グレン・グールドの1981年ゴルトベルク変奏曲の録音と映像の微妙な違い?
久々の投稿。
今年の初め頃から最近まで、インターネットの質問回答コーナーを訪れて、たまに回答している。まったく予想もつかないような質問をする人がいて、それに対して自分なりに納得がいく内容回答するためにきちんと調べたりすると、いわゆる習慣的な「殻」のようなものから、少し自分が解放されたような気がすることもある。
グレン・グールドというピアニストについての質問は結構多い。それらを読むたびに、至極当たり前の感想ながらこの特異なピアニストは、なぜいまだに現代人を惹きつけるのだろうかと思う。クラシック音楽にそれほど親しくない人たちがこのピアニストに対しその魅力を感じるようなときには、いわゆる教養主義的・ペダンティックでスノッブな音楽鑑賞の枠組みを意識しなくてもよいようなメッセージが彼の演奏から発っせられいるのかも知れない、などとも思う。
さて、年初に購入した、古き良き時代のアメリカの至宝的な録音「RCA LIVING STEREO 60」のHDDへの取り込みが、5月の連休でようやく完了した。自分なりに納得のいく形で統一感があるようにMP3タグを編集していることもあり、その分多少時間がかかってしまった。1954年ごろから1960年ごろの録音集成なのだが、リマスタリングが素晴らしいことは措いておいても、オリジナルの演奏、録音自体が極上だったことが分かるようなCD揃いで、正直いって恐れ入ってしまった。音楽演奏や録音は、第二次大戦を経て冷戦期にあった超大国アメリカにおいて、一つのピークを迎えたのかも知れない。ハイフェッツ、ルービンシュタイン、クライバーンなどのヴィルトゥオーゾ、ライナー/シカゴ響、ミュンシュ/ボストン響の個性的な名指揮者と名楽団に代表されるこの録音集の、「オリジナル」に近い音の威力はそれほど強烈だった。
この取り込みが完了したので、さてということで、グールドのバッハ全集のDVDの6枚組をPCに挿入してInter Video というPCのバンドル動画ソフトで改めて聴き始めたのだが、そういえば、グールドによるゴルトベルク変奏曲の2回目のスタジオ録音である1981年のCDとDVDの映像(ブルーノ・モンサンジョン監督)は、同じものなのだろうかということをふと思いつき、解説のデータを読んでみた。というのも、グールドの演奏する様子をとらえた映像付きのゴルトベルクは、CDの音声のみで聴くときとなぜか印象が相当違うからだ。音のみのときは、デビュー番の1955年の自由闊達な演奏よりも、幾分か静的な印象を受けるからだ。
さて、CDのデータは以下の通り
場所:米国ニューヨーク市コロンビア30番街スタジオ
日付:1981年4月22日から25日 および 5月15日、5月19日、5月29日
プロデューサー:グレン・グールドとサミュエル・H・カーター
とある。
DVDの方は、
場所:米国ニューヨーク市コロンビア30番街スタジオ で同じだが、
日付:1981年4月22日から25日 および 5月15日、5月19日、5月29日 で同じ。
監督:ブルーノ・モンサンジョン、プロデューサー:マリオ・プリゼック (Prizek)、エクゼクティブ・プロデューサー:ハーバート・G・クロイバー(Kloiber) A Clasart production copyright とある。
各トラックのタイミングは、本当に微妙に異なるところがあるが、PCのソフトで実際にCD音源とDVD音源のタイミングを合わせて再生して聴き比べてみると、残念ながら素人が気が付くような差異はないようだ。
この1981年録音が発売された頃は、自分もまだ若き学生であり、友人の下宿か何かでこの新しい録音のことを話したような記憶がある。まさか映画として完全な演奏映像が残されているとは思わなかった。映像カメラのアングルは様々なので、映像としての編集が施されているのだろうが、これとCDの音楽が一致するということはどちらが先でどちらが後なのだろうかという疑問に対しては、その容易さの想像からおそらく映像が先で、そのサウンドトラックをCD化したのではないかとも思われる。グールド研究の面からはおそらくこの辺りの状況については詳しく記録が残され、一般向けの書籍にもそのような情報は載っているのだろうが、少々気になるところだ。
グールドは、コンサートドロップアウトを達成したのだが、テレビカメラのようなものの前で演奏することは厭わなかった。そこに不思議さがある。
このグールドによるバッハ演奏の全集には、新旧ゴルトベルクで、採用されなかったテイクも多く含まれている。この辺りに、自発的な即興性と設計・効果を意図した人工性ののぞき穴が見えるようでもある。
この全集には、グールドのゴルトベルクのザルツブルクでのコンサートのライブ録音が収録されているのだが、多くのテイクの切り貼りをしていない未編集の演奏(だと思うのだが)の目覚ましさは、やはり格別なものがある。音楽における一回性(この録音自体がそれへのアンチテーゼではあるのだが)の価値を思い知らせてくれるような演奏である。
(2013年4月28日草稿、6月24日改稿)
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通常の演奏家の場合ならば本人が意図していないものが編集作業として表れてくることがあるかもしれませんが、名うてのスタジオ演奏家としては完璧を期したに違いありませんね。録音においてのテークの数に比べて映像がどうかと言うのは、そこで採用されている編集技術に多くを負うかと思います。どちらもデジタルされてからのそれはアナログでは考えられなかったほどの作業が可能となり、出来ないことは無い編集作業となるのはご存知の通りです。
81年時点での彼の地でのデジタル映像編集技術がどれほどのものであったかは知りませんが、その技術的な確証があったからこその企画だったのでしょう。つまり、具体的には、膨大なテークの映像と音声をそのまま、現在家庭でしているように、繋ぎ合わせたのでしょう。勿論音声に比較すると映像は繋ぎを誤魔化しにくいので、音声の繋ぎの必要のあるところは、カメラ位置を変えたことにして繋げばよいのです。
投稿: pfaelzerwein | 2013年6月25日 (火) 16:34
pfaelzerweinさん、いつも専門家的なコメントをありがとうございます。ディジタルならばそれほどの困難な編集は無いというのは理解していましたが、この1981年のこの映像・録画は、モンサンジョンによる映像の企画と音声のいわゆるオーディオ録音の企画のどちらが先だったのかご存じでしょうか? もちろん同時に企画されたと考える方が自然なのですが。このような同時録画・録音は無いようなので、グールドがこの先長生きして、このほかにも録画・録音を残してくれていたらどんなにかよかっただろうと思っています。
投稿: 望 岳人 | 2013年6月25日 (火) 20:54