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2009年5月の18件の記事

2009年5月31日 (日)

Doblog 昨日をもって終了したのを今朝確認

5月30日で終了するという告知がずっと出ていたが、昨日5月30日は閲覧可能だった。今朝、5月31日にリンクをクリックしてみたところ

お知らせ Notice
404 Not Found

要求されたページがみつかりませんでした。
URLをお確かめの上、アクセスをお願い致します。

Doblog.com トップへ

Copyright © 2009 NTT DATA CORPORATION ALL RIGHTS RESERVED.

とあり、Doblog.com トップへを開いてみると、


「Doblog」は2003年11月より、インターネット上で情報発信を行いながら人と人をつなぐコミュニティサイトとして運営してまいりましたが、2009年5月30日をもちましてサービスを終了することになりました。

2009年2月に発生いたしましたハードウエア障害に伴い長期間サービスが停止し、ご迷惑をおかけいたしました事、以前と同様のサービスの継続を心待ちにされてきた会員の皆様のご期待に沿うことができなかった事を深くお詫び申し上げます。

サービス開始より今日まで、Doblogを運営することができたのも、たくさんの記事を書いてくださった会員の皆様と、多くの読者の皆様のおかげです。
大変感謝しております。

長い間、誠にありがとうございました。

Doblog編集部(info@doblog.com)

とあった。

既に、書いたことで繰言になるが、NTT DATA 内の無料ブログ、実験ブログとしてスタートした経緯はあったにしても、その後、相当数のDoblogユーザーがBlogを立ち上げ運営していたのだから、場当たり的な移行ツールなどの開発が障害発生後に行われたにしても、NTT DATA という会社組織への信用の失墜は免れがたいものがあると感じる。

これを機にして、無料ブログというもののビジネスモデルが次第に見直されることを想像し、憂慮する。

教訓としては、ただほど高いものはない、というところか。残念。

2009年5月29日 (金)

珍百景とか県民ショーとか 都道府県ネタの番組が結構面白い

ひみつの県民ショーという番組があるが、意外にも子ども達が面白がってみるのに驚いている。今は、関東住まいだが、家族みんなの生まれ故郷は信州なので、つい長野県が題材になると身を乗り出してみる傾向がある。

その中で、長野県民(の一部しか知らない)地元の食べ物というような題材で、これまでに(現在ではお土産として知られるようになった)「おやき」という焼き饅頭、蒸し饅頭の具に味噌煮のまるナスが入っていたり、切干大根の煮物が入っていたり、野沢菜の煮付けが入っていたり、もちろんあんこもはいっていたりの、郷土食の典型の何でもありの具が入っている、現代ではお八つのような食べ物なのだが、それを食べたゲストの秋竹城と西川きよしが、その懐かしい味わいに若い日の苦労を思い出して思わず涙を流したりするという意外なシーンがあった。

また、それこそ私の実家の地域ではまったく日常的過ぎて不思議にも思わなかった「花豆」という大きい豆の甘煮を豆として混ぜ込んだ赤飯が長野県の軽井沢町近辺で伝統的に食べられているのが紹介されたとき、出場者の多くが驚いたのが印象に残ったりした。(ちょうど数日後、テレビを見たわけではないようだが、実家から花豆入りの赤飯が送られてきたのだが)。もちろん小粒の小豆入りのあまり甘くない赤飯も普通に食べるのだが、家庭で母親が手作りする場合には、甘い花豆入りの赤飯を普通に食べていたので、それが全国的に珍しいものだとは思わなかった。

毎週必ず見ているわけではないので、見逃しも多いのだが、島根県の松江市あたりの家庭の湯のみ茶碗が非常に小ぶりで、ほとんどお猪口ほどの大きさだったのには驚いた。松江では、例の不昧公(松平治郷 はるさと、江戸後期の大名。出雲国松江藩主)に何でも結び付けたがるのか、それとも正しい歴史的な事実なのかは知らないが、煎茶道の教えからそのような小ぶりな茶碗を使うのだという。

それ以外には、山梨県の富士吉田のうどん(これは、美味しんぼでも紹介された)も取り上げられ、ゲストたちに大好評だった。

日本は狭いが、風俗習慣的には現代でも様々な相違が見られて面白いものだと思う。


2009年5月28日 (木)

宮沢賢治『春と修羅』、向田邦子『阿修羅のごとく』、トルコ軍楽

4月に国立博物館の『阿修羅展』を見物に行ったとき、萩尾望都の『百億の昼と千億の夜』のことは直ぐに思い浮かんだのだが、電車で帰宅するときぼんやりと考えごとをしていたときにふと、宮沢賢治の

いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾しはぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ

をなぜ思い出さなかったのかを考えた。『春と修羅』は詩集の名前でもあり、上記の詩句が含まれる口語詩の題名でもあるが、現代でも新鮮さを失わない言葉とその連なりをもった何とも言えぬ名詩だと思う。日蓮宗に深く帰依していた賢治であるので、当然仏教の諸神である阿修羅を知っていただろうが、この修羅は、果たしてあの興福寺の阿修羅像をイメージしていたものだろうか、などと、関西修学旅行帰りらしい生徒たちで込み合う列車内で考えた。もちろん「おれ=賢治」は「修羅なのだ」と宣言しているのだが、この修羅の詩を読むと、修羅という言葉からの連想としては至極当然ではあるのだが、それだけでなく、この詩のかもし出す雰囲気と詩句からイメージされる世界が、興福寺の阿修羅の遠い異国の地で 夜叉、悪鬼羅刹 の親玉として、仏教に敵対していた時代を心に秘めながら、それを克服超越した仏教への帰依心の相克のような緊張感と似通うようなものが感じられる。また、Zypressen という言葉が使われるのも興味深い。ゴッホの「糸杉」の糸杉、英語では Cypressのことだという。糸杉は、死や哀悼の象徴であり、この言葉をドイツ語で何度も繰り返す。

阿修羅といえば、異才向田邦子の『阿修羅のごとく』というドラマも思い浮かんだ。これも、阿修羅展ではまったく連想が働かなかったのが不思議だ。ドラマのストーリーはほとんど忘れたが、トルコの軍楽隊による、いわゆる生粋のトルコ行進曲の乱暴そうでいてどこかしら哀愁のある不思議な音楽の使われ方が非常に印象に残っている。

数年前に購入した 世界の民族音楽のCD 2006年8月26日 (土)には、

4.オスマンの響き~トルコの軍楽 Turkish military band music of Ottoman empire が含まれ、ドラマのテーマ音楽として使われた音楽も収録されている。

曲名は、古い陸軍行進曲「ジェッディン・デデン」Old Army March "Ceddïn Deden" (Your forefathers)というものらしい。

元々阿修羅の由来が、古代ペルシャ(今のイラン)のゾロアスター教(つまりツァラトストラ)の最高神光明・生命・清浄の神アフラ・マズダ(日本の自動車メーカーMazdaはこのマズダにも由来するという)にあるということで、中近東と一緒くたにしてはならないが、トルコとペルシャの相互の影響関係を広く考えて、トルコ軍楽に、ペルシャ的な要素を感じることもあながち間違いではないかも知れない。

とにかく、『春と修羅』を読み、阿修羅像をイメージし、トルコ軍楽を聞くのは何か不思議な連環の中にいるような気分がする。

2009年5月26日 (火)

韓国前大統領の自殺、北朝鮮の核実験、ミサイル実験

北朝鮮との融和政策(太陽政策)を継続した盧 武鉉(ノ・ムヒョン)前韓国大統領が、突然自殺したのに続くかのように、北朝鮮はここ数年全世界でも行われていなかった核兵器の実験をいきなり行い、昨日、今日と短距離ミサイル発射実験を日本海に向けて行った。

この情勢の急展開が意味しているものは何なのだろうか?北朝鮮が自暴自棄的、破れかぶれの状態になってしまったのだろうか?

日本でもタカ派は、先制攻撃を唱える向きもあるようで、先の人工衛星もしくはICBM実験の時以上に、きな臭いにおいが漂っている。

普通に見れば、外国の目を自国に無理やり引き付ける行動だろうが、北朝鮮を支えている中国も、比較的好意的なロシアでさえも、今回の暴挙には相当手をもてあましているのではなかろうか。

新型インフルエンザで世界が混乱しているのに乗じてのこのような示威行為を行うのは、外交的な切り札を相手がゲームに参加する前に切ってしまったもののようにも思える。その意味で、余計不気味な動きだ。

しかし、ここは冷静に慎重に対応すべきであり、決して挑発に乗るようなことは後世に大きな禍根を残すことになるように思う。

2009年5月25日 (月)

J.S.バッハ パルティータ BWV825-BWV830

年になって、これまで買い溜めたCDを整理しようとiTunesに読み込ませるのを始めて既に5ヶ月近く経過するが、ようやく8割ほど完了した。

9132曲、36.8日(883.2時間)と表示されている。

演奏家別では、Adam Fischer1.5日、Szell 1.4 日、Karajan 1.2日、Ozawa 1.1日、Bernstein 22.4時間、Gulda 21.8時間。

作曲家別では、Beethoven 7.3日、Bach 2.5日、Haydn 2.2日、Mozart 3.0日, Brahms1.8日、Mahler 1.5日、Chopin 1.0日、Schubert 1.0日、Schuman 1.0日、Tchaikovsky 1.0日。まだモーツァルトのオペラ、ヴァーグナーの楽劇、バッハの受難曲などが取り込んでいないので、少し変動がありそうだが、演奏家ではカラヤンが3番目なのは我ながら意外だった。

オケ別では、VPOが2.6日、BPOが2.2日、CLOが1.5日、LSOが1.2日、PO が1.0日、ACOとSKDがそれぞれ21.5時間と偶然同じ時間だった。(オーストリア・ハンガリー・ハイドン・オーケストラは1.5日)

その間、その「作業」が面白いこともありほとんど新しいCDも買わなかったが、このようなブログでのCD感想文も書くのを怠ってしまった。音楽のデータ化、リスト化は便利なようだが、その反面、一部ジャケット写真の表示はあるものの、個性のないリストの文字が並ぶだけで、調べ物には重宝するが、鑑賞の意欲というのが湧いてこないきらいがあるようだ。

この記事は、2007年頃に書こうと思って、ジャケット写真だけ取り込んで下書き記事として保管していたもの。久しぶりにiTunesで音楽鑑賞をした感想を少し書いてみようと思う。

パルティータという音楽の楽曲名は、このクラヴィア(チェンバロ)のためのパルティータ(全6曲)、独奏ヴァイオリンのための(一般的には「無伴奏ヴァイオリンのための」)ソナタとパルティータ(同じく全6曲)、そして、独奏フルート(同様に無伴奏ということが多い)のためのパルティータ1曲という著名な作品名と知られることが多い。

同じ舞曲による組曲形式でも、独奏チェロ(同様に無伴奏)のための組曲はパルティータとは称されず、フランス組曲、イギリス組曲と名づけられたクラヴィア組曲集もパルティータとは呼ばれないのは少し不思議だ。

チェンバロ(クラヴィア)のためのパルティータ全6曲は、バッハ存命当時から名人、達人向けの作品として知られており、比較的易しいフランス組曲などに比べて練習用というよりも、演奏会、プロ用のものとして認められていた作品のようだ。

ピアノ演奏では、リパッティによる第1番変ロ長調のナイーヴな歌に溢れる演奏が懐かしい。

Jsbach_gould_recital

グールド(第1番BWV825、第2番BWV826)

グールドの演奏は、ナイーヴというよりも、運動性が際立った演奏で、リズミカルに前進していく舞曲が何とも心地よい。


Bach_partita_ross

スコット・ロス(BWV825-830全曲)

スカルラッティ大全集を遺したロスのバッハもとても聴き応えのあるものだ。グールドを聴いてしまうとどうしても比較的一本調子のチェンバロの反応が最初は気になるが、聴き進むうちに、爽やかな音色とアーティキュレーションによるこの演奏の魅力に捉われてしまう。チェンバロ演奏では音色のせいもあり、低音声部の音が右手にマスクされるように感じることが多いが、ロスの演奏では左手がくっきり声部として浮き出て聞こえるのが聴いていて楽しい。

2009/05/26追記:音楽記事に以前からコメントを下さっていた天ぬきさんがブログを開設されたということで、訪問させていただいた。「明日は晴れかな曇りかな」。アラウのパルティータの記事にされていたが、アラウのバッハを聴いたことがないので、とても興味が湧いた。トラックバックを送らせていただいた。



2009年5月24日 (日)

古典的なテレビゲームを楽しんでいる

以前、任天堂のWiiというゲーム機のことを記事に書いたことがあるが、現在も主に子ども達が使って楽しんでいる。ただ、ゲームソフトウェアで購入したのは、「初めてのWii」、「Wii Sports」、「Wii fit」、「みんなの常識力テレビ」といったもので、次第に飽き始めているのは確かだ。

一方で、インターネットにつないでいることもあり、様々なチャンネルサービスが追加され、それらも楽しんでいる。「投票チャンネル」や「似顔絵チャンネル」だとか、最近では「Wiiの間」という少し変わったサービスも始った。茶の間に自分達で作った家族のキャラクターが集合して寛いでおり、そこにいろいろな来客が訪れ、新しい情報をもたらすというようなもので、何社かの企業がスポンサーになっていて運用されているらしい。中には、5分番組で、テレビマン・ユニオン制作のものだとか、優れものも含まれていて興味深い。ただ、これがどのように発展するのか。Video On Demand のような形になるのだろうか?

Wii 本体も、次々にOSのアップデートが行われ、今度はSDメモリーに様々な本体側の情報をコピーやバックアップできるようにもなったりした。今、もしかしたら世界で最も利益率の高い企業の一つかも知れない任天堂だが、確かにそれだけの動きはしているようだ。

過日、次男が、友人宅で(2年ほど前は品薄だったWiiだが、今では彼の友人宅の多くが持っているという)Wiiで「スーパーマリオブラザーズ」を遊ばしてもらったが、面白かったと言っていた。

このWiiは、Wiiポイントという有料ソフトウェア購入用のプリペイドカードシステムがあり、店舗でカードを購入し、そのIDNo.を登録することで、そのポイントに見合ったソフトがダウンロード購入できるようになっている。その購入方法で、その友人宅ではインストールしたものだろうと思い、ためしに1000ポイント購入してやってみたところ、以外に簡単にダウンロードして直ぐに楽しめるようになった。

もう20年以上前にファミリーコンピューターで遊んだことのあるソフトで、自分としても懐かしく、Wiiのスタンダードなソフトよりも最近はこちらで遊ぶことが多くなった。まったくの先祖がえり的な遊び方だが、長男も古いソフトでも面白いねと言っているので、やはりその年代の子どもの心を捉える魅力があるのだろう。(とは言え、このようなゲームはなぜか男子が好む割合が圧倒的で、女子で好きな子の割合は格段に低いようだ。この辺りに先天的か後天的かは別にして男女差が現象として確認できるのは面白い)。

もう500ポイント余ったので、アーケードゲームとして私が学生時代にハマったことのある「ゼビウス」もリストにあったので、ダウンロードしてみた。処理能力の低いファミコン用に移植されたものなので、アーケードゲームにあったイラストの美麗さは相当チープなものになってしまっていたのが残念だったが、それでも操作性やルールはまったく同じで、単純なシューティングゲームながら結構子ども達もハマっているのが面白い。

この土日も、まだ新型インフルエンザの流行の動向がはっきりしないこともあり、不要不急の外出はなるべく避けて、このように巣ごもりで過ごしてしまった。

2009年5月23日 (土)

Google Chrome 2.0 リリースされたがcocolog編集モードは変わらず

以下の記事リーダーのようにGoogle Chrome 2.0がリリースされたというので、早速「設定」の「Google Chromeについて」でアップデートしてみた。cocologユーザーとしては、1.0がリッチテキストモードをサポートしていなかったので、記事作成用としては実用的ではなく、簡単なhtmlのタグを 書き入れてやらなければならないということで、面倒だったため、今回の新バージョンで、もしかしたらと思って試してみたが、だめだった。

グーグルは22日、Webブラウザ「Google Chrome 2.0」正式版(Google Chrome 2.0.172.28 Stable)の公開に伴い、記者説明会を開催した。最新バージョンはGoogle Chromeのサイトから無償ダウンロードできるほか、前バージョン(1.0)のユーザーには数日以内に自動更新が適用される。

cocolog記事作成時のメッセージ

編集モード この画面では、記事の見た目を確認しながら記事作成が可能なリッチテキストモードと、従来どおりのシンプルなプレーンテキストモードを選択できます。

ご注意:お使いのブラウザーはリッチテキストモードをサポートしていません。モードの選択に関わらず、プレーンテキストモードとなります。

Firefox3.0は、インストール初期は動作は速く感じたが、様々なアドオンを導入したり、カスタマイズをすると段々立ち上がりなどの動作が遅くなるような傾向があるようだ。mozilla でも、各タブが独立して動作するような仕様に改良中だというほどなので、利便性や安定性、安全性を感じながらも、単なるザッピング用としては、最近は chromeを使うことが多くなっている。しかし、cocologの記事編集では上記のような状態なので、残念だ。cocolog側での対応が必要なのかも知れないが。

p.s. 早寝したら、5時前に目が覚めてしまい、つい、記事を書いてしまった。

2009年5月21日 (木)

新型インフルエンザ感染者が関東でも

あらたにすでも比べることができるが、日経も読売も朝日も(東京本社版ということもあるのかも知れないが)新型インフルエンザ感染者が二名関東地方でも確認されたことが、一面の大ニュースとして報じられていた。報道によれば、二人ともこの時期にニューヨークに「模擬国連」という学生の一種の研修に出かけた高校生で、ニューヨークで感染したものらしく、国内での人から人への感染ではないということだ。

既に神戸、大阪、滋賀と感染者が拡大しているので、新幹線でほんのわずかな時間で往来できる沿線や関東地方でも人から人への感染も時間の問題かと心配していたところ、意外な知らせではあった。

手洗い、うがいは励行しているが、まだマスク(この土日にあっという間に売り切れが続出すたらしいが、この冬の季節性インフルエンザ対策で購入してあった使い捨てマスク)は着用していなかったが、今回比較的身近で感染者が発生したことで、今日の帰宅時には電車内で着用した。今日着用したのは、どうも新幹線でおそらく西日本から帰宅して在来線である私が利用している近郊路線に乗り換える中学生の修学旅行生が大勢いたこともあった。

弱毒性ということが言われているが、できれば感染したくないものだという意識がある。罹患すれば仕方がないこととはわかっていても、どうも我ながら少し神経質になっている。気分的には晴れ晴れしないし、他人の掛けているマスクも気になるし、咳やクシャミもいやな気分になる。神経戦のようなもので、このようなストレスが逆に抵抗力を落とすことにもなるのだろうから気をつけなければいけないと、どうも堂々巡りになっている。

Yahooニュースを見ていたら雑誌記事のカテゴリーの中のプレジデントの記事で、「人類史から見た、感染症とパンデミックの起源」という結構長いパースペクティブの面白い記事を発見した。農耕と家畜の飼育が、人類史の上で、細菌、ウィルスによる感染症を人類に蔓延させることになる転換点だったということが指摘されている。安定した食生活と人類の増加、それと感染症は表裏一体のもので、その流れに今回の新型インフルエンザもあるということらしい。

私が大学生の頃に、HIV(human immunodeficiency virus)いわゆる、AIDS(Acquired Immune Deficiency Syndrome)ウィルスの流行が報道され始め、ウィルスというものの驚異を思い知らされたものだが、最近ではその報道もすっかり下火になり、新型インフルエンザがマスメディアの格好の材料になりつつあった。AIDSウィルスの感染は、特殊な接触による以外はほとんどありえないということが認識されたので、それへの防御は自らの意志次第のところがあるが、今回のように人類の多くが免疫を持たないウィルスの感染は、通常の季節性(という言葉も今回初めて知ったが)インフルエンザと同様、咳やくしゃみなどによる空気中への唾液・鼻水の飛沫の乗ったウィルスの飛散、そのような唾液、鼻水の付いた物に手などで接触し、それで口や鼻、目に触れることで感染するということだ。

現代のように、過密な移動環境で日常的に長距離の移動が行われたり、数多くの閉鎖手的な空間に多くの人々が集まるという生活形態では、このような感染をする感染症を防ぐ手立ては非常に限られているだろう。日本では、非常にこのウィルスに対して神経質になっている人が多いようで、諸外国から奇異の目でも見られているようだが、江戸時代末期にも、コレラや天然痘が長崎に来航した外国船員が感染源になり、ついには江戸から東北地方まで伝染していったということも、時代小説(『半七捕物帳』など)にも書かれている。

比較的安穏と暮らしている現代ではあるが、今回の騒ぎを乗り越えることで、個人、集団に何らかの成長経験が得られるかも知れないという期待もある。

また、今日は、様々な問題が指摘されている「裁判員制度」が実施の運びとなった日でもある。特に映画『十二人の怒れる男たち』で描かれたような米国流の陪審員制と異なり、有罪、無罪だけでなく、過去の判例や法令解釈の知識も本来は必要な量刑までも裁判員が行わなければならないということ、最近多い残虐な犯罪も裁かなければならないこと、誤審に関しても危惧があること、そして誤審とも関係するが、罪のない人物を死刑にする可能性もあること、など、特別な訓練を受けていない一般人を犯罪の修羅場に投げ込むような制度であり、また守秘義務違反への罰則なども裁判員と裁判官との間の扱いも公平を欠くようなものとされている。一部では徴兵制のような扱いも問題になっており、国家権力の傲慢さが浮き彫りになっている制度だとも言える。司法への国民の参加は本来は望ましいことなのだが、拙速に過ぎるというのが今日始った制度だろう。おそらく多くの手直しの論議が巻き起こるのではなかろうか?

2009年5月20日 (水)

今頃IE7.0を再インストールしてみた

2006年にIE7.0がリリースされたときに早速インストールして使ってみた。その前のIE6.0がタブブラウザでなかったこともあり、当初はIE7.0は使いやすいと感じて使い続けようと思っていたのだが、なぜかウェブを使用している途中で突然アボートすることが頻繁に起きたため、やむを得ずIE7.0をアンインストールして、IE6.0に戻した。

その経緯は、2006年11月30日 (木) IE7.0からIE6.0に戻す にまとめてある。

その後、現在のデフォルトブラウザとなったFifefoxを知ってインストールしたり、それからしばらくしてGoogle Chromeも併行して使うようになったが、Internet Explorerでなければ巧く動かないサイトやサービスもあり、今のところ3本のブラウザソフトを併用してきている。(FFでもIEエンジンを使えるアドオンがありほとんどはそれで用が足りるのだが。)

最近、IE6.0をIE7.0に変えるようにとの連絡が職場であり、以前にこの自宅PCでの苦い経験があったので、仕事用のPCにいやいやインストールしてみた(結構時間がかかる。少なくとも10分は要する)ところ、いきなり異常終了するようなこともなく、結構キビキビとした動作感も感じられ、悪くなさそうだという感触を得た。

記憶が定かではないが、Windows XP が SP2からSP3になったのより、IE7.0のリリースの方が早かったので、もしかしたら何らかの相性問題があったのかも知れないが、SP3になり、IE7.0の方も改良が加えられた結果なのかも知れない。

この自宅PCでも昨夜から使ってみているが、決して悪くはない。

ソフトウェアは、リリースされると使ってみたくなるが、やはりそれなりの熟成が必要なのかも知れない。

IEは、すでにIE8.0の正式版がダウンロードされるようになっているが、その時期に前のバージョンである7.0がようやく(自分としては)安心して使えるようになったのは、進歩進歩とドッグイヤー、キャットイヤー、マウスイヤーで騒々しく先を急ぎすぎる現代の風潮にもやはり問題があるのではないかと思わせるものがある。

2009年5月18日 (月)

映画『ダ・ヴィンチ・コード』をテレビ放映で見た

ダン・ブラウンという小説家の『天使と悪魔』が映画化されて公開されたということで、前作である『ダ・ヴィンチ・コード』の映画版が、ロードショー景気をあおるためかテレビで放映され、ヴィデオ録画しておいたのを昨日の日曜日に子ども達と鑑賞した。ただ、意外にも妻は興味がないとのことで、少し強い風の吹く中、図書館と買い物に出かけた。

さて、映画だが、原作を読んだのは相当前だったなとこのブログで検索してみると、2006年のちょうど今頃だった。3年も前に一度読んだだけなので、映画を見る前は、道理でどんな粗筋だったかも思い出せなかったわけだ。

冒頭の印象的なウィトルウィウス人体図の部分はさすがに覚えていたが、途中までどのような方向に話が進むのかも忘れていた。ヒーローとヒロインがパリ在住のイギリス人の老学者邸に転がりこんで、フランスから自家用ジェット機でロンドンまで飛ぶというあたりから次第に小説の記憶が蘇ってきた。

プロットやアイデアとしては、普通には荒唐無稽なものだと、映画を見ながらも思ったが、なかなかのイマジネーションの飛翔だとも思った。小説で面白いと思ったカトリックによる女性蔑視という説(この説には私としては納得できないことは原作への感想でも書いた)はさすがにあまり強調されていなかった。

子ども達には、サスペンスドラマとしてはそれなりに面白かったようだが、当時の映画評の多くが原作を読んだ人でなければ分かりにくいとされていたように、やはり上っ面をなぞった感の強いものだったし、大雑把ながら西洋史やキリスト教史の初歩的な知識もあった方がよいだろうから中学の息子でもチンプンカンプンなところが多かったようだ。

それでも、娯楽映画としては長編で、テレビでの放送時間はCMを入れて3時間弱だったが、最後まで飽きさせないのはそれなりに面白かったせいだろう。

余談的には、主人公のラングドン教授を演じたトム・ハンクスを見たら、子ども達はすかさず「『アポロサーティーン』の乗組員だよね」と言っていたので、子どもの記憶力というものは凄いものだと思った。

まだ、『天使と悪魔』も読んでないし、映画もあまり見たいとは思わなかったが、このようなカトリック批判的な映画が娯楽映画として相次いで制作されるというのは、「陰謀史観」的な観点からは、何らかの憶測が出ているのだろうか?

2009年5月15日 (金)

検事が列車内で痴漢容疑で現行犯逮捕、容疑認め釈放

新s あらたにす(日経・朝日・読売)で、この事件を読み比べることができる。

「被害者」(私人)による「現行犯逮捕」で、駅員に身柄を引き渡され、警視庁板橋署が駆けつけて逮捕したものののようだ。

14日木曜日の埼京線の上り線の板橋駅での停車中、午前9時半ごろ起きた事件ということなので、通勤通学乗客のピークは過ぎた頃で、身動きができないほどの混雑ではなかっただろうと思われる。

休暇中で朝から新宿方面に買い物に出かける途中ということで、あくまでも想像だがなんらかの心身の不調があったのかも知れない。

ただ、あっさりと容疑を認めたことで、勿論身元は「確か」なので、直ぐに釈放され、後日書類送検されることになったという。

そう言ういえば、少し以前、現役裁判官が高速バスで痴漢をはたらき、逮捕されたが、定年直前だったということもあり、弾劾裁判を受けないというような事件があったばかりだった。法曹関係者によるこの種の事件も最近目に付くようになったのが、嘆かわしい一方で、痴漢冤罪事件と日本の刑事捜査の不合理さをかんがみると、今回の事件の検事の場合には、容疑を否認してもらいたかったと(被害者の方には)不謹慎ながら思ってしまう。それによって、「痴漢」という日本独特の犯罪類型の捜査、裁判に世間の注目がより集まると思うからだ。
 *微罪でも容疑を否認すれば長期拘留される
 *「疑わしきは被告人の利益に」の近代的な刑事裁判の原則が簡単に踏みにじられる
 *やっていないことを自ら証明しなければならないという難問を 突きつけられるのは、暗黒裁判・魔女狩り裁判の特徴
 *通常は検察側が「容疑者」が犯罪を犯したことを主に物証を元に証明しなくてはならないのが常道なのに、被害者 の自白が唯一証拠でも「容疑者」が罪に問われる、悪くすれば有罪となる。

今回の容疑者である検事は、容疑を認めて早期釈放され、書類送検されても、おそらく被害者と示談が成立するなどすれば、起訴は見送られてしまうのではなかろうか?(この辺の手続きは不分明だが)。

また、地検、検察庁としては、内部的にどのような処分が行われ、この法律家が、今後どのような身分になるのかは分からないが、仮に「冤罪」だったとすれば、最後まで戦い抜いて無罪を勝ち取れば、検事としての身分の保証はあるだろうし、悪くても弁護士としてはやっていけたのではなかろうかと思ってしまう。

当の検事は、痴漢事件を担当したこともあると語っているということだが、もし本当に新聞で報道されていることが行われたとすれば、普通の意味では「魔がさした」としか思えない。

裁判員制度の実施までもう何日もない。この制度は、このような軽微な事件は対象とならず、より犯行程度が凶悪で、課される罰も重いものが多いようだ。が、このような「善良な」市民でも巻き込まれるような可能性のある事件についても、裁判員の判断を仰ぐ機会があってもいいのではあるまいか。殺人や傷害、重過失の事故など悲惨な事件だけではなく、このような誰でも陥る(陥れられる)可能性のある事件の裁判への裁判員の参加こそ、捜査制度の正常化、司法制度の正常化につながるような気がする。

少々、支離滅裂な論旨になってしまったようだし、当事者の苦悩も考慮せずに劇場的に見すぎているような感じもするが、今回の事件の報道を読んでのまとまらないながらも今日の感想としてアップしておきたい。後日また考え直すかも知れないが。

追記:例のJ-CASTニュースで、「痴漢冤罪の恐怖―『疑わしきは有罪』なのか?」(NHK出版)という著書がある元裁判官で現在弁護士へのインタビューを見つけた。この元裁判官による著書や、テレビでも放送された映画「それでもボクはやっていない」などで世間のこの種の冤罪への認知の広がりがベースにあって、今年4月の最高裁による防衛大学校の教授の容疑に対して逆転無罪判決が出されたのだと想像される。ただ、この事件にしても被害を訴えた女性が被害に遭ったことを全面的に否定しているわけではなく、どこかに真犯人はいることが当然推定されることが問題で、初動捜査の重要さとともに、実際にそのような不愉快を被っている人たちを守る女性専用車両なども取られているが、一部の路線で採用されているだけなので対応が不徹底だ。ただ、その効果は相当あるのではないか。警察、司法だけの改善ではなく、行政としての対応がより求められる。

以前にも書いたが満員列車内の不愉快事例は、このような「性的」なことでなくとも様々なものがあり、おそらくそれらのうちのいくつか(満員電車内で携帯電話を操作したり、本や新聞を読んだり、相変わらず遮音性の内ヘッドフォンで音楽騒音を撒き散らすことも、周囲の迷惑度という主観によっては)は「条例」違反となるはずのものだろうが、おそらくそれらは受忍限度とかいう理論で逮捕も起訴されることもないことと思うが、これも法の下の平等という原則から言ったらおかしな話だろう。

2009年5月12日 (火)

アダム・フィッシャー盤 ハイドン 交響曲全集を iTunesに取り込み完了

2002年に購入して、はやくも7年も経ってしまったが、まだ全曲を聴きとおせていない。物理的に耳には入れたことは入れたのだが、そのようなながら聴きは曲と対峙して聴けたわけではないので、どうしてもまだそのように思ってしまう。

番号付きが104曲と、A, B と名づけられた曲。そして協奏交響曲が1曲の全部で107曲が、ハンガリー出身のアダム・フィッシャーという指揮者により、オーストリアとハンガリーのオーケストラプレーヤー(中にはヴィーンフィルのキュッヘルなどの名手も含まれている)を集めて編成したオーストリア=ハンガリー・ハイドン・オーケストラにより、ハイドンゆかりのエステルハージ家のホールにおいて録音されたもので、1987年から2001年までかけて録音した長丁場の偉業。ハイドン・イヤーの今年は、この業績に先立つ世界初の全曲録音の誉れの高い、アンタル・ドラティ指揮フィルハーモニア・フンガリカのCDも格安で再発され人気を呼んでいるようだが。

さて、この全33枚になるアダム・フィッシャー盤の全集をようやくiTunesでHDDに取り込み完了した。414曲(楽章)で、合計時間が1.5日、つまり36時間とiTunesのデータでは表示されている。

これまでにも全曲聴き通しと感想(メモ)を試みたのが、ホームページとこのブログに断片的に残っている。

ホームページ

メモ1

メモ2

メモ3

今回、曲名や楽章などを確認しながら、iTunesに取り込んだわけだが、その際にいくつかのハイドン交響曲ページにお世話になった。

List of symphonies by Joseph Haydn (英文wikipediaのリスト)

FCLAで投稿を読ませてもらったことのある作曲家福田陽さんの「ハイドン研究室

The Web KANZAKIの「ハイドンの交響曲」は、ホーボーケン番号順ではなく、作曲(推定)年代順に要領よくまとめてあって参考になった。

そして、これから聴いていく上で励みになりそうな漫画家砂川しげひさ氏の「ハイドン交響曲全曲完聴記の弁」。これを機会にまたハイドンの世界を味わってみようかと思う。

なお、今回つまみ聞きして確認できたのは、どうも位相の違い(というか定位が他のものと異なる、音像が中央に固まってしまいステレオ感に乏しく、分離も悪い)があるのが、最初期の1987年に録音された第101番「時計」と第103盤「太鼓連打」の2曲。私のは初期盤で、ノイズがある盤などを交換に出していないので、初出のままの状態を「保って」しまっている。

2009年5月 9日 (土)

今日は快晴だが、衒学的に言うと五月晴れではない

ここ数日、主に太平洋岸が雨だった。雨雲レーダーが手軽にインターネットで見られるようになったので、どこで雨が実際に降っているかが分かるのは面白い。

今日は、昨日までの雨とうって変わって素晴らしい晴天だ。新暦5月のこのような好天をつい「五月晴れ(さつきばれ)」と呼びたくなってしまうが、「五月雨を集めてはやし最上川」の有名な芭蕉の句のように、五月雨(さみだれ)は梅雨のことで、新暦では6月から7月にかけての梅雨前線による雨のことで、五月晴れはそのような五月雨の合間に僅かに覗く梅雨の晴れ間のことを言うのだという。

新暦の2009年5月9日は、旧暦では4月(卯月)の15日になり、卯月は季節では夏、田植え、衣替えの季節になるようだ。吹く風は、昨日までのたっぷり降った雨の湿り気をわずかに帯びて冷んやりと爽やかだが、確かに今日の日差しは強く、既に初夏の到来を思わせる。

卯月は、卯の花の咲く季節から名づけられたという。唱歌「夏は来ぬ」にも「卯の花の匂う垣根に」とある卯の花だが、これまで意識して実物を見た記憶がない。検索してみたところ数多くの画像がヒットしたが、植物図鑑・撮れたてドットコムというサイトで、ウツギとしての画像を発見した。

これから梅雨入りまでは爽やかな、初夏、卯月の季節を味わえることになる。衒学的過ぎるが、「さみだれ」という言葉の対語であるので、うっかり「さつき晴れ」と言わないようにしようと思う。

長男がブランデンブルク協奏曲のトランペットが入ったのを聴きたいというので、確か第1番か第2番だよ、と言ってCDを渡したら、第2番の方だった。私は、月並みではあるが、シューマンの『驚異的に美しい5月に』で始る『詩人の恋』を聴いてみようと思う。

2009年5月 6日 (水)

長い黄金週間が終わる

かつては、盆正月並みに客入りがいいということ(つまり黄金の雨が降る?ということ)で、映画関係者が名づけたという「黄金週間」ゴールデンウィークが今日で終わる。

2008年からは、休日法の改正により、5月6日が振り替え休日になるケース(5/3憲法記念日か5/4みどりの日が日曜日と重なった場合、こどもの日の翌日が振替休日になる)により、今日5月6日も週日なのに休みになっている。(ちなみに2010年は5月1日土曜日から5月5日水曜日までの5連休となり、6日は平日。2011年は、5月2日が月曜日、5月3日から5月5日木曜日の3連休。5月6日は金曜日で、離れ小島的な連休になる。)

テレビニュースなどは、5/2からの連休を、大型連休(ゴールデンウィーク)後半と称していたが、前半とされる4/29の昭和の日の週は、メーデー休日のない場合には完全な離れ小島的な飛石「休み」であり、連休という感じがしなかったので、「後半」が連休本番だった。

しかし、この連休は、ETCを早めに装着し損ねていた我が家では高速料金一律1000円の恩恵は期待できないことと渋滞が予想されること、またちょうど直前にメキシコでの「新型インフルエンザ」の発生と世界各地へのパンデミックが連日報じられていたこともあり、泊りがけでの旅行の計画も初めからなかったため、昨日の小旅行以外はこれと言った行動をせず、行事類にも参加しなかったので、非常にゆったりとした連休になってしまった。

それでも、昨日、帰宅後、実家から草もちなどがクール宅急便で送られてきて、季節の味も楽しむことができた。

太平洋岸では最後の2日が予想外の本格的な雨になってしまったこともあり、気分爽快とまではいかないが、明日からの再始動に向けて、再調整を開始しようと思う。

CD, iTunes関係では、ようやくハイドンの交響曲全集(アダム・フィッシャー盤)にとりかかった。ジョージ・セル関係で以前から存じ上げていたYungさんのホームページに、PCオーディオについてのまとまった記事を発見して、読ませてもらった。私は、ノートPCで、手軽にiTunesを使って音盤整理をしているだけだが、その記事の「CDからデジタルデータをリッピングすることのメリット 」の内容にはうなずかされることが多く、心強く思った。

 

2009年5月 5日 (火)

修善寺 日帰り旅行

家族内でこの連休中に一日くらいは遠出しようという大雑把な意見統一ができていたのだが、「1000円高速道路乗り放題」による渋滞と、新幹線往復費用の出費の問題もあり恒例の帰省を今回はパスしたので(実家の父母達には少し寂しい思いをさせてしまった)、なかなかスタートダッシュが切れずに、ダラダラと過ごし(とは言え、子ども達は宿題をこの3日間で終わらせたのだが)せっかくの5/2-5/4の好天を棒に振ってしまっていた。

そこで、天気が崩れるという予報が出ていたが、いつも乗っている長野新幹線ではなく、東海道新幹線で西の方に行ってみたいという子ども達からの以前からの要望も考慮して、熱海、三島、静岡あたりを候補にして比べてみたが、三島まで行き、そこから足を伸ばして修善寺まで行ってみようかということになった。

【新横浜駅発 東海道新幹線300系こだま】

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天気がよければ修善寺のサイクルセンターやラフォーレなどに出かけてもと思ったし、三島市内をレンタサイクルで回るのもいいかと思ったのだが、結局伊豆箱根鉄道の修善寺駅に着く頃には雨が降り出し、「修禅寺」を中心とした修善寺温泉界隈を散策しようということにした。

伊豆箱根鉄道は今回初めて乗車(三島-修善寺 片道大人500円)したのだが、鎌倉幕府の執権・連署を務めた北条氏の地元であり、源頼朝が配流された現在の伊豆の国市(韮山、伊豆長岡)あたりの風景は、伊豆の脊梁山脈が東を阻んでいるとは言え、狩野川の沖積平野が平らかに広がっており、水利もよく、山国のイメージのある伊豆だが、水田耕作が古代から盛んだっただろうということが窺がわれる土地柄で興味深かった。

【伊豆箱根鉄道三島駅 修善寺行き】

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韮山といえば、江川太郎左衛門による日本発の反射炉と「反射的」に出てくるのは、小学校時代に清水静岡沼津を修学旅行で訪れたことがあるためで、景色はまったく覚えていなかったが、数十年経っても印象的な記憶というのは忘れないものだ。今年の国民文化祭は静岡県が当番らしく、この江川太郎左衛門英龍を主人公にしたオペラを上演するらしく、ポスターが貼られていた。

途中、車窓から見る「城山」という岩山の眺めも面白く、のんびりとした列車の旅はあっという間に過ぎ、結構繁華な終点駅の修善寺に到着した。

修善寺駅前は、伊豆の各方面に出発するバスターミナルになっており、10本ほどの路線が出ているようだった。修善寺温泉駅(バス停名)行きのバスに乗り、水量豊かな狩野川支流の桂川沿いを10分ほど揺られると修善寺温泉の中心部に着く。(バス料金は整理券制で、210円)。目の前に立派な旅館があり、菊屋という名前だった。後で調べると、これが夏目漱石の『修善寺の大患』で知られる旅館で、相当由緒のある旅館のようだが、最近リニューアルされたようで新しい高級旅館の趣で、さすがに高級そうなクルマやハイヤーが留まっていた。

ところで、土地全体の地名は修善寺だが、寺の名前は修禅寺、ということに今回初めて気がついた。

修禅寺は、さすがに鎌倉時代以前に開かれたという古刹だけあり、雨ながら連休ということもあり人出も多かったが、森閑とした雰囲気のある寺だった。

手水から湯気が出ているのでもしやと思ったら、温泉が龍の口から吐き出されていた。湯どころである諏訪の諏訪大社下社でも手水に温泉が使われているところがあるが、さすがに名湯、修善寺というところだろう。

【手水の龍】

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修禅寺は、元々は真言宗の寺院として開基されたというが、現在は禅宗の寺ということだ。この地は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の長男で二代将軍の頼家が謀殺されたことで知られる地であるが、頼朝の弟の一人で、末弟の義経とともに、義仲追討、平家追討で活躍した源範頼の墓もあることが今回の小旅行で知ることができた。

【修禅寺本堂より小雨の新緑を見る】

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修禅寺を出るとすぐに桂川が流れており、川原の中にある伊豆最古の温泉とされる独鈷の湯という温泉(実際には入れないらしいが)は、水害防止のための移転工事中だった。

朱塗りの橋を渡ると、近年共同浴場として開湯された筥湯(はこゆ)という公衆浴場がある。予めここに入浴する予定だったので、バスタオルなども持ってきており、入浴料350円を払って入湯した。まだ新しいこともあり、自然光を屋根から取り込む設計にもなっていて内部は明るく、湯も当たりが優しく、久しぶりの温泉ということもあり、大変リラックスできた。長野の地元の温泉は、草津の裏山ということもあり、卵が腐ったと称される硫化水素臭が漂うことが多いのだが、ここは無色無臭の温泉らしく至極清潔な雰囲気だった。慌しい日帰り旅ではなく、緑と水の豊富なこのような場所で数日のんびりできればいいだろうと思わせるような場所だった。

【筥湯の望楼】

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【筥湯の望楼から見た修禅寺】

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お湯にゆったりとつかったら、ちょうど昼時になったので、パンフレットで食事どころを探したが、蕎麦の店が多く、子ども達が蕎麦をあまり好まないもので、いかにもひなびた温泉街には必ずあるようなラーメン・やきとりと書かれた食堂「ひろちゃん」に入って手打ちラーメンなどで昼食にした。店内には著名人の色紙なども飾ってあり、東京ジャイアンツ時代の松井選手55番のサインなどもあった。オフか自主トレの時にでも立ち寄ったのだろうか?素朴なスープの結構美味しい手打ちラーメンだった。

雨が少し小降りになってきたので、その店の裏手の山側にある源頼家の墓に詣でた。その手前に、指月殿という「伊豆最古の木造建築」とされる仏殿があり、内部には相当古い時代の釈迦如来像と金剛力士像が安置されていたが、どのようないわれか建物も仏像もあまり修理を受けていないようで、どんどん朽ちているようだった。その奥に頼家の墓と言われる五輪塔とそれを江戸時代の僧侶が改めて祀った頼家公の墓という碑が雨にぬれてひっそりとたたずんでいた。頼家の母の実家である北条氏、鎌倉武士団の意に添わない二代目ゆえの悲劇で若くして命を奪われた悲しみが今でも漂っているかのような空模様だった。

昼食前に入浴した筥湯は、近年作られたものだが、その工事中に古い時代の湯殿のものと思われる遺跡が発掘されたらしく、一説には頼家が入浴したものではなかったかと言われているらしい。 私が愛読している『半七捕物帳』の作者岡本綺堂の戯曲(新歌舞伎)『修禅寺物語』は、この頼家と面作り夜叉王を主人公としたものとのことで、まだ戯曲にも舞台にも接したことはないが、興味がある作品の一つだ。(青空文庫で読むことができることが分かった。)

帰路、三島に近づくと雨が本降りとなり、三島大社や楽寿園、梅花藻の里などの湧水の町めぐりをしたかったのだが諦めて、少し時間も早かったので在来線の東海道線で帰宅した。丹那トンネルは、新幹線ではあっという間だったが、在来線では非常に長く感じられた。

あっさりとした小旅行だったが、家でゴロゴロしているのと違い、少し気分がリフレッシュできた。ごろごろは身体は休めることができるが、適度なストレッチをしないとかえって疲労感が残るそうなので、その意味でも外出は正解だった。

備考:三島駅は、JR東海に属し、我が家の最寄駅はJR東日本に属する。現在、東海でもTOICAというカードを使っており、SUICAやICOCAも使えるとなっていたので、三島駅でうっかりSUICAで入場したところ、最寄駅の改札で出場できませんとなってしまい、駅員に聞いたらJR東海と東日本をまたいでの利用はまだできないということで、駅員のマニュアル操作で料金引き落としをしてもらうことになってしまった。三島駅で普通に乗車券を買えばよかったのだった。今後は注意したいものだ。

2009年5月 4日 (月)

オペラ『フィデリオ』関係の序曲の作品番号

またもやiTunes というか PC音楽再生というのか、その関係のネタに近いのだが。

今日現在で、収録容量(時間)が35.3日となり、残す大物はバッハの受難曲、カンタータ、協奏曲、管弦楽曲。モーツァルトのオペラ、ハイドンの交響曲、ショスタコーヴィチの交響曲と弦楽四重奏曲、リヒャルト・シュトラウスなどになってきた。ようやく先が見えてきたような段階だ。

ところで、ベートーヴェンの交響曲や全集のフィルアップに収録されている序曲は多いが、特にオペラ『フィデリオ』作品72関係では、度重なる改作、改名などにより、四種類もの序曲が今でも演奏されている。今回、それらを取り込みながら、作品番号の付加文字のa,b,cについて少々疑問が生じた。

オペラが『レオノーレ』と名づけられていた時代の第1番、第2番、第3番。そして、『フィデリオ』に改名されてからの『フィデリオ』序曲。

こういう時に頼りになるのが、主要作曲家の作品表で、

歌劇「フィデリオ(Fidelio, oder Die eheliche Liebe)」Op.72(1805.11.20初演/第2版=1806.3.29初演/第3版=1814初演)[3幕(第1,2版=2幕)]

「レオノーレ」序曲第2番(Ouverture "Leonore" No.2*)Op.72a(1805/1805初演/1842出版)[Orch]〔※「フィデリオ」第1稿のため〕

「レオノーレ」序曲第3番(Ouverture "Leonore" No.3*)Op.72b(1806/1806初演/1810出版)[Orch]〔※「フィデリオ」第2稿のため〕

歌劇「フィデリオ」序曲Op.72c(1814/1826出版)

「レオノーレ」序曲第1番(Ouverture "Leonore" No.1*)Op.138(1800~07/1828初演/1838出版)[Orch]

とされている。

ところが、一般のCDの曲目リストの多くが、レオノーレ第3番をOp.72a として、「フィデリオ」序曲を Op.72b とする例が多い。クリュイタンス、セル、バーンスタイン/VPOの全集所収では、いずれも「フィデリオ」序曲をOp.72b としており、「レオノーレ」第3番は、カラヤン、クレンペラーの交響曲のフィルアップのとバーンスタイン/VPOの全集ではOp.72aとされている。

Wikipedia日本語版「フィデリオ」と「レオノーレ序曲」では、作品番号の付加文字については触れられていないが、相当詳しく経緯について書かれており、それぞれの序曲が独立項となっているのは英語版、ドイツ語版より優れているかも知れない。

Wikipedia英語版には、作品番号順のベートーヴェンの作品リストの項目があり、それによると

Opus 72: Fidelio, opera (c. 1803–05; Fidelio Overture composed 1814)
Opus 72a: Leonore (earlier version of Fidelio, with Leonore Overture No. 2) (1805)
Opus 72b: Leonore (earlier version of Fidelio, with Leonore Overture No. 3) (1806)
Opus 138: Leonore, opera (earlier version of Fidelio, with Leonore Overture No. 1) (1807)

とされている。しかし、同じ項目のフランス語版(ドイツ語版は見当たらない)では、

Opus 72 Léonore II UT Orchestre 1805 Seconde ouverture pour Fidelio

Opus72a Léonore III UT Orchestre 1806 Troisième ouverture pour Fidelio

Opus72b Fidelio (opéra) Solistes, chœurs, orchestre 1803 - 1814

Opus72b Fidelio (ouverture) UT Orchestre 1814 Ouverture définitive pour Fidelio

Opus138 Leonore I UT Orchestre 1805 Première ouverture pour Fidelio

とあるので、CDの曲目リストはどうもこちらにしたがっているものが多いようだ。

iTunesの曲名では、レオノーレ第2番がOp.72a,レオノーレ第3番がOp.72b, 「フィデリオ」序曲は、Op.72c としてあるのが、多く、いわゆる英語版Wikipediaの方が少し有力なのかも知れないとも思う。

しかし、一方では、フランス語版からたどれる ケベック大学の Ludwig van Beethoven(1770-1827) Catalogue des oeuvres のキンスキーによる作品目録では、

72a として、レオノーレのみが挙げられており、レオノーレ第3番までの序曲(第1番は作品138を見よ)はここに含まれる。そして、72bとしてフィデリオ(と当然その序曲)が入っている。

作曲の経緯も改訂も複雑だが、作品番号についても同様にまだ少々混乱しているようだ。

ところで、普段一番多く耳にするのが、レオノーレ第3番だが、第2番は、ほとんど同じ素材ながらメロディーのフレーズの切れ目の音程が微妙に違ったりしていて、違う版の面白さというのが味わえるのが面白い。

レオノーレ第1番:音盤所有なし

レオノーレ第2番:ワルター/コロンビア響 1960  15:21(iTunesの表示)

レオノーレ第3番:トスカニーニ/NBC響 1944 13:10
                       クレンペラー/PO 1960 15:21
                       カラヤン/BPO 1965 14:43
                        バーンスタイン/VPO 1978 15:03

フィデリオ序曲: トスカニーニ/NBC響 1944 6:31
           ライナー/CSO 1959 6:37
                       クリュイタンス/BPO 1960 7:08
                       クレンペラー/PO 1962 7:01
                       カラヤン/BPO 1965 7:07
                       セル/CLO 1967 6:12
                       バーンスタイン/VPO 1978 7:13

2009年5月 3日 (日)

Doblogの仮引越し

この5月30日でサービス中止になるDoblogで運営(?)していた「身近な風物を写し俳句和歌を詠む」の記事と画像のダウンロードが可能になった。MTフォーマットというのはMoval Typeのことだったようで、新しくcocologフリーを立ち上げようとも思ったが、当面更新する予定もないため、以前からバックアップ用にしていた「音盤上屋」を「音盤上屋 または 身近な風物を写し俳句和歌を詠む」と名を改めて、記事をアップロードすることにしてみて実行したところ、一応引越しが完了した。コメントもフォローされているようだが、トラックバックはほとんど使っていなかったので、どうなっているか不明。また、画像はいちいち再アップロードが必要のようなので、当面はこのままにしておこうと思う。

私のDoblogは、記事数も画像数も少ない、コメント、トラックバックもほとんどないものだったので、比較的早くMTフォーマットでのダウンロードできるようになった模様だ。

今回のDoblogの長年の「実験」については、フリーで運用させてもらっていたので、とやかくいう資格はないが、再開を諦めてサービス中止にしたところに、日本のIT企業の問題点が如実に現われているような気がするというのは言いすぎだろうか。

2009年5月 1日 (金)

『巨匠(マエストロ)神話 だれがカラヤンを帝王にしたのか』(ノーマン・レブレヒト、文藝春秋社)

1996年8月1日、第1刷。原著のCopyright記載は1991年となっている。確か、2000年か2001年に図書館で借りて読んだのが最初だったと思うが、ちょうどその前後、楽壇の裏話、スキャンダルのような本がいくつも出版されたようだった。ジョーン・パイザーの『レナード・バーンスタイン』も途中で読むのがつらくなるような内容だったし、小澤征爾とボストン響の対立・葛藤を描いた「コンサートは始まる―小澤征爾とボストン交響楽団」も1989年の日本発売で、トランペット奏者と小澤の対立・葛藤が理解不能ながらも生々しく、当時録音され発売されていたマーラーの交響曲を聴きながら複雑な思いに駆られたものだった。

さて、この『巨匠神話』の翻訳はあまりにも意味がとりにくい文が多い。検索してみたところ、このブログも指摘していたのを見つけた。私だけの感想ではないようだ。

この翻訳書は、老舗文藝春秋社の出版のものだが、高校生の出来の悪い英文和訳若しくはコンピュータの自動翻訳的な感触だ。原文にあたったわけではないが、自分の英文和訳の経験からそのように感じた。こういうのは、えてして原文の方が細部は別にして論理的な把握は可能なものだ。

出版社の社員である編集者という存在が、このような書籍では重要なようだが、果たしてこの本の担当編集者の人は、このような難解な日本語をスラスラと理解できたのだろうか?

原文は、内容的に刺激的な暴露、批判を含んでいるので、いわゆる「百科事典」的な平易でストレートな表現ではなく、反語や二重否定、暗喩、直喩などのレトリックを用いたものではないかと想像される。翻訳としては、そのようなレトリックまでも日本語で表現しようとしているのか、若しくはそこまで思いいたらず、直訳調で訳してしまったのか分からないが、なんとも意味がとりにくい訳文が頻繁に登場するので、恐らく後者であろう。

流石に音楽家の名前など固有名詞上の、日本での音楽書の通用的な表現からははずれてはいなかったが、それでも 恐らく ボストン響を ボストン管としていたところがあった。

2008年のカラヤンの生誕200年、2009年の没後20年が続いていることもあり、カラヤンを聴き直し、再評価し、または、新たな批判を加えるような書籍がいくつか出版されているようだが、この巨匠神話はハンス・フォン・ビューローあたりから始まる包括的な指揮者史の中で没後のカラヤンを位置づけており、なかなか読ませるものがあるように思った。ただ、他の指揮者についてもそうだが、個々の演奏や録音についての評価はこの著者独自のものがあまりないようで、伝聞的であり、相互矛盾があったりして少なからず混乱が見られる。

余談的には、中流の中年男性がクラシックの交響楽の支持者であり、米国では中上流婦人層が地域のフランチャイズ交響楽団のボランティアだという構図の指摘は面白かった。

Norman Lebrecht で google book 検索した結果

同じ著者のこのような本もあるようだ。

Maestros, Masterpieces and Madness: The Secret Life and Shameful Death of the Classical Record Industry

ただ、なんにしても内幕ものは面白いことは面白いが、後味がよくないことが多い。知らなくてもいい事実というのもあるものだ。それを暴き出して公衆の面前に備えるのがいいことかどうか。公的な人間にも私的な部分は当然ある。人それぞれだが。

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