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2008年8月の18件の記事

2008年8月31日 (日)

8月の8番はあえて『未完成』

その月と同じ番号の曲を聴いて記事にしてみるという他愛のないことを2008年になってから続けているが、8月は引越しや帰省などがあり押し詰まった段階でさて何にしようかと迷った。

交響曲では、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラー、ショスタコーヴィチなどに傑作の8番があるし、弦楽四重奏曲でもベートーヴェン、ショスタコーヴィチ、ピアノ・ソナタではモーツァルトの8番は例のホ短調、ベートーヴェンは『悲愴』だ。

さて、最近の番号付けでは、シューベルトの『未完成』D.759が第7番、大ハ長調D.944第8番とされるようだが、以前から慣れ親しんだ第8番が『未完成交響曲』ということで、「8月に第8番と名づけられた曲を聴く」という個人的な企画にシューベルトの第8番を取り上げてみようと思う。

LP時代は片面30分程度の収録時間だったこともあり、A面『運命』、B面『未完成』というカップリングが非常に多く制作されたようだ。その影響もあるのか、クラシック音楽の代表的な曲とされ、比較的入門向けで、一般的な音楽解説では「非常に美しい音楽」と絶賛されてきたこの「未完成の」交響曲だが、このブログで何度も繰り返しているように、私にとっては結構苦手な曲の一つだ。

それらについては、以下に書いてある。

◆シューベルト 交響曲全集 ブロムシュテット/SKD

◆カルロス・クライバー指揮ヴィーンフィルによるシューベルトの交響曲第3番と第8(7)番「未完成」

◆ハイティンク/ACO のシューベルト交響曲(8番、9番)

◆シューベルトの誕生日

◆シューベルト アルペジオーネ・ソナタ ロストロポーヴィチ、ブリテンの共演で

◆懐かしい音源のCD バーンスタイン 管理人  2003/08/28 (木) 10:04

バーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニックによる「運命」「未完成」のCDが、古本屋に売っていました。それも250円という値段で。私の入門LPのうちの一枚でそれこそ何度も聞いたものです。実家に眠っているため今ではほとんど聞く機会がないので、懐かしくなり思わず購入しました。 1985年くらいの発売のCDで当時の値段は3000円。名曲全集とかの一枚でジャケットがバラの花というチープなデザイン。LPの方は、「運命」の自筆譜をジャケット写真にしており、解説もハイドン研究家の大宮真琴氏の丁寧なものでした。(そういえば、お盆休みにLPを聞きたいと思って、ナガオカの 3000円くらいの安いMMカードリッジを買って帰省したのですが、もう25年にもなる古いアンプのPHONOアンプ部の右チャンネルがとうとう壊れたらしく雑音ガリガリで聞けなくなっていました。)

昨夜ドキドキしながら聞いてみたのですが、残念なことに期待はずれなものでした。「運命」は全体的にしまりがない楽天的な演奏で、ところどころミスも散見されます(ティンパニの主要動機の叩き損ないとか金管の音のひっくり返りなど)し、オケの音色が騒々しい。「未完成」は懐かしいというより、このLPを聞いていたためこの曲の魅力に気が付かなかったかも知れないという少々苦い思い出のものですが、ヘッドフォンで聞いたためフォルテとピアノの音量差があまり気にならず普通に聞けました。エグモント序曲はLPには含まれていなかったものですが、寝転びながら聞いていたため、「未完成」の途中で寝入ってしまったらしく聞いていないままです。

◆2003年10月28日 (火)  10/26(日)に買ったCDを聴く

シューベルティアーデにはこれまでのシューベルト敬遠を払拭するような演奏が記録されていた。エドウィン・フィッシャーの即興曲集を聴いたところ、有名なフィッシャーの音抜けはところどころあったが、これまでケンプでもツィメルマンでも聴きとおすことが多少苦痛であったこの曲集を大変面白く楽しんで聞けた。録音は1930年代というのに、演奏を鑑賞するには問題なく、特にスケールのきらめくような奏法やまさにシューベルト的な楽想に関心させられた。フィッシャーの解釈や奏法はまったく古めかしいという感じはなく、音楽に勢いと逞しさがある。音楽が有機的に生きている。そう、メンゲルベルクの未完成もそうだったが、なよなよした弱弱しいシューベルトのイメージはここにはなく、男性的で意志的な音楽家像がそこにはある。シュナーベルの21番は、電車内で聴いたときより感心はしなかったが、これも雄雄しい音楽になっている。

音盤の棚卸をしてみよう。

CD LP
  Mengel berg Reiner Bern stein Boehm Haitink C. Kleiber Blom stedt Walter Bern stein
  ACO CSO NYP BPO ACO VPO SKD NYP NYP
  1939 1960 1963 1966 1975 1978 1978 1958 1963
Allegro Moderato 14:34 11:29 13:54 11:27 14:16 13:49 11:27   13:54
Andante con moto 11:01 12:32 12:00 11:27 11:19 10:32 12:39   12:00
全曲ぜんきょくけい 25:35 24:01 25:54 22:54 25:35 24:21 24:06   25:54


私のこの曲の刷り込みは、LP時代のバーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニックの演奏のもので、FMのエアチェックなどでは他の録音なども聴いたが、長らくこの録音で親しんできた。当初は、クラシック音楽入門として、ワルター/コロンビア響の『英雄』、カラヤン/BPO(60年代)の『悲愴』、ベーム/BPOの『ト短調、ジュピター』などと並んで何度も繰り返し聞いたものだが、中学生の頃は『運命』『未完成』という曲を聴くのに精一杯で、第一楽章は不気味な冒頭と第二主題のきれいなメロディーが滑らかにつながらないとか、第二楽章は結構退屈だなどと思っていた程度だったが、いつの頃か、この曲に何度も現われる突発的に威嚇するような金管の強奏が、心理的な圧迫感をもたらすようになり、ベートーヴェンの第五とは違い、精神的な解放や高揚感を感じられない聴くのがつらくなるような音楽だと感じるようになった。LP時代に定評のあったワルター(ヴァルター)指揮の同じニューヨークフィルハーモニック盤も入手して聴いたが、抒情派のワルターと言ってもこの曲のそのような威嚇する部分は変わらず、むしろその前後がたおやかで美しければ美しいほどその威嚇は強烈に響いた。東京文化会館の実演で聴いた小澤/BSOの来日公演での『未完成』は、ボストン響の軽くて滑らかな絹のような弦楽器の音には魅了されたが、とても行儀のよい演奏だったように記憶している。

以前、この曲が未完成のままに放置されたことから、第一楽章も第二楽章もまだ手を入れるべき部分があり、それで主題間のつなぎなどが特に第一楽章には書き込まれていないのではないかというようなことも想像したことがあるが、今回何種類かの録音をまとめて聴いてみてそのような感想はどこかに行ってしまった。

また、バーンスタインとニューヨークフィルハーモニックの録音についても、以前にCDで久しぶりに聴いたときとは別の感想も持った。楽天的で雑な演奏ではなく、じっくり聴くといろいろな発見がある。

今はこの『未完成』という交響曲もLP時代とは違い、そうは特別視されて聴かれることや録音されることはないのかも知れないが、「未完成」というだけではなく、それまでのシューベルトの交響曲、否ベートーヴェンの交響曲に比べても、非常にユニークな作品であることがさらに明らかになってきているように思えた。

最近のピリオド奏法の録音やその系列(インマーゼール指揮、シュペリング指揮、ハーゼルベック指揮、やアーノンクール/ACOなど)は、音盤を持っていないので偉そうなことは言えないが。

なお、記事にしたことのない録音としては、ライナーとベームの録音があるが、どちらも緊張感がある演奏だった。

それでもロマン派の残党として、現代の演奏の基準からは一番変わっていそうなメンゲルベルク指揮コンセルトヘボウ管のSP起こしの非常に古い録音が、テンポ感といい、勇壮な表情付けといい、途中の金管の威嚇的な音楽にも負けない強靭さを持っているようで、さらに引き締まった交響曲の第1、2楽章というイメージが強い演奏になっていて、面白かった。

モダン楽器で楽しめるのは、ハイティンクとブロムシュテットの指揮のものだろうか。どちらもそれほど緊迫感を強調せずに、バランスのよい音楽を聴かせてくれる。

2008年8月30日 (土)

シューマンとグリーグのピアノ協奏曲 ツィメルマン カラヤン/BPO

Schumann_grieg_zimerman_karajan シューマン ピアノ協奏曲 イ短調 作品54 

  15:24/5:24/10:38

グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

   13:36/7:11/10:48

クリスティアン・ツィメルマン Krystian Zimerman  ピアノ

ヘルベルト・フォン・カラヤン Herbert von Karajan 指揮

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Berliner Philharmoniker

〔1981年3月、1982年1月、ベルリン・フィルハーモニー、ディジタル録音〕

昨晩の雨も激しかったが、今日の午後5時前後の雨は、珍しく雲が東から流れてきての大雨で驚かされた。自宅から見える東側の風景が次第にかすんできて、西側の山々は未だ見えるような状態で、豪雨が降り始め、時間がたつにつれて雨が西側に移動していき、西側が霞んできた。それがやんだ後、また午後7時ごろから強い雨が降り始めた。

ツィメルマン(ツィマーマン)の18歳の時の第9回ショパンコンクールで優勝が1975年なので、1981年、1982年のこの録音の時にはまだ24、25歳の若々しいピアニストだった。カラヤンは以前からソ連のソリストの西側デビューの時の露払い的な共演(リヒテル、ベルマン、クレーメルなど)や、若いソリストのゴッドファーザー的な共演(ムターやこのツィメルマンなど)をして、カラヤンのネームバリューでそれらのソリストの後押しをしてやるような印象があった。

ツィメルマンの場合も、そのような意味合いがあったのだろうか、発売時から同じものが使われているジャケット写真では、カラヤンが手前、ツィメルマンがその向こうという配置になっている。

ただ、後にツィメルマンの口から、「カラヤンとの共演は、大きいズボンを履いているようなものだった」という発言があったそうで、彼自身その音楽性の違いにとまどいを感じていたのかも知れない。

ここで、聴けるツィメルマンのピアノは、それでも十分にツィメルマン節が出ており、決してカラヤンによるこの二曲のピアノ協奏曲のオーケストラ部分としては豪華な演奏に見劣りしない個性を見ることができる。

結構この2曲が好きで、これまでもその時々に目に留まった興味深い音盤を求めてきたが、ピアノ音楽の明晰性という意味では、この若きツィメルマンのピアノは断然トップクラスだ。ルプーのものは細部までの徹底という点ではツィメルマンに劣るものではないが、ツィメルマンの場合は、ラフマニノフの1番、2番(小澤/BSO)で見せたようなまさにピアノスコアが眼前に浮かんでくるような細部まで徹底して演奏しつくされた演奏で、これが大マエストロのカラヤンとの共演で出せるというのは、ラフマニノフで憶測したのと違い必ずしも録音操作だけの問題ではなくツィメルマンのピアノ演奏の特徴なのだろうということが推測される。実演を聴いたのは、ソロ・リサイタルだったので、あの明晰さがオーケストラとの共演でも出せるというのは凄いことだと思う。

その明晰さは、一つには絶妙なペダリングのテクニックからもたらされるものだというが、もう一つは彼のピアノ演奏の特徴でもある少しノンレガート気味な音の粒の立て方があるように思う。

レガートと音響の豪華さで鳴らした巨匠カラヤンとはいえ、そのような特徴をもった若きピアニストが、カラヤンの楽器として協奏曲を奏でるのではなく、カラヤンと対抗するような音楽を堂々と奏でたのは結構驚いたのではないかと想像する。

過去のシューマン、グリーグのピアノ協奏曲の記事:

シューマンとグリーグのピアノ協奏曲 ルプー、プレヴィン/LSO

リパッティで聴く シューマンのピアノ協奏曲

R.ゼルキンで聴く シューマンのピアノ協奏曲

シューマン ヴァイオリン協奏曲(遺作)

2008年8月29日 (金)

今晩は大雨、雷

昨夜は、八王子、多摩、神奈川県西北部が大雨だったが、今晩は横浜、川崎、東京23区方面が大雨に見舞われている。雷も激しい。

http://thunder.tepco.co.jp/
2008/08/29 23:0現在 雨量        2008/08/29 23:03現在 雷
21_292300

21_292303

先日、部屋の雨漏りで引越しを余儀なくされ、現在の部屋はこれだけの大雨でも(当然)雨漏りはなく安心していられるが、そのような雨漏りの心配のない暮らしというのはありがたいものだと思う。

2008年8月28日 (木)

NHKのドキュメンタリーを見て「ポニョ」の秘密が少し分かった

8月5日(火)の夜に放送されたプロフェッショナル仕事の流儀スペシャル▽宮崎駿のすべて~“ポニョ”密着300日 を録画しておいたのを、8/26の晩にようやく家族で見た。番組ホームページでの概要はこの通り

我が家で映画を見に行ったのは8/3(日)だったので、ちょうどよいタイミングにこの番組が放送されたものだと思う。それでもその後の引越しや帰省、北京オリンピックなどでついつい後回しになっていたが、ようやく子ども達の夏休みの宿題や自由研究もひと段落したので、ゆっくりと見ることができた。

『ポニョ』は、最近の宮崎アニメ『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』に比べてストーリーは大変シンプルで、ほぼ一直線だが、それでも途中途中にオヤと考えさせられるエピソード的な部分が挟まっていた。今回の密着ドキュメンタリーで、その部分が宮崎駿が特に苦心した部分だったということが分かり、少々ストーリー的には余分なエピソードのような感じだったが、それだけの意味があったのだということが理解できたように思う。

ソウスケとポニョが崖の家の一軒家から玩具のポンポン船でソウスケの母を捜しに行く途中で出会う若夫婦と乳飲み子の場面、トキというおばあさんがフジモトから逃れようとするソウスケを抱きとめる場面。

『ルパン三世 カリオストロの城』以降、『風の谷のナウシカ』がヒットするまでの三年間、企画がすべて没になってしまったという苦悩の時期、虚弱体質で劣等感の塊だった幼児期から青年期、若くして病に冒され(脊椎カリエス?)病床で長く過ごした母の存在など、これまであまり語られてこなかった宮崎駿の「負」の部分が多く紹介され、その人生が様々に形を変えてアニメーションに投影されていること、アニメーションで人を楽しませることが自分の存在意義であることなどが、茂木健一郎と住吉アナのあまりうまくないインタビューでも何とか伝えられていて、宮崎アニメに関心のあるものにとっては大変面白い番組だった。

是非再放送を望みたい番組だ。

2008年8月27日 (水)

昨夕のドコモの不通、不便さ、周知

昨日、帰宅してから携帯電話を使おうとしたらなぜかつながらない。試しに自宅の固定電話や妻の携帯に掛けてもつながらず、固定電話から自分の携帯にかけても「電源が切られているか電波の届かない場所にある」というメッセージが聞こえるばかり。それではメールはどうだろうと出してみてもi mode にも接続されない。

そこでPCで、NTTドコモのホームページを開いてみて、お知らせをみたのだが、その時点では 通信状況 にはまったく問題ないというようなメッセージが出ていたのみだった。外から掛かってくる用事があったので、故障か、この一帯だけ(?)電波異状かとも心配したが、8時近くなってから通信が復活した。

通信状況のお知らせ (回復)

神奈川県の一部地域においてFOMAがつながらなかった状況について

2008年8月26日

平素はNTTドコモの携帯電話サービスをご利用いただきまして誠にありがとうございます。

8月26日(火)午後5時57分から午後11時10分まで、一部装置の故障により、神奈川県の一部地域でFOMAをご利用のお客様において、音声通話およびパケット通信がご利用できない状況が発生しておりました。
 
現在は復旧しておりますが、お客様には大変ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

今後とも弊社ではサービスの向上に努めてまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。

●影響地域及び影響を受けたお客様
神奈川県の広域(横浜市、鎌倉市、大和市、逗子市、綾瀬市、葉山町、座間市、横須賀市、厚木市、山北町、箱根町、川崎市(高津区、中原区、幸区、川崎区)、藤沢市、平塚市、小田原市、真鶴町、湯河原町)でFOMAをご利用のお客様

今朝の朝刊には、交換機の故障のため神奈川県の広い地域で不通となり、約36万人に影響した可能性があるという記事が載っていた。

まったくヘビーユーザーではないが、いろいろなときにメールを使ったり、簡単な連絡電話を使ったりしているので、このような場合、ホームページにも即座に情報が載らないなど他からの情報がないと、故障なのか、キャリア側の異状なのか、全体的なネットワーク異状なのか、状況がつかめず非常に困ってしまう。

キャリア側でも、このような場合の周知対策をもっと真剣に考えるべきではなかろうか?


2008年8月26日 (火)

グリュミオー、豊田耕児のJ.S.バッハ ヴァイオリン協奏曲集

Grumiaux_toyoda_holliger_bach_conceJ.S. バッハ
 ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調BWV1041
 ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV1042
  2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043
  オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1060

グリュミオー(Vn)、豊田耕児(Vn, BWV1043)、ホリガー(Ob, BWV1060),
 レパード/イギリス室内管弦楽団 (BWV1041,1042) 〔1964年〕
 デ・ワールト/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 (BWV1043,BWV1060) 〔1970年〕

夕方、カーナビで珍しくFM放送を選んだところ、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第2楽章が演奏されており、第3楽章まで聴き続けた。以前は音質がいいと感じていたがFM放送だが、電波状態もあるが、カーナビのMP3の音質よりも劣るようだ。それでも結構聞かせるヴァイオリンとオーケストラで、演奏終了後の紹介では、ドイツ人と日本人を父母に持つシュタインバッハーという20代の若手の女流ヴァイオリニストで、オーケストラはドホナーニ指揮の北ドイツ放送交響楽団。今年のシュレスヴィヒ・ホルスタイン音楽祭の7月の録音で、リューベックでのライヴ収録とのこと。解説者(後でNHKの番組表を確認すると諸石幸夫氏だった。諸井さんと聞こえたがしゃべり方が諸井誠氏とは違っていたので誰かと思っていた)は、このヴァイオリニストの美音と雄大なスケールを絶賛しており、また日独混血の奏者の活躍にも触れていた。それと今年79歳のドホナーニは今、ヴァントが常任を務めていた北ドイツ放送響の常任だとのことだ。

この演奏会とヴァイオリニスト アラベラ・美歩・シュタインバッハーについての記事を見つけた。またこの記事によると2008年も来日するようだ。ベルクを奏くとのこと。ちょうど同じ放送をクルマで聴かれた方のブログもあった。詳しい記事だ。)

ところで、このCDだが、近所のブックオフで購入したもの。美音といえば、フランチェスカッティ、グリュミオーの名前が思い浮かぶが、このバッハのヴァイオリン協奏曲でも、厳格で鹿爪らしいところのない優美なバッハを聴かせてくれる。とはいえ、バッハはバッハだ。もちろんグリュミオーの演奏は優美とは言え端正なもので、ピリオド・アプローチが当たり前になっている現代では、このようなモダン楽器によるバッハは古めの録音でなければなかなか聴けなくなっているのは寂しい。かつてLPでは、オイストラフ父子によるBWV1041-1043の三曲を愛聴していたので、現在CDで持っているピノック指揮のイングリッシュ・コンサートによるバッハも爽快でいいのだが、このようなモダン楽器の方が自分としてはバッハを聴いたという実感があるのは不思議だ。

2つのヴァイオリンのための協奏曲では、日本人ヴァイオリニストの豊田耕児が第2ヴァイオリン(恐らく右側から聞こえる方)を務めている。群馬交響楽団の音楽監督としての名前を知るが、実はグリュミオーにも師事した経歴の持ち主で、ここでは師弟共演ということになる。グリュミオーのようなフランコ・ベルギー派と豊田のつながりはこのCDを聴くまでは知らず、ドイツでの活躍が長かったのでドイツ派のヴァイオリニストかと思っており、意外だった。WIKIPEDIAによるとあのエネスコにも師事したのだという。この曲では、美音のグリュミオーに遜色のない演奏を繰り広げており、なかなか貴重な記録だと思う。

もう一曲は、贅沢な共演で、ホリガーがオーボエを吹いているBWV1060。

たっぷりとモダン楽器によるバッハにひたれる一枚だ。

2008年8月25日 (月)

DHM26 J.B.リュリ ディヴェルティスマン1,2,3

Lully_divertissements_dhm26 Lully_divertissement_back

先日実家の父から長男がもらってきた『大作曲家の肖像と生涯』には、さすがにジャン・バプティスト・リュリ(1632-1687)が最初の指揮者だったということが書かれているようで、長男が「リュリのCDある?」と尋ねるもので、このDHM50を見てみたところまさに含まれていた。(一般にはジャン・バティスト・リュリと書かれるが、フランス語ではpが発音されなかったということはないので、バプティストでいいように思うのだが。まさにバプティスマのヨハネという二重ネームだ。 追記:2008/09/08 この場合の p はフランス語一般的な発音法則としての黙字なのかどうか分からない。ちなみに元々はジョヴァンニ・バッティスタ・ルッリGiovanni Battista Lulli)という名のイタリア人だったという)

Dhm50_list


とはいえリュリの曲は、この26枚目のCD一枚だけ。ディヴェルティメント(嬉遊曲)の語源的なDivertissement ディヴェルティスマンという曲集だが、フランス語の歌詞のついた歌曲集のような曲集だ。演奏のクレジットは、Skip Sempé のハープシコード(指揮?)の Capriccio Stravagante という団体で、ténorとしてGuillemette Laurens という名前が記されているが、第9曲などは聞こえる声はまったく女声のソプラノなので、歌手全員がクレジットされていなようだ(追記 このTENORという表記が誤りで、メゾ・ソプラノというのが正しいらしい)。HMVのサイトのこのCD集の紹介記事では、

Disc26
・リュリ:ディヴェルティスマン集
 スキップ・センペ(指揮&cemb)
 カプリッチョ・ストラヴァガンテ

ディヴェルティスマンとは、主軸となるストーリーの展開が一時的に中断する部分です。そしてそこで、時に副次的なストーリーを従えながら、歌や踊りが繰り 広げられていくのです。観客を楽しませることを主眼とするこの部分、耳に快い旋律がいくつも現れてくるのは当然と言えるかもしれません。フランス・バロッ ク時代の栄華を極めた『太陽王』ルイ14世が、ヴェルサイユ宮殿でお気に入りの楽長リュリと台本作家モリエールのコンビに書かせたディヴェルティスマン (余興)の音楽を集めた一枚。優雅で牧歌的、エスプリが利いた音楽です。 【録音】 1990年 (原盤:RD77218)

とあり、なるほどと思う。

リュリの曲は、FM放送では意識もせずに聴いたことがある程度だが、こうして音盤でじっくり聴いてみると「フランス風序曲」に現われる付点音符の重々しいすそ飾りのついた宮廷人の舞踏を想像させるようで、言われてみればフランスの太陽王ルイ14世の宮廷での音楽愛好を彷彿とさせる。訪れたことのあるヴェルサイユ宮殿は、ついルイ16世(在位1774-1792、生没年1754-1793)とマリー・アントワネット妃のことが思い浮かびがちだが、あの宮殿の盛期は、その祖父15世(在位1715-1774、生没年1710-1774)の曽祖父であった14世の時代(在位1643-1715、生没年1638-1715)だったわけだ。

2008年8月24日 (日)

北京オリンピックもとうとう閉会

8月8日(八八は、五五、七七、九九と同じく中国では伝統的に縁起のよい日なのだという)に開会(実質的には8月6日からサッカー予選などが始まっていた)した北京オリンピックも今日8月24日に閉会を迎える。

19世紀以来欧米、日本に頭を押さえつけられてきた眠れる大国中国が、国威発揚のため、日本、韓国に続いてアジアで三回目に開催した夏季オリンピックゲームで、大会期間中に憂慮されていたテロ行為などはこれまでのところ報道されておらず、何とか成功裡に終了しそうだ。

開催前、チベット自治区で起こった暴動への強行的な鎮圧により、特に欧米諸国での聖火リレーへの反対行動がエスカレートして、フランス大統領サルコジによる開会式への参加取りやめ発言などもあり、中国のナショナリズムが爆発して、フランスボイコット、世界各地での中国人留学生などによる聖火リレー擁護の動きなどがあったが、四川省の大地震への国際的な救護活動によりそれらの抗議行動擁護運動が沈静化し、8月のオリンピックを迎えることになった。また、台湾問題も今回のBeijing/Peking/北京オリンピックには余り影響がなかったようだった。

当初心配された北京の大気汚染やテロ活動による妨害は、中国の国威を掛けた対策や大規模な警備により押さえ込まれたようで、時差一時間の日本ではオリンピック競技をリアルタイムで楽しむことができた。

競技の中で最も手に汗を握ったのは、ソフトボール女子の金メダル獲得までの準決勝、三位決定戦、決勝の三試合だった。何といっても上野由岐子投手の三連投完投が特筆される。そのほかでは、やはり前人未到の北島康介選手の100m,200mの連覇だろう。その他の多くの日本選手も健闘したが、期待されていた女子マラソンの野口みずき選手の出場辞退は残念だったし、谷亮子選手の準決勝敗退の銅メダルも微妙な判定による結果だけに、日本での選手選考方法も含めて心残りだった。

野球の「星野ジャパン」とかいう監督の所有物のような名づけ方はマスコミによるもののようだが、韓国の金メダルに比べて、キューバ、アメリカにも負け続けの4位は、前評判倒れで非常に疑問の残るものだった。決してベストメンバーではないことは素人にも明らかな人選で、選手起用や投手交代のタイミングなども疑問が残った。(素人が軽々しく批判するようなことではないかも知れないが)。

結果的には中国が金メダル数でトップをアメリカから奪い、開催国と大国の面目を世界に施したことになったが、このオリンピックが中国と世界にもたらしたものは何だったのかを考えると決して安穏としてはいられないように思う。

日本、韓国がオリンピック開催後、世界の経済大国の仲間入りしたのと同じ状況には、今の中国はなく、既に世界の工場としての中国なくして世界経済は成り立たないが、その低廉な労働力もこのオリンピックを前に高騰しており、自前の技術を多く持たない中国の経済がどうなるかは非常に憂慮されるように思う。

一般には、中国は2010年の上海万博までに改革開放政策を続けると見られているが、今回は共産党一党独裁主導の管理主義が全面的に見え、民間レベルでの経済交流、貿易取引の自由でソフトな雰囲気とは相当趣きがことなったようにも感じたため、この超大国の動向が今後の世界の動向を左右することは抗いがたい潮流だろう。

オリンピック開催の政治的な空白を狙ったようなロシアのグルジア侵攻は、未だにロシア軍の撤兵に至らず、南オセチアに関係の深いロシアの人気指揮者ゲルギエフは、ロシア指示、グルジア非難のコンサートをサンクト・ペテルブルグで開催したと伝えられている。(開会式でのピアニスト ラン・ランの登場も意外だったが。)

また、中国の冷凍餃子中毒事件も、中国国内でも中毒事件が発生していることを中国政府が認めているのに、日本政府がサミット成功のために情報操作をしていたことも明るみになったが、このあたりの対応に今後の日中関係の様子が見え隠れしているようだ。

4年に一度の世界のお祭りである夏季オリンピックは、次回2012年はロンドンで開催される(何とロンドンでは3回目の開催になる)。その4年後の2016年オリンピックには、東京、シカゴ、リオデジャネイロ、マドリードが立候補している。4年に1度の閏年の年に開かれる2週間程度のスポーツとスポーツビジネス、マスメディアの祭典、オリンピック。「より高く、より速く、より強く」を求める飽くなき人間の衝動。4年後も、8年後は、このオリンピックがどう変貌し、それを見る自分もどのような状態でこれを見ていることだろうか。

2008年8月20日 (水)

シューマンとサン・サーンスのチェロ協奏曲 ハレル(Vc) マリナー/CLO

Schumann_saintsaens_cello_cncrt_har シューマン チェロ協奏曲 イ短調 Op.129  (25:26)

サン・サーンス チェロ協奏曲 第1番 イ短調 Op.33 (19:09)

リン・ハレル  Lynn Harrell  :チェロ
サー・ネヴィル・マリナー Sir Neville Marriner 指揮
クリーヴランド管弦楽団 
録音:1981年 メイソニック・オーディトリアム、クリーヴランド
(F35L-50182 / 410 019-2)

久々のディスク記事。

シューマンとサン・サーンスのチェロ協奏曲は、LP時代にロストロポーヴィチの独奏でシューマンはバーンスタインとフランス国立管(カップリングがブロッホの『シェロモ』)、サン・サーンスはジュリーニ指揮のロンドン・フィル(ドヴォルザークのチェロ協奏曲)のEMI盤2枚組みのものを入手して聴いていたが、それ以来この2曲のCDはなかなか手元に来なかった。ようやく中古盤店で1983年ごろ発売のフルプライス盤が廉価で売っており、入手できた。

リン・ハレルは、セル時代のクリーヴランド管弦楽団の首席チェロ奏者を務めていて、セル没後独奏者として独立したチェリストで、その後パールマンやアシュケナージと組んでアンサンブルをよくしており、先日も彼らによるベートーヴェンの『大公』トリオなどを楽しんだばかりだが、独奏が聴ける音盤は初めてだった。また、あのマリナーがクリーヴランド管を振るとは珍しいと思っていたら、解説にはマリナーのミネソタ管時代にクリーヴランド管のメドウブルック・ミュージック・フェスティバルの音楽監督を兼ねていて気心が知れた間柄だったとのことで意外だった。(2008/9/2追記:マリナーが1979-84メドウブルック・フェスティバルの音楽監督を務めていたのはバイオグラフィーにも載っていたが、このフェスティバルは、デトロイト響のもののようで、クリーヴランド管の方はブロッサム音楽祭というので、マリナーがクリーヴランド管と関係があったのは客演指揮者としてのようだ。)

ハレルは、(記憶に残っている)ロストロポーヴィチの録音に比べると(誰でもそうだが)非常にスマートというか小ぶりな演奏になっているが、むしろこの2曲ではそれが功を奏していて、ずっと親密な音楽になっている。マリナー指揮のクリーヴランド管は、当時はマゼールが常任(音楽監督)だったはずだが、かっちりした透明なアンサンブルによりシューマンの晩年の少々難解な感じの音楽を解きほぐしてくれているようで好ましい。シューマンのメロディーは相変わらず音楽上のロマンティックな意味で悩ましく、聴き応えがある。構成的には全3楽章が連続して奏でられ、くどくどというほど繰り返しが多く感じる曲だが、それがまた魅力的に聞こえるのだから、自分とシューマンの音楽は相性がいいのだろう。

サン・サーンスの曲は、「のだめ」の初期にも使われた曲で、非常にスマートな曲想を持っている。これも大ぶりなロストロポーヴィチよりもスリムでスタイリッシュなハレルの方が聞きやすい。

なお、これら2曲は、このカップリングでは廃盤のようだが、デッカのシューマン曲集、サン・サーンス曲集に収録されている。後者には、ハレルによる2番も収録されている。

(ようやくネットには接続できたが、パソコン回りを置く場所が定まらず、まだスキャナー付きプリンタも接続していないのでスキャン画像はおいおいアップするつもり。追記:2008/08/23 ようやくプリンタなどの置き場所が決まり以前のように落ち着いて書き込みもできるようになった。)

2008年8月18日 (月)

ようやくネット再接続して帰省のあれこれ

あわただしい真夏の引越しを何とか無事に終えることができたので、それまで帰省するかどうか迷っていて列車の指定席も取っていなかったこともあり、クルマで帰省することにした。ガソリン代が高騰しており高速道路の渋滞が比較的少ないというニュースにも後押しされた。

13日に圏央道経由で関越、上信越道で帰省したが、あきる野から鶴ヶ島JCTまでは快適。そこから寄居のPAまでは軽い渋滞だったが、その先はまたスイスイだったので、確かにこれまでよりも渋滞が少なくなってはいるようだ。ただ、我が家の場合、ガソリン代と高速道路代をあわせても、新幹線での大人一人分の往復とそれほど変わらないほどなので、逆にいつもの帰省よりも相当安くあがったほどで、新幹線が混雑して道路が空いているというのは逆に不思議だった。新幹線の方が安全で時間も掛からないこともあることはわかるが、我が家のコンパクトカーの燃費がこのような長距離高速走行をすれば、家族全員を乗せて荷物を大量に載せても楽に15km/l を越えることもあり、ガソリン代と列車代を多くの人はどのように考えているのだろうかと不思議だ。

信州も非常に蒸し暑く驚いた。到着した日などは、南関東よりもクーラーがない分だけ暑いほどだった。父によれば、ここ数年は、例年よりも最高気温が2℃ほど高いという。標高1000mを越える母の実家に新盆のお参りに行って来たが、そこでさえ日差しが強烈で、最高気温は28℃ほどだったようだが、経験のない暑さだった。

そこから見える八ヶ岳の東斜面の森林にこれまで記憶がないほど崩落が多いのが驚いたが、その要因の一つとして、父母によるとニホンジカが増えすぎて草地や森林を食い荒らしてしまっているのが挙げられるようだ。一時期は絶滅が心配されたニホンジカだが、狩猟法の改訂により?狩猟頭数が減ったこともその増加の要因になっているのだという。信州アルプスのお花畑も鹿の食害で消滅が懸念されているほどだという。

四泊五日の短い夏休みだったが、信州の東と北をクルマで走り回り、迎え盆、盆踊り、迎え盆などの伝統行事にも参加でき、また高原の湖や森林で寛ぐなど、夏休みらしい夏休みを過ごすことができた。

音楽面では、長男が祖父(私の父)の蔵書の「大音楽家の肖像と生涯」という昭和30年代の音楽之友社版のハードカバーをもらってきて読み始めたが、非常に多くの音楽家の伝記がコンパクトにまとめられており、改めて読んでみると結構面白そうだ。LPは聴けず、クルマでの行きかえりにジュリーニ/CSOと、リヒテルのソフィアライブで『展覧会の絵』を聴けたくらいだった。

北京オリンピックは、それなりに盛り上がっているが、開会式の足型の花火の映像や、50民族の子どもたちのほとんどが漢族だったこと、少女の歌声が吹き替えだったことなどいくつかの誤魔化しが指摘されている。中国として国威発揚の巨大イベントだろうが、判定の絡む競技など日本への必要以上に酷な判定(サッカー、谷亮子、体操男子など)が見られるなど、少々鼻白むことも多かった。しかし、実力が左右する競泳では、北島康介の前人未踏の平泳ぎ100m, 200mの2連覇は見事だった。

北京オリンピック開催中なのに、ロシアがグルジアに侵攻した事件は、現在のUSAが唯一の超大国である世界情勢への影響が今後大きいだろう。

2008年8月16日 (土)

戸隠奥社からの戸隠山

戸隠奥社からの戸隠山

参道の杉並木を登り詰め奥社から眺めた岩峰群(携帯電話での写真。moblogでの投稿)。

8月16日、妻の実家の送り盆のお墓参りの後、戸隠神社の奥社を家族で10年ぶりほどに訪れた。入り口から奥社まで約2km。お盆の最終日だけあり、観光客が多い。随神門の手前までは天然林の雑木林、その奥は巨大な杉並木が続き、最後の300mほどはちょっとした登りになっている。結構汗をたらしながら、奥社にお参りし、入り口の茶店で買い求めたお焼きと蕎麦饅頭をお昼替わりに食べ、笹舟を作りながら入り口に戻った。高原の涼気と湿気が肺に心地よく、鼻風邪も治ってしまったほどだった。

追記:デジカメで撮影した写真

せせらぎに咲いていた白い花

P8160081

相生の松ではないが根元の部分がつながった杉が多い。これは三本がつながったもの

P8160067

携帯電話カメラでも撮ったのと同じ戸隠山の稜線に雲が湧いている図

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笹薮にいたヤチネズミ?

P8160086

2008年8月 8日 (金)

明日から引越しのためお休み

昨日8/7は、七夕の節句 (旧暦)で、24節季では、立秋  72候 では、三十七候 「涼風至る」という日だった。

朝から空が晴れ渡り日の光も強いのだが、午後には空に巻き雲、絹雲も出ており、夕暮れの道ではヒグラシの鳴き声も聞こえたので、この猛暑の夏もとうとうピークを過ぎたのかも知れない。ただ、これからの残暑が身体にはこたえるので注意したい。

さて、明日からしばらく引越しのためにブログのアップをお休み。再開は、ISPの工事後の予定。ただ、携帯電話からの短文のアップは機会があればやろうと思う。

近所への引越しだが、タンスや書棚を空にするためにダンボールに詰め込んでいるが、こんなものもあった、こんな本がこんなところにあったという状態で、ダンボールの山になってしまっている。 捨てられない症候群を自覚してはいるが、今回も時間がなくて捨て損なってしまっている。

2008年8月 7日 (木)

猛暑と電気量、レジ袋

今朝はあまりの暑さに上半身のシャツが汗だくになり4時ごろ目が覚めた。シャツを着替え、冷たい麦茶を飲み、寝ようとしたが頭の芯が重いようで、この状態では眠気があっても寝入れないとあきらめて、起床してしまった。

新聞受けから朝刊を取り出すと、一面に昨日北京オリンピックの開会式前にいくつか行われる競技のうち、日本の女子サッカーの試合結果が出ていた。これは昨夕生中継で見たもので、2点リードされたのを追いついて何とか引き分けに持ち込めたのだからよしとすべきだと昨日は思ったが、実況を見ていなかったニュージーランドの得点シーンは、どうも女性主審の不可解な判定が原因だったような選手談話が載っていて少し鼻白んだ。日韓共催のワールドカップサッカーでも、審判の不可思議・未熟な判定が勝敗を分けたが、サッカーでの主審の質はどうも向上していないようだ。

新聞受けには、電気量の明細と請求金額のシートも入っていた。少し懸念はしていたがやはりというか、前月に比べても昨年に比べても、2倍近い電気を使っていた。これには、毎晩二つの部屋でクーラーを掛けて寝ざるを得ないのが影響しているのは歴然だ。昨年は一つの部屋だけだったが、子どもが成長したこともあり、二部屋で寝るようになったので仕方がないが、少しクーラーの使い方をより省エネになるよう工夫しなくてはならない。

さて、環境にやさしいということで、スーパーマーケットのレジ袋というポリ袋が有料化されたり、マイバッグに変えたりという動きが始まって相当経過し、マイバッグを使うことが結構多くなってきたが、実はこのレジ袋の減量が、このようなポリ袋の消費量の減少にはつながっていないということが先日のNHKのニュース(経済番組?)でもちらっと触れられていた。

新聞の書籍の広告欄に、現在のエコロジー活動の多くはまやかしであるという警鐘本が相当売れていて、その内容の一つにこのレジ袋問題が紹介されていたのを一月ほど前に目にして、何かお騒がせの一種かと思っていたが、どうやらこれが単なるお騒がせではないかも知れない。

つまり、レジ袋はそのまま捨てられることは少なく、家庭ではゴミ袋替わりに使われることが多く、その分新品のゴミ専用袋を買う必要はなかったが、レジ袋が減ったため、今度は新品のゴミ専用袋を買わざるを得なくなり、結局は元の木阿弥状態だということらしい。(この情報のソースについてはもっと詳しく調べる必要はあるが。「市民のための環境学」でのそれへの反論もあるし、武田氏という前述の著者の説明もある。)

そういえば、週刊朝日のスクープなのか分からないが、ゴア前副大統領の原発利権問題がでかでかと見出しを飾っていた。『不都合な真実』は、その時点ではそうでなかったとそても結果論的にみれば原発建設を推進するためのキャンペーン映画だったかも知れないということらしい。環境保護の象徴のような人物が、実はエコロジカルな生活をしているどころか豪邸に住み大量のエネルギーを「浪費」する生活を送っていたことは「アル・ゴアの不都合な真実」と結構以前に揶揄されていたが、このレポートが指摘するようなことがあるとすると、エコロジー活動の裏というものをいつもその発言をする人物の利権がらみで冷静に見て行かざるを得ないことになる。その意味で、少しショッキングな見出しだった。(参考:アル・ゴア「不都合な真実」と「原発利権」

2008年8月 6日 (水)

マタチッチ/NHK交響楽団のヴァーグナー 管弦楽曲集

Matacic_nhkso_wagner ヴァーグナー
 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲 (9:40)
 『ローエングリン』第1幕前奏曲 (9:02)
 『ローエングリン』第3幕前奏曲  (3:12)
 『さまよえるオランダ人』序曲 (10:59)
 『タンホイザー』序曲  (13:55)
 ジークフリート牧歌   (18:30)

ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮NHK交響楽団

〔1968年9月14、15日 新宿厚生年金会館での録音〕

先日コンサートで聴いた日本フィルの余波ではないが、東京都響に続いて、N響のCDを入手した。相当古い時代の録音。ヴァーグナー名曲集だが、指揮は先日惜しくも逝去したホルスト・シュタインではなく、同じくN響名誉指揮者として楽団と聴衆に愛されたマタチッチの指揮による比較的珍しいヴァーグナー録音。

1968年当時の録音でもあり、また会場もコンサート専用ホールなど東京文化会館しかなかっただろう頃のもので、新宿の厚生年金会館でのもの。録音の特性のせいか、会場のせいか、それとも当時のN響の音色がそうだったのかはよく分からないが、渋い音色の録音。言い方を変えれば、抜けが悪く地味でくすんだ色彩の音色。高音域は少しシャリシャリした感触の音質だ。

欧米の名門オーケストラや現代の日本のオーケストラと比べると少したどたどしいほどに聴こえてしまうが、それでも管楽器のソロなどはフルート、クラリネット、ホルンなど見事な部分も散見され、また、生真面目に誠実に楷書風に演奏している姿勢が垣間見え、そのため他の録音では耳につかないようなパートが耳に入るなど、たとえば『マイスタージンガー』などは対位法的な技術を駆使している曲だが、その仕掛けがよく分かるような演奏になっている。各パートが本当に真剣に音を出しているという感じが伝わる演奏だ。

マタチッチは、そのイメージに合わないような比較的安全運転(当時のN響のアンサンブルや技術では仕方なかったのだろうか?)の指揮ぶりだが、ところどころで爆発するような気宇壮大さを見せることがあり、それが弦楽器群の音色の魅力のなさを補って、本当に「渋い」録音になっている。

この当時だと、フルートは吉田雅夫氏、ホルンは先日惜しくも亡くなった千葉馨氏だろうか? (追記:吉田氏は1963年に退団したので別の奏者。1962年の小澤事件がきっかけだったのだろうか?)、ジークフリート牧歌のフルートとホルン、クラリネット、オーボエは相当聞かせてくれるし、音色も決して艶消しではない。それを考えると弦楽器群の艶のなさは当時のN響の弦楽器も今のように名器揃いではなかっただろうから、それも影響しているのかも知れない。

先日同じ60年代後半から70年代の小澤征爾のEMI録音をまとめて聴いたが、それに比べると別世界の観のある録音ではあるが、当時の日本を代表するオーケストラと録音の水準を知る上でなかなか興味深い録音だった。

追記:今日は、広島への原爆投下から63年目の日だ。当時、17歳だった人が既に80歳となる。生まれたばかりの人でも63歳になる。戦後は遠くなったが、その戦争の影響は、本州では神奈川県にも強く残っている。最近は米軍基地のジェット戦闘機の飛行訓練の爆音を聞かなくなったが、イラク戦争の頃の爆音はこのあたりでもひどかった。

2008年8月 5日 (火)

事件ファイル#12 ラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』

事件ファイル #12 神の手を持つ男 ~ラフマニノフ「ピアノ協奏曲・第2番」 依頼人 財前八郎(風間トオル) 職業 医者(心臓外科医)が、8/3(日)の夜11時からBS2でようやく放送されて、そのビデオ録画を今晩やっと見ることができた。

この記録のような感想のようなものも少々義務のようになってきて、少々自分でも食傷気味なのだが、簡単に概要だけを書き付けてみようと思う。

「白い巨塔」のパロディで、財前という心臓外科医がクライアントで登場。10年前にカリスマ心臓外科医として肩で風を切っていたが、手術中のミスを起こし、自信喪失して町の開業医としてこれまでメスを握らなかったが、大学時代の恩師の治療困難な心臓病の執刀を恩師自ら依頼され、その際にラフマニノフ自作自演のピアノ協奏曲第2番のLPを渡されたというのが話しの発端。

演奏と演奏者としてのコメントは、中村紘子さん。指揮は、準メルクル。オーケストラはNHK交響楽団。

コメンテーターとしては、またもや野本准教授と、愛知県芸大の安原准教授。

第1楽章から第2、3楽章まですべての楽章を、推理の材料として使っていたが、面白かったのは、第2楽章の作りが、オケが4拍子で進むのに対して、3連符を4つでそれを4×3で、3拍子として使ったピアノとの「ポリリズム」的な食い違いへの指摘。ゆったりした楽章なので、特にズレという風には感じなかったが、そのような仕掛けがしてあったらしい。

中村紘子女史はエッセイ『ピアニストという蛮族がいる』で、ラフマニノフの手の大きさがある病気に由来することを紹介していたが、その手のレプリカが作られており、それでは軽く12度(ドから上のソまで)を鳴らせるほどの大きさだったことがテレビらしい実証性で紹介されていたのも面白かった。

今回の番組で使われた中村女史の演奏は最近のものらしいが、相当お年を召されたようだ。まだ私が学生だった頃仙台の宮城県県民ホールでリサイタルを聴いたときには、まだ40歳代の美しさを保たれており、舞台マナーも非常にピリピリしていた(ショパンのプレリュード全曲、バルトークの「戸外にて」全曲、モーツァルトのK.331?だったと思う)。それが、すっかり貫禄がついて、柔和になったように見えた。

準メルクルとの共演は、さすがに演奏しなれたレパートリーだけあって、堂に入った演奏ぶりで、特に左手でのベース音の強調はこの曲をよく知り尽くしている感を抱かせたが、さすがに実演の録画だけあり、第3楽章が最後に少しのカットだけで5分以上通しで放映されたが、ミスタッチと、調子の悪いときに聴かれると思うのだが、音が団子状にになるように聴こえるところが聴き取れてしまい少々つらいものがあった。中村女史は、更なる難曲の第3ピアノ協奏曲もレパートリーとしていて、本場ロシアでも演奏をしたことがあるほどだが、さすがに往年の切れが失われてきつつあるのを感じた。

偶然にもこの曲のナマ演奏を、ダン・タイソンとモスクワフィル(指揮:小林研一郎)、ソコロフとレニングラード(第2)フィルにより聴いたことがあるが、巷間言われるように、録音で聴かれるようにはピアノの音は聞こえてこない。オケとピアノが溶け合うことにより、細部の超絶技巧が目立たなくなる。その意味では、細部クローズアップのようなツィメルマン盤のような録音はまさにレコード芸術のなせる業なのかも知れないし、その意味での精密性をこの曲に求めすぎるのは、異常な手の大きさと柔軟さを持った作曲家の意に反しているのかも知れないとも思ったりした。

参考:この曲の自分の記事

追記:ラフマニノフの自作自演盤と言えば、中村紘子女史の夫君で芥川賞作家の庄司薫氏が『僕が猫語を話せるわけ』というような題名のエッセイで、この自作自演盤のLPが宝物であることを書いていたのをふと思い出した。もう30年以上前のエッセイになるだろうか?赤青黒白の四部作を書いた後、このようなエッセイを発表した後、文名をとんと耳にしなくなったが。

2008年8月 4日 (月)

『崖の上のポニョ』は父親に複雑な印象を与える

昨日、日曜日に近所の大型ショッピング施設 ららぽーと横浜の TOHOシネマに宮崎駿監督作品のアニメーション『崖の上のポニョ』を見に行ってきた。公開が確か夏休みが始まった7月19日(土)だったので、既に2週間ほど経過したが、9:30からの上映という結構早い回で、このシネコンでは2スクリーン併行で上映しているにも関らず、200席ほどの8割方が埋まっているという盛況ぶりだった。若い青年の観客もいたが、小学生低学年以下の子ども連の家族が多かった。

我が家は、家族そろって宮崎アニメのファンなので、今回の映画を鑑賞するのも既定の路線だったが、なかなか時間の折り合いがつかず、ようやくこの夏最高の猛暑が予想される日だったが、少し早起きして見に行こうということで話がまとまった。

ららぽーとに開店時刻10:00前に行ったのは妻も初めてで、駐車場をうっかり映画館に一番近い階の5階を選んでしまったのだが、この時間の入り口は一階の正面玄関しかなく、やむを得ず一階にエレベーターで降り、従業員通路のような小道を歩いて正面に回り、そこからエレベーターで映画館に入った。既に前売り券は買ってあったが、予約を申し込むと4人並びの席は前寄り中央と、後ろ寄りの右隅しかないということで、前寄りの中央を選択。これまで我が家は、ワーナーマイカルで主に見ていて、TOHOは初めてだったが、未だ新しいこともあるのだろうが、ワーナーに比べて落ち着いてシックな雰囲気だった。

さて、肝心の『ポニョ』だが、事前にあえてストーリー情報にできるだけ触れずに見ようということで、プログラムは子どものリクエストで買いはしたが上映前には開かずに、予告編15分ほどを我慢して、始まりを待った。

ネタばれになるので、詳しくは書かないが、最近の宮崎アニメの中では秀作だと思った。単純明快なストーリーで、主人公の男の子と同じ年代の小学校入学前の幼児でも楽しめるだろうし、若者も子どもを持つ親も、恐らく老人も楽しめるものだと思う。様々なモチーフが散りばめられているのも少し知的興味をくすぐる。パンフレットには詳しく書かれているのだが、登場人物の人名が有名な小説やオペラからの借用だったり、BGMが完全に有名なクラシック音楽を引用もしくは借用であったり、主題歌の冒頭も有名なシャンソン(歌曲)の冒頭を引用したりなどしていると感じる部分が多々あった。妻は、その元になった楽劇の結末からみて、この物語が映画での結末の後は、ハッピーエンドにはならないかも知れないという懸念を語っていた。

このアニメーションが、アンデルセンの『人魚姫』の宮崎版であることはつとに知られていたが、それに加えて重要な登場人物として、フランスの著名なSFの父とも言われる作家の、よほど通ではなければ見過ごすような脇役がこの物語の重要登場人物になっているのもパンフレットで後から知ったが面白い。そして、この人物こそが、父親というもののレーゾン・デートルを喪失したような、子どもを愛し真剣なのに哀れで滑稽で不気味なキャラクターとして描かれている。ここが複雑な印象をもった理由だ。この映画は、「母への讃歌」であり、母なる海、海なる母、強い気丈な母、嬰児を育てる母、そしてかつて母であった老人ホームの老婆たちが生き生きと描かれているのとは対象的で、娘達に背かれる哀れな父親に(我が家には娘はいないが)妙に感情移入をしてしまった。気丈な母の夫は、働き者のしっかり者ではあるが、妻と子を家に残して、ほとんど家から離れてせざるを得ない仕事についており、ここでも父の影が薄い。

宮崎作品の多くは、けなげで気丈な少女が主人公を務めてきて、一種のフェミニズムの作品群とも言えるのだが、この映画の主人公は、表面的には少年とポニョであっても、母達の物語かも知れないと思った。

『千と千尋の神隠し』の後、『ハウルの動く城』、息子が監督した『ゲド戦記』と、ストーリーテリング的に少し混乱気味だったが、今回の作品はストーリーは枝葉がなくて簡明率直だし、人物造形も、その父親像への虐げ的な扱いを除いては納得できるものだったり、さらに最近では当然のごとく多用されているコンピュータ・グラフィックをまったく使わず手書きのみで作ったという荒業を尽くして、それが作品に手造りの暖かみを与えるという計算が巧く効いているようで、見終えた後もすがすがしい。(恐らく、同じ海中を舞台にした作品では、ディズニー&ピクサーの"ファインディング・ニモ"のCGの出来がよかったので、それも意識していたのかも知れないと、後から思いついた。)

声優陣ははまり役ばかりでまったく難点がなかった。1時間半、本当に途中で眠くなることもなく、複雑な印象を残しはしたが、(子どもと前回見に行ったドラえもんでは寝てしまったので、子どもに突っ込まれてしまった)、家族ともども見入ってしまった作品だった。

2008年8月 2日 (土)

ランパルとV=ラクロワによるプーランクのフルート・ソナタ

Rmpal_poulenc プーランク

フルート・ソナタ 

 第1楽章 Allegro malincolico  4:32
 第2楽章 Cantilena  4:00
  第3楽章 Presto giocoso 3:15

ジャン=ピエール・ランパル(fl)
ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(p)

ランパルとの共演やERATOへのクラヴサン(ハープシコード、チェンバロ)の録音で著名なロベール・ヴェイロン=ラクロワが、珍しく現代ピアノを弾いているもの。

ランパルの"Famous Flute Music"  というオムニバス盤(ERATO 0630-10204-5, ワーナーWPCS-21067) に収録されている。

プーランクという作曲家は、1899-1963 というのだから、明治生まれの昭和30年代没ということで、ちょうど私の祖父の世代に当たる人だ。

とても洒落た音楽を書いた人だという印象があるがあまり作品に触れたことはない。我が家にはプーランクの作品はこの一枚だけかも知れない。

このCDは、ランパルによる様々な作曲家の演奏を集めたもので、バッハのロ短調BWV1040,ヘンデルのト短調作品1の2、モーツァルトのヘ長調K.13、クルムフォルツ(1742-1790、モーツァルトと同時代の古典派のハープ奏者、作曲家らしい)のフルートとハープのためのソナタ ヘ長調、ドビュッシーのシランクス、そしてこのプーランク、最後にフォーレの子守歌作品16をラスキーヌのハープによる伴奏で吹いている。

バッハの作品は、ランパルとラクロワによるERATOのCDに含まれているものと同じだが、ヘンデルのものは有名なヴァイオリンソナタ作品1の中に含まれるもの(ヘンデルの真作とされているもので、元はブロックフレーテ、つまりリコーダー用だという。ラクロワは、グリュミオーによるヘンデルのヴァイオリンソナタ集でもクラヴサンを弾いている)。モーツァルトは相当幼年時代の作品。クルムフォルツの作品もーツァルトと同じで、フルートが従、ハープが主のソナタだが、この演奏ではフルートが主のようにも聴こえてしまう。名手リリー・ラスキーヌとは言え、ランパルの存在感だろうか。

プーランクのソナタは、近代、現代の作品で、エスプリの効いた面白い作品になっている。ラクロワがピアニストで起用されたのは、やはりそれだけランパルの信頼が強かったからだろうか。慣れないピアノだと思うが、無難にこなしているようだ。ランパルもバロックや古典もいいが、ドビュッシーやこのプーランクなどは独壇場だ。

梅雨明け直後は鳴き声が聴こえなかったが、前の森からは、今年も油蝉の合唱が盛大に聞こえ始めた。そんな中、フルートとチェンバロ、ハープの涼しげな音色は清涼剤になってくれる。

2008年8月 1日 (金)

故郷ではお墓参りの日

今日は8月1日。少し暑さの和らいだ日中だったが、最低気温が25度Cを越える熱帯夜が続き、タイマーで停めるようにはしているが我が家ではクーラーの温度を29度Cくらいの設定にして眠るようにしているが、2時間ほどでクーラーが切れると汗が出てきてその感触で目が覚めてしまう。もう睡眠不足は当たり前のようになってしまっているが、水分と「塩分」をなるべくきちんと摂るようにしている。スポーツドリンクのように体液に近い組成に調整されたものの方が合理的ではあるが、味噌汁や煮物の汁など普段は摂りすぎになるような塩分でも、この時期はきちんと摂った方がどうも調子がいいようだ。

さて、自分の故郷に関する覚書のブログにまとめたことがある(戌の満水 いぬのまんすい 1742年旧暦8月1日 新暦8月30日)にちなんで、今日8月1日は故郷の地方では全国的にも珍しいお墓参りの日で、もう夏休みに入っている学校には休日という点ではあまり関係がないが、特に地場の企業などはこの日が平日の場合に休みとすることが慣例的になっている。もっとも子ども達も、昔は花火遊びはこのお墓参りの日とお盆の期間中に制限するようにとの学校からのお達しがあり、結構まじめにそれを守っていて、違う地方から親戚のおじおば、いとこなどが遊びに来て指定以外の日に花火遊びをしたりすると、結構周囲から白眼視されたこともあったように思う。

1742年といえば、まだJ.S.バッハが存命の頃で、日本は江戸時代。バッハとほとんど生没年が同じ徳川吉宗の晩年に当たる頃だった。そのときの大洪水の供養の風習が、300年近くを経た今でも私の故郷の地方に残っているというのは、忘れられないほどの大災害だったということだろうし、また、同じような被害を受けた千曲川のより下流の上田地方、長野地方ではそのような風習は残っていないようなのが、逆に風習というものの継続を考える点で結構興味深い例になるように思っている。

歴史年表で調べると、どうもこのときは相当巨大な台風が立て続けに日本列島を襲ったようで、その大雨のため未曾有の洪水が引き起こされ、各地で山崩れなどが多発し、被害を一層拡大したようだ。

この17世紀から18世紀にかけては、ミニ氷河期の時代とも言われており、世界的に気温が低い時代だったらしい。

火星に水(氷)が存在したことが、NASAの探査機によって確認されたというニュースが伝わってきたが、水の惑星地球で、水の循環というものが引き起こす気象現象の変動というものが不思議でたまらない。

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