葬儀参列の帰省
母方の義理の伯父が19日に亡くなり、22日の金曜日に告別式が執り行われ、列席してきた。
この6月に入り、父方の従姉、父方の伯母が相次いで亡くなり、その後父方の本家(私の実家の地方では同族のことをマケと呼ぶが、その同族の家系図上の本家)の当主が亡くなり、それぞれの葬儀の都合で、私が列席することは無かったが、父母はこの6月初めから葬儀続きで多忙だった。
今回の葬儀の参列では、実家の地方の葬儀・告別式が予定の時間より早く始まることをすっかり失念しており、告別式開始ギリギリにローカル線の列車が最寄駅に着くので、そこからタクシーを予約しておき駆け付ければギリギリ間に合うという段取りで動いていたのだが、まだ観光シーズンではなく稼働タクシーが少なかったようで、最寄り駅で20分ほど待たされ、駆け付けたところ、弔問客の受付はすでに終わっていたような時間帯だった。
その後の葬儀には何とか列席できたのだが、数多い親戚の中で、私と同じ首都圏方面から早めに駆け付けた人たちもいたので、申し訳なさと恥ずかしさで、自分の遅刻が非常に居たたまれないほどだった。自分もいい年をした長男ではあるが、実家を離れてすでに30年以上経過し、地元のしきたりなどには疎くなってしまっているので、このようなときには困惑することがある。その土地その土地の習慣が残る冠婚葬祭の空気が遠方からは読めないことも一因だとは感じるが、次回などと縁起の悪いことを考えてはならないが、早めに駆け付けるようにしなくてはならない。
告別式を終え、列車の便が悪く、会場で待っていたところ、首都圏にクルマで帰る親戚が同乗させてくれたので、自宅近くまで送ってもらい久々に実家に帰省した。
翌土曜日の朝には、仲人さんの父上が94歳で亡くなったと、妻の実家の父から連絡があり、日曜日の葬儀に駆け付けなくてはならなかったが、日曜日には外せない所用もあったため、妻の父に香典の建て替えを依頼し、弔電を打たせていただいた。
土曜日の夕方帰宅したが、室内は蒸し暑く、金曜日に出かけたばかりなのに、ひどく長い時間が経過したような感じを覚えた。
日曜日は、古くなったカーペットでも交換しようかと考えていたが、今週初めから続いている首の寝違え(50肩かも知れない)の痛みがなかなかしつこくて取れず、交換はできなかった。
吉村昭『天狗争乱』を読み始めたが、前半部分は天狗連・尊王攘夷派と保守派の対立など、水戸藩内の複雑な抗争が詳細に描かれ過ぎていて、固有名詞や筋を負うのもやっとで、相当斜め読み状態になってしまった。それにしても、ここまで内乱的な激闘が水戸藩周辺で行われたということは知らなかった。水戸藩の藩主代理(支藩の笠間藩主)が藩主の命令で帰国しようとしたところ、保守派に阻まれ、戦闘を繰り広げたあげく、最終的に保守派に欺かれ切腹にまで追い込まれたというのもあまりの悲劇だ。
天狗連が京都の徳川慶喜に嘆願するために上州、信州に向かうあたりから、次第に物語の勢いがついてきたように思う。これで途中で投げ出さずに済みそうだ。
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