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2012年3月20日 (火)

島崎藤村『夜明け前』第2部 読了

(2011年9月15日に読み終えた頃にはもう少し詳しく書いてアップしようと思っていたのだが一応備忘録として。)

第1部の読み方に比べて、少々流し読み的だったが、昨年9月に何とか読了できた。

第2部は、明治維新から主人公の青山半蔵の死までを描き、平田篤胤らの国学の新政府による採用と、その興隆、衰退も描いていた。廃仏毀釈と国家神道の流れは、平田流の国学から出たものとされるが、当初の宗教的な熱狂も収まり、法治国家として明治政府が進展していくにつれて、神祇省の影響力は弱まっていく。

私の子どもの頃の年寄りと言えば、今から50年の昔であり、御一新(1868年)頃生れた人もまだ存命の人がいたはずで、1968年が明治100年でもあり、明治以降の大変動の波をその親の世代や自分自身も経験した人が多かったはずで、自分の先祖達もその中に含まれるのだが、もちろんこの小説の作者である島崎藤村こそがその一人である。

最近、母の生まれ故郷のある山村の神社についてネットで検索していて、その神社が江戸幕府からの援助(年何石の米穀と近隣の農民による支援)を受けていたが、御一新によりその援助が打ち切られた云々という記録があるそうで、御一新の影響は国の隅々まで及んでいたのだという感慨を新たにした。

第2部は、第1部で基本史料として藤村が用いた「大黒屋日記」が、その日記の記し手の逝去により、小説の全てをカバーできていなかったことになるのだが、その影響もあるのかも知れないが、歴史の流れよりも、青山半蔵の生涯に焦点が当てられていた。

第1部に比して、読み易いものではなかったが、国学に傾倒しながら幕藩体制の末端に連なる宿場役人・村役人を兼ねた青山半蔵と馬篭という主要街道ではありながら山深い木曽の宿場を定点観測点にした幕末から明治への大転換が、庶民にもいかに甚大な影響を与えたかを、読み取ることができるようだ。

この本を読みながら、大佛次郎の大作『天皇の世紀』、萩原延壽 『遠い崖―サトウ日記抄』を読みたいものだと思った。

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