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2010年3月25日 (木)

モーツァルト 交響曲第39番変ホ長調 K.543 クーベリック/BRSO

モーツァルト 交響曲第39番変ホ長調 K.543

ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団〔1980〕

 11:29/9:13/4:16/5:46

比較参考: 
トスカニーニ/NBC交響楽団    〔1950〕 7:28/6:10/3:10/3:45
ワルター/コロンビア交響楽団 〔1960〕  9:21/9:15/4:03/4:06
カラヤン/ベルリン・フィル   〔1975〕 8:17/8:14/4:08/4:02
スイトナー/SKドレスデン        〔1975〕  8:25/8:06/4:03/4:03
ベーム/ベルリン・フィル 〔1976ライヴ〕 8:27/8:25/4:05/4:21

モーツァルトの後期三大交響曲は奇跡的な名曲揃いと言われている。以前のロマンチックな歴史解釈時代には、モーツァルトは極貧の中、発表のあてもなくこの三曲の名交響曲を短期間で書き上げ、この第39番の交響曲は、どういう由来か、白鳥がその死の直前に美しい歌を歌うという伝説に基づいて『白鳥の歌』と呼ばれていたことがあった。

しかし、現代の歴史研究では、特に第40番にオリジナルのクラリネットなしのバージョンと、クラリネットを追加したバージョンの2版あるということなどの状況証拠や、当時のコンサート記録などから、これら三曲が公開の席で演奏され、モーツァルト自身(通奏低音のチェンバロかフォルテピアノに向かいながら?)指揮をしたのではないかと想像されているのではなかっただろうか?

第40番ト短調K.550 と 第41番ハ長調K.551(『ジュピター』)は、ベーム/BPOのLP(1960年代の全集録音からの分売)を中学生の時に父に買ってもらったときから、音楽鑑賞の基礎的な要素になって身体に染み込んでいるような音楽だが、3曲セットのうちのこの第39番については、これまであまり満足できるリスニング体験が得られてこなかったように思う。

この曲自体、ヴィーン後期のモーツァルトの作品らしく、非常に充実した音楽であることは言うをまたないが、仲間であるト短調とハ長調のあまりの超絶的な名品に比べてどうしても影が薄い存在であることは無理からぬところで、指揮者、演奏家もこの曲を3曲の中で第一に押す人はそれほどいないのではないかと、個人的には想像する。

ただ、小林秀雄は『モオツァルト』の中で、ト短調の終楽章がナニワの雑踏の中で轟いたという幻聴と並んで、この変ホ長調の無窮動的な細かいモーチフの楽譜を文章中に引用して、夕焼けの切れ切れの雲のようだといううような印象的な書き方でオマージュを捧げている。(確か、最後のハ長調については触れてはいなかったと思った。)

古い音楽解説の本では、第1楽章が3拍子で変ホ長調というベートーヴェンの英雄と同じ調性と、信号ラッパ風の第1主題部後半により、英雄との連関に触れたり、第3楽章のメヌエットが「モーツァルトのメヌエット」として有名だというようなことも書かれていたが、現在ではあまりこのようなことを書く人もいないように思う。

このクーベリック指揮の後期交響曲集の中の第39番は、取り立てて特徴のある演奏ではないが、所要時間を見てもわかるように、珍しく第1楽章の提示部をリ ピートしている。数種類ある中でこれが唯一だ。ト短調では、ライヴ以外はリピートするのが当たり前のようなのだが、(古い時代のモダン楽器の録音ばかりだ と言え)この点にもこの曲への指揮者たちの接し方が見えるように思うのは考えすぎだろうか?

第2楽章のところどころに慟哭的な楽想が印象的だが比較的落ち着いた雰囲気の音楽、第3楽章の壮麗というより親しげなメヌエットと柔和なトリオのクーベリックとバイエルンの演奏も素晴らしいが、小林秀雄ではないが、この曲のクライマックスは、やはりフィナーレにあるように思う。クーベリックの後期交響曲集のテンポは概して遅いものが多く、ト短調はクリップスほどの悠揚迫らぬ遅さというのではなく、少し遅めという感じで、少し中途半端な感じがするのだが、この変ホ長調のフィナーレは、取り立てて遅くはない。他の演奏よりも1分ほど長い所要時間なのは、これも提示部のリピートを忠実に行っていることによる。

クーベリックの楽器配置のポリシーは、ヴァイオリンの対抗配置(両翼配置)だが、この曲の場合、それほど第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが掛け合い的に動くことは多くないようなので、特に効果的な部分は聞かれないが、それでも古典配置は面白い。

この録音など、自分の同時代の演奏だという気がしていたのだが、それが今では30年も昔のものとなってしまった。そして、現在、モダン楽器によるこのような演奏が録音でも実演でもほとんど聴かれなくなって久しい。現在では、このような滋味のある演奏を録音で聴くことができるので、寂しいわけではないが、このような演奏が古きよき時代の演奏ということになってしまうのだろうか。

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