオリンソナタ第9番「クロイツェル」

 

「オリーヴ山上のキリスト」Op.85

1804年

34

ナポレオン皇帝即位5/18

3番Op.55「英雄」

Vn,Vc&Pf三重協奏曲

 

 

21「ヴァルトシュタイン」、22番

 

1805年

35

ナポレオンヴィーン入城11/14

 

 

 

 

23番「熱情」

歌劇「レオノーレ(フィデリオ)」

1806年

36

ナポレオン ベルリン占領10/27

4番Op.60

ヴァイオリン協奏曲Op.61、ピアノ協奏曲第4番

7番から第9番「ラズモフスキー」

 

 

「コリオラン」序曲

1807年

37

 

 

ピアノ協奏曲ニ長調Op.61

 

 

 

 

1808年

38

 

5番Op.67「(運命)」、第6番Op.68「田園」

 

 

ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」、第6番、チェロソナタ第3番

 

合唱幻想曲ハ短調Op.80

1809年

39

ナポレオン軍ヴィーン占領5/13,ハイドン没5/31、仏墺戦闘7/5

 

ピアノ協奏曲第5番Op.73

10番「ハープ」

 

24「テレーゼ」、25番

 

1810年

40

 

 

 

11番「セリオーソ」

 

26番「告別」、エリーゼのために

「エグモント」

1811年

41

 

 

 

 

ピアノ三重奏曲第7番「大公」

 

「アテネの廃墟」「シュテファン王」

1812年

42

「不滅の恋人への手紙」7/6、仏軍モスクワ入城9/14、仏軍冬将軍により撤退開始10/19

7番Op.92、第8番Op.93

 

 

ヴァイオリンソナタ第10番

 

 

1813年

43

ビトリアの戦い(ウェリントンの勝利)6/21、諸国民の戦い10/16

戦争交響曲(ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い)Op.91

 

 

 

 

 

1814年

44

ナポレオン退位4/11、「フィデリオ」上演成功5/23、ヴィーン会議9/18

 

 

 

 

27番

 

1815年

45

ナポレオンパリに戻る3/20、ワーテルローの戦い6/18

 

 

 

チェロソナタ第4、5番

 

「命名祝日」序曲、「静かな海と楽しい航海」

1816年

46

発熱性の病気にかかる10/6

 

 

 

 

28番

 

1817年

47

 

 

 

 

 

 

 

1818年

48

 

 

 

 

 

29番「ハンマークラフィーア」

 

1819年

49

 

 

 

 

 

 

 

1820年

50

 

 

 

 

 

30番

 

1821年

51

メッテルニヒ墺宰相に就任5/25、ヴェーバー「魔弾の射手」初演6/18

 

 

 

 

 

 

1822年

52

 

 

 

 

 

31,32番

「献堂式」序曲

1823年

53

 

 

 

 

 

ディアベリ変奏曲

ミサ・ソレムニスOp.123

1824年

54

第九初演 5/7

9番Op.125

 

12番

 

 

 

1825年

55

 

 

 

15番

 

 

 

1826年

56

 

 

 

13、14、16番、「大フーガ」

 

 

 

1827年

57

ベートーヴェン 56歳で没 3/26

 

 

 

 

 

 

 

 

検死の結果死因は肝硬変3/27

 

 

 

 

 

 

 

 

葬儀3/29

 

 

 

 

 

 

2008年7月 8日 (火)

プレヴィン/LSOのヴォーン・ウィリアムス『南極交響曲』

Previnrvwilliamsnr8antartica

R.ヴォーン=ウィリアムズ (1872-1953)
 南極交響曲(交響曲第7番)

 交響曲第8番ニ短調

 アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団
  ヘザー・ハーパー(S) 、アンブロージアン・シンガーズ、サー・ラルフ・リチャードソン(ナレーター) : 南極交響曲

  〔1968年9月14、15日:南極交響曲、1968年3月20日:第8番〕 RCA R25C-1047 (6781-2-RG)

2006年に、上野の東京国立科学博物館の南極展を家族で見学に行ったときに、改めて日本の白瀬隊など南極探検関連について、WIKIPEDIAなどで調べたり、WIKIPEDIAを編集などした。『南極のスコット』に関連した自分の記事 にもあるが、レイフ・ヴォーン=ウィリアムズが映画音楽として作曲したものを新たに交響曲としてまとめたものだという。奇しくも7月の7番の一つになっている。

RVW といえば、『グリーン・スリーヴズ幻想曲』のみで親しかったが、ようやく『タリスの主題による変奏曲』や交響曲第5番などを聴くようになった。

西日本は、梅雨明けが進んでいるようだが、東北日本と西日本に挟まれた中部、関東あたりでは、冷気と暖気の衝突で、上昇気流が出来てしまい、各地で豪雨になったりしている。水の循環が盛んに行われているわけで、これが夏の特徴でもあるが、ちょうど南極は真冬に突入しており、先日子ども達とWiiの世界天気予報で南極点の気象を見てみたところ、最高気温、最低気温ともマイナス40℃前後だった。地球温暖化の進行は、以前は少なからず懐疑的だったが、今では疑いようのない変動のように思い始めている。昨今の化石燃料特に原油価格の高騰は、純粋に経済現象なのだろうが、ガイアという生命体のある意思が働いているとも言えるかも知れないなどと思ったりもする。ただ、縄文時代の海進にも見られるように、地質年代的にも短期間で、寒暖の波があるので、ガイアにとっては、このくらいの上昇は経験済であり、それをガイアの意思だと見る考え方はあまりにも人類中心に過ぎるかも知れない。

リチャードソンの渋い声の語りに続き、音楽が奏でられる。五楽章になっており、第1楽章は、Prelude Andante maestoso。 第2楽章は、Scherzo : Moderato ; Poco animato。

さて、現在南極交響曲は、第3楽章(Landscape : Lentoと名付けられた部分)にかかっている。初めて聴くので、あまり細かいところまでは分からず、単純な好みから言っても、そう面白そうな音楽ではないが、南極の氷原や、巨大な氷山の風景を脳裏に浮かべながらこの音楽を聴けば、確かに脳内南極映画が見られるような音楽ではある。楽章の終りの方では、パイプオルガンの荘厳な和声が鳴り響き、そこに不思議な金管のような音がかぶさるが、大層不思議な音楽だ。

第4楽章 Intermezzo (間奏曲)という題名で、Andante sostenuto という発想記号。第5楽章は、最終章で Epilogue : Alla marcia moderat (ma non troppo) 。悲劇に終わったスコット隊の最後を描いているのだろうか。最後にはソプラノとコーラスとウィンドマシーンにより、嘆きの歌がヴォカリーズで歌われる。

1911年12月14日ノルウェーのアムンセンに先を越されて、1912年1月には南極点に到達をしたものの、その帰路とうとう全隊員が凍死したのだった。

第8交響曲は、80歳代のRVWによる作品で、四楽章制をとっているが、変奏曲形式のFantasia, 行進曲風のスケルツォ、カヴァティーナ(アリア、叙情的な短い器楽曲)、そして最後にトッカータで締めくくられるというユニークな構成になっている。(グリーン・スリーヴズ幻想曲を除き)これまで聴いてきたRVW作品の中では一番分かりやすいというかとっつきやすいもののように聴こえる。

プレヴィンは、イギリス生活が長かったわけだが、このロンドン響との全集は、彼がロンドン響首席指揮者時代に行われたものだという。ベルリン生まれのユダヤ人で、アメリカ育ち、最初はジャズのピアニスト、作曲家、編曲家として活躍を初め、クラシック畑で大成した音楽家だが、よほどRVWの音楽とは相性があったのだろうか。

2008年7月 7日 (月)

7月7日 15分間のライトダウン参加

北海道洞爺湖サミットが開幕した。今年の初めにいろいろな行事を調べる都合があり、ネットで国際会議の予定などを見ていたら、このG8の首脳会議のほかにも春から全国各地で様々な主要国の大臣級会合が持たれていて、このサミットがそのしめくくりの意味を持つらしい。

京都議定書のプロトコルにしたがってCO2の削減に先頭に立つべき日本ではあるが、その成果は芳しくない。先月6月21日の夏至の日と今日の七夕の夜に、ライトダウンキャンペーンを展開して、職場、家庭、の照明を落とし、そして観光地のライトアップを停めるという活動を行い、今日我が家でも、15分間だけ(本来は20時から22時が目標)参加してみた。ビデオや電子レンジなどの時計機能も結構明るいので電源を切り、その他の照明もほとんど落とすと、遮光カーテンのおかげで部屋の中は暗くなる。ただ、マンション街と幹線道路沿いなので、マンションの廊下の明かりは灯り、道路の街灯も灯っているため、町中が暗くなることは停電でもなければない。居間で、ランタンをともして、15分間だけ昔の夜を味わった。結構面白いもので、子ども達も普段よりも饒舌だったりした。ぼんやりとしたランタンの明るさの中にいると精神的にも落ち着くようで、その後昼光色の蛍光灯をともすと、現実に引き戻されて、いつものストレス気味の感情が復活するようだった。不便さを捨て、便利さをえらんだが故に、失ったものは数多いのだろうが、夜の明るさもそのひとつなのだろうと思う。

カテゴリー的に盛りだくさんなのは、このライトダウンが多くに関るためだが、もう一つ、帰宅時にブックオフで、須永朝彦『ルートヴィヒⅡ世』(新書館)を入手したことによる。先々週の土曜日の朝日新聞のbeでは、『ローエングリン』の結婚行進曲が取り上げられ、ヴァーグナーとルートヴィヒ二世のことが結構詳しく書かれていた。あのノイ・シュヴァン・シュタイン城をしばらく前の世界の城郭特集で見て驚いたが、ヴィスコンティの『ルートヴィヒ』を見た頃には知らなかったことも結構断片的な知識で入っているので、ちょうどこの伝記が目に入り求めたのだった。この土曜日には、オペラのさわりの一貫で、『ヴァーグナー入門』を聞いたりしたのも何か縁がありそうだ。

今年から、パイロイト音楽祭も有料ネット中継を始めるという。先のショパンコンクールでのネット中継は無料提供でもあり、大層盛り上がったが、今回は何の演目だったか(マイスタージンガー?)、8000円程度をネット決済する必要があるというので、二の足を踏んでしまう。この『ルートヴィヒⅡ世』を読み、ミチョランマの一つでもある、カルロス・クライバーの『トリスタンとイゾルデ』でもリブレット片手にじっくりと聴いてみる方が自分にとってはよさそうだ。

2008年7月 6日 (日)

7月の7番は ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第7番

Beethoven_mid_sq 7番という番号は、交響曲作家なら(ハイドン、モーツァルトは別にして)ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、マーラー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、シベリウスなどが思い浮かぶが、弦楽四重奏曲の著名な作曲家としては、(これまたハイドン、モーツァルトを別にして)、ベートーヴェンのほかは、ショスタコーヴィチくらいだろうか。(シューベルトも相当の数の弦楽四重奏曲を残していたのを忘れていた。第13番が『ロザムンデ』、第14番が『死と乙女』など)

ショスタコーヴィチのは、Brilliant のルビオ・カルテットの全集を購入してはいるのだが、ミチョランマ状態でもあり、昔からずっと愛好してきたこのベートーヴェンのラズモフスキー1番を聴いてみようと考えた。

現在、手元にある音盤としては、アルバン・ベルク・クァルテットの1970年代EMI録音(スタジオ)のみ。LPでは、当時非常に人気のあったスメタナ四重奏団のDENONのヨーロッパPCM録音シリーズのもので、これはエアチェックしたテープでもよく聴いたため、この曲にとっての刷り込みスタンダードとしていまでも、この曲の基準になっている。

その後、CD時代になり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲では、それまであまり聴いたことがなかった後期に挑戦してみようと、1980年代初期の録音の日本盤の東芝EMIのアルバン・ベルク・クァルテットの4枚組み12,000円で購入。この中では、ズスケ・クァルテット(ベルリン・クァルテット)のエアチェックで親しんだ第14番(全7楽章)を、やはりよく聴いた。この後期の後、長野市にも開店した新星堂で輸入盤を扱っており、同じアルバン・ベルク・クァルテットの中期3枚組みが、何と破格の4000円ちょっとで売っており、あまりの安さに思わずとびついた。当時は円が米ドル、ヨーロッパ通貨に対しても相当高い時代で、輸入盤が破格の値段で入手でき始めた頃だったように思う。(EMI CSA 7 47131 8  Made in W. Germany)

エアチェックの少々貧しいながらも明快な音と、LPの分解能のよい伸びのよい音響で聴けるスメタナ四重奏団のラズモフスキーの1番は、大人の風格で、しなやかな演奏なのだが、覇気よりも余裕を感じさせる演奏だったように記憶している。

それに比べて、1979年に Original sound recording made by EMI Records Ltd. と詳しい録音データが記されていないアルバン・ベルク・クァルテットの方は、各奏者の技量やアンサンブルの精密さ、滑らかさはスメタナ四重奏団とは違うと感じさせるものがあった。(後期の録音は、後年までヴィオラ奏者を務めて数年前惜しまれつつ亡くなったトマス・カクシュカ氏だったが、中期にはその前の奏者のハット・バイエルル氏がクレジットされている。)

吉田秀和氏も『私の好きな曲』で、この弦楽四重奏曲第7番ヘ長調「ラズモフスキー第1番」作品59-1を取り上げられ、詳細に論じられているが、エアチェックのスメタナQ盤で親しんだのは、そのエッセイを読む前で、その影響もないうちに、スコア(弦楽四重奏曲のものは薄くて比較的廉かった)も購入しながら、四つの弦の作り出す深く広い世界を味わうことを得た。

最初は、第1楽章の広々とした雰囲気の勇壮なソナタ楽章を好んだが、次第に、第3楽章のAdagio molto et mesto の、下を向き歯を食いしばりながらひたむきに歩き続けるような孤独な男の戦いを思わせる音楽が耳に染みてきて、毎晩のようにこの曲を聴いたことを思い出す。

弦楽四重奏曲における『エロイカ』的な飛躍の音楽(6番までは作品18のセット)であり、ベートーヴェンらしさが非常によく出た音楽でもあり、多くの名四重奏団によって録音、演奏されている名曲中の名曲であるが、今宵久しぶりに聴きなおして、その音楽の広さ、深さに驚きつつ、感動しているところだ。

このアルバン・ベルク・クァルテットも今年で解散(引退)とのことで、日本でのさよなら公演も行われたとの話を聞くが、1度だけ生で実演を聴いたことのある団体でもあり、その関係もありなかなか感慨深い。

2008年7月 5日 (土)

『四季』を題材にした曲集より『夏』の音楽

ヴィヴァルディの協奏曲集『四季』は、作曲者存命当時からパリあたりでも出版され、それをあの思想家・音楽家のジャン=ジャック・ルソーがソロフルート用に編曲して出版したという話は、以前海老沢敏氏の著作に書かれていたことに触れたが、先日の『忠実なる羊飼い』のように超多作家のヴィヴィアルディの名前は、当時相当知れ渡っていたようで、ヨーロッパ各地で愛好されたものらしい。そこで、あのヨハン・ゼバスティアン・バッハが、ヴィヴァルディの作品をオルガン用に編曲したり、自分の協奏曲様式の参考例として研究したのだろう。

ということで、『四季』といえば、ヴィヴァルディと条件反射になるのだが、その他先日挙げたチャイコフスキーのピアノ独奏用の『四季 Les Saisons』全12曲もあるし、あの『天地創造』と並ぶハイドンのオラトリオ『四季 Die Jahreszeiten = The Seasons』 日本語に直訳すれば、年間の時々ということなので、季節ということでよいのだろうか。ヴィヴァルディの場合には、イタリア語で四つの季節とはっきり書かれているので、四季でよいのだろうが、チャイコフスキーやハイドンの場合には、四季というよりも「季節」とした方がより正確なのだろうと思う。ただ、題名は、春、夏、秋、冬となっているので、四季の方がいいのかも知れない。(マリーナー盤で、約2時間強)

Haydn_jahreszeiten_marriner


また、少し珍しいところでは、アレクサンドル・グラズノフに バレエ『四季』 The Seasons Op.67という作品もある。(四つの部分に分かれており、アンセルメ盤では36分弱)

Ansermet_nutcracker_glazunov_season


沖縄、奄美地方(7/2)を別として、はっきりと梅雨明け宣言の出たのは四国地方だけのようだが、「平年に比べ13日、昨年に比べて19日も早い梅雨明けです。」ということで、少々勇み足気味の宣言のような気がしないでもない。

それでも関東地方も昨日、今日と30℃を越えるような最高気温を記録し、まだ暑さに慣れない身体が結構つらさを訴えている。クーラーを適当に使ってしのいでいるが、NHKの女性アナウンサーが言っていたように昨晩は本当に寝苦しかった。

チャイコフスキーの『四季(季節)』は、12ヶ月でが、露西亜暦によるのだろうか、夏至の頃の「白夜」が5月の題名になっている。これを現代の6月に当てはめると、原曲6月の『舟歌』は、現代の7月の水辺の風景になるのだろうか。チャイコフスキー的な物憂げな美しいメロディーでよく知られる曲だが、モスクワかペテルブルクの舟遊びの印象を音楽にしたものだろうか。薄暮の中を、ベネチアのゴンドラではないが、ゆったりと河を漂う納涼的なレジャーがあったものだろうか?

ペテルブルグの夏の川沿いの風景というと、ラスコーリニコフの歩みを想像してしまうのだが、ヨーロッパ大陸の内陸は、高緯度地方とは言え暑さが厳しそうで、あの小説から夏のあまり快適ではない香りが漂ってくるようだが、チャイコフスキーの曲では、そのような無粋さはたくみに避けられている。

グラズノフは、チャイコフスキーよりも25歳ほど年少の世代でリムスキー=コルサコフに家庭教師を務めてもらった神童で、ペテルブルク音楽院ではショスタコーヴィチの先生としても知られる作曲家であるが、あまり作品を聴く機会はない。この『四季』は珍しく冬、春、夏、秋の順になっているが、舞台作品としては、冬で静か(まはた荒々しく)終わるよりも、秋の収穫で賑やかに終わるほうがいいと考えたものだろうか。(アンセルメ/スイス・ロマンド管 UCCD-3037/8)。 

ハイドンの『四季』の『夏』は燃え盛る太陽と、日照り、雷雨(嵐)などを歌詞に託して表現している(マリナー/ASMIF PHCP-20169/70)。

ヴィヴァルディの『夏』もそうだが、農民的、牧歌的な表現では、夏は秋の収穫をもたらすための試練のような季節として見られていたような感じである。

2008年7月 4日 (金)

ブーレーズ/CLO(1969年)の『春の祭典』にセルはどのくらい関与したのだろうか

Boulez_clo_spirng 明け方の雷鳴と豪雨の後の急激な気温の上昇と晴れ間は、まるで梅雨明けのような感じだが、まだ時期的には梅雨の真っ最中。7月7日の七夕は、やはり旧暦で行うべきだろう。梅雨空でのランデブーでは牽牛と織女も哀れだ。

暑い夜は、暑い音楽で爽快になるという方法もある。そこで、暑苦しい音楽の代表格でもある『春の祭典』で以前から思っていることを書いてみようと思う。

ストラヴィンスキーの舞踊音楽『春の祭典』の演奏史(録音史)にエポックを画したピエール・ブーレズ指揮クリーヴランド管弦楽団の録音(手持ちは、NYPとの『ペトルーシカ(1911年原典版)とカップリングされた SRCR 2031 という1990年代末の発売のCD) だが、1970年に逝去した音楽監督ジョージ・セルはそのときには元気に活躍しており、1970年の日本の大阪万国博記念での初来日で数多くの名演を残し、帰国後多くのファンにとっては意外な急逝だったのだから、ブーレーズの録音にもセルは何らかの関与をしたのではないかと想像をたくましくしてしまう。

セルが遺したストラヴィンスキーがディスコグラフィー的にどのくらいあるかは興味があるが、『火の鳥』の1919年版組曲(1961年録音)をCDで聴いている。これがまた素晴らしく克明でダイナッミクな輝かしい演奏であり、セルとストラヴィンスキーの相性の良さを感じさせるものだけに、『ペトルーシカ』『春の祭典』などはコンサートに掛けたことがあっても不思議ではないように思うのだが、どうだったのだろうか。『魔王カスチェイの兇暴な踊り』などのリズミカルで斬り味の鋭い演奏など、そのまま『春の祭典』につながるような演奏に聴こえる。

さて、ブーレーズの『春の祭典』は、1969年7月28日(としか書かれていない)にクリーヴランドのセヴェランス・ホール(クリーヴランド管の本拠地)で行われたと書かれている。演奏史を画するような録音が、たった一日のセッションで行われたということは、その当時のクリーヴランド管の実力というものを抜きに考えることはできないだろう。

ブーレーズは、1967年から1972年までクリーヴランド管の首席客演指揮者を務めており、セル急逝後のクリーヴランド管を支えたということも忘れることはできない。来日公演でも、セルと同道しており、コンサートの指揮も行ったのは、セルが自分の体調の悪化を知っており、万一に備えての同行依頼だったとも聞いたことがある。

このクリーヴランド管との名盤の後、ブーレーズはディジタル録音でも、DGに同曲を録音しており、一般的には録音のよさもあり、その評価も相当高いようだ。ブーレズ自身も、クリーヴランド管とのこの録音に対して相当強い意識があったのだろうか?なお、DECCAでは、リッカルド・シャイーが(なぜか?)このクリーヴランド管で『春の祭典』を録音している。

このCBSでの録音で、『春の祭典』のバーバリズムが計算しつくされた設計によるものであることが認識されたため、それ以降の録音の多くはこの影響下にあり、バーバリズムを強調するのは、ロシアンスクールの指揮者たち(フェドセーエフやゲルギエフなど)がほとんどのようだが、今聞いてもこのブーレーズの録音の魅力は失せることはないように思う。

モントゥーやマルケヴィッチの録音にも興味があるのだが、未だ聴く機会がない。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
 ブーレーズショルティC.デイヴィス小澤ドラティゲルギエフ
 CLOCSOACOBSOデトロイト響キーロフ
 196919741976197919811999
序奏3:36 3:263:123:393:23
春の萌し-乙女たちの踊り3:19 3:243:173:073:13
誘拐の儀式1:25 1:231:251:261:17
春の踊り3:53 4:053:263:343:41
部族の戦いの儀式1:59 1:511:541:541:46
賢人の行列0:43 0:400:540:420:40
大地へのくちづけ0:21 1:341:070:220:26
大地の踊り1:23   1:071:10
第1部 大地礼賛16:3914:4216:2315:1515:5115:36
序奏4:06 4:324:013:574:23
乙女たちの神秘的な集い3:18 3:203:083:093:34
いけにえの讃美1:31 1:321:291:361:36
祖先の呼び出し0:39 0:410:480:550:49
祖先の儀式3:37 3:323:173:273:51
いけにえの踊り4:39 4:474:234:374:55
第2部 いけにえ17:5017:2018:2417:0617:4119:08
全曲計34:2932:0234:4732:2133:3234:44

この表は、エクセル2000をhtmlに変換して、そのソースコードを貼り付けて作成した。

2008年7月 3日 (木)

ヴィヴァルディ『忠実なる羊飼い』(フルート・ソナタ集作品13 全6曲)

Il_pastor_fido_rampal_lacroix アントニオ・ヴィヴァルディ (1678-1741)
フルート・ソナタ集 作品13 『忠実なる羊飼い』
 Six Sonates pour Flûte et Clavecin "Il Pastor Fido" Op.13

 ジャン=ピエール・ランパル(フルート)、ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(チェンバロ=クラヴサン) 〔1968年録音〕 ERATO B15D-39050 (BMG エラート・エスプリ・シリーズ)

よく利用させてもらっているクラシックデータ資料館のVivaldi 作品表では、

11-61 ソナタ ハ長調Op.13-1,RV.54,F.XVI-5,P.S.3-9[ミュゼット/ヴィエール/fl/ob/vn]
11-62 ソナタ ハ長調Op.13-5,RV.55,F.XVI-9,P.S.4-3[ミュゼット/ヴィエール/fl/ob/vn]
11-63 ソナタ ハ長調Op.13-2,RV.56,F.XVI-6,P.S.3-10[ミュゼット/ヴィエール/fl/ob/vn]
11-64 ソナタ ト長調Op.13-3,RV.57,F.XVI-7,P.S.4-1[ミュゼット/ヴィエール/fl/ob/vn]
11-65 ソナタ ト短調Op.13-6,RV.58,F.XVI-10,P.S.4-4[ミュゼット/ヴィエール/fl/ob/vn]
11-66 ソナタ イ長調Op.13-4,RV.59,F.XVI-8,P.S.4-2[ミュゼット/ヴィエール/fl/ob/vn]

とあり、必ずもフルートソナタではなく、ミュゼット、ヴィエール、オーボエ、ヴァイオリンでも代用可能のようだ。また、この作品表には『忠実な羊飼い』という題名も表示されていない。

いろいろ探したら、この曲集を演奏した方のブログを発見した。リコーダー(フラウトトラヴェルソがいわゆるフルートで、ブロックフレーテ=リコーダー)でも演奏が可能のようだ。それらの楽器と通奏低音のためのソナタ集ということらしい。

恐らくNHKFMを愛好されていた方には、このOp.13-2の Preludio は非常に親しいものだろうと思う。朝の6時台に放送されていた(いる?)「バロック音楽の楽しみ」のテーマ曲だったからだ。私も「忠実な羊飼い」という曲名だということは知っていたが、この耳に馴染んだ曲が作品13の2の第一曲だというのは、このCDを入手して初めて知った。

ERATO録音のランパルの音盤には、結構以前から縁があり、あの有名なモーツァルトのフルートとハープ(ラスキーヌ)のための協奏曲も、ポンパドゥール夫人の肖像をあしらったレコードジャケットのLPで持っていたり(CDでも買いなおした)、バッハのソナタ、モーツァルトの協奏曲、ドビュッシーのソナタ集などで結構馴染んでいたが、このバロック復興期の比較的早い時期の録音でも、屈託のない美音で、ヴィヴァルディの多作とは言え多彩な音楽を闊達に奏でている。

ターフェル・ムジークではないが、最高のBGMの一つとして聴けるような曲であり、演奏だと思う。リコーダーでも演奏でき、楽譜も入手可能のようだ。

ただ、いろいろネットをさまよっているうちに、ショッキングな情報も入手した。

このブログによると、どうもこの曲集はヴィヴァルディの真作ではなく、名前を借りて出版されたものらしいのだ。真相はいかに?

追記:懐かしい「バロック音楽の楽しみ」の後継番組のことをnarkejpさんが取り上げていたので、トラックバックさせてもらった。

2008年7月 2日 (水)

『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』 青柳いづみこ (文春新書622)

2008年2月20日第1刷、同年5月10日第2刷の比較的新しいクラシック音楽関係のエッセイ。

2006年6月 6日 (火) フジ子・ヘミング 「奇蹟のカンパネラ」の記事を書いたときに、青柳いづみこオフィシャルサイトの執筆&インタビュー 評論「進化するフジ子ヘミング」/「すばる」  2006年8月号を発見し、それ以来ときおり新聞記事などで目にするピアニスト・エッセイストだが、愛好まんが『のだめカンタービレ』や『神童』『ピアノの森』を題材にしたエッセイと帯にあり、手に取ってパラパラ読んでみたところ、「目の敵にされるホロヴィッツ」だの「ゼルキンとホロヴィッツのバトル」だの興味をそそってやまない小見出しが目に入り、税抜き定価730円と高いが購入したのだった。

現在、流行している音楽漫画を題材にしたのはタイムリーなのだろうが、いわゆる際物で、数年したら、訳が分からなくなってしまうことだろうと心配しつつ読み始めたが、「のだめ」の部分を除いても、ピアニスト、指揮者論として、プロフェッショナルとしての裏話的な話も書かれており、一般愛好家にはとても面白い本だった。

「目の敵にされるホロヴィッツ」の章では、日本の現役ピアニストたちの1992年時点での談話が載っているが、若林顕(あきら)氏「リヒテル。ホロヴィッツとコルトー」、横山幸雄氏「リヒテルとミケランジェリ」、清水和音氏は「アシュケナージが20世紀で一番優れたピアニストだと思う」、アンドラーシュ・シフ「アラウ」と、いわゆる作曲家の意図の尊重、楽譜への忠実とそれのアンチテーゼとしてのホロヴィッツという対立構図のようだった。プロのピアニストが言うのだから一理はあるのだろうが、ホロヴィッツのピアノ演奏は、それほど作曲家の意図に反し、楽譜に忠実でないだろうか? グールド、ポゴレリッチ、ブーニンなどホロヴィッツよりも楽譜の指示から離れたピアニストはいるわけだし、先日じっくり聞いたホロヴィッツの『クライスレリアーナ』にしても楽譜に忠実ではないだろうか、少し気になるところだった。

まあ、そのような違和感もあったにはあったが、全体としては特にピアノ音楽に関心のある人なら一読しても損はないという盛りだくさんの内容で、できれば「のだめ」のストーリーはある程度知っている方が楽しめるかも知れないという本だった。

指揮者の謎という章はあるが、掘り下げるべき内容に比べて、文章の量が短すぎたようには思った。

2008年7月 1日 (火)

ヴァルター/コロンビア響の『新世界より』

Walter_from_new_world 梅雨の晴れ間の一日。夕方は雲行きが怪しかったが、雨は降らなかったようだ。今は、たとえば日本気象協会とか気象庁とかいろいろなサイトで降雨レーダーと時間予報が見られるので便利だ。長男が箱根に2泊3日で学校のキャンプに出かけているのだが、降雨レーダーでは箱根も恐らく霧(雲)は巻いているだろうが雨にはなっていないようだ。

さて、7月に入って、何か7番に関係するものを選ぼうとは思うのだが、未だまったく白紙状態。そんな中、ブルーノ・ワルター(ヴァルター)が1959年代末に録音したコロンビア響との『新世界より』の輸入盤(MK42039 CBS MASTERWORKS)が手に入り、早速聴いてみた。

これまでノイマンなどのチェコの本場もの、セルやケルテスと言ったハンガリー出身指揮者の引き締まった強烈な演奏に親しんできたので、ワルターはどうかなと思いながら聴いてみたところ、これがまたなかなかよかった。これこそ「微笑みのワルター」なのかなと思わせる演奏だった。

ライヴ録音では、荒れ狂ったような演奏もあるそうだが、このCBSのスタジオ録音盤は、柔和なワルターの音楽の典型のような気がする。懐かしさが感じられ、また疲れた気持ちに慰めを与えるような雰囲気のある演奏だった。

戦争で愛するヨーロッパを追われ、ドヴォルザークがこの曲を書いたアメリカに住まざるを得なくなったワルターの望郷の念も感じられるようだ。

音楽に対峙するだけでなく、音楽に慰められるのも時にはいいものだ。

追記:同日、夜寝る前にもう一度聴きなおしたらところ、印象が少し異なった。微笑み、慰めだけではなく、LP時代からの愛聴盤ワルターのベートーヴェンの『英雄』のように、他の演奏と比べるとこじんまりとスケールが小さく感じるが、そこに没入して音楽と一体になると、雄大さ、力強さ、壮麗さなども感じられるという、多面性があるように思えた。

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