« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月の24件の記事

2012年6月30日 (土)

腰痛で休んでいた間に読んだ本

月、火は何とか出勤したが、腰痛から足がしびれる感じがあり、水曜日から腰痛が悪化したため、木、金と仕事を休んだ。まだ腰の違和感はあるが、ようやく今日あたりから動けるようになった。その間、妻が図書館から借りてきた最近の小説を仰向けになって読んで過ごした。

多少ネタバレを含むため、ご注意を。

◆葉室麟『蜩ノ記』(祥伝社) 平成23年11月10日初版第1刷、平成24年2月25日第10刷

 一気に読み進められた。面白かった。欲を言えばかたき討ちのシーンは、微妙だった。また直木賞ということで、逆に期待をしていなかったが、読む価値はあった。

◆森晶麿『黒猫の遊歩あるいは美学講義』 (早川書房) 2011年10月20日印刷 同10月25日発行 (第1回アガサ・クリスティー賞)

 書名からストレートに連想できるようなペダンチックな内容。E.A.ポーの小説を下敷きにした短編推理小説。つまらなくは無いが、主人公の若き教授と助手役の女子大学院生のキャラクターが少々弱く感じた。

◆中田永一『くちびるに歌を』(小学館)

 五島列島の中学校の合唱部をテーマにした小説。主人公のASDの兄のエピソードが印象に残る。文章や構成などは少し未熟(読みにくい)だが、題材的に感動的な青春小説だった。補助のピアノ教師の人物造形が少々類型的もしくは現実感が薄いか?

◆原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮社)2012年1月20日発行 2012年6月16日11刷

 これは題材的にも、ストーリー的にも面白かった。特に近代絵画に興味のある人(ちょうど、『ギャラリー・フェイク』ファン)にはどっぷりと嵌れる内容だと思った。設定的な不自然さは少々感じないではなかったが、ある画家への愛情あふれる作品だと思った。

◆東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川書店)平成24年3月30日初版発行

 ドラマ『秘密』の人気作家の新作らしい。ほとんど読んだことがないが、さすがに読みやすい文章と凝った構成、設定だと感心した。ファンタジー(現実にはあり得ない)的設定の現実を舞台とした人情物語だが、それなりに面白かった。

-----
追記

◆有川浩『三匹のおっさん』(文春文庫)、『三匹のおっさん ふたたび』(文藝春秋社)

これを読んだのを忘れていた。スイスイ読めて面白かったのだが、妻がすぐに図書館に返却してしまったため。有川浩の作品は結構読んできており、多彩な小説家というイメージがあるが、これも未だ十分に若さが残っている還暦過ぎのシニア世代を主人公群にした物語で、現代世相をうまくすくいとっているものだった。横丁の寅さん、熊さん的であり、小市民的冒険活劇的であり、舞台は現代だが、昔風のテレビドラマを見たような既視感があった。

 

2012年6月26日 (火)

吉村昭『ニコライ遭難』(新潮文庫)

R0011849

先に読んだ『ポーツマスの旗』が日露戦争のエピローグだとすると、この『ニコライ遭難』はプロローグにあたるだろうか。『海の史劇』は、主部にあたるのだろう。が、プロローグとエピローグの中間にあたる適当な戯曲・演劇(?)用語はあるのだろうか、などと余計なことを考えてしまった。

さて、このニコライ遭難の主人公、ロマノフ家のニコライ(1868-1918)は、後に帝政ロシアの最後の皇帝ニコライ2世(在位1894-1917)となった人物で当時のロシア皇太子。(父皇帝はアレクサンドル3世。)日露戦争当時は皇帝となっており、その敗戦や拙劣な国内政策により第1次ロシア革命(1905)を誘発し、さらに第1次世界大戦中、2月革命で退位を強いられ、ソビエト政府により10月革命後にシベリアで処刑された。

時は、日清戦争前夜の日本。

皇太子ニコライの極東外遊のそもそもの目的はロシアによるシベリア鉄道の極東ウラジオストクまでの敷設を記念する式典に出席するためであり、日本への公式訪問はそのついでに計画されたという経緯があった。大日本帝国側としては当時の帝政ロシアによる日本の皇族の歓待ぶりも考慮し、国賓として丁重に歓迎することになったというが、その背景には大国ロシアの極東進出への恐怖心もあった。さらに、皇太子一行の訪問の目的が、仮想敵である日本の敵情視察の可能性も否定できない情勢で、それに対する国民の反発感情もあったようだ。

ロシアの皇太子ニコライの旅程は、ロシアの戦艦に乗船し、ギリシャの王子を誘い、まずは長崎を訪れ、その後なぜか鹿児島に向かい、神戸、京都(そのついでに琵琶湖観光)、最後に帝都東京を訪問した後、ウラジオストクに向かうという日程だった。

長崎は、ロシア軍艦の寄港地となっており、ロシア料理の店などもあったらしい。皇太子のお忍びなどは相当詳しい事実が明らかになっているようで、興味深い記述がたくさんあった。

鹿児島行きについては、西南戦争で敗れた西郷隆盛等が実は生存していてロシアに逃げており、このたびの皇太子の日本訪問に伴って帰国するのだ、という噂がどこからか巻き起こり、全国紙にも掲載されて、相当の騒ぎになっていたという。先の大震災の時の噂は、WWWを通じたネットでの拡大の面があったが、そのようなツールの無い時代にも、デマの拡大というものは、群衆の心理を背景としているという点で、興味深いものだと思う。

皇太子一行は、明治維新の原動力となった鹿児島についてロシア皇帝などから聞いており、それが鹿児島行きの理由だとされるが、本当のところはどうだったのか。長崎と比べると比較的短い訪問で、その後日向灘から瀬戸内海に入り、神戸に上陸した。

皇太子一行は、神戸からは京都を訪問し、その後、事件の地となった大津を訪れた。

本来は、大津で琵琶湖を観光したのち、いったん京都へ帰り、東京で天皇を表敬訪問してから、ウラジオストクへ向かう予定だったが、琵琶湖を観光して、人力車で京都へ戻る途次、沿道警備を担当していた警官(巡査)津田三蔵に突然サーベルで頭部を切り付けられたのだった。

皇太子に対するテロとしては、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件でのオーストリー皇太子夫妻の暗殺が有名だが、このロシア皇太子へのテロも、皇太子が死亡ということにでもなれば、当時の世界情勢からは当然開戦のきっかけになる事態であり、また軽傷でもロシア皇帝の判断によっては開戦、少なくとも領土割譲を含む賠償を求められる恐れもある緊急事態だった。この辺りの緊迫感は、この後の日露戦争の事実を知っている後世の人間としても、恐るべき事態であることが得心できた。

この緊急事態の連絡を受けた時の明治天皇は、自らが陳謝と見舞いに出向くことを即日決定し、実際に列車で京都に向かった。明治天皇の人物像については、戦後教育を受けた人間としては明確な像が結べないでいるのだが、たとえ周囲の重臣、側近たちの助言はあったにしても、自ら出向いて誠心誠意陳謝するという行動的な姿勢は、君主たるものあるべき姿だったと感じた。

幸い皇太子の受けた傷は重傷だったものの命に関わるものではなかったが、時の駐日ロシア公使の判断で、軍艦に乗り組んできたロシア人医師のみの治療しか受け付けず、日本側の治療は完全に拒否された。明治天皇による陳謝と見舞いはさすがに受け付けたが。

その後、皇太子は神戸港に停泊しているロシア軍艦に戻ったが、日本側はロシア皇帝、皇后がどのような態度を示すかに怯えていた。悪くすれば開戦であり、当時の日本では、皇太子一行の軍艦だけでも一蹴されてしまうほどの海軍力しかなく、世界最大の陸軍国であるロシアには到底勝ち目は無かった。この時、ロシアが日本を攻撃しないという判断をしたのは、大きな歴史の転換点でもあっただろう。そうすれば、日清、日露戦争もあり得ず、日本はロシアの属国と化していたかも知れない。それほどの危機だった。逆に当時のロシア皇族がロシア国民の支持を強く受けていれば、ロシア世論が対日強硬姿勢に傾く恐れもあったのだろうが、帝政末期のロシアはそのような国民感情はなかったのかも知れない。

結局ロシア側は、強硬な態度に出ることもなく特に条件を付けることもなく、日本側の陳謝を受け入れた。皇太子は傷は癒えつつあったが、日本側の甘い期待に反して東京訪問は見送り、神戸から瀬戸内海を通り、日本海へ出てウラジオストクへ帰国することになった。その直前、明治天皇が皇太子からロシア軍艦に招かれた。最悪のケースでは、天皇が軍艦に抑留され、人質とされる危険性もあったが、明治天皇はロシア軍艦に少数の随員とともに赴き、誠意をもって送別の宴に連なった。

この事件の経過とその後の大津事件の裁判については、司法権の独立、罪刑法定主義の典型例として日本の法学史でも学習したものだが、大審院長の児島惟謙(こじまこれかた)だけでなく、この事件の裁判官たち、および当時の代言人と呼ばれた弁護士たちの多くがこの国家的な危機においても筋を通し、軍人・政治家の西郷従道(隆盛の弟)などからの皇族に対する危害(大逆罪)適用による死刑の要求を撥ねつけた過程が興味深く描かれていた。政府としては死刑適用により、ロシアの機嫌を和らげようという意図があった。司法界の独立的態度には、薩長政府に対する他の諸藩出身の秀才たちが司法界に集まらざるを得なかったことも一要因として挙げられていた。これも大きな岐路だった。

判決で謀殺未遂罪を言い渡された後の津田三蔵についてはほとんど知られていなかったが、収監された北海道の釧路の刑務所で肺炎で死亡したことが、記録として発見され、この記録を知ったことが、作者の吉村昭が「大津事件」を小説として書こうとした動機だったという。

津田三蔵が皇太子を襲撃した動機については、必ずしも納得できる説明はなかった。過去に精神錯乱の病歴もあったようだし、供述では「皇太子が直接東京に向かわず鹿児島や京都を遊覧しているのは、天皇に対する不敬だと考えた」というようなことを語っていたようだ。恐露心理による発作が背景にあったことがうかがわれる。

皇太子ニコライは、のちにロシア帝政最後の皇帝となり、日露戦争当時の皇帝だったわけだが、ポーツマスの講和にあたっては日本にまったく譲歩するつもりはなかったことが、「ポーツマスの旗」でも描かれていた。これは素朴に考えれば、大津事件の余波だったのかも知れない。

また、この事件によって強くかもし出された日本全体の恐露心理が、後の日清、日露戦争の戦備、および朝鮮併合、満州国樹立までつながる軍備拡張、対ロ防衛政策のきっかけの一つだろうと思うと、歴史の偶然というものを強く感じる。

2012年6月24日 (日)

葬儀参列の帰省

母方の義理の伯父が19日に亡くなり、22日の金曜日に告別式が執り行われ、列席してきた。

この6月に入り、父方の従姉、父方の伯母が相次いで亡くなり、その後父方の本家(私の実家の地方では同族のことをマケと呼ぶが、その同族の家系図上の本家)の当主が亡くなり、それぞれの葬儀の都合で、私が列席することは無かったが、父母はこの6月初めから葬儀続きで多忙だった。

今回の葬儀の参列では、実家の地方の葬儀・告別式が予定の時間より早く始まることをすっかり失念しており、告別式開始ギリギリにローカル線の列車が最寄駅に着くので、そこからタクシーを予約しておき駆け付ければギリギリ間に合うという段取りで動いていたのだが、まだ観光シーズンではなく稼働タクシーが少なかったようで、最寄り駅で20分ほど待たされ、駆け付けたところ、弔問客の受付はすでに終わっていたような時間帯だった。

その後の葬儀には何とか列席できたのだが、数多い親戚の中で、私と同じ首都圏方面から早めに駆け付けた人たちもいたので、申し訳なさと恥ずかしさで、自分の遅刻が非常に居たたまれないほどだった。自分もいい年をした長男ではあるが、実家を離れてすでに30年以上経過し、地元のしきたりなどには疎くなってしまっているので、このようなときには困惑することがある。その土地その土地の習慣が残る冠婚葬祭の空気が遠方からは読めないことも一因だとは感じるが、次回などと縁起の悪いことを考えてはならないが、早めに駆け付けるようにしなくてはならない。

告別式を終え、列車の便が悪く、会場で待っていたところ、首都圏にクルマで帰る親戚が同乗させてくれたので、自宅近くまで送ってもらい久々に実家に帰省した。

翌土曜日の朝には、仲人さんの父上が94歳で亡くなったと、妻の実家の父から連絡があり、日曜日の葬儀に駆け付けなくてはならなかったが、日曜日には外せない所用もあったため、妻の父に香典の建て替えを依頼し、弔電を打たせていただいた。

土曜日の夕方帰宅したが、室内は蒸し暑く、金曜日に出かけたばかりなのに、ひどく長い時間が経過したような感じを覚えた。

日曜日は、古くなったカーペットでも交換しようかと考えていたが、今週初めから続いている首の寝違え(50肩かも知れない)の痛みがなかなかしつこくて取れず、交換はできなかった。

吉村昭『天狗争乱』を読み始めたが、前半部分は天狗連・尊王攘夷派と保守派の対立など、水戸藩内の複雑な抗争が詳細に描かれ過ぎていて、固有名詞や筋を負うのもやっとで、相当斜め読み状態になってしまった。それにしても、ここまで内乱的な激闘が水戸藩周辺で行われたということは知らなかった。水戸藩の藩主代理(支藩の笠間藩主)が藩主の命令で帰国しようとしたところ、保守派に阻まれ、戦闘を繰り広げたあげく、最終的に保守派に欺かれ切腹にまで追い込まれたというのもあまりの悲劇だ。

天狗連が京都の徳川慶喜に嘆願するために上州、信州に向かうあたりから、次第に物語の勢いがついてきたように思う。これで途中で投げ出さずに済みそうだ。

2012年6月21日 (木)

「ビブリア古書堂の事件手帖」1,2,3 (三上延 メディアワークス文庫)

いわゆるライトノベル系の小説だが、舞台と題材がユニークで評判になっているシリーズ。(古)書店が舞台ということもあり?、新刊書店でも書店員さんの評価がよいらしく、平積みになっている。昨年、1、2が出ていて購入して読んだが、今日3巻が発売されたので、早速読んでみた。

古書、稀覯本について相当よく調べてあるらしく、それをテーマにした事件を、古書店の若き美人店主が、助手役の店主にホの字の店員を助手にして、推理、解決に導くというあらすじ。

気軽に読める内容だが、浅薄ではなく、なかなか読ませる。

ただ、偶然の設定の類似か分からないが、先日「ミレニアム」シリーズを読んで、巻末のハヤカワ文庫のシリーズものの広告を見ていたら、「古書店主クリフ」(ジョン・ダンニング)というシリーズがあることに気が付いた。ネロ・ウルフ賞を受賞しているとのことで、推理小説としてはメジャーなもののようだ。内容は知らないし、どうやら美人店主ではなさそうなので、キャラはかぶってはいないようなのだが。

2012年6月20日 (水)

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ EMI録音集(11CD)

先日亡くなったディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのEMIへの録音の集成が発売されているのを知り、購入した。 http://www.hmv.co.jp/news/article/1112060056/

R0012053

フルトヴェングラーやカラヤンもそうだったが、このディースカウの場合も、第二次大戦後の50年代は戦勝国のイギリスのレコード会社であるEMIに録音し、(フルトヴェングラーは晩年までEMI所属だったようだが)、その後次第に、西ドイツのレコード会社DGGに録音するようになったというところが共通しているようだ。相変わらず余計な余談だが。

この録音は、1950年代から新しい方は1970年代のもので、ディースカウの全盛期の声が収められている。

シューベルトは、三大歌曲集のほか「鱒」「魔王」「死と乙女」「野ばら」なども収録されている。フォルテの音エネルギーの強い部分では、クリップするのが惜しく、名伴奏ピアニストのムーアのいかにも伴奏のイメージに合った伴奏が今となれば少々物足りなくもあるが、主要な歌曲がこのセットで聴けるのは便利だ。

その他シューマン、ブラームス、マーラー、R.シュトラウスも含まれており、これまであまり聞く機会がなかったヴォルフが1枚に収録されている。メンデルスゾーン、ヴァーグナー、珍しいレーヴェやリスト、コルネリウスなども含まれているのもうれしい。

このセットで、久しぶりに『美しい水車屋の娘』を聴いた。素朴な風合いの歌曲だが、第8曲 朝の挨拶 Morgengruß や第10曲 涙の雨 Tränenregen など、若い頃に聴き、歌った歌が懐かしかった。

2012年6月19日 (火)

台風4号の暴風雨

台風4号来襲中

帰宅時は、まだ小雨で弱い風が吹いていた。ベランダの植木鉢や物干しざおなどを風に備えて片付け、夕食後は停電に備えて明朝用のご飯を炊き、早めに風呂に入った。

午前中の予報より進路が南下し、紀伊半島の潮岬をかすめて、愛知県に上陸。梅雨前線に突っ込む形なので、激しい雨が降っている。午後9時過ぎ、強風が吹き荒れ、強い雨がその風に舞っている。

2012年6月18日 (月)

スティーグ・ラーソン『ミレニアム3 眠れる女と狂卓の騎士』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

梅雨の日曜日一気に読み終えた。

1、2に比べると登場人物が増え、スウェーデンの行政、司法体制など堅苦しい部分に関する説明などが加わり、スラスラとは読めない部分もあった。また、大団円直前の筋書はほとんど勧善懲悪的、予定調和的ではあったし、どんでん返し的な趣向は最小限だったが、それでも読み応えは十分にあった。この続編も読んでみたいと思わせるものだった。

R0012055

冷戦時代の旧ソ連とスウェーデンとの間の破壊工作的な諜報戦の余波への反応としてのスウェーデン王国内での公安警察の暴走が、第2部後半で瀕死の重傷を負ったヒロインの復活とともに活写されていた。

公共の安寧秩序を守るための公安警察という組織(これの対語として私安警察という言葉があるらしい。)が、過剰な免疫反応的な動きによって、立憲君主制民主主義憲法体制内の獅子身中の虫として憲法を蔑ろにするような分派活動を行い、憲法体制を食い荒らす様が描かれ、それに対して良識派が反撃に転じて対抗する過程も描写され、体制内での権力闘争の政治過程のテキストとしても興味深い題材ではないかとも感じた。(逆に日本の公安警察が防諜活動を行っていることを紹介した小説としては、高村薫の『リヴィエラを撃て』を思い出す。)

3の後半では、ヒロインをめぐる刑事法廷小説としての側面も強くなる。

現実世界感の非常に濃厚な小説ではあるが、一方では「ファンタジー」的な魔法の要素として、このシリーズの忘れがたいほど印象的なヒロインが持つ驚異的な能力が魔法の杖的な働きを示すことが、ストーリー展開上必須なものとなっている。ネットワーク上のバーチャルな世界では、彼女はハッカーとしてはおそらく世界最強で無敵な存在ではなかろうか?その設定は彼女の生まれつきの映像記憶(写真記憶)とハイレベルな数学的能力の描写によって裏書されているので、付け焼刃的な印象には陥らないのだが、この小説にリアリティを求める場合にはオールマイティ性が痛快である反面キズにもなりうる。

同じスカンジナビアでは、昨年7月のノルウェーでの爆弾・銃乱射事件が記憶に新しいが、先のマルメ首相暗殺事件など、この本を読むにつれ、北方ゲルマン人の子孫(ヴァイキングのノルウェー、チュートンのスウェーデン?)たちの荒々しさが段々と感じられるようになってきた。グローバル化に伴う移民や異人種排斥の問題は、洋の東西を問わず現代社会の宿命なのだろうし、その宿命を先天的に持つアメリカは当然のこととして、先進国であるスカンジナビア、UK、ドイツ、フランスおよび日本の政治を見てもそれを解決しないことにはどうしようもないところまで来ているだろう。

なお、この続きを読みたいという希望は、不可能に近いようだ。著者のスティーブ・ラーソンはスウェーデンのジャーナリストで、この3部作を完成させ、出版契約を取り付けた後、出版を目前に急死してしまったのだという。少々できすぎた話のようだが、特に事件性は無いようで、著者の急逝後、内縁の妻と、著者の肉親との間で、遺産相続(特に膨大な著作権料=印税)をめぐって争いがあったらしい。このこともスウェーデンに関しての意外な点だった。どうやら事実婚では相続権が認められないようなのだ。それも、内縁の妻はこの小説執筆の協力者だったらしいのだ。事実関係がはっきりしないので、ことの当否は判断できないが、日本でも民法上は内縁の妻に相続権は無いことになっている(相続権者が存在しなければ別だが)ので、今のところ男女関係において「先進的」なスカンジナビアでも、同じことらしい。

2012年6月17日 (日)

スティーグ・ラーソン『ミレニアム2 火と戯れる女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

先日読んだ『ミレニアム1』の続編。平積みされていた文庫(上下二冊)を購入して読んだ。シリーズものとして、1を読んでいることが前提になる。

R0012054

1も面白かったが、2は1で提示された多くの謎が意外な形で明らかにされ、その展開の先を次へ次へと知りたくなる。

スウェーデンというと、北欧の高福祉国家であり、ノーベルを生み、ノーベル賞を主催する文化国家であり、クルマのボルボ、サーブ、家具のイケア、電子機器のエリクソン(携帯電話部門は、ソニーと合弁してソニー・エリクソンとなった)などのブランドで知られ、また、スキーのインゲマルク・ステンマルク、テニスのビョルン・ボルグ、ステファン・エドベリ等のかつてのスーパースターや、映画のベルイマン監督、スウェーデン生まれの美人女優のイングリット・バーグマン(ベルイマン)なども思い浮かび、豊かで落ち着いたイメージの国だが、私たちが若い頃は男女関係が非常に自由な国という話も飛び交っていたり、この本でも触れられるパルメ首相の暗殺事件などもあり、単純に高福祉で豊かな国のイメージではくくれないところがあるようだ。

この小説で描かれている旧共産圏から(旧)自由主義圏への若い女性の人身売買は、今年になって連載が再開されたコミック『マスターキートン』でも取り上げられいたのを読んで、こんな現実がソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊後に起きていて、現在も続いているのかと驚愕したが、スウェーデンというロシア、バルト三国とバルト海を隔てて隣り合っている国の闇には驚かされた。

現在、ミレニアム3を読んでいるが、読みやすさから言ったら、1を読んでからのこの2かも知れない。

2012年6月16日 (土)

ギレリス EMI全録音 (9枚組) ベートーヴェンピアノ協奏曲(セル/CLO)など

今日は、ブルームズ・デイ。昨日までの初夏らしい爽やかな晴れ間の代わりに朝から梅雨の雨が静かに降っている。近くの水田はほとんど田植えを終え、緑の稲苗が水面からわずかに顔を出している。

R0012052

2007年7月12日 (木) セルとギレリスの『皇帝』(米EMI盤)で書いたが、エミール・ギレリスとセルの競演盤のベートーヴェン ピアノ協奏曲の全曲は以前から全曲を聴きたいと思っていたが、時折国内版で分売されるのを見かけるだけで、全集としては見かけず、ずっと聞く機会が無かった。

ところが、その記事の末尾に最近備忘録的に書いたように、2010年にギレリスがEMIレーベルに録音したものがBoxセットで発売され今も入手可能なのを見つけ、内容を確認したところ、セルとの全集のほか、ルートヴィヒ、ヴァンデルノート、クリュイタンスと録音した「全集」も含まれているという凝ったものだということが分かった。2010年がギレリスの没後25年だったようだ。他に、マゼールとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲全集(第1番から第3番)なども含まれている。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=3860426

前に入手した『皇帝』は、中古盤のアメリカEMIのもので、残念ながら私の貧弱なリスニング環境では、強奏時の音割れやひずみ(最近「クリップ」 clipping と言うことが分かった*)が出がちだった。これはなぜかセルとクリーヴランド管によるEMIへの録音でなぜか頻発して悩みの種だったものだ。

今回のCDを入手して、早速聴いてみたところ、リマスタリングの効果かどうかは分からないがクリッピングは比較的減っている印象を受け安心した。これまで聴く機会が無かった第1番から第4番は、クリッピング的にはさらに良好な印象だ。

演奏の感想は別に書いてみたいが、いい買い物をした。楽しめそうだ。

なお、先に入手したHybrid-SACDのセル/クリーヴランド管のブラームスのヴァイオリン協奏曲(オイストラフ)と二重協奏曲(オイストラフとロストロポーヴィチ)は、CDレイヤーに関してはクリッピングの従来のCDからの改善はあまり聴くことができなかった。ブログなどを検索するとSACDについては、音質は改善されていて、クリッピングに関するコメントもないようなので、SACDレイヤーには一縷の望みがあるのではないかと期待しているのだが。

*クリッピング clipping
入力信号が規定の入力レベルを超えると、
出力信号が歪んでその波形の頭部(許容入力を越えた部分)が削り取られた状態になります。これをクリップまたはクリッピングといいます。この波形には無数の高周波が含まれているので、音がつまって、音色としては濁った感じになります。

2012年6月15日 (金)

バーンスタイン マーラー交響曲全集(大地の歌含まず) 旧盤 2009年リマスタ

マーラーの使徒であったレナード・バーンスタインが1960-1970年代にCBS(現ソニー・クラシカル)に録音した交響曲集の超廉価BOX(12枚組。一般価格4,085円で、割引価格は2,190円ほど)が最近発売され、購入した。

R0012051

パッケージは、2007年にHYBRID-SACDで発売されたときと同様のLPを模したジャケット仕様で、裏面のライナーノートも拡大鏡でなければ読めないほどの縮小具合だが、スキャンして拡大してみればきっと読めるだろう。CDのレーベル面もLPレコードの盤面を模倣したもの。デザイン的にはとても凝っているものだ。ソニーは、グールドのCDでも同様のパッケージのものを発売していて1枚所有しているが、一枚ものでは扱いにくかった。Boxの場合には扱いやすく個性的であり、LPレコード時代のジャケットの芸術的な試みを忍ぶにもよい試みだと思う。

さて、HMVの情報を眺めると2009年にもBOXで全集が発売されているが、今回のものとの相違は、2009年に含まれていたイスラエルフィルとの「大地の歌」とグスタフ・マーラーの思い出(語り:ウィリアム・マロック)が今回のものには含まれず、その代わりなのか、「亡き子を偲ぶ歌」(録音:1974年) ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ) イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 が収録されている。ただ、第5番のジャケットは、オリジナルの名残か収録されていない歌曲集も表記されているが、このCDには実際には収録されておらず、LP初出時の完全な再現にはなっていないのが惜しいかも知れない。また、7番の裏面のライナーノートは省略されている。

HMVサイトによれば、今回のBOXは2009年にアンドレアス・マイアーによってDSDリマスターされた音源を使用ということで、時系列的に先に分売で発売された2007年のHYBRID-SACDや、2008年のBlu-specCDとはリマスタリングが違うのだろうが、2009年のBOXとは異なるのだろうか?

先日読んだ、小澤征爾と村上春樹の対談集では、小澤がバーンスタインの副指揮者だったときに、彼のマーラー演奏の一部始終を見聞きして強い影響を受けたことを語っていた。当時の楽壇では、マーラーは現在のように人気のある作曲家とは言えず、世界的にもバーンスタインをはじめとした一部の指揮者だけがマーラーを積極的に取り上げていたに過ぎなかったことはよく言われることだが、小澤の証言でもバーンスタインのマーラー熱はよくわかる。今回の集成は、その当時のものというわけだ。

バーンスタインのニューヨークフィルハーモニックの音楽監督時代のマーラーは、使徒的な使命感に満ちたものではあっても、後年の欧州での演奏ほどは優れたものでは無かったともいわれるが、果たしてそうだろうか、というのがこのBOXを聴いての疑問だ。

別に、近年のマーラー演奏を熱心に聴いたり、バーンスタインのDGGへのマーラー録音やライブ録音に多く触れているわけではないので、半可通の戯言ではあるのだが、これまで聞いてきたマーラーの録音に比べて、若きバーンスタインのマーラーはすごく面白いように思う。マーラーに慣れていなかった当時の聴衆向けに分かりやすく演奏したとも言われることもあるようだが、果たしてそうなのだろうか?

リマスタリングのせいか、録音も非常に鮮明だ。1番の冒頭のフラジオレットも霞むことなく、スーッと聞こえてくる。その分、少々低音が物足りないように聞こえることもあるのだが。

まず2曲の簡単な感想。

4番は、グリストの声質がフィガロのスザンナ的なスーブレットのようにお茶目な雰囲気なのは、評論家の宇野功芳氏が褒めそやすようには感心しなかったが、それでもこの録音も絶えずオーケストラからの楽音以外の楽員が立てるノイズ(?)が聞こえるほど鮮明なものもあいまって、音楽の実質がたっぷり詰まった感じの音楽を聴いた実感がある。なるほど、これを聴くと、同じ時代のクーベリックとバイエルン放送響の録音が素直で上品なものに聞こえる。

5番は、第5楽章が面白かった。特にコーダでのブラスの強調は、マーラーのいわゆる分裂性(対位法的ではなく、同時に無関係なモチーフやメロディが重なり合う様子)がよく示された感じを受けた。冒頭のトランペットはアメリカのオケにしては少々頼りない音ではあるが、現代のようなスマートな音が果たしてマーラーの求めたものだったのかというのはある。こちらも、クーベリック盤をよく聞いていることもあり、バーンスタイン盤の波乱万丈さに圧倒される感があり、そこがまた面白い。

参考:

バーンスタインのマーラー情報
http://www.hmv.co.jp/search/index.asp?target=MUSIC&category=1&adv=1&keyword=%83%7D%81%5B%83%89%81%5B+%83o%81%5B%83%93%83X%83%5E%83C%83%93&site=&type=sr

2009年BOX
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3560429
CD 12:・交響曲『大地の歌』 クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ) ルネ・コロ(テノール) イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 録音:1972年(ステレオ)

2012年BOX
http://www.hmv.co.jp/news/article/1205160043/

http://www.hmv.co.jp/product/detail/4959827

2012年6月14日 (木)

スティーグ・ラーソン『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』

最近映画化されて名前を知った小説。図書館で借りた。『ミレニアム』3部作の第1作目で、原題は「女を憎む男たち」というものらしい。

R0012050

児童文学では、「長靴下のピッピ」のリンドグレーンや、『ニルスの不思議な旅』のセルマ・ラーゲルレーヴが知られるスウェーデンだが、この作品は現代のスウェーデンで2005年に出版されてベストセラーとなり、続いて各国語に翻訳されて世界的なベストセラーとなったものという。日本語版は2008年初版となっている。

原題にもあるように、テーマは非常に深刻な内容で、ともすれば猟奇的とも言いうる犯罪を扱っているため、このような題材が苦手な人には薦められない。

作中の登場人物が「ジェットコースターに乗っているようだ」と語る通り、まさにジェットコースター小説ともいうべきストーリー展開で、推理小説、探偵小説の要素も強い。

いわゆるキャラが立った主人公達が活躍するので、確かに面白いのだが、最終的に主人公達が追いつめる「悪の側」の描写が少し不足しているように感じた。

追記:日本語訳は、こなれたもので、翻訳調の読みにくさは、まったくといっていいほどなかった。すでに文庫本も発売されていて、平積みになっていた。

2012年6月10日 (日)

大学オーケストラの定期演奏会を聴いてきた

クラシック音楽好きの長男が、学校の先生からパンフレットをもらって行ってみたいというので、大学オーケストラの定期演奏会を聴きに行ってきた。

とても珍しい曲目がプログラムに入ったもので、初めて聴くその曲だったが、十分楽しめる演奏だった。

大学生時代に、自分の大学のオーケストラの定期演奏会に何度か行ったことがあった。第九、ショーソンの交響曲、ドボ8、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、火の鳥組曲などが記憶に残っている。第一線で活躍している指揮者や音楽家が招かれていたので、低料金ながらお得なコンサートだったことを思い出す。それなりに上手だったとは思う。ただ、すでに30年近く前の記憶のせいか、そのホールの特徴か、マイルドでくすんだ音色の記憶が残っている。

その点、今日のオーケストラ演奏は、それほど大きなホールでなく、普通の料金設定ならばS席の中でも一番いい席に座れたこともあり、音量は申し分なく、まさに指揮者が聞いているようなクリアな直接音主体の音響を聴くことができたのは楽しかった。

大学オーケストラは、年に一度程度の数少ない本番を目標に活動しているということで、これが一年間の練習の総決算になることもあり、とても真剣な演奏を聴くことができるのがいい。

ソロのミスや音程の不安定さ、弱音での演奏の困難さなどをプロの演奏や、ミスをできるだけ修正した商業録音とは比べることはフェアでは無いけれど、合奏は大変よく練習の成果が発揮されているようで、全体としてはリスナー歴40年選手にとっても立派に鑑賞に耐え得る音楽だったし、音楽に集中でき、感激もした。

常任指揮者は、中堅どころのプロの人だったようだが、楽団員との信頼関係がうかがわれる指揮ぶりで、情熱的な部分も見せていた。

前回生演奏を聴いたプロオケのときは、さすがに最上階の最後部という席で、直接音が遠かったけれど、アマチュアとはいえ無料・低料金でこれだけ聴かせてくれれば、満足感が大きい。

音楽好きの長男も満足していて、メインプロの後はブラボーと声を掛けていたほどだった。

学生の皆さんの労をねぎらうとともに、誘っていただいた先生にはお礼を申し上げたい。

学生オケやアマチュアオケの演奏会もこの時期多いようで、プログラムと一緒に配られたパンフレットが多かったが、時間があれば行ってみたいものだ。

2012年6月 9日 (土)

ヴェルディ オペラ『アイーダ』(抜粋) プライス, ショルティ/ローマ歌劇場

Verdi_aida_solti_price

Giuseppe Verdi (1813-1901) Aida

Georg Solti / Orchestra e Coro del Teatro dell' Opera de Roma,

Price(S), Vickers(T), Gorr(MS), etc.


配役:アイーダ/レオンタイン・プライス(S)、ラダメス/ヴィッカーズ(T)、アムネリス/ゴール(MS)、アモナズロ/メリル(Br)、ランフィス/トッツィ(B)、エジプト王/クラバッシ(B)

Preludio 前奏曲   4:05
Act1 - RAMFIS  "Si core voce che l'Etiope" 「そうじゃ、エチオピアがまたも戦いを」 1:41
Act1 - RADAMÈS "Se quel guerrier io fossi !"- "Celeste Aida" もしその将軍が私なら ! - 清きアイーダ 4:39
Act1 - AIDA "Ritorna vincitor !" 「勝ちて帰れ」 7:33
Act2 - POPOLO "Gloria all' Egitto, ed Iside" (凱旋の場) 「エジプトとイシスの神に栄えあれ」 3:17
Act2 - Marcia - Ballabile - POPOLO"Vieni, o guerriero vincice" 行進曲 - バレエ音楽 - 「きたれ ! 凱旋将軍よ」 8:25
Act3 - AIDA "Qui Radames verra! O patria mia" 「ここにラダメスはくるはずだわ ! - ああわが故郷」 7:18
Act3 - AMNASRO & AIDA "Ciel! mio padre! Rivedro le foreste imbalasamate" 「まあ、お父様 ! - もう一度、あのかぐわしい森や」 8:03
Act3 - RADAMES & AIDA "Pur ti riveggo, mia dolce Aida" (ナイルの二重唱) 「やっとあえたね、いとしいアイーダ」 3:01
Act4 - AMNERIS "Gia i sacerdoti adunansi" 「あなたの運命を左右する」 6:53
Act4 - RADAMES & AIDA "La fatal pietra sovra me si chiuse" - "Presago il core" 「運命の石が私の上で閉じられている」 - 「あなたの刑を虫が知らせてくれました」 6:49
Act4 - AIDA & RADAMES "O terra, addio" 「さようなら、この世」 5:41 

ゲオルク・ショルティの指揮で、珍しくローマ歌劇場のオーケストラと合唱団との録音。録音は1961年。米国グラミー賞を受賞しているという。(ショルティはグラミー賞の常連だったはずだ。)

2010年3月ごろブックオフで見かけて入門用にいいと思い、廉価で購入した抜粋盤だが、苦手意識がわざわいしてこれまで通して聴いたことが無かった。

残念ながらオペラ対訳プロジェクト「アイーダ」には、日本語訳はまだ無い。

第1幕
第2幕第1場
第2幕第2場
第3幕
第4幕

録音は古いけれど、デッカ録音だけあり音質は明快でビリつきや歪感も少ない。オペラは、一部の例外を除いて苦手分野なのだが、耳にする機会の多い「凱旋の場」はとても面白く聴けた。よく知っている部分は、言葉は気にならない。バルトークの音楽同様、ある程度は慣れの問題だろうか?

気象庁は、「関東甲信地方、北陸地方、東北地方南部は梅雨入りしたとみられる」と発表した。1か月以上続く雨の季節。毎年早く過ぎてほしいと思いながら過ごしているが、梅雨ならではの楽しみを見つけなければ。そういう意味で、イタリアオペラのスカッとしたベルカントの歌声は梅雨の憂鬱さを吹き飛ばす効果があるかも知れない。

2012年6月 8日 (金)

多分今日6/8から梅雨入り、ココログの6/7朝のダウンのこと

午後までに東海地方が梅雨入りしたというニュースが出ていたが、当地でも雨が降り始めた。いよいよ梅雨入りも時間の問題だろう。

さて、Twitterでは記事にしたが、昨日の早朝、ニフティのココログが操作を受け付けなくなった。9時頃には順次復旧したようだが、今日のニュースでは、クラウドサービスにはまだ復旧していないサービスもあるとのことだった。

昨日のニフティは、消費者庁から措置命令も出されていたというニュースも出ていた。

昨日のニフティは踏んだり蹴ったりだったようだ。

コンピュータの歴史は、これまでも集中処理と分散処理の両極を揺れ動いてきたが、クラウドは従来の概念では集中処理だろうか?(データを集中させて、処理は分散ということかもしれないが)。どちらにしても、集中は、大規模な障害につながり、影響範囲が広大となりかねないので、その点の問題が今回クロースアップされたようだ。

2012-06-07Twitterまとめ

  1. 今朝からココログが「接続がリセットされました このサイトが一時的に利用できなくなっていたり、サーバの負荷が高すぎて接続できなくなっている可能性があります。しばらくしてから再度試してください。」で接続できない。@niftyトップは表示されるが、そこから先はダメだ。

Powered by t2b

2012年6月 7日 (木)

ブログ開設8年

P5030743                   (2004年のクリンソウ)

2004年6月7日にこのブログを登録して、6月8日に記事を投稿し始めたので、そろそろ8年間もこの電子日記を書き継いでいることになる。

それ以前に自分のホームページ(最近まったく更新できていない)に設置してみた掲示板(BBS)に、日記風の記事を書いていて、それもこのブログ開設時に記事としてまとめて読み込んだので、初期の記事が相当長文になってしまっているのが、最初のドタバタを記録しているようで、忸怩たるものがある。

思いかえせば、中学校時代には、生徒全員が担任の先生との交換日記風の「生活記録」なるものを毎日提出していて、その日の出来事、感想、相談事などを数行書くと、担任が赤ペンでコメントしてくれるものがあった。そのほかに、自分でも確か日記帳に日記めいたものを書いていたので、日記というものを書くのが好きだったのだろう。高校、大学時代には昔風にいうと「大学ノート」に日記を書いていて、これに「日々雑録」という題名を付けていた。その後、社会人になってからは、しばらくパソコンで業務上のやりとりなどをPCにテキストで記録する業務日誌を付けたりしていたが、1年以上は長続きはしなかった。

さて、このブログのように日記を書き、それを世間の人に読んでもらえる形で発信するというのは、過去や後世の人々からすれば、なかなか面白い現象なのだろうとは思うが、個人的には現在はすっかり生活スタイルの一環に組み込まれている。

ただ、社会問題、政治問題などの発言は、すっかり管理社会化してしまった全世界では、恰好の調査資料となるのだろうという懸念はある(これも社会・政治的な発言ではある)。 エシュロンに代表される世界を網で覆った傍聴設備は、最近あまり表には出てこないが、データのクラウド化というものも、その危険に絶えずさらされる恐れがあり、また、ネットでのデータのやり取りは絶えず、通信とストレージにかかわる人的なエラーや故意によって、暴露の危険にもさらされている。

そのような危険と隣り合わせであるため、自己検閲(?)は当然しながらではあるが、このようにほぼ毎日書いているというのは、なかなか因果なことだと自分でも思う。

2012年6月 6日 (水)

クレンペラー/POの モーツァルト 交響曲第35番、36番

当地は台風の余波の雨空で、金星の太陽面通過は観測できなかった。先日の金環日食のために買った太陽メガネをカバンに入れて、昼休みにでも観察しようともくろんでいたのだが。(西日本では相当広い範囲で観測できたようだし、この天体現象は、先の金環日食とは違い、世界中で観測できるのだという。)

その代わりと言ってはなんだが、国立天文台とJAXAが、太陽観測衛星の「ひので」から見た金星の太陽面通過 の模様をネット公開しているので、下記のガイドラインに拠って 『国立天文台/JAXA 提供』の写真をこのページにも掲示させてもうらことにした。

観測開始直後 7時26分53秒(日本時間)

Sot_120606_venus_ca_nc_yellow_001

当ページの画像、映像について     個人のご利用はご自由にできます。     学校その他の教育機関における授業や試験問題へのご利用、天文学の広報普及活動を目的とするご利用は、ご自由に行えます。お使いになる際は、 『国立天文台/JAXA 提供』の記載を御願いします。     新聞社、テレビ局などの報道機関による報道資料としてのご利用は、『国立天文台/JAXA 提供』のクレジットの明記をお願いします。なお、掲載記事の PDF ファイル(もしくはウェブの場合はURL、テレビの場合は番組名、放映時間など)を事後でも結構ですので御連絡いただけると幸いです。連絡は press (at) solar-b.nao.ac.jp ((at) は @に置き換えてください) にお願いします。

さて、先日購入した EMI Signatures Collection のクレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団のMozart The last six symphonies 3枚組の内の1枚。

第35番ハフナーは、クレンペラーの演奏スタイルのイメージに合いそうだと予想していた。

第1楽章: もっと冴え冴えとした壮麗な感じがほしいイメージがある分、少しテンポが遅く感じた。折り目正しく、形式感が打ち出されている。第2楽章:この曲がもともとザルツブルク時代に作曲されたセレナードであったことを思い出させるような質朴な雰囲気の演奏だ。メヌエット:安定したテンポで折り目正しい。フィナーレ:ブッファの序曲的な音楽ではあるものの、リンツのそれに比べたら少々テンポが重いように感じた。また、この曲は、トランペットとティンパニのセットが活躍するはずなのだが、他の楽器グループに比べて少々音量を絞り過ぎているように感じる。これはこの一連の録音の特徴ではあるのだが、この第35番に関しては物足りなさを覚えた。このあたり、パイヤールの録音はしっかりとティンパニのリズムが効果的に入っているし、ヴァルター/コロンビア響も恰幅よくやっている。

第36番リンツは早書き伝説で知られる曲で、LP時代のヴァルター指揮のコロンビアム響のステレオ盤(再発の廉価盤)で馴染み、思い出の中ではいまだにそれが一番しっくりすることもあり、カラヤン/ベルリンフィルのDGG盤はレガート過ぎ、クーベリック/バイエルン放送響の録音も自分の好み的にはもう一つだった。先のパイヤール盤は全体的に平均点は高く、このリンツも気に入った部類だった。

今回のクレンペラーによる録音は現在の自分の好みにフィットするものだった。ピリオドアプローチの洗礼を経た耳にも冴えて聞こえる。以前クレンペラーというと、誰だったかが古色蒼然などと評していたのを覚えているが、逆にいま聞きなおしてみれば、いまだに古びない演奏ではなかろうか。第1楽章のハ長調の堂々とした序奏と軽快に歌う主部の対比。第2楽章は、重苦しくない3拍子の歩み。第3楽章メヌエットは少々無骨だが、第4楽章はオペラの序曲のように爽快に駆け抜けていく。ところどころにあらわれる対位法的なパッセージでは冴えた木管と右から聞こえる第2ヴァイオリンが効果的だ。

余白の、「後宮(ハーレム)からの誘拐(連れ出し)」序曲も、ジングシュピールの魅力が伝わってくる。

2012年6月 5日 (火)

そろそろ梅雨だろうか?

このところ、冬と夏が長く、春と秋が短くなったと、子どもが言うのだが、まことにその通りで、桜が散ればあっという間に初夏となり、長い梅雨が続き、セミは10月までも鳴き続け、鮮やかな紅葉も見せずに葉が散る11月末になると急に寒くなる、といった具合だ。

あの金環日食のあった5月末からどうも天気はすっきりせずに、梅雨のようなじめっとした天気が多く、夜は湿気を含んだヒヤッとする温度になっても、室内はクーラーがほしいほどの蒸し暑さになってきつつある。

栗の花が咲き誇って強烈なにおいを放ち始めたが、その傍らの日蔭には紫陽花の花が色づき始めた。

R0011844
R0011843
R0011841
アジサイの華やぎに比べると地味だが、この時期はドクダミも花盛りだ。

2012-06-04Twitterまとめ

  1. 千葉の漁港に押し寄せた鰯の群れ。ニュースではクジラに追われたのではとの地元の漁師の話。吉村昭『三陸大津波』を少し思い出した。何事もないといい。

Powered by t2b

2012年6月 4日 (月)

雲に阻まれて部分月食(月蝕)は観測できず

6月4日夜9時09分の雲に隠れた月
R0011828

昨夜6月3日夜10時過ぎは快晴で、きれいな月が見えたのだが。
R0011809

ちなみに昨年12月10日の皆既月食は、天頂近くにこんな風に見えたのだった。
R0010930

2012-06-03Twitterまとめ

  1. http://t.co/o05c2uqH で Kimiko Ishizaka がベーゼンドルファーのピアノで弾くゴルトベルク変奏曲全曲を聴く。この音源はcreative commons の著作権フリー(No Copyright)に則った試みらしい。
  2.   http://t.co/o05c2uqH で聴く Kumiko Ishizakaのゴルトベルクは、ピアノ演奏ということで、どうしてもグールドの有名な二つの録音と比べてしまうが、ガブリーロフがピアノで演奏したものよりは集中して聴ける。なぜだろうか?

      http://t.co/o05c2uqH Kumiko Ishizaka ではなくて、Kimiko Ishizakaが正しい。

Powered by t2b

2012年6月 3日 (日)

6月3日の大河ドラマ『平清盛』を見て

保元の乱に決着が付き、左大臣頼長は矢を首に受け、奈良に避難していた父忠実の元に助けを求めに向かったが面会を拒否され、舌を噛んで自殺した。頼長がかわいがっていた白い鸚鵡が頼長死後に忠実の元に瀕死の体で舞い降りてきて、「父上、父上」と言葉を発して死ぬという学芸会的な描写がなされていて鼻白んだ。これではまるで「南極大陸」の犬たちの擬人化演技並みではなかろうか?

清盛と忠正の関係はこれまでの現代的大家族主義道徳の奨励に沿って描かれていた。清盛は忠正を匿い、助命するというストーリー。古代・中世の武士達の道徳・忠義観念がどのようなものだったかは知らないが、もっと殺伐としていたのではなかろうか?

一方の源氏側は、為義と義朝親子の断絶は強く描かれ、ただし為義が義朝の殿上人への昇進を陰ながら喜ぶという設定になっていた。保元物語では、義朝は、父為義と、兄弟たちの助命の願いを、平清盛が叔父平忠正の助命願いを行わなかったことにより同列とみなされて却下されると描かれている。このドラマでは、清盛を清廉潔白なヒーローとして描く最近の薄っぺらは大河の伝統に則って、上記のようなべた甘ドラマに堕してしまっているようだ。

崇徳上皇は哀れにも、藤原俊成(*)のみが随身するのみとなり、仁和寺で出家。(この部分見直したところ、俊成ではなく、教長という人物だった。)

戦後会議で、信西の進言により上皇は配流となり、敗軍の武士達は上皇への厳しい罰にバランスを取るように、死罪が申し付けられることになった。ただし、このバランスのとり方は妥当だったのだろうか?死罪を極力嫌ったとされる平安貴族たちの心境や忌避感にも変化が表れてきたのだろうか?そのあたりをもう少し知りたいと思わせた。


(*)追記:藤原俊成に関するホームページに以下のようにあるのを見つけた。 

崇徳院主催の久安百首のメンバーに加えられ抜擢されてその部類に当たったが、後年「保元の乱」に敗れて讃岐の行宮に生涯を終えられた崇徳院は、崩御後特に俊成宛てに長歌を遺されていたことが判り、その恩顧の深さが知られよう。

再追記:歌人と知られる藤原俊成ではなく、同名の図書允俊成(ずしょのじょう、としなり)という人物がいたらしい。(保元物語)この人物が、悪左府頼長の南都落ちに付き従ったので、崇徳上皇の随身者と混同してしまった。もっとしっかり見なければだめだ。なお、歌人藤原俊成の方は、このドラマの最初の回の方にまだ若い貴族として登場していたらしい。

2012年6月 2日 (土)

コピ・ルアク を注文

フィンランドの首都ヘルシンキを舞台に小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ という個性派女優たちが出演した不思議な設定の映画『かもめ食堂』でも登場した「コピ・ルアク」というコーヒーが美味しくなるおまじない言葉。

インドネシアではジャコウネコのことをルアク、コーヒーをコピというらしく、そのジャコウネコに関係のあるコーヒーとのことだ。ジャコウネコは、麝香という名前が付けられているだけあり、ムスク系の臭腺を持っているのだという。おそらくその関係でコーヒーに独特の香気がつくらしい。とにかく希少品らしく、コーヒー1杯1万円ほどする場合もあるという。(少々ゲテもの系ではある。)

先週、最寄のコーヒー店が今年も取り扱うという新聞記事が全国紙の地方版に掲載されたので、帰宅時にその支店に立ち寄ってみて「コピ・ルアクを注文したいのですがまだありますか」と尋ねたところ、「新聞記事を読まれましたか?注文受付中です」とのことで、予約してしまった。値段は何と50gで2,400円という高さ。レギュラーコーヒーを買っている他の店は、トラジャコーヒーでも200gで800円前後の値段のものが多いので、それに比べると12倍だ。

ジャコウネコは名古屋城の復元された障壁画にジャコウネコが描かれていたのを発見して驚いたのは、今年の名古屋旅行の記事に書いたが、「かもめ食堂」も今年テレビで見たので、何かと縁がある。 中旬には入手できるようだ。楽しみだ。

R0011330

2012年6月 1日 (金)

古代、中世の馬の体格

今日から6月。衣替えなのだが、数年前から6月以前にクールビズは始まることになっていて、今年は今日からはスーパークールビズとかいうものらしい。

さて、またもや半可通の思いつき記事なので、ご容赦を。

R0011601_2 (東京国立博物館 平治物語絵巻 六波羅行幸より)

『銃・病原菌・鉄』での、大型哺乳類の家畜化の考察は面白かった。アフリカ大陸のシマウマが、なぜ現在家畜となっているウマと同様に家畜化されなかったのか、など、現在家畜化されていない大型哺乳類のどこに原因があって家畜化ができなかったかについての考察が述べられている。

さて、幸運にも家畜化され、日本にも古墳時代にユーラシア大陸から移入されたウマだが、それ以来の?在来種としては長野の木曽地方に伝わる中型種のキソウマなどが知られている。このウマはチンギスハンのモンゴル軍団によるユーラシア大陸征服の原動力となったモンゴルのウマに近いとも言われている。

既に「動物考古学」ではある程度研究結果が出ているようで、新田義貞の鎌倉攻めの遺跡?から発掘された馬の骨から、木曽馬程度の中型種だったことが分かってはいるらしい。

そこで、一般的には在来種があれほど小さいのだし、当時の日本人の体格が平均的に小さかったので、現代の映画やドラマで描かれるアラブ系の脚が長い大型の馬のようなものではなかったのではないかとされる。

しかし、先月見た平治物語絵巻にしても、吉備大臣入唐絵巻(中国の馬?を写実的に描いたとは思えない)にしても、馬と人とのサイズのバランスは、脚が太く短く、背の低い木曽馬のようなものでは無く、馬は十分に大型だったように見えた。牛車も多く描かれているが、牛に比べても馬のサイズ(背の高さ)は高いようだ。また、伝足利尊氏の騎馬像とされる髻を切ったざんばら髪の武者の画像 にみられる馬も、十分に大型だ。ただ、上記のキソウマのサイトにみられる絵の馬の背の高さは、成人男子に比較してやや小さい。

古代の信濃や武蔵の官営牧などで飼育されたウマ、平安、鎌倉武士たちが好んで乗ったウマの体格は本当に小型だったのだろうか?また、武田の騎馬軍団の馬、信長の馬揃いの馬たちはどうだったのだろうか?

動物の家畜化による形態変化は、オオカミの家畜化によるイヌの例が顕著で、チワワからセントバーナードやピレネー犬までのサイズが生物史的には比較的わずかの期間で達成されている。

ウマの場合でも、家畜化による形態変化は大きいものがあったのではなかろうか、などとも思ってみる。

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2024年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31