クレンペラーのモーツァルト 交響曲 第38番、第39番
聴く機会のなかったクレンペラーの録音を初めて聴くたびに驚かされてきた。ブラームスの第1やベートーヴェンの「田園」については、このブログに書いては来たが、改めて不明を恥じたいほどだ。
今回SACD用のリマスタリング盤として再発され、非常に廉価で入手できたクレンペラーとフィルハーモニア管とのモーツァルトの後期交響曲集(第35番から第41番)も、半可通の自分などは、時折誉める人はいるということは知りつつも、クレンペラーの音楽のイメージとモーツァルトとは合わないということで、これまで敬遠しがちだったものだ。
フィルハーモニア管は、ヴァイオリンを左と右に両翼配置で並べ、古典派が想定した通りの第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの掛け合いがくっきりと聞き取れる面白さに加えて、これはクレンペラーの趣味(解釈)なのかプロデューサーのレッグの趣味なのかわからないが、木管楽器群が音量バランス的に大き目に中央に浮かび上がり、音響的な明るさと明晰さをもたらしてくれるのはブラームスやベートーヴェンの録音で感じたのと同じだ。しかし、金管とティンパニのコンビを鳴らし過ぎないので、フォルテでも威圧感が少なく、風通しのよい軽やかさが音響的にも達成されているように感じる。
先入観的にしみついてしまっているテンポの問題も、物理的な遅さもなく、リズム的な重苦しさや野暮ったさも感じられない。
先日、パイヤールとイギリス室内管の録音も楽しんだばかりで、その流麗な演奏はとても品よく安心して作品そのものを聴けるように感じるものだったが、指揮者や作品の表現意欲を強く感じるものではなかった。その点、クレンペラーの録音は、クレンペラーでなければできない個性や作品が訴えかけようとするものが感じられた。上手く文字にすることはできないが。簡単にメモを。
第38番「プラハ」。ブッファ的な興奮を伴った対位法的な書法が目立つ曲だが、クレンペラー的な細部までの克明さにより、彫りの深い印象をもたらす。疾走感も感じられる。
第39番は、最近聞いたパイヤールの録音が美しく聞こえる不協和音を伴う序奏の演奏が印象にあるのだが、クレンペラーの演奏は、大きさと広がりを感じさながら、細部のニュアンスにも欠けていない絶妙なバランスを達成しているように感じる。ヴァイオリン群の輝かしさや冴えも特筆すべきだと思う。第2楽章は少々ゆったりしている。有名なメヌエットはうるさい音響になる演奏もあるが、表情に愛きょうがあり優雅さを感じる。ただ、フィナーレは、無窮動的な流動性よりもきっちりとした形式感を前面に出した演奏で、少々違和感を感じた。とはいえ、とても聴きごたえのある素晴らしい演奏だ。
LP時代や以前のCDの音質は知らないが、このハイブリッド盤のCDレイヤーの音質はとても聴きやすい。EMIでもクレンペラーの録音の音質は概してよいものが多いようだ。
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