11月の11番は ショスタコーヴィチの交響曲第11番『1905年』
ロシア革命史にはまったく疎いが、1904年に開戦した日露戦争で、ロシアが新興国大日本帝国に、特に日本海海戦で敗れ、ポーツマス条約により1905年講和が結ばれ、その間1905年にロシア第一次革命(血の日曜日事件や戦艦ポチョムキンの叛乱)が起こったことは知っている。一昨年、その日本海海戦の旗艦だった戦艦三笠を見学に横須賀を訪れたが、ショスタコーヴィチの交響曲第11番は、この日露戦争が引き起こしたとも言える帝政ロシアの動乱を描いたものだと思うと、当時の敵国だった日本の国民としてもなんらかの縁があるように感じるから不思議だ。
映画『戦艦ポチョムキン』は、映画史上でもその技法の斬新さで有名なこともあり、以前モノクロームで無声の古めかしい映画だが、テレビ放送を見たことがある。そのときに使われていたのが、ショスタコーヴィチの交響曲が用いられていて(オリジナルというわけではないらしい)驚いたことを思い出す。
以前、この全集を買ったときに、『映画音楽風』の曲も作曲されているというような生意気なことを書いたが、その意味では、この曲と第12番の「1917年」及び交響曲第2番『十月革命に捧げる』がロシア革命に直接題材をとった「映画風」の曲のようだ。
まだ、この曲を真剣に向き合って聞いたことがまったくない、と言った程度でここで取り上げるのも気が引けてしまう。以前、ホームページ『音楽の茶の間』の方で、バルシャイの全集についていた英語パンフレットの解説を翻訳してみようと思って着手したことがあるが、その後PCを新調してOSがXPに変わり、98に付録されていたMSの簡略なホームページ作成ソフトが使えなくなりその代替のフリーソフトもいいのが見つからずホームページの更新が面倒になりそのままになってしまっている。今回は、CDを聴きながら、そのパンフレットを日本語にしてみようとも思っていたら、とうとう11月も晦日になってしまった。
簡単に意訳してみて、それを参照しながら聴いてみた。
交響曲第2番はロシア革命「10」周年(原文ではtwentieth となっているがこれはtenthのtypoだと思われる。1927年作曲だから)を記念して作曲。この第11番は、40周年記念の作品。第7交響曲の特徴と同じく、プログラム(標題)音楽であり、プロパガンダ音楽で、作曲者は各楽章に表題を付けそれは今でも残されている。しかし、ヴォルコフ(『証言』の作者)は、この曲が不成功に終わった1905年1月の革命に関係するのではなく、1956年のハンガリー動乱に関係するとみなしている。作曲者の息子マキシムも、初演前のリハーサルの時に『この曲のために彼らがあなたを絞首刑にしたら?』と尋ねている。
しかし、少なくとも表面的には標題音楽である。9曲の革命歌を含み、「映画的」な細部の描写によるペテルスブルクの血の日曜日のプログラムにしたがっている。もしヴォルコフが正しいとすれば、なぜハンガリーの歌やハンガリーのリズムやネヴァ川の土手ではなくブダペストの物語がないのか?
最終的な標題の結論が何であれ、この曲は第7、第8に見られる戦時スタイルへの後退だ。これは次の第12交響曲でも継続し、作曲家は第8弦楽四重奏曲でピークを迎える弦楽四重奏曲群に自分の個人的な信条を託すことに決めたようだ。
スコアは、フィンランド湾に面するDachaで1957年8月4日に完成。数週間後、作曲者とアレンジャーのメイエロヴィチ(Mikhail Meyerovich)により2台のピアノ版がモスクワ作曲家の家で演奏された。オーケストラによる公式な初演は、モスクワ音楽院においてラクリン(Nathan Rhaklin) の指揮により、革命40周年の式典の一部として演奏。ムラヴィンスキーによるレニングラードフィルによる初演はその4日後。数ヶ月以内にラクリン、ストコフスキー、クリュイタンスの録音が行われた。
楽章は、明確な始まりと終わりを持つが、続けて演奏される。これは映画的な傾向を加える。
開始楽章は『宮殿広場』という標題。典型的なショスタコーヴィチで、ゆっくりと始まり、寂れたザンクト・ペテルブルクの冷え冷えとした薄気味の悪い面を静かに描き出す。そして革命歌『聴け、聴け』と『囚人』を用いている。
第2楽章はスケルツォだが、第8交響曲のそれと共通して残忍な感じのもの。しかし以前の作品にあったような皮肉はない。これこそが、無辜の人々が皇帝の親衛隊によって銃撃されたあの日曜日の出来事の『絵』であり、『1月9日』と名づけられている。
「怒号」が死に絶えた後、ゆっくりした『レクィエム』が続く。これは民謡『あなたは犠牲者として倒れた』を執拗に展開するもので、この歌はレーニンの葬儀にも用いられた。これは、作曲者の最も感動的で直ぐに理解できる旋律的な創意の一つだ。
終楽章『警報』は、作曲者がこのようなプロパガンダ作品を終結させるのによく用いる典型的な肯定的なフィナーレである。それが何に見えるとしても、繰り返されるベルは継続的な闘争を要求する。
Palace Square : adagio 15:27
January 9th : Allegro-adagio-allegro-adagio 18:44
Eternal Memory : adagio
The Tocsin : Allegro non troppo-allegro moderato-adagio-allegro 14:17
Rudolf Barshai 指揮 WDR Sinfonieorchester
〔1999年5月3日/7日、ケルン・フィルハーモニー〕 Brilliant 6324/7
レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフと共産党政権が続き、アンドロポフなどの後に、ゴルバチョフによるペレストロイカによって、ソヴィエト社会主義共和国連邦が崩壊した。ほぼ20世紀を通じた100年間、社会主義・共産主義の理念による人工国家が存在し続けたという意味は、その崩壊から10数年経た今、一触即発の核兵器による地球破滅の恐怖を葬り去ったという効果はあるものの、現在の日本でも見られる格差社会、弱肉強食の世界は、社会主義の理念の地位の低下による影響の一つではあるまいかという感じもしている。ソ連や中国の負の側面がいまや多く語られてはいるが、自由主義圏が理想国家というわけでもなく、「自由」の名の下の無意味な競争が野放しになっているのも「自由主義」の大きな負の側面であり、現在起こっている「投資」の崩壊と、政府による救済は、「自由」のままではやっていけない人間の本性を示しているのかも知れないなどと、この映画的な音楽からいろいろ思ってしまった。
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