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2009年9月の7件の記事

2009年9月29日 (火)

アリシア・デ・ラローチャを偲んで シューマンのピアノ協奏曲を聴く

スペイン生まれの名ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャが亡くなったというニュースが先日の新聞の訃報欄に載っていた。享年86歳だったとのこと。

アルベニスなどのスペイン物以外に、なぜか縁があったのは、彼女のシューマン。「謝肉祭」(カルナバル)のCDを初めて買ったのは、彼女の演奏だった。また、DPMには、デュトア指揮のロイアル・フィルがバックを務めたピアノ協奏曲が収録され、その録音のことそそれまで知らなかったので、興味深く聴いた。

彼女はモーツァルトの演奏でもよく知られていたが、アルベニスなどの難曲をバリバリ弾く力も持ち、シューマンもよく手中に収まった音楽になっており、エキセントリックなところの多いシューマンの音楽だが、彼女の演奏では安心して聴ける感が強く持てた。ピアノ協奏曲も衒いのない誠実な演奏で、音も美しく、もしかしたらクララ・シューマンが弾いた演奏はこのようなものではなかったかと連想が働くような幸福な雰囲気の音楽になっている。

冥福を祈りたい。

2009年9月28日 (月)

体重、体脂肪率の計測値

昨年の11月の健康診断時は、メタボリックシンドローム検診も兼ねていて、見事メタボであるとの認定を受けたのは既に書いた。

そこから、できるだけ長続きして、生活習慣になるように、無理のない減量に心がけてきた。この5月ごろまでは大きな変化がなかったが、諦めずに続けていたところ、次第に体重が減少傾向になり、9月のこの数日には30歳以来の大台を切ることができ、約8kgの減量となった。

実際、ハタチの成人記念に両親に買ってもらったスーツは、仕立てのよいもので、今でもタンスに仕舞ってあるのだが、上着もズボンも30歳ごろまでは着ることは着れたが、40歳代になってからはまったく着ることができなくなっていたのが、容易に着ることができるようになったし、当時の古びたジーンズも楽々はけるほど腹回りが細くなったし、首回りもシャツのボタンが簡単に留められるので相当細くなった。これはやはり余分な脂肪が消費されたことによって細くなったものだとは思う。

しかし、久しぶりに5年ほど前に買った体脂肪計を取り出してきて計測したところ、それほど体脂肪が落ちていないような数値が出たので、少々ショックを受けた。

古い体重計がどうも1kgほど少なく計測されるのが分かったので、体脂肪計付きの新しい体重計を8月に買い、それで測ると、それほど体脂肪率は高くなく、標準とやや高いの境界よりも少し高い程度になっていたのだが、両手で測るものでは、体脂肪率が肥満レベルの数値で出るのだ。

BMIは、普通レベルになったので、「かくれ肥満」のタイプに該当するようになっている。

今回の減量は、ウォーキングには心がけたが、上半身の運動が不足しているので、恐らくそれが体脂肪率の高さに効いているのだろうとは想像される。

かくれ肥満は、「運動不足や、減量食で極端なダイエットをくりかえしたりすると、食べる量は多くなくても、カロリーが脂肪に変わりやすくなってしまいます。バランスの良い食事をしっかり食べ、運動の習慣を付けましょう。」との体脂肪計のアドバイスがあるので、体重はこのあたりで維持できるようにして、特に上半身の運動(ダンベル体操)などを心がけるべきだろう。

現在、3種類の体脂肪計があるが、一番低いのが体重計のもので、2番目が両手式の本格的なもの、約4%多く出る。両指式の簡易式ものは5%多く計測値が表示される。信頼度の高そうなのは両手式なので、これを基準にしよう。

2009年9月27日 (日)

連続テレビ小説「つばさ」、新聞連載小説「麗しき花実」の完結

昨日土曜日でNHKの連続テレビ小説「つばさ」が最終回を迎えた。

視聴率は振るわないという報道がされていたが、我が家では、岩手県と横浜市を舞台にした「どんど晴れ」、福井県の小浜市と大阪が舞台の「ちりとてちん」以来、久しぶりによく見たドラマだった。実家でも、結構見ていたようで、夏休みに帰省した際に、父が「リアリティのあるドラマという先入観で見るからトンチンカンなので、いわゆる寓話やファンタジーとしての観点から見れば、つばさという題名の意図も分かるはずだよ」と話しており、家族でよく似た感想を話していたので、さすがに、父の見方の影響を私も受けているのかも知れないと思ったものだった。

途中に乱入するリオのカーニバルダンサーたち、主人公のつばさにしか見えない「ラジオの妖精」(イッセー尾形)の登場、和菓子屋甘玉堂の千代主人の遺影(小松政夫)の表情が変わる部分など、演劇的、トリックスター的な要素があってかえって面白かった。ヒロインの多部未華子は、以前「鹿おとこ あをによし」というドラマで、印象的な女子高校生を演じたときから、我が家では愛称「鹿女」と呼んでいることもあり、彼女のよく変わる表情など独特な個性がこのドラマを面白くしてもいたし、また家族関係というものを登場人物たちの様々なパターンによって描いていたのが、最終的にはこのドラマの主題だったと思うが、それなりに成功していたのではないかと思った。川越市出身の人のドラマへの不満の投書が掲載されたことがあったが、川越に対してはかえってよい印象を持つことができたドラマだった。

また、少し以前のことになるが、朝刊の新聞小説 乙川優三郎「麗しき花実」が201回をもって9月9日に終了した。ヒロインの女流蒔絵師理野が故郷の松江に帰る決意をするところまでは丁寧に書き続けられてきたが、そこからは急転直下の終結になってしまい、余韻は残ったが、少しフィナーレ部分の重みが欠けていたようで、惜しかった。時代として、酒井抱一等の活躍した江戸時代後期であり、下記の国語辞典での解説にある根岸が小説の中心的な舞台だった。この時代の「芸術家」「職人」のことが詳細に描かれておりその意味でも面白い小説だった。この小説家は、WIKIPEDIAによると山本周五郎に傾倒しているとのことだが、直木賞も受賞した時代小説家とのこと。他の作品にも興味が涌いてきた。

さかい‐ほういつ(さかゐハウイツ)【酒井抱一】 江戸後期の画家。本名、忠因(ただなお)。姫路藩主酒井忠似(ただざね)の弟として江戸に生まれた。仏門に入ったが、すぐに隠退し、江戸根岸に雨華庵をいとなみ、書画俳諧に風流三昧の生活を送った。絵は、狩野派、沈南蘋(しんなんぴん)派、浮世絵などを学んだが、のち、光琳に傾倒し、独自の画風を開いた。代表作「夏秋草図屏風」。(一七六一~一八二八) Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition)  Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)ゥ小学館 1988


2009年9月18日 (金)

NHK ためしてガッテン 肝臓病特集 の衝撃

2009年9月16日(水)夜8時からのNHK「ためしてガッテン」という啓蒙番組をたまたま見た。料理や、健康などをテーマにすることの多い番組だが、今回は、力を入れた番組というか、こちらが無知蒙昧だったというか、相当の衝撃を受けた。

隠れた肝炎患者数の多さとその感染の原因の歴史的な背景の解説には、3人のゲスト、レギュラーも顔が本気で強張っていたのがよく分かった。レギュラーの山瀬まみはほとんど涙目だったほどだ。

ホームページ http://cgi2.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20090916

お住まいの都道府県などの保健所か、委託を受けている医療機関で、肝炎ウイルス検査が、原則、無料で受けられます。(ただし一部では年齢などの制限を設けていることもあります。)どこで受けられるか、年齢制限などは、お住まいの自治体により異なりますので、お近くの保健所か、都道府県におたずねください。(市町村などの保健センターでも行っていることもありますが、有料の場合もあります。)

ということがポイントで、この番組の反響は相当大きいことが予想される。

2009年9月17日 (木)

清水和音 ピアノリサイタル ~ショパン生誕200年を前に~

2005年6月13日 (月) 久しぶりの生演奏鑑賞 で聞いて以来、久しぶりで近所の公会堂の区民音楽祭のふれあいコンサートを聞いてきた。

清水和音 ピアノリサイタル ~ショパン生誕200年を前に~
2009年9月13日(日)午後2時開演

前売り券は6月から発売されていたというが、このリサイタルを知ったのは土曜日に妻が外出した際に駅でポスターを見かけて、「明日こんなリサイタルがあるらしいよ」と伝えてくれたため。自分のアンテナはまったく低くなっていることを実感。

日曜日の朝、公会堂に電話で聞いてみたところ、当日券も若干あるということで、少し早めに出かけて、前売り券より500円高い当日券を長男の分と一緒に購入。自由席制なので、そのまま入場者の列に並ぶ。既に7,8人が入場1時間半前くらいから並んでいた。(その後、最前列に後から来た家族が横入りするというような嫌な場面も見てしまったのだが、このようなのは、行列にはよく見る光景で、周囲は冷たい視線を送るくらい。)

どうも余談が長くなったが、感想は簡単に。

以前も書いたが、古い公会堂で反響板も移動式のものが舞台後方に並べられるだけ。備え付けのピアノか、普通のYAMAHAのグランドピアノだったので、どのような音が鳴るのかとあまり期待せずにいた。会場の入りはほぼ満員。比較的年配の女性が多く、ピアノを習っているような子どもや学生風は少なく、ピアノ教師のような雰囲気の女性は比較的多かった。普通の音楽リスナーのような感じの人はあまり見かけなかった。

今年48歳になる清水和音(日本人の場合、敬称を付けないと違和感があるが、著名人ということで敬称なし)の演奏を聞くのはもちろん生では初めてで、数年前のテレビ放送でN響とブラームスの2番のコンチェルトを、特別に弦の張力を強くして音量を増したというピアノで演奏した番組を見て以来だろうか。

そのときにも増して、上半身が非常にマッチョな筋肉をまとった雰囲気で静かに現われて、おもむろにショパンの即興曲を幻想即興曲まで入れて4曲立て続けに弾いてみせてくれた。音響は、相当残響が少ないこの会場がむしろピアノ演奏にはあっているようで、クリアな直接音が、濁りなく耳に届く。細かいパッセージもよく聞き取れるほど。夜想曲は初期の第4番と5番。プログラム前半の最後は、スケルツォの第2番。特に左手の力があるようで、低音が爽快に響く。右手はよくショパンにある装飾的な軽やかな部分が少しもつれるようで多少苦手そうだった。前半は相当満足のいくでき。

後半は、バラードの第1番から始ったが、出だしのユニゾンで少し音を外すなど前半よりも少し集中力が欠けた感じで、ミスたっちもところどころで聞こえて、あまりいい出来ではなかった。隣に座っていたピアノ教師らしい女性も拍手を少し控えていた様子。

子犬のワルツ、ワルツ嬰ハ短調(作品64の1と2)のポピュラーな作品では、「子犬」は相当のスピードで軽やかに弾こうという意識は感じられたが、粋な洗練は感じられずもつれたような演奏で残念だった。夜想曲第13、14番の2曲は、たっぷりとした豊かな音で、あまり聞くことのないこれらの曲を丁寧に弾いていた。プログラムの最後は、アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ。ダイナミックな演奏だったが、やはり細かなパッセージの軽やかな処理が少し不満。

アンコールでは、多分夜想曲の第18番(帰宅後、夜想曲集を聞いて確かめたが確信はない)。トリは、「英雄ポロネーズ」。これは掌中に入ったレパートリーだけあってピアノが壊れるのではないかと思われるほど、ダイナミックでブリリアントな演奏だった。

大都市圏とはいえ、地方の小ホールのリサイタルだったが、生の演奏をたまに聴くのは、いろいろわずらわしさはあるが、やはりよいものだった。






鳩山民主党政権がスタート

昨日、麻生太郎内閣が総辞職し、鳩山由紀夫氏が内閣総理大臣に指名されて、民主党政権がスタートした。

20世紀の終わりごろ、細川、羽田、村山と、非自民の首相が短命内閣を組閣したことがあったが、基盤が脆弱だったため、事実上の自由民主党による政権はほとんど揺るがなかったが、一時的な小泉純一郎人気によりかかったブームの後の、安倍、福田、麻生というサラブレッド的政治家による無責任な放り出しと有権者不在の安易な政権継承への不満から、自民党にレッドカードが突きつけられたのが、今回の衆院選の民主党の圧勝という結果を招いたので、多くの投票行動が必ずしも民主党のマニフェストに期待しての投票ではなかったことは、衆院でも参院でも多数党となった民主党は肝に銘ずるべきだと思う。

当面、大きな失政でもない限り、または、内部分裂でもない限りは、安定多数による政治運営が行われるのだろうが、おごりの兆候が見えるとなると、有権者の目は厳しく変貌する。

今回の組閣を見ても、国民新党の亀井氏と、社民党の福島氏を閣僚とした連立内閣を組閣したわけだが、要は右も左もごちゃ混ぜな感は否めない。これは、自民党でも派閥バランス内閣が長く続いたこともあり、同様の右も比較的左もというごちゃまぜとは似て非なるものがあるように思う。自公連立と似たような印象で、同床異夢的な印象を持ってしまう。

経済、外交、環境と難問が山積している中での門出であるが、後世、2009年8月政変とでも呼ばれることになるのか、それとも小手先の変化で終わるのか、生活者としてはそのような大所高所からの評論家的な見方よりも、世の中に蔓延している不公正感の払拭がどのような政治的な手法によって達成されるのかに注目したいところだ。鳩山首相などは、小泉、安倍、福田、麻生各氏などをはるかに凌ぐ政治的なサラブレッドなわけで、同様な「無責任さ」「信念の薄さ」「放り出し」を感じさせるところが不安といえば不安だ。




2009年9月 5日 (土)

ビートルズもグレン・グールドと同じように「スタジオ・ミュージシャン」だった

普通に使われる「スタジオ・ミュージシャン」の意味は、WIKIPEDIAにも出ているが、ここでいうのは、公開の場で演奏をせずに、録音スタジオにこもってレコードを作製し、それを発表する音楽家のこと。

先日、ビートルズのアルバム「アビー・ロード」の発売40周年とかいうことで、まだ残っているアビーロードスタジオ近くの横断歩道に多くのファンが集まっている様子がテレビニュースで紹介されていた。そして、ビートルズの新しいディジタル・リマスターが発売されるということで、ブックオフなどでは1990年代にCDとして発売されたアナログよりも音質がよくないという評判のある現役盤CDがそろそろ結構売りに出ているようで、さきごろ、赤盤(1962-1966), 青盤(1967-1970)を廉価で入手してきた。公式のベストアルバムで、熱狂的なファンではない自分にとってもほとんどの曲は耳なじみのものだった。

ビートルズの来日公演やアメリカを初め、全世界のファンの熱狂的な様子の古い映像をテレビなどでみていたが、当然1970年の解散までホールやアリーナ、スタジアムなどでのコンサート活動は続けていたものだろうと漠然と思っていた。

ところが、この赤盤の方の解説を読むと、(観衆の熱狂的な歓声が大きすぎて)「ザ・ビートルズはだれにも聞こえない演奏を『あやつり人形』のようにくりかえすことに疲れ、1966年8月にライヴ活動を中止してしまったのだ。」と書かれていて、驚いた。

自分にとってはビートルズよりも馴染み深いグレン・グールドが宣言した1964年の「コンサート・ドロップアウト」とは、その意味も背景も異なるが、20世紀後半を代表するグールドというピアニストと、同じくポップミュージックを代表するこのビートルズが同様にスタジオにこもって音楽を外部に発表し続けたという類似の現象に、今更ながら面白さを感じた。

赤盤の2枚目あたりから、中期から後期の代表曲を網羅している青盤は、その意味では、コンサートでは演奏されなかった(テレビのスタジオ収録などでの放映があったのかは分からないが)曲がほとんどだということになる。特に青盤では、多重録音や様々な録音テクニックも駆使されていて、当時の技術ではこれをそのままコンサートで生演奏するのは困難な内容になっているという。

こんなことは当然の知識なのかも知れないが、自分にとってはユーレカだった。

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