吉田秀和『永遠の故郷 夕映』(集英社) 2011年1月10日第1版
日曜日に吉田秀和氏の訃報に接し、月曜日に河出文庫から出ている『フルトヴェングラー』を購入した。そこに集められた文章は、過去に発表されたもので、すでに読んだ記憶のあるものが多かったが、まとめて読んでみるだけの価値はあった。故丸山眞男氏との対談は、岩波新書の『フルトヴェングラー』所収のものと同じだったろうか?
さて、火曜日には、読みたいと思っていた『永遠の故郷』四部作の内の最終巻が書店にあったので購入した。最後のまとまった書籍として、歌曲が取り上げられ、その最後は、シューベルトの『菩提樹』だった。2010年11月5日付のあとがきの最後に編集者や世話になった人たちに向けてだが、「皆さん、これからもお元気で」と書かれているのがふと目に入った。
この本の発刊の後の3月11日に大震災と大津波があり、それによって今も続く原子力災害が発生したのだった。朝日新聞の『音楽展望』は、奥様の死からの執筆意欲の復活の後、季節ごとに発表されていたのだが、それが途絶えたのは、この大震災とそれに続く原子力災害の甚大な被害の後でどのように読者に音楽の話題を届けられるかという気持ちからだったと聞く。『永遠の故郷』の最終巻は、当時96歳の人の手とは信じられないほど筆致も流麗であり、論旨も明晰で、取り上げた独仏英の歌曲を自ら訳し(蓮の花の「月の情人(いろ)という俗語は何と刺激的なことか!)、楽譜を手書きした丁寧な仕事でもあった。四部作というと、ヴァーグナーの指環楽劇四部作を想い起させられるようだった。
音楽を聴いて、音楽と詩とさまざまなことを題材に、これだけ豊富な文章を綴れる人はもうこの世を去ってしまったのだ。
火曜日の朝日の夕刊には、丸谷才一氏がこれ以上ないほどの最大限の追悼文を寄せていた。評論家としての文筆活動と並んで、実践家としての面、演奏家の早期教育、現代の作曲家たちの後援などを高く評価したものだった。
一ディレッタントの自分にも、音楽を聴き、愉しみ、それにとどまらず、自己満足ではあるが、それを文章化するというたのしみを教えてくれた。命日の5月22日は、リヒャルト・ヴァーグナーの誕生日(1813年)であり、ジュゼッペ・ヴェルディのレクィエムの初演日(1874年)でもあった。冥福を祈りたい。
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