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2008年9月19日 (金)

『バルトーク 民謡を「発見」した辺境の作曲家』(伊東信宏著 中公新書1370)

以前から読みたかったこの本をようやく8月末に「書店で」購入でき、先日読了した。

USAに移住する前に訪米した折にシゲティとワシントンの国立図書館でデュオリサイタルを開き、その時の録音が現在CD化されて、ブダペスト音楽院のピアノ科教授バルトーク・Bのピアノの腕前を聴くことが出来るわけだが、コダーイ・Zとともに東欧の民謡研究を行ったということは彼の小伝にも必ず登場する話とはいえ、その詳細はほとんど知ることがなかった。この新書は、知っているようで知らない「民謡研究学者」としての面からバルトークの生涯に焦点を当てた本で、この書籍は吉田秀和賞を受賞しているという。

新書ということで、一般向けの記述であり紙数は限られているが大変中身の濃い本だった。オーストリア・ハンガリー二重帝国下でのバルトーク達の日常生活では、彼らはチェコのスメタナがそうだっように一般的にはドイツ語が使用され、バルトークが受けた音楽教育も、バッハ、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスが主だったのだという。(モーツァルト、シューベルトは少し軽視されていたらしい)。

その中で、民族意識、ナショナリズムに目覚めながら、さてハンガリーの音楽とは何かと求めたのが、民謡を研究するきっかけだったようだ。というのも、いわゆるハンガリー風、東欧風は平行5度の使用や、五音音階の使用によって、「それらしい」風を漂わせたいわゆるお土産品的な音楽が多く、真性な民族音楽というものが見出しがたく、またリストやブラームスのハンガリー風の音楽も都会化したジプシー音楽(ロマの音楽)が主要素であり、それに対してバルトークは極度に批判的だったという。

面白いエピソードとしては、ラヴェルがヴァイオリンとピアノ(後にオーケストラ)によるリスト風の『ツィガーヌ』を作曲したのに対して、バルトークがその後、ラプソディー第1番、第2番という「リスト的」なハンガリー狂詩曲のモデルに従ったかのような曲を作曲したことだ。

なお、バルトークとコダーイによるヒガシヨーロッパ(及び北アフリカ)の民族音楽の研究は、分類上の困難や、分類の恣意性(非科学性)などがつきまとい、膨大な民謡と歌詞の集積にも関らず、必ずしも学問的に体系だった業績にはなっておらず、音楽的にはそれほど高い評価を得られていないというのはこの本を読んでの印象なのだが、体系的にはそうだとしても、蒐集家、マニアとしてのバルトークの克明な記譜を見ると鳥肌が立つほどの驚きが感じられる。学問体系としては完熟しなかったのかも知れないが、バルトークの音楽には民族的、民俗的な素材が再び命を授かったかのように、そのシンメトリーや鏡像的な音楽構成の中で生き生きと活動しているというのが、素人である私なりのこの本を読んでの結論だろうか。

その他、面白いエピソードとしては、p.179 に日本の言語学者である徳永康元氏がブダペストに1940年代に留学しており、その従弟である柴田南雄氏に徳永氏が買い求めたバルトークの楽譜を送り、それを元にして柴田氏がバルトークの作品の詳細な分析を書いたというのがあった。音楽之友社の名曲解説全集のバルートークの弦楽四重奏曲などは柴田氏の解説だが、非常に簡潔なものなので、どこかでその有名な詳細な分析を読んで見たいものだと思わされた。

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