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2009年5月 5日 (火)

修善寺 日帰り旅行

家族内でこの連休中に一日くらいは遠出しようという大雑把な意見統一ができていたのだが、「1000円高速道路乗り放題」による渋滞と、新幹線往復費用の出費の問題もあり恒例の帰省を今回はパスしたので(実家の父母達には少し寂しい思いをさせてしまった)、なかなかスタートダッシュが切れずに、ダラダラと過ごし(とは言え、子ども達は宿題をこの3日間で終わらせたのだが)せっかくの5/2-5/4の好天を棒に振ってしまっていた。

そこで、天気が崩れるという予報が出ていたが、いつも乗っている長野新幹線ではなく、東海道新幹線で西の方に行ってみたいという子ども達からの以前からの要望も考慮して、熱海、三島、静岡あたりを候補にして比べてみたが、三島まで行き、そこから足を伸ばして修善寺まで行ってみようかということになった。

【新横浜駅発 東海道新幹線300系こだま】

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天気がよければ修善寺のサイクルセンターやラフォーレなどに出かけてもと思ったし、三島市内をレンタサイクルで回るのもいいかと思ったのだが、結局伊豆箱根鉄道の修善寺駅に着く頃には雨が降り出し、「修禅寺」を中心とした修善寺温泉界隈を散策しようということにした。

伊豆箱根鉄道は今回初めて乗車(三島-修善寺 片道大人500円)したのだが、鎌倉幕府の執権・連署を務めた北条氏の地元であり、源頼朝が配流された現在の伊豆の国市(韮山、伊豆長岡)あたりの風景は、伊豆の脊梁山脈が東を阻んでいるとは言え、狩野川の沖積平野が平らかに広がっており、水利もよく、山国のイメージのある伊豆だが、水田耕作が古代から盛んだっただろうということが窺がわれる土地柄で興味深かった。

【伊豆箱根鉄道三島駅 修善寺行き】

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韮山といえば、江川太郎左衛門による日本発の反射炉と「反射的」に出てくるのは、小学校時代に清水静岡沼津を修学旅行で訪れたことがあるためで、景色はまったく覚えていなかったが、数十年経っても印象的な記憶というのは忘れないものだ。今年の国民文化祭は静岡県が当番らしく、この江川太郎左衛門英龍を主人公にしたオペラを上演するらしく、ポスターが貼られていた。

途中、車窓から見る「城山」という岩山の眺めも面白く、のんびりとした列車の旅はあっという間に過ぎ、結構繁華な終点駅の修善寺に到着した。

修善寺駅前は、伊豆の各方面に出発するバスターミナルになっており、10本ほどの路線が出ているようだった。修善寺温泉駅(バス停名)行きのバスに乗り、水量豊かな狩野川支流の桂川沿いを10分ほど揺られると修善寺温泉の中心部に着く。(バス料金は整理券制で、210円)。目の前に立派な旅館があり、菊屋という名前だった。後で調べると、これが夏目漱石の『修善寺の大患』で知られる旅館で、相当由緒のある旅館のようだが、最近リニューアルされたようで新しい高級旅館の趣で、さすがに高級そうなクルマやハイヤーが留まっていた。

ところで、土地全体の地名は修善寺だが、寺の名前は修禅寺、ということに今回初めて気がついた。

修禅寺は、さすがに鎌倉時代以前に開かれたという古刹だけあり、雨ながら連休ということもあり人出も多かったが、森閑とした雰囲気のある寺だった。

手水から湯気が出ているのでもしやと思ったら、温泉が龍の口から吐き出されていた。湯どころである諏訪の諏訪大社下社でも手水に温泉が使われているところがあるが、さすがに名湯、修善寺というところだろう。

【手水の龍】

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修禅寺は、元々は真言宗の寺院として開基されたというが、現在は禅宗の寺ということだ。この地は、鎌倉幕府初代将軍源頼朝の長男で二代将軍の頼家が謀殺されたことで知られる地であるが、頼朝の弟の一人で、末弟の義経とともに、義仲追討、平家追討で活躍した源範頼の墓もあることが今回の小旅行で知ることができた。

【修禅寺本堂より小雨の新緑を見る】

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修禅寺を出るとすぐに桂川が流れており、川原の中にある伊豆最古の温泉とされる独鈷の湯という温泉(実際には入れないらしいが)は、水害防止のための移転工事中だった。

朱塗りの橋を渡ると、近年共同浴場として開湯された筥湯(はこゆ)という公衆浴場がある。予めここに入浴する予定だったので、バスタオルなども持ってきており、入浴料350円を払って入湯した。まだ新しいこともあり、自然光を屋根から取り込む設計にもなっていて内部は明るく、湯も当たりが優しく、久しぶりの温泉ということもあり、大変リラックスできた。長野の地元の温泉は、草津の裏山ということもあり、卵が腐ったと称される硫化水素臭が漂うことが多いのだが、ここは無色無臭の温泉らしく至極清潔な雰囲気だった。慌しい日帰り旅ではなく、緑と水の豊富なこのような場所で数日のんびりできればいいだろうと思わせるような場所だった。

【筥湯の望楼】

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【筥湯の望楼から見た修禅寺】

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お湯にゆったりとつかったら、ちょうど昼時になったので、パンフレットで食事どころを探したが、蕎麦の店が多く、子ども達が蕎麦をあまり好まないもので、いかにもひなびた温泉街には必ずあるようなラーメン・やきとりと書かれた食堂「ひろちゃん」に入って手打ちラーメンなどで昼食にした。店内には著名人の色紙なども飾ってあり、東京ジャイアンツ時代の松井選手55番のサインなどもあった。オフか自主トレの時にでも立ち寄ったのだろうか?素朴なスープの結構美味しい手打ちラーメンだった。

雨が少し小降りになってきたので、その店の裏手の山側にある源頼家の墓に詣でた。その手前に、指月殿という「伊豆最古の木造建築」とされる仏殿があり、内部には相当古い時代の釈迦如来像と金剛力士像が安置されていたが、どのようないわれか建物も仏像もあまり修理を受けていないようで、どんどん朽ちているようだった。その奥に頼家の墓と言われる五輪塔とそれを江戸時代の僧侶が改めて祀った頼家公の墓という碑が雨にぬれてひっそりとたたずんでいた。頼家の母の実家である北条氏、鎌倉武士団の意に添わない二代目ゆえの悲劇で若くして命を奪われた悲しみが今でも漂っているかのような空模様だった。

昼食前に入浴した筥湯は、近年作られたものだが、その工事中に古い時代の湯殿のものと思われる遺跡が発掘されたらしく、一説には頼家が入浴したものではなかったかと言われているらしい。 私が愛読している『半七捕物帳』の作者岡本綺堂の戯曲(新歌舞伎)『修禅寺物語』は、この頼家と面作り夜叉王を主人公としたものとのことで、まだ戯曲にも舞台にも接したことはないが、興味がある作品の一つだ。(青空文庫で読むことができることが分かった。)

帰路、三島に近づくと雨が本降りとなり、三島大社や楽寿園、梅花藻の里などの湧水の町めぐりをしたかったのだが諦めて、少し時間も早かったので在来線の東海道線で帰宅した。丹那トンネルは、新幹線ではあっという間だったが、在来線では非常に長く感じられた。

あっさりとした小旅行だったが、家でゴロゴロしているのと違い、少し気分がリフレッシュできた。ごろごろは身体は休めることができるが、適度なストレッチをしないとかえって疲労感が残るそうなので、その意味でも外出は正解だった。

備考:三島駅は、JR東海に属し、我が家の最寄駅はJR東日本に属する。現在、東海でもTOICAというカードを使っており、SUICAやICOCAも使えるとなっていたので、三島駅でうっかりSUICAで入場したところ、最寄駅の改札で出場できませんとなってしまい、駅員に聞いたらJR東海と東日本をまたいでの利用はまだできないということで、駅員のマニュアル操作で料金引き落としをしてもらうことになってしまった。三島駅で普通に乗車券を買えばよかったのだった。今後は注意したいものだ。

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