玉村豊男『ロンドン 旅の雑学ノート』の左側通行
別に、シャーロック・ホームズの新作映画が公開されるからというわけではなく、先月からホームズ熱がぶり返して、このブログにもいろいろ書き綴っている。昨夜の世界不思議発見でのホームズ特集で、子ども達が「映画公開があるからね」と言っていたので、ああ、そうかと思った次第。深層心理的に、映画の予告編が影響していたのかも知れない。
これまで未読だった「恐怖の谷」「事件簿」を含めて、一通り正典60篇を読み終え、英国関連について、本棚から以前読んだ本を探し出して読み直している。また、先日のダウランドもホームズ時代ではないが、イギリス関連。フランスの交響曲シリーズはまだ道遠しだ。
さて、玉村豊男は、現在は信州の東部町(現在の東御市)にワインヤードとレストランを経営しているそうだが、この本は1980年のコピーライトマークが付いているので、既に30年以上も前のロンドンということになり、情報的には古い。まだ、同時多発テロやそれに引き続く「文明の衝突」的な事件が無い頃だ。そういう意味では、まだ穏やかな時期のロンドンのような気もする。
ところで、この本を読み、以前書いた2007年6月29日 (金) UKとヨーロッパ大陸とのGAPはなぜ生じたのか? の一つの答えがここに載っているのを読み、改めて自分の記憶の鈍さに驚いた。Ⅲのキングダムの構造に英国の左側通行と大陸の右側通行が、英国の二頭立て馬車と、フランスの4頭立て馬車の御者の乗る位置が異なるということから説き起こしている。概ね右利きの御者の場合、二頭立ての馬車で鞭を振るうためには、御者台の右に座り、すれ違う際には、左に寄りながらすれ違ったことから左側通行が次第に確立し、逆にフランスを初めとする大陸では、四頭立て馬車の後列の左側の馬に御者はまたがり、鞭を振るったということから左側に乗り、右に寄ってすれ違ったということから右側通行ということらしい。ただし、英国風を何でも嫌ったナポレオンが左側通行を嫌い、右側を大陸に広めたという説もあるらしい。慣習がどうして成立したかは、後追いは困難なので、多くの想像があるようだが、馬車の御者台の説には感心した。
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