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2012年3月 3日 (土)

「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(村上春樹著)

文学者と音楽家の対談本というと、「同じ年に生まれて―音楽、文学が僕らをつくった」( 小澤 征爾、 大江 健三郎) があまりにも内容のない本だったので、村上春樹の音楽への思い入れが面白そうだと思いつつ眺めていたが、店頭でパラパラ読んでみるとグールドと バーンスタインのブラームスの1番の裏話などというものがサラッと語られているのが目に入り、購入してしまった。

小澤征爾の録音の多くは隔靴掻痒の典型だったのだが、この本をきっかけに、改めてDAPに入れて音量を、普通の設定よりも数段上げて聞いてみると、フィリップスとのマーラーの1番、4番も、貧血気味で時折ヒステリックだと以前感じた音楽とは違うように聞こえた。

シリーズ化されれば、とても貴重な証言集、音楽論集になるように思う。

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コメント

「貧血気味で時折ヒステリック」 - マーラー演奏は、生ではボストンとの三番しか聴いたことがありませんが、とても端正で肌理細やかな美しいものです。これも生と映像録音等の情報量の差違にも通じる現象ですが、映像・録音だけだとなかなか補って想像しにくい面があるのだと思います。

小澤の場合はそれに指揮の技術が客席にも向けられているので、魅せるといわれたフォン・カラヤンなどとは比較出来ないほど、生で魅了する指揮者だったかと思います。私が体験した中ではその筆頭でしょう。できればバーデン・バーデンでそれをもう一度体験したいものです。

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。小澤征爾の生演奏は、ボストン響の来日公演(ベルク、「未完成」、「オケコン」)と、サイトウキネン音楽祭のオペラ(「火刑台のジャンヌ・ダルク」)の2回聴いたことがあるだけですが、確かに「端正で肌理細やか」なものでした。オーディオとは異なり、録音レベルの問題がありませんので、ピアニシモからフォルテシモまで不満なく聴けるもので、どちらの公演も満足しました。逆にそれゆえに、小澤征爾のボストン響との一連の録音は、DGは結構いいのですが、特にフィリップスもテラークも、ERATO、RCAも録音レベルの低さがこれまで不満でした。

手術後で、食事の摂取がエネルギー補給としては十分ではなく、また腰痛が完全復帰の支障になっているようですが、アバドも大病の後復活していますので、小澤の復活も期待したいものです。

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