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2010年1月 9日 (土)

F.グルダ シュタイン/VPO の ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番

昨年の正月のバックハウスのステレオ録音による『皇帝』に続いて、この新春も『皇帝』を聴いた。

フリートリヒ・グルダとホルスト・シュタイン、ヴィーナー・フィルハーモニカー(ウィーン・フィル)による有名な録音。

Beethoven Piano Concerto #5 in E Flat, Op. 73, "Emperor"(皇帝)

Friedrich Gulda (piano)
Horst Stein/ Vienna Philharmonic Orchestra

1. Allegro 21:12
2. Adagio Un Poco Mosso 8:51
3. Rondo(Allegro) 10:40 
 iTunesのタイミングによる

1970年録音。

音盤としては、何度も再発されたLPで廉価盤、書店扱いの廉価盤CD、そして今回のDecca Piano Masterworks(DPM)と 3種類の重複になる。Londonレーベルとなった再発廉価盤LPには、吉田秀和『世界のピアニスト』所収のグルダ賛が非常に細かい文字で掲載されていたのを思い出す。

バックハウスの透明感のあるピアノの音色と、安定した解釈、表現が刷り込みだったので、このLPの冒頭のカデンツァを初めて聴いた時には、レコードプレーヤーの針先にホコリが付着して音がビリ付いているのかと思ったほど独特なピアノの音色で少し戸惑ったのを思い出す。針先をクリーニングしても同じ音だったし、その後聴いている2種類のCDでも同じ傾向の音が聞こえるので、これがグルダのピアノの音であることは確実だ。

グルダのアマデオ原盤によるベートーヴェンのピアノソナタ全集での使用ピアノが何かは議論があるところだが、この協奏曲集は、議論を俟たずベーゼンドルファーとのことだ。(とすると、バックハウスの透明感のあるピアノの音はスタインウェーだろうか?)

DPMには、グルダとホルスト・シュタイン指揮ウィーン・フィルによる全集ではなく、第1番のみクラウディオ・アラウとハイティンク/ACOの演奏のものが収録されている。グルダの全集は名盤中の名盤であり、こういう収録もいいのかも知れない(DPMは、さすがに全集としての収録はさすがに避けているようだ。このような廉価で全集を揃えられたらたまったものではない。)

このところ、音楽を楽しむ機会がめっきり減り、落ち着いて音楽を聴くのが久しぶりなので、非常に音楽が耳に沁みるような感じがする。グルダのピアノの音色も冒頭こそユニークだが、単音でメロディーを奏でる部分などうっとりとするほど透明感がある。

第1楽章の勇壮さや豪快さはもとより素晴らしいが、第2楽章の静謐な Adagio Un Poco Mossoは、冒頭主題の5度上昇の動機をレナード・バーンスタインが「ウェスト・サイド・ストーリー」の"Somewhere"に引用したことも知られているが、音の少ないこの楽章を「聞かせる」のは難しいものだろうと思う。

1970年の録音といえば、今から40年も前の歴史的な録音になるのだろうが、iTunesで圧縮して小型ステレオイアフォンで聴いてもまったくビリ付きも埃っぽさもなく、十分音楽に没頭できるのはうれしい。この点、下記のギレリスとセルとの録音やフライシャーとのセルの録音などは、音質的に万全ではなく、演奏が素晴らしいので、余計にもったいないと思う。

この「皇帝」協奏曲は、ナポレオンの軍隊がヴィーンを攻撃しているさなかに作曲されたものだが、そいういえば先日の「フランス革命」(世界の歴史)には、文化・芸術的な記述はほとんどなく、詳しいとは言え、政治史が主だった。共和主義者だったベートーヴェンが、かつての共和制のアイドル、ナポレオン軍の攻撃をどのように感じながら、この勇壮で、美しく、活気があり、堂々とした協奏曲を創造したものだろうか、などと思いながら聞き入った。

参考記事:

2008年7月18日 (金) ルドルフ・ゼルキン、小澤/BSOによる『皇帝』

2007年7月12日 (木) セルとギレリスの『皇帝』(米EMI盤)

まだ取り上げていない音盤
フライシャー、セル/クリーヴランド管
アシュケナージ、メータ/VPO
ルービンシュタイン、バレンボイム/LPO

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コメント

バックハウスはあまり聞いていませんが、イメージからすると殆どベッヒシュタインでしょう,グルダはベーゼンドルファーですし、あとはスタインウェーですね。バレンボイムはベッヒシュタインを弾くかも知れませんが。

グルダはおもちゃのピアノでも同じように素晴らしい音楽を響かせますよ、といったらファンには怒られるか?

pfaelzerweinさん、バックハウスはベッヒシュタインですか。なるほど。

音楽も毎日聴いていると、刺激に対して鈍感になってしまうところがありますが、久しぶりに聴いているとまた新たな面白さが涌いてくるようです。

グルダとおもちゃのピアノですが、1990年代の最後の来日の時のリサイタルでプログラムの一部を多分ヤマハのクラヴィノーヴァのような電子ピアノを弾いたのがNHKで放送されたことがありました。アクースティックのピアノと電子ピアノではさすがに違うように思いました。オカルトではありませんが、電子ピアノの音色をタッチ、アーティキュレーション、ペダリングで多彩にするのは無理があるように思うのです。もちろん、音楽は音色だけではありませんが、あれはどういう試みだったのか、今でも不可解です。

ついでがあって、吉田秀和書の名ピアニストの二人のGの項を捲りました。その一人グルダに関しては、異論もあるかと思いますが、彼の芸術を考える場合に二つの面があると考えます。一つはジャズ奏者の肩書きに顕著なように、当時の新しい芸術の波の中でE-とU-Musikの境を取り放ったなかでのパフォーマンスで、これは今後もこの音楽性満ち溢れるピアニストのオフィシァルなプロフィールとなるでしょう。但しそのパフォーマンスが優れていたという気はしませんが。

もう一つは、その後に輩出されるような特にショパンコンクールに代表されるようなもしくはスタインウェーを鳴らし切るようなピアニズムとは一線を隔すというか - またブレンデルのような苦肉の策で独自市場を開くことも無く、そうした世界からドロップアウトしたピアニストの個人的事情があると思います。

その両面から、彼の使用楽器ならびにピアニズムが、「電子ピアノでも弾ける」ものに敢えて近づいた考えることは可能かと思います。

奇しくももう一つのG、グールドの方も、グルダに劣らないほどの優れた音楽性を持って、結局は「その音響にものをいわせなかった」点で共通項はあるかも知れません。そして二人とも、行儀良く燕尾服を着て、正装をする聴衆の前でクラシックコンサートを催すという行為から離れたのも決して偶然ではないでしょう。

ごめんなさい。蛇足ですが、戦前に日本で「猫でも弾ける」で物議をかもしたのは、そのグルダのジャズ宣言から四半世紀も遡らない日本では、「ピアノを鳴らす」という行為が分かっていたピアニストは殆どいなかった傍証でもあります。当然のことながらグルダの行為に吉田氏が言う「アイロニー」があるとすれば、そのことを逆手に取った「否定的弁証法」だからなのです。それはジョン・ケージらの思潮とも一致するだけでなく、グルダ自らがそれを意識していた事は間違いありません。

問題を日本へ移すと、例えば吉田氏がランランのそれに対してそのような指摘をしているかどうか、もしくは読者に啓示を与えているかどうかが今でも問題なのです。もちろん上の著書にはそれを言葉で明確化出来ていなくても上の二つのGを並べることで暗示は出来ていますが。

もう一つ蛇足すれば、ブレンデルがモスクワにはあっても日本にはその市場がないと感じたのは、やはり聴衆にそれが意識されていないと感じたからでしょう。ある意味、音楽ジャーナリズムの怠慢でもあります。

pfaelzerweinさん、こんにちは。日本は成人の日の休日です。

グルダとグールドについてのコメント、興味深く拝読しました。

ピアノという楽器の音の魅力を聞かせるピアニストとしては、古くはルービンシュタインなどが思い浮かびますが、そのような感覚的な愉しみではなく、グルダの音楽もグールドの音楽も、音の愉しみがなくても、むしろ、音が汚くても、その音楽の内容的なものを熟聴玩味できるタイプの音楽家かも知れないですね。

ランランについてはあまり知らないですが、近年のヨーヨー・マの音楽活動と比較してみると、何でも弾けてしまう曲芸的までの超絶技巧と素直な音楽性という点で共通性があると思いますが、双方とも西洋音楽の主要レパートリーを一巡してしまった後に、それを進化・深化させるはずの、よって立つべき精神的な支柱のようなものが希薄に感ぜられます。(大雑把な大風呂敷です。)

ブレンデルのキャリアの晩年の日本離れ(ブレンデルと日本の聴衆双方から?)については、以前このブログでも会話したことがありましたが、その引退については、例の吉田秀和氏の記事以外には一般紙では特別な取り扱いはなかったようでした。これを怠慢と言うのか、日本的というのか分かりませんが。

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