中村紘子『コンクールでお会いしましょう』(中央公論社)とヴァン・クライバーン・コンクール
アメリカのヴァン・クライバーン・コンクールで、辻井伸行さん(20)が1位となった先週のニュースは、彼が生まれながらの全盲というハンディキャップを背負っていることもあり、大々的に報じられ、帰国後の公演やコンクール前に録音されたCDも大変なセールを記録しているという。
ヴァン・クライバーンといえば、冷戦時代のソ連で開催された第1回チャイコフスキーコンクールを何と仮想敵国人でありながら(またはそれゆえに)圧倒的な好評で優勝し、その凱旋はアメリカン・ヒーローそのもので、彼の録音したチャイコフスキーやラフマニノフの協奏曲は(現在も現役盤として立派に通用する水準だが)、当時のアメリカで大々的なベストセラーとなった。
我が家にはそのヴァン・クライバーンが、いわゆるショーマンではないピアニストとして脱皮しようと試みた頃の、ベートーヴェンのいわゆる三大ピアノソナタのLPがあり、私にとっては、これがこれらの曲への入門音盤となったということでも恩を感じているピアニストである。このLPのジャケット写真を以前このブログで紹介したことがあるが、そのまさにプロフィール(横顔)を見ても、彼がそのような華やかな栄誉や過大な期待を背負うようなギラギラとしてタフな野心家ではない雰囲気が窺がわれる。一夜明ければ有名人そのままに、その後彼は厳しい批評にさらされ、彼は心身の調子を崩し、ピアニストとしては大成しないまま引退し、その後、ヴァン・クライバーンの名を冠したコンクールの名誉主催者としての地位にあるといい、先日の辻井氏の1位のときにも、暖かいコメントを寄せている。
ヴァン・クライバーンとチャイコフスキー・コンクール、ヴァン・クライバーン・コンクールそのものについて、さすがの筆致で書かれているのが、表題の中村紘子女史による『コンクールでお会いしましょう ---名演奏に飽きた時代の原点』だが、ここで、ヴァン・クライバーン・コンクールについて、その優勝者達が、その後のリーズ国際で優勝したあのラド・ルプー以外に世界的ピアニストとして大成した人がいないという不可思議な事実を記している(単行本 P.85)。この優勝者に与えられる法外なリサイタル契約が、せっかくのその才能を早い段階ですりつぶしてしまうのではないかというような趣旨のことが書かれていた。特に、あのカーネギー・ホールでのリサイタルが鬼門だという。
だから、辻井氏の優勝(1位)には快挙だとは思いながらも、素直に喜べない部分がある。既に、日本のマスコミやプロダクションは、中村紘子女史という大御所が書いたこのような基本的な情報を棚上げにして、辻井氏の才能を消費しようとしているかのように感じて、少しうそ寒い感じがする。
コンクール出身者としては、ポリーニにしろ、ツィメルマンにしろ、ショパンコンクールでの優勝は、演奏家人生の入り口に立っただけだということを自覚してか、それからさらに研鑽を積んだ上で、改めて世に出たという実例もある。是非、賢明な諸氏は、音楽コンクールの優勝は、オリンピックや世界選手権の金メダルが象徴する世界のその時点でのトップということとは違い、たまたまそのコンクールに参加したプロ演奏家志望の演奏者の中で1位になったに過ぎないということをもっと知るべきだ(ほとんど中村女史の受け売りだが)。
盲目の鍵盤楽器奏者としては、高名なチェンバリストであり、オルガニストだったヘルムート・ヴァルヒャの存在を忘れることはできない。また、日本のピアノ界でもヴァン・クライバーン・コンクールよりもさらに権威のあるコンクール、ロン・ティボーで2位を獲得した梯剛之(かけはし たけし)氏や、ヴァイオリニストでは、和波孝禧(わなみ たかよし)氏など、障害をものともせずに活躍している演奏家もいる。
祝福の輪が広がることは結構なことだが、まだ20歳の学生でもあり、じっくりとレパートリーを広げるだけの研鑽の時間がもてるように周囲が配慮してあげて、稀有とされる才能が消費されるのは避けてもらいたいものだと思う。
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コメント
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こんにちは
>この優勝者に与えられる法外なリサイタル契約が、せっかくのその才能を早い段階ですりつぶしてしまうのではないかというような趣旨のことが書かれていた。
その通りだと思います。金銭的に得るものは大きくても、その代償として失うものも多いということでしょうか?
クライバーンというと私がクラッシックを聴き始めた頃は花形ピアニストでした。
ベートーヴェン、チャイコフスキー、ラフマニノフ等の協奏曲は全てクライバーンのLPを中古で買って楽しませてもらいました。
投稿: 天ぬき | 2009年6月16日 (火) 12:20
天ぬきさん、今晩は。コメントありがとうございます。
伝えられるニュースを聞くにつれ、懸念が現実にならなければいいと思います。集中豪雨的という形容が最近のマスコミの報道のあり方に用いられるようですが、辻井さんのニュースもそのきらいがあるように感じました。
なお、前述の本をよく読み返すと、コンクール優勝者に与えられるカーネギーホールのデビューコンサートの特典は、西部のテキサスのフォートワースという「お金持ち」の町のコンクールの優勝者の演奏を、東部のインテリたちがてぐすね引いて手厳しい批評を加えることが常態になってしまっており、その弊害の大きさから近年は御褒美としては引っ込められたとのことです。
クライバーンは懐かしいピアニストで、一時代の花形でしたね。どの大統領のときだったか、もうすっかり弱弱しい様子になった彼がホワイトハウスで演奏した映像をみた記憶がありますが、まさにコンクールの功罪、大衆的な人気の弊害というものを見せつけるような姿だったのを思い出します。
投稿: 望 岳人 | 2009年6月16日 (火) 21:55