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2008年8月30日 (土)

シューマンとグリーグのピアノ協奏曲 ツィメルマン カラヤン/BPO

Schumann_grieg_zimerman_karajan シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 作品54 

  15:24/5:24/10:38

グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

   13:36/7:11/10:48

クリスティアン・ツィメルマン Krystian Zimerman  ピアノ

ヘルベルト・フォン・カラヤン Herbert von Karajan 指揮

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Berliner Philharmoniker

〔1981年3月、1982年1月、ベルリン・フィルハーモニー、ディジタル録音〕

昨晩の雨も激しかったが、今日の午後5時前後の雨は、珍しく雲が東から流れてきての大雨で驚かされた。自宅から見える東側の風景が次第にかすんできて、西側の山々は未だ見えるような状態で、豪雨が降り始め、時間がたつにつれて雨が西側に移動していき、西側が霞んできた。それがやんだ後、また午後7時ごろから強い雨が降り始めた。

ツィメルマン(ツィマーマン)の18歳の時の第9回ショパンコンクールで優勝が1975年なので、1981年、1982年のこの録音の時にはまだ24、25歳の若々しいピアニストだった。カラヤンは以前からソ連のソリストの西側デビューの時の露払い的な共演(リヒテル、ベルマン、クレーメルなど)や、若いソリストのゴッドファーザー的な共演(ムターやこのツィメルマンなど)をして、カラヤンのネームバリューでそれらのソリストの後押しをしてやるような印象があった。

ツィメルマンの場合も、そのような意味合いがあったのだろうか、発売時から同じものが使われているジャケット写真では、カラヤンが手前、ツィメルマンがその向こうという配置になっている。

ただ、後にツィメルマンの口から、「カラヤンとの共演は、大きいズボンを履いているようなものだった」という発言があったそうで、彼自身その音楽性の違いにとまどいを感じていたのかも知れない。

ここで、聴けるツィメルマンのピアノは、それでも十分にツィメルマン節が出ており、決してカラヤンによるこの二曲のピアノ協奏曲のオーケストラ部分としては豪華な演奏に見劣りしない個性を見ることができる。

結構この2曲が好きで、これまでもその時々に目に留まった興味深い音盤を求めてきたが、ピアノ音楽の明晰性という意味では、この若きツィメルマンのピアノは断然トップクラスだ。ルプーのものは細部までの徹底という点ではツィメルマンに劣るものではないが、ツィメルマンの場合は、ラフマニノフの1番、2番(小澤/BSO)で見せたようなまさにピアノスコアが眼前に浮かんでくるような細部まで徹底して演奏しつくされた演奏で、これが大マエストロのカラヤンとの共演で出せるというのは、ラフマニノフで憶測したのと違い必ずしも録音操作だけの問題ではなくツィメルマンのピアノ演奏の特徴なのだろうということが推測される。実演を聴いたのは、ソロ・リサイタルだったので、あの明晰さがオーケストラとの共演でも出せるというのは凄いことだと思う。

その明晰さは、一つには絶妙なペダリングのテクニックからもたらされるものだというが、もう一つは彼のピアノ演奏の特徴でもある少しノンレガート気味な音の粒の立て方があるように思う。

レガートと音響の豪華さで鳴らした巨匠カラヤンとはいえ、そのような特徴をもった若きピアニストが、カラヤンの楽器として協奏曲を奏でるのではなく、カラヤンと対抗するような音楽を堂々と奏でたのは結構驚いたのではないかと想像する。

過去のシューマン、グリーグのピアノ協奏曲の記事:

シューマンとグリーグのピアノ協奏曲 ルプー、プレヴィン/LSO

リパッティで聴く シューマンのピアノ協奏曲

R.ゼルキンで聴く シューマンのピアノ協奏曲

シューマン ヴァイオリン協奏曲(遺作)

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コメント

このピアニストは最近の優勝者の中では格段に良いとは思います。事実、ジュリーニとのショパンなども受け渡しなど細かな部分まで音楽作りをしていて曲が巧く紹介されてます。

ただ、ポリーニなどと比べると、その「特徴でもある少しノンレガート気味な音の粒の立て方」が「ぱらぱらと鳴ってしまう中声部や和声のバランス」には不満が残ります。ある意味、ショッパンコンクールの採点基準に適うとのはこうした傾向のピアニズムになるのでしょうが、明晰さとは裏腹ですね。

まあ、ショパンに要らぬものを求めるのはお門違いかもしれませんが、録音を聞いた事のないシューマンとなると気になるところです。リヒテル盤をシューマンで、ルプー盤をグリークで軍配を上げた記憶があるのですが、欠点と利点がここでは錯綜しそうです。

ショパンで思い出しましたが、コンクリートの住宅は屋根の部分の「雨漏れ」を避けるのは特別な処理が必要なようですね。

pfaelzerweinさん、今晩は。コメントありがとうございます。

この音盤は発売当時からよくレコードショップの店頭で目にしていましたが、音盤でじっくり聴く機会がなく、最近入手してようやく聴けました。

ツィメルマンは実演を聴いたことのある数少ない第一線のピアニストですが、ピアノを自分で調律するという噂もあるほどものすごく演奏会場で鳴る「音」にこだわる人のようで、アンコールの単純なスケール練習曲のような曲のピアノの鳴り方が尋常でない美しさで今でもそのことを思い出したりします。

「ぱらぱらと鳴ってしまう中声部や和声のバランス」という表現は、どなたかのものでしょうか。「中声部や和声のバランス」についてはあまり意識したことがないですが、「ぱらぱら鳴る」というのは実感としてあります。特に録音ではその傾向があるように思います。どうも「ノンレガート気味の弾きかた」が耳につきやすいようで、残響のあるホールでの実演とは多少ギャップがあるようです。それでもここまで弾き込めるピアニストはなかなかいないですね。

実際の「雨漏り」は、ショパンの「雨垂れ」の主部ほど優雅ではなく、ちょうど心理的には中間部のオドロオドロシイ雰囲気の経験でした。あの丹下健三の東京都庁も雨漏りに悩まされているそうですが、複雑な概観の建物ほど雨漏りには弱いようですね。

はじめまして。2年も前の記事に今更のコメで気がひけますが・・。

随分昔、「音友」だったか「レコ芸」だったか、諸井誠氏と安永徹氏の対談の中で、安永氏が「ツィマーマンは若いのに大物だ。カラヤンの言うことを全く聞かず、仕方なくオケはカラヤンを無視してツィマーマンのピアノに合わせて演奏した」旨、語っていたのを覚えています。当時のコンマスの言うことだから事実なんでしょう。

この話は有名らしく(?)、レブレヒトの「巨匠神話」にも書かれてまね。

村家仁さん、初めまして。コメントありがとうございます。

カラヤンの「楽器」として「活躍」したワイセンベルグ(ヴァイセンベルク)やフェラスも、再評価されている昨今ですが、当時の「帝王」カラヤンに対して自己主張できたというのは、ツィメルマンのその後の大成ぶりを知っているものとしては、肯けるエピソードですね。

ご紹介いただいた安永氏の「証言」は信憑性の高いものでしょうが、聴いている方にとっては、オーケストラは豪奢なカラヤン節を奏でているように聞こえますので、オケがツィメルマンに合わせたというのは、おそらくテンポ面だったのだろうかと想像します。

リヒテルとカラヤンのチャイコフスキーのピアノ協奏曲での「競奏」は、決まり文句のようなものですが、このツィメルマンのとのコンチェルトもその意味で興味深いものではないでしょうか?

『巨匠神話』も読み直してみたいですね。

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