小澤征爾氏の逝去を悼む
2024年2月6日に指揮者の小澤征爾さんが亡くなった。2月9日にメディアが速報で逝去を伝えた。ご家族による葬儀を終わらせた後だったという。
私がリスナーとしてクラシック音楽に親しむようになった少年時代頃から、小澤征爾さんはヒーローの一人だった。国内では故・岩城宏之氏のNHK交響楽団、小澤征爾氏の新日本フィルハーモニー交響楽団だったが、小澤さんはボストン交響楽団の音楽監督に就任しており、特にNHKのFMラジオが海外の音楽祭などの演奏会録音を頻繁に放送していた頃には、しばしばベルリンフィルを指揮した録音が放送されるなど、世界的に華々しく活躍していた。ブラームスの1番やベートーヴェンの7番などの放送録音を聴いた記憶がある。
検索したところ、本ブログでも「小澤征爾」関連の記事を多く書いている。
ボストン響を退任し、サイトウキネンオーケストラ、サイトウキネンフェスティバルを立ち上げたキャリアのピークの頃には、その華麗な活躍に胸を躍らせ、特にサイトウキネンオーケストラのヨーロッパ演奏旅行でのブラームス全集は、当時の『レコード芸術』の交響曲の評者だった作曲家の諸井誠氏が大絶賛していたこともあり、血沸き肉躍る感覚を覚えた思い出がある。その後、2002年のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任後は、伏魔殿ウィーンでも神経を擦り減らしながらの活躍だったが、クラシック音楽のレコード業界のメジャーレーベルが次々と録音リリースを縮小させた大きな変革期にもあたり、録音面での世間への訴求はあまり見られずに終わったのが残念だった。
サイトウキネンフェスティバルでは、1年目の公演はチケットが取れず残念な思いをしたが、長野市の県民文化会館で徹夜で並んで購入できたチケットで聴いた2年目のオネゲルの『火刑台のジャンヌ・ダルク』の公演は、今でもよく思い出す。
小澤さん関係の本も何冊か読んだ。若い頃の自伝的エッセー『ボクの音楽武者修行』は、故・小田実の『何でも見てやろう』と並んで、戦後青年の一種のバイブルだった時代もあったが、私などは功成り名遂げた小澤さんの若き英雄譚として読んだ世代だった。
N響事件は、今回の訃報に関連して少し言及するメディアやSNSもあったが、日本フィルハーモニー交響楽団の分裂騒動に関するコメントはあまりなかった。
1972年3月、フジテレビと文化放送が楽団に対して放送契約の打ち切りを通告する。6月30日、財団法人の解散にともない新日本フィルハーモニー交響楽団と分裂し、楽団員の3分の2が残留し、3分の1が新日本フィルへ移動して「日フィル争議」が始まる。この時、新日本フィルハーモニー交響楽団を率いたのが小澤さんだった。
これだけの巨人ともなれば、功罪相半ばということもやむを得ないのだろう。
謹んで哀悼の意を表します。
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