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2009年6月の13件の記事

2009年6月28日 (日)

浅田真央選手のフリースケーティングの曲が決まる ラフマニノフ 前奏曲作品3の2(『鐘』)

音盤を持っていないので、Rachmaninov Prelude Op.3 No.2 を検索ワードとして、YouTubeで探したら、

Gilels plays Rachmaninoff Op. 3 No. 2 In C Sharp Minor 
http://www.youtube.com/watch?v=EtuMVBLEWJU 

という凄い演奏が見つかった。

作曲者自身の ピアノロール再生とアコースティック録音の比較という珍しい音声

http://www.youtube.com/watch?v=8z7Y0J3hIFU&NR=1

も登録されており、いまやYouTubeがクラシック音楽の演奏を手っ取り早く聴く手段になったことを実感した次第。

ただ、著作権上の問題はないかと心配になるような、比較的新しい音源もあるようで、少し気になった。

ニュースで、浅田真央選手の来るシーズンのSPが昨年のFSで使った『仮面舞踏会』で、FSがこのラフマニノフの前奏曲第1番とされる作品3の2の嬰ハ短調の陰鬱な雰囲気の『鐘』をイメージさせる曲だということを知り驚いた。

ラフマニノフには、2007年9月10日 (月) ラフマニノフ 『鐘』 アシュケナージ/ACO で記事にした、合唱とオーケストラのための組曲もあり、指揮者がアシュケナージなものだから、検索ワードでこの記事を見てくださった方も多かったようで、混乱があったようなので、この記事をアップすることにした。(自己トラックバックを送ってみた)

この前奏曲は、ラフマニノフ初期の作品であり、存命時の最大のヒット曲だったというが、あまりの人気の凄さに彼自身がこれに縛られることを嫌ったほどだったというエピソードもあるそうだ。少し暗鬱な響きすぎて、浅田真央の華麗でダイナミックな演技にフィットしないのではないかという危惧があるが、ロシアでタラソワコーチの元、ロシア的な情感をたっぷりと吸収して、来るシーズンに備えてもらいたいものだ。

ここしばらくは、登録ブログの訪問は続けていたが、別のことで少々多忙で、なかなかブログの更新ができなかった。

昨日は、夏至を数日過ぎただけの太陽がたかだかと中天に昇り、猛烈な暑さの一日だったが、今日は一転して曇りから雨脚は細いが、結構稠密な雨の天気になってしまった。

p.s. 2009/12/30 追記

Kunzel_stokowski_transcriptions 原曲は、もちろんピアノ独奏曲だが、浅田選手の使っているオーケストラ版は、レオポルト・ストコフスキーによるオーケストラ編曲版らしい。手持ちのCDに、The Stokowski Sound, Transcriptions for Orchestra by Leopold Stokowski (Erich Kunzel / Cincinnati Pops Orchestra, Telarc)というものがあり、ストコフスキーがディズニーのファンタジア用などに編曲(トランスクリプト)した曲が収められているが、その中に
Rachmaninov: Prelude No.1 in C# minor (収録時間4'40") が収録されている。

浅田選手の今回の音源の収録は、日本のオーケストラによるもので彼女が立ち会った収録風景がニュースで放送されたこともあった。この音源と先日の全日本選手権のを一応聞き比べてみると、冒頭のトロンボーンやティンパニ、ドラに始まり、弦のトレモロなどのオーケストレーションが同じなので一応ストコフスキー編曲のものと考えてもよいだろうが、フィギュアスケートでは途中高い女声のヴォカリーズを付け加えているようだ。

12/27の日本選手権は、これまでこの曲の選曲は失敗だったのではないかという疑念をすっかり払拭するような力強くダイナミックな演技で、感激した。おめでとう浅田選手。オリンピックも頑張って欲しい。


2009年6月20日 (土)

今朝は goo ブログへ接続できなかった

先の無料ブログのDoblogのサービス停止には驚いたし呆れもした。それとは多分無関係だと思うが、自分のブログ内にリンクを設定している同じNTT系の いくつかのgoo ブログ に接続しようとしてみたところ、接続ができない状態が今朝早く6時ごろから現在11時半過ぎまで続いている。

goo のトップページ を見てみても、特に障害情報は掲載されていないのが不思議だ。ただ、個別のgoo ブログもつながらないが、goo ブログのトップページにもつながらない。

何かタイムリーな情報提供があれば、このような時でも疑心暗鬼にならずに済むのだが。

追記: 2009/06/20 17:22現在で試したら、正常に接続できるようになっていた。

2009年6月15日 (月)

中村紘子『コンクールでお会いしましょう』(中央公論社)とヴァン・クライバーン・コンクール

アメリカのヴァン・クライバーン・コンクールで、辻井伸行さん(20)が1位となった先週のニュースは、彼が生まれながらの全盲というハンディキャップを背負っていることもあり、大々的に報じられ、帰国後の公演やコンクール前に録音されたCDも大変なセールを記録しているという。

ヴァン・クライバーンといえば、冷戦時代のソ連で開催された第1回チャイコフスキーコンクールを何と仮想敵国人でありながら(またはそれゆえに)圧倒的な好評で優勝し、その凱旋はアメリカン・ヒーローそのもので、彼の録音したチャイコフスキーやラフマニノフの協奏曲は(現在も現役盤として立派に通用する水準だが)、当時のアメリカで大々的なベストセラーとなった。

我が家にはそのヴァン・クライバーンが、いわゆるショーマンではないピアニストとして脱皮しようと試みた頃の、ベートーヴェンのいわゆる三大ピアノソナタのLPがあり、私にとっては、これがこれらの曲への入門音盤となったということでも恩を感じているピアニストである。このLPのジャケット写真を以前このブログで紹介したことがあるが、そのまさにプロフィール(横顔)を見ても、彼がそのような華やかな栄誉や過大な期待を背負うようなギラギラとしてタフな野心家ではない雰囲気が窺がわれる。一夜明ければ有名人そのままに、その後彼は厳しい批評にさらされ、彼は心身の調子を崩し、ピアニストとしては大成しないまま引退し、その後、ヴァン・クライバーンの名を冠したコンクールの名誉主催者としての地位にあるといい、先日の辻井氏の1位のときにも、暖かいコメントを寄せている。

ヴァン・クライバーンとチャイコフスキー・コンクール、ヴァン・クライバーン・コンクールそのものについて、さすがの筆致で書かれているのが、表題の中村紘子女史による『コンクールでお会いしましょう ---名演奏に飽きた時代の原点』だが、ここで、ヴァン・クライバーン・コンクールについて、その優勝者達が、その後のリーズ国際で優勝したあのラド・ルプー以外に世界的ピアニストとして大成した人がいないという不可思議な事実を記している(単行本 P.85)。この優勝者に与えられる法外なリサイタル契約が、せっかくのその才能を早い段階ですりつぶしてしまうのではないかというような趣旨のことが書かれていた。特に、あのカーネギー・ホールでのリサイタルが鬼門だという。

だから、辻井氏の優勝(1位)には快挙だとは思いながらも、素直に喜べない部分がある。既に、日本のマスコミやプロダクションは、中村紘子女史という大御所が書いたこのような基本的な情報を棚上げにして、辻井氏の才能を消費しようとしているかのように感じて、少しうそ寒い感じがする。

コンクール出身者としては、ポリーニにしろ、ツィメルマンにしろ、ショパンコンクールでの優勝は、演奏家人生の入り口に立っただけだということを自覚してか、それからさらに研鑽を積んだ上で、改めて世に出たという実例もある。是非、賢明な諸氏は、音楽コンクールの優勝は、オリンピックや世界選手権の金メダルが象徴する世界のその時点でのトップということとは違い、たまたまそのコンクールに参加したプロ演奏家志望の演奏者の中で1位になったに過ぎないということをもっと知るべきだ(ほとんど中村女史の受け売りだが)。

盲目の鍵盤楽器奏者としては、高名なチェンバリストであり、オルガニストだったヘルムート・ヴァルヒャの存在を忘れることはできない。また、日本のピアノ界でもヴァン・クライバーン・コンクールよりもさらに権威のあるコンクール、ロン・ティボーで2位を獲得した梯剛之(かけはし たけし)氏や、ヴァイオリニストでは、和波孝禧(わなみ たかよし)氏など、障害をものともせずに活躍している演奏家もいる。

祝福の輪が広がることは結構なことだが、まだ20歳の学生でもあり、じっくりとレパートリーを広げるだけの研鑽の時間がもてるように周囲が配慮してあげて、稀有とされる才能が消費されるのは避けてもらいたいものだと思う。

2009年6月13日 (土)

グルダのモーツァルト ピアノ・ソナタ集K.331, K.333, K.545 & K.485 (amadeo盤) 

Mozart_gulda_sonata11_13_15


モーツァルト 

ピアノソナタ 第11番イ長調K.331(トルコ行進曲付き)
 第13番変ロ長調K.333
 第15番ハ長調K.545
 ロンド ニ長調K.485

フリートリヒ・グルダ(ピアノ)

〔K.331,333: 1977, K.545: 1965, K.485: 1961年〕
  amadeo PHCP-20328(462 926-2)

梅雨の季節になったが、今年はなぜかベートーヴェンのピアノソナタに手が伸びない。これにも、いつでもつまみ聞きが可能になったiTunesの影響が大きいのかも知れない。

ところで、ドイツ・グラモフォン・レーベルでグルダの未発表のプライヴェート録音がアーカイブといして発売されているようだが、こちらは1960年代と1970年代にamadeo(ベートーヴェンのソナタ集を録音したレーベル)に録音した正規録音。

K.485のかわいらしい独奏ロンドは、グルダの『アンコール』というCDにも収録されている1961年録音と同じもののようだ。

さて、この中での注目は、吉田秀和『レコードのモーツァルト』で紹介された非常にユニークな「優しいソナタ」ハ長調への多彩な即興的な装飾音の付加だ。最近、ようやくこのCDが入手でき、どんな演奏だろうかとまずこの「優しいソナタ」に耳を傾けた。

手持ちのCDのこの曲の録音の古い順では、このグルダのK.545が一番古いものにもかかわらず、第1楽章は4:17も掛けて、提示部、展開部+再現部両方のリピートを、ピアノ練習者のように繰り返している。そしてその繰り返しの部分に様々な即興が交じるのが聴き物だ。

グールドの1967年録音は、別として、リリー・クラウス(1968年)、マリア・ジョアオ・ピリス(ピレシュ)(1974年)の生真面目な演奏、及び自分のつっかつっかえの楽譜から離れなれない演奏がリファレンスなので、グルダの演奏はとても面白い。

元々初心者に教授するためのレッスン用に作曲されたという曲で、譜面はそれこそシンプルなものだが、これだけ単純な譜面をそのまま演奏しても晩年のモーツァルトならではの透き通った諦観のような世界が繰り広げられており、形式的にもシンプルなソナタ形式、歌謡三部、ロンド形式という古典派の標準を使っていて、ソナタ形式の再現部の第一主題をヘ長調にしている程度の破調しかなく、これだけの音素材でこれだけ深い表現ができるという典型のような作品だ。

第1楽章の即興に比べると、第2楽章のAndanteは、それこそ縦横無尽に即興を付けている。様々なリファレンスのある現代の耳で聞いてもユニークではあるが、とても面白い。モーツァルトが弟子に弾かせたのは、このようなシンプルな譜面を前にした際のこのような即興的な装飾の仕方だったのかも知れないなども想像が膨らむ。

グルダが1960年代中ごろにこの録音を発表した頃は、相当反響があったものと思う。現在では、正統的な演奏の典型の一つに数えられるベートーヴェン全集は1967年の録音なので、その直前の録音になり、またユニークなルバート演奏で知られるスワロフスキーとのピアノ協奏曲は1963年なので、その直後となる。恐らくギーゼキングなど楽譜忠実主義(ノイエザハリヒカイト)のモーツァルト演奏へのアンチテーゼだったのだろう。

しかし、1970年代録音の有名なソナタK.331については、そのようなユニークさは見られず、一聴、至極普通の演奏に聴こえる。テンポ的にも1961年には2:50で駆け抜けたトルコ行進曲も、3:30秒台で至極普通のテンポだ。

ただ、ソナタアルバム第二巻にも収録されている第13番K.333については、非常に長時間演奏になっている。(iTunesのタイミング表示による)。

このテンポの差は一見少し極端すぎるように思えるが、これもグールドの極端に速いテンポ設定を除けば、提示部、展開部+再現部両方のリピートを忠実に実行しているかどうかの差で、実にじっくりと30分ほどになる「大曲」のソナタに向き合っているのが好ましい。(普通は提示部のリピートを行うだけ。)

録音が比較的新しいこともあり、このグルダ盤がナイーブな魅力で、大変気に入った。ただ、第2楽章でも1960年代のK.545の即興的な装飾はあまり付加していない。時代の差か、それともグルダのこの曲の細部まで丁寧に書き込まれた楽譜を尊重したものか。

グルダ           11:18/ 12:01/ 6:43 〔1977〕
ギーゼキング  4:55/   6:15/ 5:53 〔1953〕
グールド          3:47/   3:41/ 5:57 〔1970〕
シフ                7:16/   5:56/ 6:52 〔1980〕

追記:2010/3/23  グルダのDGへの録音 "the Gulda Mozart tapes"収録のK.333を取り上げられている 天ぬきさんの記事へトラックバックさせてもらった。

2009年6月11日 (木)

コレルリの合奏協奏曲集作品6全12曲 ピノック/イングリッシュ・コンサート

Corelli_concerti_grossi_pinnock


トレバー・ピノック指揮(チェンバロ)、イングリッシュ・コンサート 1987年、1988年録音

久しぶりのディスク音楽記事。iTunesへのデータ取り込みが毎日の音楽生活の多くを占めていて、ゆっくり鑑賞することがないのが原因。以前は、購入して聴いたばかりのCDの感想を書き留めておこうとか、以前からの愛聴盤の紹介をしようとか、同曲異演の楽しみを語ろうとか言う動機で書くことが多かったが、最近は記録と整理が主目的になっているようで、少し本末転倒気味。

さて、バロック時代の器楽、コンチェルト・グロッソの創始者として名高いアルカンジェロ・コレルリ(1653-1713)のコンチェルティ・グロッシ(複数形は、最後のOがIに変化)作品6、全12曲の録音。

第8番ト短調が、「クリスマス・コンチェルト」として有名だが、作曲者が高名な割りにその他の曲をディスクで聴くのは初めて。非常に廉価で入手できたので、あいも変わらず、iTunesに取り込んで聴き始めた。

演奏は、1980年代のピリオド楽器によるバロック時代の楽曲演奏で大活躍したトレヴァー・ピノックとイングリッシュ・コンサートによるもの。何しろ、小学館のバッハ全集(Archivとの共同企画)の第14巻協奏曲、管弦楽曲のほとんどが彼らの演奏だったのだから、その凄さをおしてしるべしというところだろう。

コレルリの合奏協奏曲は、いわゆるコンチェルティーノ(独奏群ヴァイオリンとチェロ)とリピエーノ(伴奏群)の協奏形式の嚆矢だが、全12曲は様々なスタイルをとっているようだ。

楽章数も、第1番ニ長:7, 第2番ヘ長:4、第3番ハ短:5、第4番ニ長:4、第5番変ロ長:4、第6番ヘ長:5、第7番ニ長:5、第8番ト短(クリスマス協奏曲):6、第9番ヘ長:6(舞曲名のついた組曲風の構成)、第10番ハ長:6(第9と同じ)、第11番変ロ長:6(同前)、第12番ヘ長:5(同前)、というように4楽章から7楽章で、急緩急、緩急緩という順序も一定ではない。

(64トラック、2.1時間)

その意味で、もう少し後世のヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハの協奏曲の次第に確立されていった3楽章のスタイルよりも多彩と言えるかも知れない。

まだ一曲一曲楽しんでいる段階だが、楽想的には、演奏スタイルも大きく寄与しているのだと感じるが、古くさいイメージを覚えることなく、むしろ新鮮な面白さを感じることが多い。ただ、必ずしも「個性的」な楽想とばかりとは言えず、単調さも感じることも否めない。それでも、このような音楽を聴くにつれ、音楽王国だったイタリアという「反音楽史」の主張もうなづける。

コレルリより少し後輩のヴィヴァルディが確立した独奏楽器と合奏による独奏協奏曲の成立の方が、協奏という意味では自然に成立するものような気がするのだが、音楽史も、複旋律による対位法から単旋律と和声へと考えようによっては単純化されてきた歴史があるので、必ずしも単純から複雑へという流れが自然というわけではないのかも知れない。Mた、J.S.バッハは、独奏楽器と合奏によるチェンバロ協奏曲を多く作曲しながらい、ブランデンブルク協奏曲では、多彩なコンチェルティーノとリピエーノによる合奏協奏曲の最後の輝きを現出させた。もちろんヘンデルの作品3と作品6も忘れることはできない。

以前取り上げたショーソンのコンセールは、ピアノとヴァイオリンのデュオがコンチェルティーノで弦楽四重奏曲がリピエーノとして書かれているもので、先祖 帰りではないが、この合奏協奏曲の形式を参考にしたものだろう(が演奏効果的にはコンチェルティーノとリピエノーノ対比はあまり明瞭ではない)し、古典派やロマン派の協奏交響曲(モーツァルト、ハイドンなど)、複数楽器のための協奏曲(ブラームスなど)も基本的な基本思考は別なのだろうが、外形 的には独奏群と合奏群の協奏と対立とが構成要素になっている点は共通のようだ。近代で最もこのアイデアを巧く取り入れた有名曲は、バルトークの管弦楽のた めの協奏曲だろうか。

2009年6月10日 (水)

太り気味の方が長生き?

この記事、2009年3月 2日 (月) メタボリックシンドロームの基準は適正なのだろうか?も読売新聞のものだったが、YAHOOニュースを見ていたら、今度も同じ読売新聞記事で、『やっぱり「ちょい太」、やせ形より7年長生き…厚労省調査 6月10日14時32分配信 読売新聞』という、世間の常識を覆すようなニュースが出ていた。

「やっぱり」という副詞は記者の実感なのだろうか、おそらくちょい太体型の記者なのだろうと思わず想像してしまった。  

最も短命なのはやせた人で、太り気味の人より6~7歳早く死ぬという、衝撃的な結果になった。「メタボ」対策が世の中を席巻する中、行きすぎたダイエットにも警鐘を鳴らすものといえそうだ。

とあり、この調査結果は多いに議論されるべきものだろうと思う。ちなみに太り気味は、BMIが25以上、30未満で、身長170cmの場合には72kg以上86.7kg未満が相当するという。

ただ、

体格と寿命の因果関係は、はっきり分かっていない。このため、太り気味の人が長命という今回の結果について、研究を担当した東北大の栗山進一准教授は「無理に太れば寿命が延びるというものではない」とくぎを刺す。

とのことで、因果関係が分からないということに逆に驚く。恐らく、痩せ型、太り型は生活習慣も要因の一つだが、同じ食事をしても太らない人、太る人が分かれるように遺伝的な要因が大きいものだと思う。私の知り合いの食べても太らない人には、体温が非常に高く、活動的だが、疲れやすいという体質を持っている人もいる。

同じ研究で、医療費の負担は太っているほど重くなることも分かった。肥満の人が40歳以降にかかる医療費の総額は男性が平均1521万円、女性が同 1860万円。どちらもやせた人の1・3倍かかっていたという。太っていると、生活習慣病などで治療が長期にわたる例が多く、高額な医療費がかかる脳卒中 などを発症する頻度も高い可能性があるという。

とあるのは、注目すべきで、本来健康的な余命がどのくらいあるかが重要であり、単なる寿命としか書かれていないのがもったいないところだと思う。(健康的か否かの尺度の問題かも知れないが)

ただ、これも厚生労働省の研究だという。以前の記事の通り、まだ厚生労働省の指導によるメタボリックシンドロームの抑制のための体重、腹囲の調整指導を健康保険組合から受けており、半年前よりも2kgほど減量できたが、まだ「太り気味」の範疇に入っている。

メタボリックシンドローム抑制が、結局は、医療費の削減を目的としており、決して健康余命を長くしようなどということを謳っていないのだから、この研究結果もその期待を裏切っていないとも言える。

2009年6月 9日 (火)

地球温暖化人為説への懐疑論は低調となっているようだ

太陽活動の停滞とその影響によるミニ氷河期の訪れの可能性について、世間の関心が高まっているのは、私のような素人のブログ記事へのアクセス数が増加していることにも現われているようだ。

素人ながら、現代が地質年代の上では第四間氷期にあり、いつ氷河期に入るかわかっていないこと、いまから約6000年前に「縄文海進」という自然現象がおそらく自然の地球温暖化の結果として起こっていたということから、現代の気温の急上昇が必ずしも人為的なCO2を初めとする温室効果ガスの影響だけではないかもしれないという懐疑を持っている。「縄文海進」の原因はなんだったのかは寡聞にして知らないが、現代のような人為的な温室効果ガスの排出があったはずはないので、現在将来の資源として有望視されている海底のメタンハイドレードの大量崩壊とか、太陽活動の活発化とか、ミランコビッチサイクルとか、おそらく何らかの要因が予測されるのだろうと思う。

また、そんなわけで、現代の地球温暖化が必ずしも人為によるだけの現象ではなく、もっと大きな気候変動サイクルの中の一こまなのかも知れないということも考えられるのではないか、という懐疑が生じてくる。そこで、私は素人ながら「人為的な原因説」には懐疑的な懐疑論者になるのだろう。

太陽活動は、あまりにも巨大な自然現象であり、その前では人間の歴史など取るに足らず、ましてや生命の歴史でさえ、瞬間の輝きでしかない。カンブリア爆発と呼ばれるような生命の突発的な大発生と、その後の「大量絶滅」が何度も繰り返されている。恐竜の大量絶滅も、白亜紀末の大量絶滅であり、その後、哺乳類の時代である新生代に入り、今にいたっている。その「生命の爆発」と「大量絶滅」に太陽活動が関与していないということは否定しがたい。

それでも現在、最新のデータの積み重ねと合理的な推論の積み重ねによる学説として有力なのは、やはり人為的な原因による地球温暖化だという。そのあたりは、その主唱者である科学者の一般向けのコラムに詳しい。

温暖化科学の虚実 研究の現場から「斬る」!(江守正多) 人為起源CO2温暖化説は「正しい」か?(09/02/09)

ここでは、地球物理の権威 赤祖父俊一氏やブルームテクトニクスの丸山茂徳氏、海洋研究開発機構 地球シミュレータセンター草野 完也氏、横浜国立大学環境情報研究院 自然環境と情報部門 教授 伊藤公紀氏などの懐疑論者が論破されていることになっている。

WIKIPEDIA には、地球温暖化に対する懐疑論という項目もあり、江守氏や気候変動に関する政府間パネル(Intergovernmental Panel on Climate Change、IPCC)の論に立った整理がなされている。

江守氏のコラムでは、最近の太陽活動の不活発に関する 太陽活動が弱くなっている?――温暖化への影響は(09/05/27) というものも早速書かれている。

また、地球環境研究センターのQ&Aでは、「寒冷期と温暖期は定期的に繰り返しており、最近の温暖化傾向も自然のサイクルと見る方が科学的ではないのですか。また、もうすぐ次の寒冷期が来るのではありませんか。」に対して、阿部フェローが綿密に否定論を展開している

「太陽活動の変動の詳しいメカニズムはまだ明らかになっていないため、今後数十年から100年の間の太陽活動の変化による気候変動予測は困難です。しかし、 太陽活動の変化が過去2000年間に起こった程度の強弱で繰り返されると仮定するなら、その影響による気温変動幅は小さいことから、今後100年で予測さ れる人為的な温暖化を打ち消して寒冷化することは考えられません。」

マウンダー氷期のようなミニ氷河期の心配はないということらしい。

地球温暖化防止が、人為的なものだとして、現在のようなエコロジー運動によってそれが食い止められるかどうかということについても懐疑的ではあるが、それでも職場ではエコ委員をやっていたり、率先してクールビズに着替えたりしているのだから我ながら首尾一貫していないこと甚だしい。

懐疑論の親玉だったブッシュ政権とその取り巻きの経済界が政権交代で表舞台から去ったことも、世界的な懐疑論の退潮には大きく影響していることだろうと思われる。

それでも、自分は同様なシミュレーションを用いた天気予報の精度が相変わらず低いことをもってしても「人類の知見は幼い」という暴論とも言うべき持論をもっており、現在の温暖化シミュレーションにしても、何らかの重要なファクターが漏れているかも知れないという可能性はあるのではないかと、懐疑的な見方を続けていくことだろうと思う。

2009年6月 8日 (月)

夕刊連載小説『親子三代、犬一匹』252回で完了

朝日新聞夕刊に連載されていた 藤野千夜:作、風忍:え のほのぼのとした家族小説が今日最終回を迎えた。

取り立てて劇的な筋書きもなく、比較的平凡な家庭(著者がモデル?)の日常風景を描写した小説だったので、我が家では私だけが結構楽しんでいたのだが、妻は途中で読むのをやめ、子ども達は読んでいなかった。

中高一貫の名門男子学校を受験する少年、マルチーズ?の犬を「猫可愛がり」する高校生の姉、絵本(童話?)作家の母、その亡夫の母と亡夫の弟が一家。

そこに少年の初恋や、中学受験、義理の弟と義理の姉の若い頃?からの微妙な関係などなど、そこそこ興味をそそられる設定がからみ、さらにそこに一家の中心は自分だと思い込んでいるような小型犬が君臨し、姉がそれを溺愛するという図がいつも伴ってくる。

少年、少女向けでもなく、かといってペット小説でもなく、ファミリー小説とでも言うジャンルに強いて入るものだろうか。

犬の病気とか、突発的な出来事とか、劇的なストーリーにいつ転換するのかという少々サスペンスのような雰囲気も漂ったが、トビ丸という愛犬がすやすやと「寝たふり」をする描写であっさりと終わってしまった。

p.s. 朝刊の小説は、例の『徒然王子』の後で、正統的な時代小説『麗しき花実』(乙川優三郎:作、中一弥:画、村田篤美:題字)が既に111回を迎えている。酒井抱一と同時代の女流の蒔絵師理野という女性の蒔絵への傾倒を、おそらく専門的な知識を基に、当時の蒔絵界、絵画界の様子などを交えながら、綿密に描いた時代物で、毎日楽しみに読んでいる。

さかい‐ほういつ(さかゐハウイツ)【酒井抱一】 江戸後期の画家。本名、忠因(ただなお)。姫路藩主酒井忠似(ただざね)の弟として江戸に生まれた。仏門に入ったが、すぐに隠退し、江戸根岸に雨華庵をいとなみ、書画俳諧に風流三昧の生活を送った。絵は、狩野派、沈南蘋(しんなんぴん)派、浮世絵などを学んだが、のち、光琳に傾倒し、独自の画風を開いた。代表作「夏秋草図屏風」。(一七六一~一八二八)Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) ゥ Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988

2009年6月 7日 (日)

一日順延された春季運動会を応援に出かけて日に焼けた

予定では、6月6日(土)開催予定だった次男の小学校の運動会だが、あいにくの金曜日からの降雨で今日日曜日に順延された。仮に日曜日がだめなら、平日の明日月曜日、火曜日・・・ということでとにかくこの時期に運動会が行われることになっていたが、金土とはうってかわった朝からの快晴に恵まれて無事運動会が挙行された。

最近、近隣の小学校では春の時期に運動会が行われることが多くなっているが、これも小学生の中学受験の影響だという話もあるようだ。新入生の1年生にとっては練習期間が短くて大変だろうとは思うのだが。

今日は、快晴なのはよかったのだが、夏至の直前の最も太陽の力の強い時期にあたり、気温も急上昇して、父兄も日陰の場所に席を確保できた人たちは何とか日焼けを免れたが、そうでない人たちやもちろん児童、先生たちは猛烈な日差しに肌を真っ赤にしていた人が多かった。熱中症も心配されたが、どうやらそのような症状が出た人は、知る限りではなかったようだ。

P1010050

校庭には、メタセコイヤが学校のシンボルとして植えられているが、そのほかに桜も既に大木になっているものがあり、今日はちょうどその木陰に助けられた。この写真は、ちょうど陣取った場所からみたところ鮮やかな若葉紅葉になっている木があり、8年間この学校の運動会には通い続けたが初めて気がついたもので、大変美しい見物だった。

先日、生意気なことを書いた「五月晴れ」だが、今日は旧暦の5月15日になるそうなので、一応古来からの「皐月晴れ」の範疇に入るのだろう。まだ梅雨入りはしてはいないが、爽快な新暦の五月の晴れとは違い、夏至の南中高度の高さの日差しは、ここ数日、「ミニ氷河期」で相変わらず注目を集めているようだが、太陽黒点が現われず、太陽活動が不活発になっている(その影響が実際に顕著に現われるのは数年後か?)といいながら、日焼けの強さに、太陽の偉大さを改めてかみ締めた(とは大袈裟か?)。

ところで、最近、医薬品のネット通販の規制が話題になっているが、それかあらぬか、海外の医薬品販売業者だろうか、いわゆる医薬品の(といっても普通のものではないが)スパムトラックバックが増えている。トラックバックは一応いったん保留にして、私が公開してもいいと判断したものだけを公開しているので、実害はあまりないのだが、それでもトラックバックのサイト規制をして、迷惑トラックバックとしてCOCOLOGに報告兼削除をするのは結構手間がかかる。インターネットの伝道者のような梅田望夫氏が、日本のネットの現状を憂えて、それに対する批判も相当多いようだ。それとは別の次元の問題ではあるが、ネットを流れるメールやこのようなトラックバックの相当な割合がいわゆる「スパム」だという調査もあるという。いわゆる「色と欲」をターゲットにした引っ掛けが「スパム」だと思っているが、結局人間は本能的な部分からは逃れられない宿命にあるのかも知れないし、またそれがなければ、逆にこのような急激な技術の進展もないのかも知れないなどと、考えた。

2009年6月 3日 (水)

村上春樹『東京奇譚集』(新潮社 2005年9月18日発行)と新作

4月中旬だったが、何で人気作家の比較的最近発行されたハードカバーの初版本がこんなに廉いのか分からないが、とにかく最低価格で売っていたのを求めてきた。

ここ数日は、この作家の新作の上下二冊の小説が記録的な売れ方をしているというニュースが喧しいほどだ。「1Q84」という題名らしい。うっかり「IQ84」の誤植かと思ってしまうような題名で、少し驚く。

2009/06/06 追記:まだ入手もできていない「1Q84」だが、ネット情報では、題名的にはジョージ・オーウェルの「1984」のモジリらしいということが言われている。今は当たり前のように使っているネットのアクセス解析だが、実際に自分のcocologでその内容の詳細さに触れたときに、まさにこれは「1984」の世界ではないかと感じたことを書いたことがあったのを思い出した。「ココログ アクセス解析の導入で考えたこと」2006年8月 3日 (木)

1Q84というのはまた、「仕事の上では、1st Quarter,1984 1984年の第1四半期のことだよな」ともおもったりもした。とにかく入手困難なほどの売れ行きだとのこと。新型インフルエンザ予防のマスクもとうとう某ネット企業による買占めなどの噂がたったほどのブームだったが、意外にも国内感染が拡大しないことから急に売れ行きが鈍っているようで「ブーム」はあっという間に過ぎてしまったようだ。「1Q84」は果たして一時的なブームで終わるのか、それとも読み継がれるものになるのか?少々気になる噂だが、どうも作者と出版社が事前に「情報統制」を行って読者の飢餓感を煽ったらしいというようなことも伝わっているので、そのあたりが少し胡散臭さを感じてしまう。2009/06/06追記ここまで。

RSSリーダーに登録させてもらっている「アマオケホルン吹きの音盤中毒日記」の記事には、「村上春樹とヤナーチェク」という題名があったので、一体何事かと思い読ませてもらったところ、ヤナーチェクの『シンフォニエッタ』がどうやらジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団の演奏という名前入りで登場するらしい。 先日読んだ『意味がなければスイングはない』や、『海辺のカフカ』でもこの作家の音楽への強い思い入れが表現されていたが、新作でのヤナーチェクの音楽への言及はどういうものなのか興味が沸く。

さて、『東京奇譚集』だが、比較的難解な設定の登場人物設定や奇想天外というか常軌を逸した展開についていけずにあまり楽しめていない村上春樹の作品にしては、短編集ということもあり、それほど混乱することなく何作かの短編を楽しむことができた。『偶然の旅人』『ハナレイ・ベイ』『どこであれそれが見つかりそうな場所で』『日々移動する腎臓のかたちをした石』『品川猿』の五編の短編。

奇妙なようだが、本当にあった話という体験談であるという自己規定的な文章が第一作の冒頭に書かれている。普通の前書きというわけではない。その意味では、短編集というよりも、一種のテーマをもった連作集と呼んだ方がいいのかも知れない。

村上春樹は、世界的に多くの読者を持つ現代日本きっての作家であり、先日の「エルサレム賞」でのイスラエル政権への痛烈な講演は、勇気をもった文学者として高く評価された。 ただ、彼の作品をすべて読んだわけでもなく、好みの作家かと聞かれるとそうとはとても言えないが、関心を持っているという程度の小説家なので、えらそうなことは言えないが、彼の音楽に関するエッセイはとても面白いので、先の『意味がなければ・・・』の続編のようなものがあれば読んでみたい。(『意味がなければ・・・』では、ジョージ・セルとルドルフ・ゼルキンのヴィーンでの少年の頃の修業時代のことに触れているくらいなので、ジョージ・セルが好みなのか、『1Q84』を読んでみなければ分からないが。)

p.s.
ところで、今日はやけにこのブログへのアクセスが多いので、アクセス解析で調べてみたところ、『ミニ氷河期」というキーワードで検索して、2006年ごろに書いた記事にアクセスしてくださる方が多いようだ。

2006年2月 7日 (火) ミニ氷河期(小氷河期)が到来するのだろうか?

最近になって太陽活動が停滞期になっているということが言われ始めたが、この2006年当時、このロシアの天文学者は既に予想していたということになるのかも知れない。

科学も当たるも八卦あたらぬも八卦的な部分が多かれ少なかれあるので、この停滞期がいつまた活発期に遷るかどうかは誰にも分からない。ただ、過去の観測から読み取れる太陽活動のリズムの低迷期がちょうど今頃だとしてもそのサイクルに矛盾しなということだけで、これこそ人為の及ぶところではない。

達観しているようだが、実はとても懸念しているので、以前からこのようなことに関心があるというだけなのだが。

音楽評論家の黒田恭一氏が逝去されたという。音楽雑誌を読み始め、FM放送を聴き始めてから存じ上げていたが、70歳を少し越したばかりで亡くなられたという。非常にソフトで、少しひらがなが多すぎるほどの評論を書く方で、ソフトながらぶれない芯も持っていたようで、当時アンチカラヤンが多かった評論界の中では珍しくカラヤンへの賛辞を隠さなかったのが、強く印象に残っている。御冥福を祈りたい。

2009年6月 2日 (火)

新型インフルエンザの水際防疫と小正月の道祖神・塞の神の祭り

小正月に全国各地で行われる道祖神祭りだが、小学校6年間、その行事に参加したのはいい思い出になっている。

道祖神といえば、信州の松本平の北方の安曇野の男女双体の石造の道祖神がよく知られてはいるが、道祖神を別名、塞の神(さいのかみ、さえのかみ)、つまり遮る神、ふさぐ神とも呼ばれ、災いや疫病が村境から村内に入って来ないように防御して欲しいという願いを受け止める神でもあったようだ。

その道祖神を祭る祭礼が、なぜ厳寒の小正月(太陽暦ならば大寒の直前、太陰暦の1月15日でも立春の直後で厳寒には変わりない)に行われるのか、謎だった(といっても文献に当たったわけではない)が、今回の空港や航空機内での水際防疫に勤しむ厚生労働省主導の活動を見ながら、まさに村境を守る道祖神的な発想がまだ残っているのかも知れないと連想が働いた。

元々小正月の火祭りは左義長という小正月に行われた宮中行事が起源だとされているが、その起源である祭りにも病気払いの意味があったという。

私が子どもの頃にその先輩達から伝承した道祖神の祭りが、いつごろからその村に伝わったものかは知らないが、ご神体を納める小さな祠は、相当古いものだった。(崩壊しそうだったので、村の鉄工所のおじさんが、鉄製の立派な祠を奉納したほどだった。)

季節的に考えると、小正月の厳寒期は、今ほど人の往来が激しくなかった明治や江戸の頃でさえ、感冒が流行ったもので、おそらく当時の人も、感冒は外部の人やものと一緒にやってくるものだと想像したように思われる。そこで、その災いを招かないように、塞の神の祭りを、小正月に行ったものではあるまいか?

全国各地に小正月行事としての火祭りは様々な名前で伝えられているようだが、疫病は外部から来るもの、特に江戸時代末に流行したコレラ(コロリ)は、その思いを浸透させていき、その記憶がいまだに日本人には強く「遺伝」しているのかも知れない。

日本政府と国民の反応が世界的にも奇異に見られているが、、国外で発生した伝染病が国内に入るのを非常に神経質になる一つの要因なのかも知れない。

2009年6月 1日 (月)

音楽家の醸しだす雰囲気、立ち居振る舞い、印象と音楽

以前から思っていたことなのだが、その音楽家の本質的な性格などというものは誰にも分からないのだが、たとえば指揮者の体格、大柄、小柄、やせている、太っている、ハンサム、そうでもない、気取り屋、素朴、陽気、陰気、孤高で打ち解けない、ざっくばらん、知的、本能的、鷹揚、神経質、高尚、低俗、老人、若者、白人、有色人種、などというような目に見えたり、印象として感じられる部分と、その作り出す音楽から受ける印象というものが結構相関性があるのではないかと思ったりしている。

体格の大小、肥痩、老幼、男女、などの属性は主観がそれほど交じらないが、美醜や性格、個々の奏者との相性のようなものは、非常に主観的な要素の強いもので、それこそ何の根拠にもならず、むしろその音楽を受容するリスナー個人の印象が、聴く音楽の性格に対して何らかの先入観を与えているのかも知れないということも大いにあることなので、憶測の域を出ない。

また、ブラインドテストではないが、あまりよく知らない曲を聴くとした場合などで、たとえばベーム指揮の録音が間違ってカラヤンのCDケースに入っていて、よく確認もせずに聴いた場合には、カラヤンの少々気取った豪華な雰囲気が感じられてしまうこともあるかも知れないし、逆の場合では、カラヤンの録音をベームの写真を見て先入観をもって聴いたときには、謹厳実直な演奏だと思ったりもするかも知れないので、まったくの仮説ではあるし、相当自信もない。

昨日の日曜日の朝、『題名のない音楽会』で、金聖響がゲストで出演して、東京シティフィルを指揮して、ベートーヴェンの交響曲第5番の第1楽章を、司会の佐渡裕と一緒にあれこれと実験的な試みをしたのだが、最後に金自身が日本系の指揮者としては、現代オケを用いてのピリオドアプローチに取り組んでいることもあり、楽器配置や弦のヴィブラートの抑制など、金の解釈による第1楽章全曲を演奏して見せた。金自身、のだめの千秋のモデルとされるだけあり、いわゆるイケメン系であり、スリムで切れ味のいい指揮ぶりなので、奏でられる音楽も、そのように聞こえた(ような気がする。)目からの情報量は、聴覚、臭覚、味覚、触覚に比べて格段にボリュームが多いといわれているので、聴覚もその影響を免れることはないだろうし、演奏者の側にしても、老大家が、少ない棒の動きと眼力で(シューリヒトのごとく)指揮して出てくる音楽と、若手バリバリの指揮者が明快な棒捌きで、躍動感のある音楽を作ろうと煽るのでは出てくる音楽は当然違うだろうとは思う。

金指揮のベートーヴェンの第5の第1楽章は、1000回以上登場するという「運命のモチーフ」の各パートでの受け渡しが明快に表現されて、ピリオドアプローチらしい明晰な面白さが感じられ、結構関心した。ただ、コーダでのホルンの倍の音価(セルやライナー、ジンマンでは明瞭に聴こえる)でのモチーフは特に強調されることはなく、過ぎてしまったし、終結部直前の一瞬突然ピアノに音量を落としてから再度クレッシェンドするというのは、初めて聴く解釈であり、少し驚いた。才気煥発で、自信に満ちた若手バリバリの指揮者の音楽という印象を、映像と音の双方から受容した経験だったが、これがまったくの音だけの受容だったらどうだったか、我ながら結構興味深いものがある。

以前のこの番組でも素人指揮者大会が面白かったが、指揮台に立つ人次第で音楽が変わるというのは、確かにあることであり、数値化はとても無理だろうが、雰囲気、立ち居振る舞いのようなものが、奏でられる音楽に影響を与えるというのはあながち間違いではないかも知れないなどと、改めて思う。

こんなことをつらつら考えたのは、またもiTunesでの音盤整理が背景に少し絡んでいる。いわゆるジャケット写真(すでにCD時代ではジャケット=上着ではなく、単なるパンフレットの表紙なのだが、ついジャケット写真と呼んでしまう)をスキャナで取り込んで、曲目リストに添付することが可能なのだが、これまでこのブログを書く際にスキャンした画像などをフォルダから探してきて、読み込ませたリストに添付したりする作業を、音楽の取り込みと平行して始めたのだが、そのような視覚的なイメージが付加されるだけで、無味乾燥なアルファベットのリストに色が添えられ、聴こえる音楽も、イメージがないときよりも、個性的になったような気がしたということがあった。映像イメージと音楽というと、調性と色彩を結びつけたスクリャービンのような例もあるし、作曲家には調性ごとに色のイメージが浮かぶ人もいたというエピソードも聞いたことがあるので、聴覚と視覚の関係というのは相当デリケートな面白さがあるようだ。

余談だが、今日の夕刊(朝日)には、金聖響が、神奈川フィルを財政的に立て直すというような取り上げ方で、大きく紹介されていたが、私がいくつか読ませてもらっている神奈川フィルの演奏会評では、前音楽監督の現田茂夫の時にも神奈川フィルのコンサートは相当活況を呈していたようなので、その予備知識で今回の特集記事を読むと、少し記事の性格が金聖響へのヨイショ的な意図があるようにも感じられた。

天才はどこかに隠れている?

16歳イラク移民少年、数学の歴史的難問解く=ベルヌーイ数を説明―スウェーデン

ストックホルム28日AFP=時事】スウェーデンに住む16歳のイラクからの移民の少年が、数学専門家を300年以上にわたって悩ませてきた難問を解いたと、スウェーデンのメディアが28日報じた。  ダーゲンス・ニュヘテル紙によると、この少年は6年前にスウェーデンに移民したモハメド・アルトゥマイミ君で、17世紀のスイスの数学者ヤコブ・ベルヌーイにちなんで名付けられた「ベルヌーイ数」を説明、単純化する公式をわずか4カ月で発見した。  アルトゥマイミ君が通う中部ファルンの高校教師たちは最初、この成果を信じられなかったという。そこで同君はスウェーデン最高の研究機関の1つ、ウプサラ大学の教授陣と連絡を取り、自らの成果を検証するよう頼んだ。  アルトゥマイミ君のノートを精査した教授陣は、その成果が実際に正しいことを確認し、ウプサラ大に同君を招請した。  しかし、アルトゥマイミ君としては、現時点では学校での勉学に集中し、今年のサマークラスで高等数学と物理学を取るつもりだという。同君は地元紙に「物理学か数学の研究者になりたい。これらの科目が本当に好きなんです。でも英語や社会科学ももっと勉強しなくては」と話している。 〔AFP=時事〕(2009/05/29-01:14)

この少年がイラク戦争がきっかけかどうかは分からないが、スウェーデンに移民することがなく、イラクに留まりつづけていたなら、この歴史的難問はこれから数世紀も未解決だったかもしれないと思うと、運命の不思議を感じる。

ちなみに、ベルヌーイ数をWIKIPEDIAで調べてみたが、チンプンカンプンだった。

続報:2009/06/01 残念ながら、この少年が発見した解法は、既に数学界では既知のものだったということが分かったらしい。 この件で、ニュースを検索していたところ、Gigazineというページにフォロー記事が掲載されていた。 ウプサラ大学でもこの件について、公式見解を出したようだ。
2009-05-29 Swedish and international media have recently reported that a 16-year old Swede has presented the solution to the Bernoulli numbers. This is not correct. The solution was previously known to the mathematical community.
Google News でも すでに4日前に報じられていたようだ。
Iraqi teen tackles maths puzzle, but not the first: university 4 days ago STOCKHOLM (AFP) — A 16-year-old Iraqi immigrant, who figured out a solution to a complex maths puzzle, was not the first person to come up with a successful formula, Sweden's Uppsala University said in a statement Thursday. Swedish media, including the website of the Dagens Nyheter daily, reported Thursday that Mohamed Altoumaimi had found a formula to explain and simplify the so-called Bernoulli numbers, a sequence of calculations named after the 17th century Swiss mathematician Jacob Bernoulli. The Falu Kuriren newspaper, which ran the original story, said Altoumaimi was the first person to crack the puzzle and had enlisted the help of a senior lecturer at Uppsala University to check his formula. But a statement published on the university's website said the reports were inaccurate. "Senior lecturer Jan-Aake Lindhal verified the formula, but added that although correct, it was well known and readily available in several databases," the statement said. The Falu Kuriren also reported Altoumaimi had been offered a place at Uppsala once he finishes high school, but the institution denied this was the case. "The student... has not been admitted to Uppsala University," the statement said. Altoumaimi, who came to Sweden six years ago, is currently at high school in Falun, central Sweden and plans to take summer classes in advanced mathematics and physics this year.
まあ、それでもこの少年が、既知の解法とは言え、自力でそこまで行き着いたとしたら、素晴らしいことではある。

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