5月13日の大河ドラマ『平清盛』はよく分からなかった
視聴率の低さがそのままそのテレビ番組の質の低さではないということで、2012年の『平清盛』を応援していたのだが、この日曜日の内容には少々疑問を持った。
前回、今回と、鳥羽法皇と崇徳上皇との仲の修復を熱心に取り持ったにも関わらず、義朝と信西の「守りたいもの」という示唆によって、あっさりと崇徳上皇を裏切った清盛の行動にはついていけなかった。崇徳上皇が危篤の鳥羽上皇を見舞うシーンでの清盛の態度には、苦悩の色は見えず、むしろ裏切りを後ろめたく感じている怯懦な風が見え、武家の棟梁としてはあまりにも卑小に感じられた。
前回までのあの熱心な崇徳上皇へのとりなしから、この先史実にあるようにどのようにして保元の乱で後白河天皇方になるのだろうとその描き方に興味を持っていたのだが、崇徳上皇方から後白河天皇方(鳥羽上皇方、信西方)への転向における逡巡や葛藤の心理描写を省略しすぎたように感じられ、自分としては、清盛=信用ならない男というイメージが強くなってしまった。これでは、感情移入ができない。
その一方清盛の父忠盛の妻池禅尼は崇徳上皇の皇子で後白河天皇の皇位を巡るライバルだった重仁親王の乳母でありながら、史実では保元の乱に先立って、平家一門に後白河天皇方への味方をアドバイスしたという、これもいうなれば裏切り的な行為があったのだが、このあたりも省かれていて、その反面清盛の叔父忠正に対して、それとなく、何らかの依頼をほのめかしていたが、果たして故忠盛の願いとは何だったのだろうか?
信西が後白河天皇の乳母の夫であったことや、前述の池禅尼が重仁親王の乳母であったこと、藤原家など堂上貴族と天皇家の姻戚関係などをきちんと描かずに、この複雑極まる人間関係を整理するのは困難であろうし、もう少し丹念に描いてほしかった。
崇徳上皇のうらみつらみの強さはよく描けていたが、逆に鳥羽上皇の女々しいまでの反省・後悔はそのように矛盾に満ちた人物だったとしてもくどかったし、清盛があくまでも天皇家の和を追及する「いい人」に描かれ過ぎていながらあっさりと裏切りを行ったのは、木に竹を接いだような違和感が湧いた。
後白河天皇の寵姫となる、平滋子の登場も少し作り過ぎだった。なぜ、天然パーマ?
こちらの脚本や演出への理解が不足なのか、それともしっかりした原作の無いNHKの大河ドラマ制作に欠点があるのか、残念ながらそんなことも考えてしまった。これだけ長大な歴史絵巻を、オリジナル脚本で対応しようというところに無理があるのではなかろうか。せっかく愉しみにしているドラマなので頑張ってもらいたいものだ。
« 洗濯機の洗濯槽を洗う | トップページ | 5月14日 Qさまというクイズ番組(テレビ朝日)で気になったこと »
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- ケルビーノの palpitar は palpitation のことだった!(2014.09.23)
- 肉、油(揚げ物)を好きなだけという、糖質制限食の「モットー」は(2014.09.03)
- 二つのニュース(2014.08.05)
- ジブリ映画『思い出のマーニー』鑑賞(2014.08.03)
- 明日公開のジブリ映画「思い出のマーニー」の原作(新訳版)(2014.07.18)
「歴史」カテゴリの記事
- ジョージ・R・R・マーティン「氷と炎の歌」シリーズ(2015.09.25)
- Rafael Kubelik The Symphony Edtion 23CDs(2014.07.27)
- テレビドラマ「みをつくし料理帖」と原作(2014.07.21)
- 堀越二郎著「零戦 その誕生と栄光の記録」(角川文庫)(2013.10.03)
コメント