2011年のおおつごもり
2011年も最終日となった。大みそかとは言うが、樋口一葉の小説にもあるおおつごもりという言葉は使われなくなった。
平成23年は、3月11日の大震災と大津波、そして原子力発電所のメルトダウン事故と、その後の放射性物質による広範囲な汚染いうことで歴史に記録される年となるだろうが、上半期のこの大事件から9カ月を過ぎ、喉元過ぎれば熱さを忘れるということわざ通り、新しい年を迎えることで、記憶的に薄くなってしまうような危惧がある。しかし、記録文学として、吉村昭の「三陸海岸大津波」(文春文庫)を読むと、明治29年、昭和8年、昭和35年に三陸海岸を襲った大津波が現地の聞き書きを元に克明に記録されており、これを5月に読んだときには、日々のニュース、新聞報道と重複するような生々しさを覚えるほどのもので、ショックを受けた。われわれ一般民衆向けのニュースには載らない描写がこの小説にはあり、今年の大津波はさらにむごたらしい被害があったのだろうと想像する。
人間の本性は、記憶し、都合の悪い記憶は忘却するところにあると言われているが、この大震災と大津波、それに続く原子力災害と、それが露呈させた政治や企業のゆがみやもろさ、その反面の人々のたくましさを、記憶し、ゆがみやもろさを是正することが後世にとっての責任なのだろうと思う。
個人的には、父方の伯父と伯母(伯父の奥さん)が相次いで亡くなった。父方の本家を継いだ伯父で、第二次大戦では航空機の整備兵として霞ヶ浦や厚木で勤務したという。終戦を厚木で迎えたが、マッカーサーが占領軍として厚木基地に来る前の、旧日本軍による反乱計画などの不穏な状況も味わったという話だ。戦後は、伯母と一緒に、菊の生花農家として活躍し、多くの賞を受賞もした。幼児から中学生ごろまでは、よく父親の実家ということで盆正月に遊びに行き、よい思い出も沢山ある。伯父の葬儀には参列できたが、伯母の葬儀には痛風の影響もあり参列できなかったのが、悔やまれる。改めてお礼を申し上げ、ご冥福を祈りたい。
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