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2013年9月12日 (木)

堀辰雄が聴いたフォーレの「レクィエム」(1938年リヨン録音)

軽井沢町追分の堀辰雄記念館のSPレコードの目録は、音楽愛好家の方が作成に協力したのだろう。きちんとまとまった興味深いものだが、残念ながら演奏者の記載が少々不完全のように思えた。

プルーストが「失われた時を求めて」で、屋敷に招いてその生演奏を聴いたカペー四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の古く有名な録音のSP(リンクはYoutube 第14番Op.131嬰ハ短調の第1、2楽章。最も内省的なフーガの第1楽章の幽遠な演奏!)があるのは、実際に記念館で見かけて感激したので覚えていたが、今回、フォーレのレクイエムのSPレコードがあるのに気付いた。ただ、演奏者欄に、指揮者の名前が見当たらない。

このような古いSPレコードの情報は、たいがいネットにアップされているので検索してみたところ、

http://www.cadenza-cd.com/label/goodies_cdr.html

で、多分これだろうというものが見つかった。

フォーレ:レクイエムOp.48

-----------------------------------------------------------------
 シュザンヌ・デュポン(S) モーリス・ディディエール(Br)
 エルネスト・ブールモーク指揮リヨン器楽合奏団&cho.、エドアール・コメット(Org)

(CD番号)米 COLUMBIA 70295/9-D (英 COLUMBIA LX773/7と同一録音)。
録音:1938年5月30日-31日、6月1日、リヨン、サン=ジャン大聖堂。

 リヨンのサン=ジャン大聖堂で録音されたこの名曲の記念碑的録音。英コロンビアのプロデューサー、ウォルター・レッグによる録音。SP時代の同曲はフランスHMVが1929年に録音したギュスタヴ・ブレ指揮バッハ協会合唱団とo.(仏 LA VOIX DE SON MAITRE W1154-58)があったが1936年に廃盤になっていて、この新録音が大歓迎されたとの記述がある。

独唱者やオルガニストが同じなので、恐らくこれに間違いないだろう。

当時は知られた録音のようなのだが、独唱者も指揮者も、演奏団体も初めて目にする名前なので、原語ではどのように表記されているのだろうかと興味を持ち、調べてみた。

すると、以下の情報が見つかった。

http://en.wikipedia.org/wiki/Requiem_(Faur%C3%A9)

このWikipedia 英語版に、以下の記述があった。

The exception was a Columbia set released in 1937, with Suzanne Dupont, soprano; Maurice Didier, baritone; Les Chanteurs de Lyon and Le Trigentuor instrumental lyonnais, conducted by Ernest Bourmauck.

さらに、このSPと同じだろうと思われる音源(演奏者は同じだが、1938年録音とされている)の音を Youtube で聴けることも分かった。

Gabriel Fauré
Requiem

Suzanne Dupont, soprano
Maurice Didier, baryton
Les chanteurs de Lyon
Le Trigentuor instrumental lyonnais
Edourd Commette, orgue
Direction Ernest Bourmauck

Enregistré le 31 mai 1938 en la Cathédrale Saint-Jean de Lyon
VINYL, repiquage de 78 tours

 

現代がフォーレに求める清楚で静的なイメージとは異なり、比較的濃厚でアマチュア的な演奏スタイルの演奏を聴くことができる。一面ではとてもベルエポック的な雰囲気のある演奏ではあり、スクラッチノイズも消されていて、比較的聴きやすい。

さらに、この音源はLPでも再発売されていたらしい

http://mobius.missouri.edu:2082/search~S0?/aBourmauck%2C+Ernest./abourmauck+ernest/-3%2C-1%2C0%2CB/frameset&FF=abourmauck+ernest&1%2C1%2C

 

指揮者も、演奏団体も、この音盤以外ではヒットしないようで、詳しい情報が分からないのだが、Le Trigentuor instrumental Lyonnais (上記 cadenzaのサイト情報で、リヨン器楽合奏団 と訳されている)とはどんな団体で、大文字の Trigentuor とは何だろうという疑問がわいてきた。

いろいろ調べると、Le Trigentuor instrumental Lyonnais とは実在のオーケストラだったらしい。

古いものだが、コンサートのプログラムが見つかった。

http://numelyo.bm-lyon.fr/BML:BML_02AFF01000AffM0496?params=a:6:%7Bs:3:%22pid%22;s:25:%22BML:BML_02AFF01000ffP0198%22;s:8:%22pg_titre%22;s:0:%22%22;s:14:%22collection_pid%22;s:23:%22BML:BML_02AFF01000COL01%22;i:0;s:38:%22collection_pid=BML:BML_02AFF01000COL01%22;s:4:%22rows%22;s:1:%229%22;s:9:%22pager_row%22;i:116;%7D

Trigentuor は定かではない。フランス語の、人名なのか、地名なのだろうか?

現存するオケならば、googleでヒットしないことは無いだろうと思ったが、ヒットしないので、恐らく他のフランスのオケのように吸収合併再編成の歴史をたどったのだろうと見当を付けて、日本でも知られる リヨン国立オケを調べてみた。

http://fr.wikipedia.org/wiki/Orchestre_national_de_Lyon

以下を読むとリヨン国立オケの前身の一つらしい。

En decembre 1938, la Societe des Grands Concerts fusionne avec une autre societe musicale le Trigintuor et prend le nom de Association philharmonique.

1938年に「大コンサート協会」が、その他の音楽協会である「Trigintuor」 と合併して、フィルハーモニック協会に改称、ということらしい。ただし、ここでは、Trigintuor となっている。

リヨンフィルハーモニーのサイトでは

http://www.philharmoniquedelyon.org/historique/

1938  La societe des Grands concerts fusionne avec l’orchestre du Trigintuor et devient
とある。

(リヨン国立オケの HPは、これ http://www.auditorium-lyon.com/L-Orchestre/Orchestre-national-de-Lyon )

以下のページにも出ている。

http://home.arcor.de/christoph_gaiser/diss.htm

Trigintuor (auch Trigentuor geschrieben), Lyon, gegrundet 1925, Leitung: Charles Strony und Ernest Bourmauck

それでも、いったい、Trigintuor (Trigentuor)とは、いったい何だろう?

 

2019/8/10追記

Youtubeがリンク切れのため、別のリンクを追加。

 

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