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2009年3月の7件の記事

2009年3月29日 (日)

ISU World Figure Skating Championships 2009 Los Angeles Ladies Short Program

ISUの公式リザルトはこれ

昨夜のフジテレビによる競技の放映も、夕刊やネットで結果がわかってからのものだったため、キム・ヨナのどこが評価されて、ショートプログラムの世界最高点 76.12 という奇想天外とも言える点数が出たのかという少々あら捜し的な、意地悪な関心から見てしまったほど。

そして、浅田真央やロシェット、安藤美姫、コストナーのどこが、キム・ヨナに10点も遅れをとるように評価されたのだろうという、鵜の目鷹の目のような大変にヒネタテレビ観賞しかできなかったのが我ながら悲しかった。

女子のフリースケーティングは、ロスアンゼルスの現地時間、Saturday, March 28 4:00 - 8:00 PM Ladies Free Skatingに行われる。 

既に北米は夏時間になっているため 太平洋時間と日本との時差は17時間。大会は、日本時間の3/19 午前9時から午後1時の時間帯に行われる。

2009年3月10日 (火)

シェークスピアの生前の肖像画?が発見

シェークスピア:生前で唯一の肖像画か…英で発見  2009年3月10日 10時12分 (毎日新聞) という興味深い見出しを見つけたが、肝心の肖像画が見られなかったので、検索したところ、

William Shakespeare portrait 'is unique' After three years of meticulous analysis, x-rays and infrared imaging, experts claim to have uncovered the only surviving portrait of William Shakespeare painted during his life. By Caroline Gammell Last Updated: 2:23PM GMT 09 Mar 2009

という Telegraph.co.uk の肖像画が明瞭に見ることができる記事がヒットした。保存状態(その後のクリーニング?)が良好のようで、非常に鮮明な色彩のもので驚いた。

1610年に描かれたもので、1564(ヒトゴロシ)-1616(イロイロ)がシェークスピアの生没年とされるので、満45歳か46歳の頃の肖像画ということになるようだ。

ちょうどシェークスピアの時代の日本と言えば、戦国時代末期で、現在放映中の大河ドラマの主人公直江兼続が1560-1619とされているので、ほとんど同時代人ということになることに気が付いた。

 

2009年3月 5日 (木)

久しぶりの晴天にシューマンの交響曲第1番を聴く

Robert Schumann (1810-1856)
Symphony No.1 in B flat major, Op.38, "Frühling"
 1. Andante un poco maestoso - Allegro molt vivace 11:35
 2. Larghetto 7:37
 3. Scherzo: Molto vivace 5:48
 4. Allegro animato e grazioso 9:55
  Rafael Kubelik / Symphonie-Orchester des Bayerischen Rundfunks
    Recorded: May 1979, Herculessaal, München

手持ちのシューマンのCDをほぼiTunesへ取り込み終わった。ケンプの『子どもの情景』は、Decca Piano Masterworks にも収録されていたので、ダブりになるが、それもカウントしてちょうど1日(24時間)ほどになる。

iTunesの名前を並べ替えという項目に、たとえば上記の交響曲『春』の第一楽章ならば、Schumann038-01 というように入力しておき、シューマンのスマートプレイリストで、その項目でソートする(というのもiTunesで取得できる名前が同じ曲でも表記が様々なため簡単にソートできない)と、一応作品番号順に簡単に並べることができる。それによって、シューマン独特の一つのジャンルを集中的に作曲するという習癖を容易に確かめることができて面白い。

交響曲は、クーベリックがバイエルン放送交響楽団と録音した全集でほぼ満足してしまい、自分としても意外だが同曲異演盤を保有していない。また、結構愛好しているとか自分でも思い込んでいながら、これまでシューマンの交響曲をこのブログの記事に取り上げていなかったようだ。

さて、久しぶりに朝から晴れ上がり、ようやく春の訪れを感じられるようになってきた。ただ、2月に咲いた梅は、風雨と雪に叩かれて散ってしまったものも多く、野辺の雑草もまだ身をかがめているようで、緑色の若芽の姿はほとんど見ることができない。

この「春の交響曲」と呼ばれる作品だが、シューマンは当初 第1楽章 - 春の始まり、第2楽章 - 夕べ、第3楽章 - 楽しい遊び、第4楽章 - たけなわの春 というような表題を付けていたが、その後取り外したという。したがって作曲家の意志を尊重するのなら、『春』と呼ぶのは適当ではないのだろうが、それでも作曲家のインスピレーションが季節の『春』から来ているというのは疑いようのないことなので、それによることはあながち間違いではないだろう。

関東の春は、冬の寒さがそれほどでなく、快晴の日々が多いので、北国や山国ほど春の訪れを心待ちにするということが少ないように思う。それでも一進一退する季節の進みを感じるのは、精神的、肉体的には結構しんどいものがあるが、春の闌(たけなわ)が待ち遠しい。

信州の高冷地や北海道では、ちょうどヨーロッパの春と同じように、4月の終りから5月にかけて木の花では梅や杏や桜、草花では木の間に片栗や水芭蕉が一斉に咲き始め、それこそ生命の爆発のように劇的に景色が一変するという趣がある。シューマンの『春』の最初のファンファーレは、そのような春の開始を告げるもののように聞こえる。

クーベリック指揮のこの録音は、定評のあるもので、錯綜したシューマンのオーケストレーション(鳴りがよくないからと言って決して下手とは言えないとおもうのだが)を解きほぐし、特に対抗配置のヴァイオリンが効果があると思うが、比較的明快な音楽として提示してくれる傾向があると思う(あまり聴き比べをしていないので、断定的なことは言えないが)。

ただ、同じ春を題材にしている作品としては、シューマンの場合、よりデリケートで美しい歌曲集『詩人の恋』の第一曲"Im wunderschönen Monat Mai" (直訳すると、「驚異的に美しい月、五月に」 となる)があるので、少々この交響曲の場合、無理してスケールを大きくしたという作りの粗さが感じられることもある。確かに春は美しいだけでなく、乾燥し、強風が砂埃を舞い上がらせて埃っぽい季節でもあるのだが。

2009年3月 4日 (水)

民主党小沢一郎代表の公設第一秘書の逮捕に思う

準大手のゼネコン(General Contractor)西松建設からの政治献金が、政治資金規正法に基づいて、企業献金なのか、政治団体からの寄付だったのかによる認識の問題で、東京地検特捜部は、企業献金であるのを、政治団体からの寄付だったと偽って政治資金収支報告書に記載したという理由で、公設第一秘書の逮捕、強制捜査に踏み切ったと報道されている。

それに対して、小沢代表は4日午後記者会見を開き、潔白をアピールし、返す刀で「捜査は不公正な国家権力、検察権力の行使だ」と今回の逮捕、捜査を批判したようだ。

小沢氏の言明の真実性はよく分からないが、この事件については、様々な見方ができるようだ。

政治資金規正法違反で既に逮捕されている西松建設前社長が、「小沢代表への政治献金は、小沢代表の選挙区である岩手県でのダム工事を受注するためだった」と供述しているというので、公設第一秘書は虚偽と知りながら報告書に記載したというもの。つまり、潔白ではないというもの。

しかし、一方で報道されているように、西松建設関係の政治団体からは自由民主党へも「寄付」が行われているということからみて(ただし、これが政党として企業献金の名によって受領していれば適法のようだ)、自由民主党にも、他人のことを言う資格はなく、同様に捜査があってしかるべきではないかというもの。

麻生内閣の支持率が最低レベルを記録し、予算成立後は解散総選挙かということがささやかれ始めた時期が時期だけに、ライヴァル政党への打撃を狙って、小沢氏の言う「不公正な権力行使」が行われたかも知れないという憶測も成り立ち得る。高度に政治的な問題なのかも知れない。

ゼネコンからみの汚職事件というと、1994、5年に、公共事業入札を巡ってゼネコンが国会議員、自治体の首長(知事、市長)などに「賄賂」を贈り、摘発された大きな事件が思い浮かぶ。このときは、市長、県知事や前大臣までが逮捕されたのだった。そのきっかけは、元自民党副総裁のゼネコンからの巨額のヤミ献金に端を発した巨額脱税だった。あれから15年を経て、日本の政治状況も経済状況も大きく変わったが、巨額な税金が予算化される公共工事がらみには不透明さが付きまとうことは変わっていないようだ。

政治の大きな役割の一つに、カネを集めて、再分配することがあるが、政治家も官僚、公務員各位が血税への認識がどうも甘いように思えてならない。


2009年3月 3日 (火)

3月3日の本格的な雪

暖冬だった2008/2009の冬もここに来て寒い日が続く。3月2日の朝日夕刊は、「春 早すぎる」という見出しで、東日本、戦後2位の暖冬 正月に梅 氷上釣り・スキー短縮 夏まで高温の傾向という小見出しを付けていた。その記事によると、都心でも雪が降った2月27日に、気象庁は異常天候早期警戒情報を出して、3月4日から13日、全国的に気温が平年よりかなり高い状態が続くと予想したのだという。

しかし、3月3日の桃の節句(旧暦では2月7日で、旧暦の3月3日は新暦の3月29日になる)の今日は、最高気温が5度ほどで、関東地方では昼過ぎからの雨が、夜8時過ぎには雪に変わったほど寒い一日だった。

雪は南関東のような温暖な地での都市生活には邪魔なものだが、窓の外を次々と白いものが落下している風景は、長野新潟県境で積雪3mもの冬をすごした幼児の頃を思い出させるのか、私にとっては、ひどく懐かしいものだ。

明朝はどのような風景になっていることだろうか?長男の中学校は、遠方から通学してくる生徒もいるので、明日の朝まで雪が続くような大雪の場合には、休校になるとの連絡が携帯メールに入っていた。

今晩聴いている音楽は、カーゾンのピアノ、フェイルスタート指揮ロンドン響によるグリーグのピアノ協奏曲。ノルウェー出身のフェイルスタートは、このCDだけで知っている指揮者だが、カーゾンの孤高で気品のあるピアノに対して、峨峨たる様相のフィヨルドの風景を連想させる荒々しさも見せ、またこの曲のスコアをよく研究しているのだろう、他の多くのこの曲の録音のオーケストラパートよりも多彩な音楽を引き出しているように聴こえる。少しスコアに手を入れているかと思うほどだ。フィナーレでは、カーゾンもフェイルスタートの作る迫力ある音楽と一体になり燃え上がるのを聞くことができる。1959年と古いステレオ録音だがプレゼンスは自然であり、ヒスノイズも少ない。外の雪降りを思いながら聴くとより一層興趣が尽きない。

2009年3月 2日 (月)

メタボリックシンドロームの基準は適正なのだろうか?

メタボ「腹囲」偏重に異議…厚労省研究班「関連強くない」 3月1日付け 読売新聞。

結構衝撃的な内容だと思うが、後追い記事が出ないのはどうしてだろうか? いわゆるガセネタなのかと気になる。

メタボリックシンドロームの該当条件は、必須条件腹囲 男性85センチ以上、女性90センチ以上 に加えて、血圧、血糖値、脂質の基準のうち、二項目に該当する人が、指導の対象になり、生活改善や治療を行わなければならない、とされており、私も昨年末の勤務先の健康診断で、腹囲が該当し、最低血圧が若干基準を上回り、脂質もわずかに上回り、指導対象となっている。

しかし、読売新聞が報じた厚生労働省のチームが愛知県で行った調査では、腹囲は必ずしも成人病(生活習慣病)に有意な関係を持っていないようだとしている。

後追い記事が出ないのも気になるが、この調査結果自体は信頼性があるものなのだろうか?

ただ、読売新聞記事では、腹囲が基準以下ならば(つまり痩せ型体型ならば)、仮に血圧、血糖値、脂質がすべて基準を上回っていても、メタボリック症候群(代謝異常シンドローム)には入れてもらえないとのことだ。これは普通に考えれば非常に不可思議なことだ。普通に考えれば、これら3つの基準を上回っていれば、いつ生活習慣病の症状が出ても不思議ではないのではなかろうか?腹囲よりもこちらの基準の方がより重要だと思うが。

他紙では、女性より男性の基準が厳しすぎるという意見も紹介されているが、性差により男性の方が腹部に肉が付きやすく(いわゆる太鼓腹)、女性の方が肉が付きにくいし、体格的にも男性の方が女性よりも大きめということもあり、腹囲の基準は逆のようにも感じられる。

また、身長や、胸囲などのファクターを無視して、単に腹囲だけを基準として振り分けるのも大雑把過ぎるように感じる。

未だ始ったばかりの制度とは言え、厚生労働省の優秀な頭脳が金と時間を掛けて決めたはずの制度がこのように素人目にも杜撰と思われ、また内部からも異論が出るのは、少し悲しいものがある。

参考記事:勤務医 開業つれづれ日記・2 医師の方のブログだが、健康産業が儲かること、内科のパンクの恐れが指摘されている。

2009年3月 1日 (日)

モーツァルトのK.314(285d) 原曲Ob協奏曲Cdur, 編曲Fl協奏曲Ddur

またしてもiTunesネタ。

数年前にカラヤンがサンモリッツでベルリンフィルのソリストたちと録音したモーツァルトの木管楽器の協奏曲集(Ob, Cl, Fg)を記事にしたが、既にこれはiTunesに取り込み済み。

今日はランパルが、テオドール・グシュルバウアー指揮のヴィーン交響楽団(Symphoniker)とERATO入れたフルート協奏曲集を取り込み久々に鑑賞した。ERATOの比較的廉価なCDは、当時住んでいた地方都市の本屋CD店でもよく見かけたので、何枚か買ったが、これもその内の一枚。もう20年近い付き合いになる。最近はとんと聴かなかったが、今回久しぶりに聴いてみるととても懐かしい。CDには録音年はクレジットされていないが、情報ではどうやら1966年の録音らしい。モーツァルトを得意としていたグシュルバウアーも今では数枚しかHMVのリストに残っていないし、このCDも現在はそのリストに含まれていないようだ。

さて、モーツァルトの伝記としては有名な話だが、パリへの就職活動旅行に出かけたモーツァルトは、ドゥジャンというアマチュアフルーティストからフルート協奏曲とフルート四重奏曲の注文をもらって作曲したが、その内現在第2番のフルート協奏曲ニ長調は、実はザルツブルク時代に作曲したオーボエ協奏曲ハ長調を全音上に移調して「編曲」したものだということが知られている。そこで、この2曲は、K.314というまったく同じケッヘル番号が付けられ、ケッヘル第6版でもK6.285dと名づけられ、別の曲としての区別が行われていないとても「不思議な」扱いになっている。

コミック「のだめカンタービレ」で有名になったオーボエ協奏曲だが、フルート協奏曲の方も改めて聴いてみると(こういうときにデータ化した音楽データは便利で、リストを選択するだけで聴き比べができて、ハ長調とニ長調の違いが簡単に確かめられる)、Mozart con graziaのK.314のページに書かれているように、まったくこちらが初めから作曲されたものと言ってもまったく不思議でないほどフルートの魅力を引き出しているように聞こえる。

オーボエとフルートの発音の仕方の違いもあるのだろうと思うし、調性がオーボエの方が全音低い調ということもあるのだろうが、オーボエ協奏曲の方やはり地味な感じを受ける。ただ、それが第2楽章のAndante ma non troppo などでは、息の長いオーボエの旋律が心に沁みるように感じる。

これをK.313(285c)の方のオリジナルの第2楽章、Adagio non troppo は、オリジナルのフルートなのか、フルートのオーボエに比較しての息の短さに合うように、フレーズの長さを短く工夫しているように聴こえるが、どういうものだろうか?

Mozart: Oboe Concerto in C major, K.314
- 1. Allegro aperto 7:27
- 2. Adagio non troppo 7:27
- 3. Rondo.  Allegretto 5:34
  Lothar Koch(ob), Herbert von Karajan / Berlin Philharmonic Orchestra<1971>

Mozart: Flute Concerto No.2 in D major, K.314
- 1. Allegro aperto 7:32
- 2. Adagio ma non troppo 7:45
- 3. Rondeau: Allegro 5:44
Jean-Pierre Rampal(fl), Theodor Guschlbauer /  Vienna Symphony Orchestra<1966>

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