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2011年9月 9日 (金)

『シューマンの指』 奥泉光(講談社)

本屋大賞の記事でも取り上げたが、昨年のシューマン生誕200年の記念年に発売された長編小説。

作者の奥泉光が、シューマンのピアノ協奏曲の回のN響アワーに登場して、シューマンのファンとして熱心に語っていたのを記憶しているが、その後に妻が図書館で借りてきて読んだ。アップが相当遅くなったが、一応自分なりの感想を残しておこうと思って粗雑ながらまとめてみた。

シューマンの音楽が結構好きで、このブログにもシューマンの音盤のことで好き勝手なことを書いているほどなので、このミステリー小説の登場人物が熱く語るシューマン論、作品分析などを読み、作者のシューマンに関する知識やシューマンへの愛情、情熱は本当に半端でないことはよく分かった。(先述の通りこの本も妻が図書館から借りたものなので、ピアノ好きとは言えあまりシューマンを聴いたことのない妻が、小説に出てくる曲を多数リクエストするので、CDを紹介したほど。ただし、「ダビッド同盟舞曲集」は楽譜はあるが、CDはなく、これまで「天使の主題による変奏曲」は聴いたことがなかった。)

クラウディオ・アラウによる Davidsbündlertänze, op. 6 (1 of 4)

2of 4 http://www.youtube.com/watch?v=bODj9ahlQeg&NR=1
3of 4 http://www.youtube.com/watch?v=-_F_S3IhiJM
4of 4 http://www.youtube.com/watch?v=ghtpG0cP4hY

グレゴリー・ソコロフによる Die Geistervariationen (Thema mit Variationen in Es-Dur für Klavier) WoO 24

ただ、音楽論の充実を別としてみたときに、小説の主要部の出来はどうなのだろうと思った作品だった。

登場人物たちのシューマン論は、内容が濃く、まとめて読み直してもよい部分が多くあったのだが、クリスティの「アクロイド」を二度と読む気がしないというほどではないのだが、小説のラストの構成が最後に読者を裏切るようなものになっているように感じた。衝撃的ではあるが裏切られたという感が深く、カタルシスが感じられなかった。シューマンの音楽にも紆余曲折は多いが、結末で裏切られることはない。奥泉光は十分意識的過ぎる小説家のようなので、当然読者のこのような反応を意図した結末なのだろうと思うが、それが棘となって、再び読みたいという気持ちをおこさせない。残念に思った。

恐らく、編集者と作家との間では、シューマンイヤーを前に、作家のシューマン熱を作品化しようとして話し合いがあったのではなかろうかと思うが、あんな禁じ手のような無理な結末を書くのなら、村上春樹が書いているような小説家のエッセイ、音楽論でもよかったのではなかろうか?

と、まあ、随分否定的な感想を書き付けたところで、他の読者にはどんなレビューがあるのだろうと検索してみたところ、 「アクロイド殺人事件」的な叙述トリック、信頼できない語り手についてもっとつっ込んだ分析をしているブログを見つけた。

http://railway.cocolog-nifty.com/hyogen/2011/04/post-8146.html

http://railway.cocolog-nifty.com/hyogen/2011/05/post-5716.html

続きの(2)の方を拝読すると、自分の読みが相当浅かったことを痛感させられた。ちょうど、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』を読んでから、その訳者による解題を読んだときのようだ。

このような精緻な読みこみを読ませてもらうと、シューマン論の面白さにかまけて、飛ばし読みをしてしまい、肝心の小説のストーリーや、細かい仕掛けを読み逃したようにも思える。読みながら、ときどき感じたちぐはぐな感じは作品のつじつまの合わなさではなく、意図的な仕掛けだったという可能性が多分にある。

確かにシューマンは、ピアニストを目指し挫折し、一方で文学青年で自ら批評の筆を揮い、もちろん旺盛な作曲家であり、また実演家(指揮者)でもあり、天才ピアニスト クララ・ヴィークの夫であり、ブラームスの師匠であるという多面的な活躍をなし、また、批評においては、この小説でも取り上げられた「ダヴィッド同盟」を紙上で組織してオイゼビウスとフロレスタンという対照的な人格を演じ分け(このような二重人格は意識的にせよ、無意識にせよ多くの作品に刻印がある)、さらには(当時のドイツ人の多くが罹患したと言われる梅毒:シューベルトもニーチェも罹患:の影響とも言われるが)精神疾患を患い、あのライン川への投身自殺を企て、最後は精神病院で息を引き取るという波乱に満ちた人生を送った。振幅の激しさにおいては、まさにロマン派の権化とも言うべき人だったようだ。

そのような多面的で、言うなれば少々アンバランスな音楽家、作品も霊感に満ちた即興性と同時に、職人的な技巧性・人工性を兼ね備えた不思議な魅力を湛えている、といった特質と、少々座りの悪いと感じたこの小説のちぐはぐな感じは、作家が意図的に関連性を持たせたのかもしれないという読みもできるのかもしれない。

テーマの変容が分かりやすい変奏曲とは違い、シューマンの秘密の暗号(動機)をちりばめたような連作的な音楽作りは、「謝肉祭」にしても「子どもの情景」にしても、楽譜を読み、アナリーゼをしてみれば、どこに動機が隠れているかがようやくわかるような曲作りをしがちだったシューマンであるから、「仕掛け」が(上記のサイトにあるように巧妙に)隠されたこの小説も、その意味ではシューマネスクな作品だと言えるのかもしれない。

今手元にはないが、もう一度読み返してみたいものだと思った。

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コメント

購入はしたものの、妻に横取りされて、まだ読んでおりません(^o^)/
冬までには読みたいと考えておりまする(^o^;)>poripori

narkejpさん、コメントありがとうございます。シューマンファンのnarkejpさんのエントリーを楽しみにお待ちしております。

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