もともとコンサートゴーアーではないが、それでも音楽好きとして機会があればコンサートで生の音楽を聴いてきて、このブログにも記事を時折アップしてきた。(家族でNHKホールでのパーヴォ・ヤルヴィによるブルックナーの3番のコンサートに行ったのはまだ書いていないけれど。)
しかし2020年からの新型コロナウィルスの流行を慮ってこの2023年までコンサートからは足が遠ざけており、もっぱらテレビ放送の視聴と、買いためたCDをPCのiTunesに入れたコレクションをヘッドフォンで聴く毎日。この11月のヨーロッパのチェコフィル、コンセルトヘボウ、ウィーンフィル、ベルリンフィルなどの超一流オーケストラの来日公演ラッシュは、いったいどうしたことかと飽きれ半分で傍目で眺めていたほど。
そんな折、ふと昔のことを思い出した。ほぼ半世紀近く前の話になる。幾星霜を経たことか。
田舎町の高校(日本人宇宙飛行士としてISSで活躍している油井 亀美也氏や大ヒットアニメーション『君の名は。』などの監督の新海誠氏などが卒業生として最近割と知られるようになった高校)に通っていた頃にはコンサートは縁遠い世界の話だったが、たしか夏休みの直前だったか、芸術科目の選択授業(音楽、美術、書道があった)で取っていた音楽の授業の際に、恐らく高校に配布されてきた無料コンサートチケットが余ったか何かしてコンサートに行きたい希望者の募集があり、それに応募したところ当選し、真夏の暑い日に同じ中学校出身の級友と一緒に近隣の少し大きな町に出かけた。
指揮者:山田一雄、ピアノ:弘中孝、オーケストラ:読売日本交響楽団 で 曲目はショパンのピアノ協奏曲第1番と、ドヴォルザークの「新世界より」、アンコールが「ラデツキー行進曲」だったのは、今でも覚えている。
さて、これは高校何年生のことだっただろうかと、「山田一雄 弘中孝 読売日本交響楽団」でネット検索を掛けてみたところ、それに近い情報Webページ「山田一雄の世界」がヒットした。
以下の記録に、1977年7月28日に金沢市で開催されたコンサートがあるが、これが記憶している指揮者・独奏者・オーケストラや、曲目の一部が一致しているので、おそらく私が聴くことができたコンサートはこのコンサートツアーの一環で開催されたもののようだ。ただ、金沢の会では当時NHKのFMなどでよく名前を耳にし、実家の父の蔵書の名曲解説辞典やレコード芸術などでも執筆されていた音楽評論家の門馬直美氏の名前が解説者として掲載されているが、私が聴いた会に登壇されたかどうかは思い出せなかったり、1曲目のエグモント序曲も当時は多分耳なじんだ曲でもなかったためかあまり印象に残っておらず記憶にない。(コリオラン序曲にはなじんでいたのだが。)
中学校で自覚的にクラシック音楽に目覚め、高校生になってFM放送で流れるクラシック音楽を何でもかんでも吸収していた頃で、このコンサートが初めての本格的なオーケストラコンサートだったはずだが、音楽的感銘よりも、行く途中で電車でおしゃべりがはずんだか降車駅でうっかり乗り過ごし、ギリギリ間に合ったハプニングがあったことや、ラデツキー行進曲で隣の席のおじさんが手拍子を始めたのに驚いたり、乗り過ごした駅で見た夏空がきれいだったなどの周辺的な記憶が浮かんでくる。あの時一緒に行った級友とは音信不通だが今はどうしていることだろうか?
(高校の全校芸術鑑賞の催しで体育館/講堂で、新星日本交響楽団の音楽教室[1978年5~6月 各地の音楽鑑賞教室に出演とあるのが多分それ]で「運命」を聴いたことも、思い出したし、高校からの帰路に近隣の古い公会堂でどこの大学か忘れたが音楽大学の学生オケの公演で「メンコン」を聴いたことも思い出した。ついでに、全校芸術鑑賞ではチェーホフの多分「かもめ」を観劇した。)
エグモントも、ショパンも、新世界も、ラデツキー(上記でヨハン・シュトラウスIIとなっているのは、Iの誤りですね)も、その後何度聴いたことか分からないほど耳なじみになったが、当時日本の第一線級の演奏家による生演奏で触れることができたのは望外の幸せだった。夏休み明けに音楽の先生(芸大出身で芸大ではトロンボーン専攻だったが、身体をこわしてオーケストラ入団を諦め、郷里の県で音楽の教師になった人だった)から特にレポート提出を命じられるようなことはなかったが、これは古き良き時代のアバウトさと言ってもいいのだろう。今から思えば、高校時代の音楽生活では一番大きな音楽的イベントだった。
久しぶりのブログ投稿。このところ、Twitter (現行X)への書き込みがほとんどで、ブログ投稿の習慣がまったくなくなってしまった。
しかし、まとまった記録としてはブログは有用であるので、トピックは記しておこうと思って書く次第。
さて、2023年もはや師走を迎え、今日は5日でW. A. モーツァルトの命日である。
今年は3月に、長年の憧れだったバッハのCD全集を購入した。X(旧Twitter)の購入時のツイート
それが、Johann Sebastian Bach, Helmuth Rilling : Complete Bach Set 2010 - Special Edition (172 CDs & CDR)
J.S.バッハは1685年生まれで1750年没のため、没後250年の2000年には数種類の全集が発売されていたが、いずれも相当覚悟が必要な価格だった。ハイドンにおける交響曲、モーツァルトにおけるピアノ協奏曲、ベートーヴェンにおけるピアノソナタと弦楽四重奏曲のように生涯を通じて作品を作曲し続けた作品群の位置に相当するのが、バッハの場合、それが教会カンタータであることは以前から知っていたものの、なかなか手が出なかった。
候補としてはいくつかあった。
アーノンクール、レオンハルト、コープマンをはじめ、古楽演奏の巨匠たちによる名演揃いです。イル・ジャルディーノ・アルモニコ、プレガルディエン、シュタイアー、ピアンカ、バルキなど第一線の演奏家も多く起用されています。
西暦2000年に発売された「BACH2000」の全集に向けて約400曲の新録音がなされ、世界初録音の曲も数多く含まれます。中でも、コープマンによる「オルガン作品全集」、ベルリン放送合唱団による「キルンベルガー・コラール集」[合唱版](全186曲)は特に注目されました。収録音源の大半はテルデックによる制作であり、ワーナー・グループに属されたフランスのエラートだけでなく、デッカ、アルヒーフなどのライセンス音源も一部含まれています。
古楽器中心のようだが、比較的知名度の低い演奏家による録音が多い。
生誕333周年記念BOX『バッハ 333~J.S.バッハ新大全集』(222CD+1DVD)
Deutsche Grammophon による ガーディナー、鈴木雅明らの古楽器による録音が多い。高価。ガーディナーのクリスマス・オラトリオや、小学館のバッハ全集はアルヒーフレーベルとの共同制作であり、器楽曲集を聴いたことがあった。
これらの候補もあったが、入手しやすさや価格も考慮しながら、ヘルムート・リリングが全体を監修したモダン楽器による全集を敢えて選んだ。リリング監修のヘンスラーレーベルによる全集は、モダンピッチでモダン楽器を使用したものが多く、また鍵盤楽器ではピアノを使ったものが多く含まれている。
中では、コリオロフ(Koroliov)によるモダンピアノでのゴルトベルク変奏曲には心底感銘を受けた。コリオロフをきっかけとしたゴルトベルク変奏曲の聴き比べは楽しかった。
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2022年4月 の当ブログ記事にあるように、昨年はSP復刻のモーツァルト録音集を購入。
2022年7月には、再発売されたジョージ・セル ザ・コンプリート・アルバム・コレクション 106枚組を購入し、さらに邦訳が発売された 書籍 「ジョージ・セル -音楽の生涯-」マイケル・チャーリー著 、 伊藤氏貴訳 もネットで取り寄せた。
2022年12月には、 『ニーベルグの指環』全曲 ゲオルグ・ショルティ&ウィーン・フィル(16CD+CD-ROM)を購入した。
2020年のコロナ禍以降、コンサートには足を運んでいない反動もあり、また嘱託従業員として時間の余裕ができたこともあり、ついついボックス買いが多くなっている。
小学館/フィリップスのモーツァルト全集(Complete Mozart Edition) の編集者 大原哲夫氏、SPレコード再生のエキスパートの新忠篤氏により、古くは1906年にも遡るSP時代の歴史的録音によるモーツァルト演奏の数々がCDに復刻され、小学館全集と同じく貴重な情報が盛り沢山な書籍がセットとなっている。
モーツァルト「伝説の録音」3巻セット [36CD+3BOOK]<通常盤> 飛鳥新社 タワーレコードONLINE
SP再生時の針音が除去されずに含まれている点が、雑音なしの復刻が増えた昨今では特徴的で、リスナーとして楽しめるかどうかの試金石となるかも知れない。モスキート音がよく聴こえる若者世代は特に違和感を覚えるだろうとは思うが、中年から熟年は高域聴力が落ちているためそれほど気にならないように思う。
特にヴァイオリニストが多く収録されていて、それがこの集成の白眉であろうが、恐らくこの集成でなければ聴く機会がなかった録音がある。
ドイツ国家社会主義労働者党(いわゆるナチ党)の支配するドイツの、それもナチ党の聖地でもあるミュンヘンで、フィルハーモニカー(フィルハーモニー管弦楽団)の指揮者だったオズヴァルト・カバスタという指揮者によるジュピター交響曲。
Symphony No. 41 in C, K. 551 "Jupiter" Oswald Kabasta: Munich Philharmonic Orchestra (Münchner Philharmoniker) 1941
ドナルド・トランプ前アメリカ大統領や、ウクライナ侵略の張本人ロシアのプーチン大統領の如き、ヒトラーの独裁政治を彷彿とされる政治的なリーダーが跋扈するようになった現代ゆえに、ナチ党やヒトラーについて、新書などで再び学び直しているところだが、このカバスタの録音は、理性と感性が矛盾相克するまさに実例として、とても素晴らしい演奏で驚いている。
Oswald Kabasta dirigiert (Youtube)
2006年1月26日 (木) 井上太郎「モーツァルトと日本人」で触れた小林秀雄「モオツァルト」。
高校生の頃に購入した昭和51(1976)年9月20日 23刷 (発行 昭和36(1961)年5月15日)の古い時代の文庫本で、おそらく酸性紙が使用されていたのだと思われる。茶色に変色しており、また活字のポイントも今どきの版に比べて非常に小さいので、老眼には読みにくい。
書き込みもしており、熱心に読んだものだった。
第2章
例の道頓堀で頭の中で鳴った音楽は、ト短調シンフォニイ(K.550)の「有名な」とは言え、それほど人口に膾炙していない第4楽章の第1主題なのは、意外。(譜例が引用されている)
◎小林秀雄が当時聴くことができた音源候補の一つ。
リヒャルト・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (1926年ごろのSP録音)の第4楽章
第7章 「ロダンによるモーツァルトの肖像。」"MOZART, ALSO KNOWN AS EIGHTEENTH-CENTURY MAN Auguste Rodin 1911"
ロダン作の肖像彫刻。この有名な評論に書かれている割にはあまり知られていないように思う。
第9章 ト短調クインテット、K. 516 第1楽章 第1主題の引用。「それ(モーツァルトの tristesse)は、凡そ次の様な音を立てる。アレグロで。ゲオンがこれをtristesse allante と呼んでいるのを、読んだ時、僕は自分の感じを一と言で言われた様に思い驚いた。・・・確かに、モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。涙の裡に玩弄するには美しすぎる。」
◎小林秀雄が当時聴くことができた音源候補の一つ。
レナー弦楽四重奏団, ドリヴェイラ(第2ヴィオラ) 1930年録音
第1、2楽章
https://youtu.be/cic9NC5SZtk
第3、4楽章
https://youtu.be/OXaTlKW-LnU
もう一つは、プロ・アルテ弦楽四重奏団、ホブデイ(第2ヴィオラ)1934年録音
第10章 「39番シンフォニイの最後の全楽章が、このささやかな16分音符の不安定な集りを支点とした梃子の上で、奇蹟のようにゆらめく様は、モオツァルトが好きな人なら誰でも知っている。」(K. 543 第4楽章第1主題の譜例引用)
◎小林秀雄が当時聴くことができた音源候補の一つ。
リヒャルト・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (1926年ごろのSP録音)の第4楽章
https://youtu.be/BU4AZqlDjog?t=1084
「41番のシンフォニイのフィナアレは、モオツァルトのシンフォニイのなかで最も力学的な構成を持ったものとして有名であるが、この複雑な構成の秘密は、既に最初の主題の性質の裡にある。」(K. 551 第4楽章の第1主題の譜例引用、ドレファミ主題)
◎小林秀雄が当時聴くことができた音源候補の一つ。
リヒャルト・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団 (1927年ごろのSP録音)の第4楽章
https://youtu.be/BU4AZqlDjog?t=3730
ダウンロード - hideo_kobayashi_mozart.pdf
追記
おそらくこの集成の中に小林秀雄がSPレコードで聴いたであろう録音のいくつかは含まているだろう。
K. 516 ト短調クインテットの第1楽章第1主題と、K. 550 ト短調シンフォニイの第4楽章第1主題は、似ている。前者は弱起で密やかに開始しそのまま叫ぶことなく推移し、後者は同様に弱起で密やかに上行するメロディーラインではあるがその後にフォルテの強奏が呼応するという違いはあるにせよ。
ボストン響の音楽監督の交代についてのブログ記事を拝見し、その流れでボストン響のWikipedia英語版を眺めていて、たまたま小澤征爾、ボストン交響楽団の項目が目に入った。英語版の記事の筆者は、他の音楽監督時代に比べて、ボストン響の小澤時代に対して相当手厳しい筆致で詳細に描写しており、改めて驚いた。
Ozawa's tenure involved significant dissension and controversy.
A more basic concern involved perceived shortcomings in Ozawa's musical leadership; as Sandow wrote in the 1998 article, "what mattered far more was how badly the BSO plays." He noted that a group of Boston Symphony musicians had privately published a newsletter, Counterpoint, expressing their concerns; in the summer of 1995 concertmaster Malcolm Lowe and principal cellist Jules Eskin wrote that in rehearsal Ozawa gave no "specific leadership in matters of tempo and rhythm," no "expression of care about sound quality," and no "distinctly-conveyed conception of the character of each piece the BSO plays."
Ozawa caused controversy in 1996/97 with sudden demands for change at the Tanglewood Music Center, which caused Gilbert Kalish and Leon Fleisher to resign in protest. A controversy subsequently developed over various perceptions of the quality of Ozawa's work with the BSO.
この手厳しい書き方に触発され、今から20年以上前に発刊された頃に図書館か何かで借りて一度読み、その後数年前にBookOffで目に留まり購入して積読(つんどく)にしておいた
コンサートは始まる―小澤征爾とボストン交響楽団 1989/12/1 カール A.ヴィーゲランド (著), 木村 博江 (翻訳)
が思い浮かび、再読した。1990年頃というのは、自分にとってつい最近のように考えてしまうが、省みればもう25年も前、ふた昔以上も前のことなので、改めて時の流れの速さに戸惑った。
1990年頃に読んだ時には、この本の縦筋の主題であるマーラーの「復活」についてもそれほど聴き込んでいなかった。それに、今回の再読時にも感じたが、多分英語の原著の未整理で気取った調子をそのまま日本語に翻訳しただろうと思われる訳文も、主張と理由の前後関係が曖昧だったり、時系列がすんなりと頭に入ってこなかったり、さらに音楽経験者の原著・訳書というのにトランペットのC管とF管の音程差が、三度関係と書かれているのも四度の間違いではないかと思ったりで、細かいところはいろいろ気にはなった。初読の頃にはこれらが邪魔になりあまり頭にすんなりと入ってこなかった。
このように読む側の知識不足や、原文・訳文の未整理、さらに小澤征爾がどちらかというとヒールとして描かれている部分が気になり、読み終えてからも、隔靴掻痒で、理解が追い付かないような印象が残っていて、爽快感がなく相当フラストレーションが溜まる本だったので、購入後に再読する気が起きなかったのだった。(そういう意味では、私は小澤征爾氏の「成功ストーリーのファン」ではある。)
その後、時折背表紙が目に入ったときなど、この本の内容を思い浮かべるときは、小澤征爾とトランペット奏者の対立関係が第三者的にも不愉快なものだったことくらいだった。読んでから入手して聴いたマーラーの第1、4番もそのトランペット奏者らが参加しているのだろうが、不愉快な人間関係でストレスを抱えながら演奏する指揮者と楽団員の不幸な関係をどうしても想起してしまったことも思い出す。小澤とボストンのマーラーは、その印象も多少影響しているのだろうが、あまり愛聴しているとは言えない。(1番、4番)
ただ、今回読んでみると、ボストン時代と、ウィーン国立歌劇場時代を過ぎ、さらにサイトウキネンフェスティバルが2015年にセイジ・オザワフェスティバルに名前を変えた今日からの視点でみると、さもありなんという感じになるから不思議だ。
それでも小澤征爾の業績を振り返ったときには、このノンフィクションの記載は相当重要であろうとは思ったりもする。
今回改めて読んでみて思ったのは、アメリカのオーケストラの「労働組合」の時間制限というものの、芸術的な意味での非効率さというものは凄まじいものだということだった。
小澤より一二世代前のトスカニーニ、クーセヴィツキー、ライナー、セル、オーマンディらの暴君的・専制君主的な圧政への反省が、そのようなシステムをもたらしたのだろうし、日本における日教組が唱えた「教師=労働者」と、「教師=聖職者」論の対立の構図と似通ったところがあるのだろうが、工場労働者が「製品」を作り上げるのとは違い、再現芸術としての音楽を創造しさらにまた人間を教え育てるというような「人間的な」任務・仕事に対してマルクス的な疎外された労働者像を押し付ける見方の間違いや非親和性、限界を感じる。
むろん、演奏力、創造力、教育力などのの能力には大きな差があり、それをオーケストラや学校という集団作業で行う時の軋轢によって、個々の奏者や教師、生徒に平等ではない軋轢が生じ、プレッシャーがかかることは避けられないが、それを「労働時間」として規制するという考えた方にそもそも矛盾がある。基本的人権たる部分は尊重され保護されながらも、突き詰めた仕事・任務というものがもたらす価値のようなものが見逃されがちとなるからだ。
オーケストラ奏者(いわゆる正規組合員)への手厚い保護の一方で、意外なのは同じ音楽に奉仕しながら、合唱団はアマチュア、ヴォランティアとして無償で参加するという習慣(これは、先日聴いた東京交響楽団の「復活」でも同じだった。)、いわゆる労働界においても、正規、非正規労働者の間の差別のような側面の要素もあるのではなかろうか。ただ、ヴォランティア合唱団の方が、音楽的訓練や能力は低くとも、献身性の点では価値があるようにも思ったりもする。(器楽と歌、特にコーラスの地位の差。)それが音楽的な実質とどうつながるかが難しいところだが。
この本は必ずしも「小澤批判本」ではないが、それまで順風満帆だと伝えられていた小澤ボストンの関係が必ずしもそうではなかったことを日本に伝え、衝撃を与えたものではあるだろう。このような人間臭い毀誉褒貶は、「出る杭は打たれる」という諺が洋の東西で変わらないものだということの再確認でもある。(バーンスタインの暴露的な伝記もヒドイものだったのを思い出す。)
さて、上記のWIKIPEDIAの記事に戻ると、その「主張」「批評」は、主に上記の書籍でも言及されたボストンの日刊紙の批評家による小澤批判をリライトしているように思われる。百科事典的には少々感情的すぎる文章である。小澤ボストンのフィリップスの「春の祭典」への一評論家の意見を引いて攻撃することもあるまいに。確かに「自発性」という観点からは、その批判ももっともかと思うが。
なお、Wikipediaの記事にあった、マルコム・ロウというコンサートマスターによる小澤批判は書籍ではまだ書かれておらず、さらにタングルウッドの運営についてのあのセルとの共演で知られるレオン・フライシャー等とのいざこざも書かれているが、まだ起きてはいなかった。小澤征爾のボストンからの2002年の音楽監督辞任までいろいろトラブルが沢山あったのだなあと思う。
そのためか、ボストン響史上最長の音楽監督にもかかわらず、「桂冠指揮者」 conductor laureate/ laureate conductor の称号は授与されていない。
追記:ボストン響のホームページにあたると桂冠音楽監督だった。まったく恥ずかしい!
Seiji Ozawa Music Director Laureate
Seiji Ozawa is Music Director of the Vienna State Opera since the 2002/2003 season and is an annual and favored guest of the Vienna Philharmonic Orchestra. Prior to his Vienna State Opera appointment he served as Music Director of the Boston Symphony for 29 seasons (1973-2002), the longest serving music director in the orchestra's history. Mo. Ozawa is also Artistic Director and Founder of the Saito Kinen Festival and Saito Kinen Orchestra (SKO), the pre-eminent music and opera festival of Japan and in June 2003 it was announced that he would be Music Director of a new festival of opera, symphony concerts and chamber music called "Tokyo no Mori" which had its first annual season in February 2005 in Tokyo. The 4th season opera in April 2008 was Eugene Onegin. In 2000 he founded the Ozawa Ongaku-Juku in Japan, an academy for aspiring young orchestral musicians where they play with pre-eminent professional players in symphonic concerts and fully staged opera productions with international level casting. The Ongaku-Juku opera for July 2009 will be Hansel and Gretel.
In 2004, Maestro Ozawa founded the International Music Academy - Switzerland dedicated to training young musicians in chamber music and offering them performance opportunities in orchestras and as soloists. Its first season was at the end of June and beginning of July 2005 and its 6th season will be June 25-30, 2009. Since founding the Saito Kinen Orchestra in 1984, and its subsequent evolution into the Saito Kinen Festival in 1991, Mo. Ozawa has devoted himself increasingly to the growth and development of the Saito Kinen orchestra in Japan. With extensive recording projects, annual and world-wide tours, and especially since the inception of the Saito Kinen Festival in the Japan "Alps' city of Matsumoto, he has built a world-class and world-renowned orchestra, dedicated in spirit, name and accomplishment to the memory of his teacher at Tokyo's Toho School of Music, Hideo Saito, a revered figure in the cultivation of Western music and musical technique in Japan. The Saito Kinen Festival was from August 26-September 9, 2008 featuring concerts as well as staged performances of Cunning Little Vixen, with Maestro Ozawa as conductor.
During 2007/2008, Maestro Ozawa's appearances included: Far East tour of Le Nozze di Figaro with Vienna State Opera [Shanghai, Seoul, Taipei, Keohsiung and Singapore]; Orchestre National de France concerts in Paris and at Besançon, Pique Dame with the Vienna State Opera; followed by Tannhäuser with the Opera National de Paris; Berlin Philharmonic European tour [Berlin, Paris, Lucerne and Vienna]; Zauberflöte für Kinder in Vienna; Elektra with Teatro Comunale di Firenze; Berlin Philharmonic concerts for the Salzburg Easter Festival; Japan performances with Tokyo Opera No Mori [Eugene Onegin]; Ongaku-Juku performances of Die Fledermaus followed by Saito Kinen concerts and staged performances of Cunning Little Vixen. Maestro Ozawa will be at Vienna State Opera in the 2008/2009 season with Pique Dame in September and October, followed by a tour in Japan with the Vienna State Opera in a production of Fidelio. November and December marks his return to the Metropolitan Opera, conducting Queen of Spades, as well as appearing with the Boston Symphony Orchestra in late November. January 2009 he performs with the New Japan Philharmonic in Japan, returning to Europe for a performance with Vienna Philharmonic Orchestra at Salzburg's Mozartwoche on January 24, followed by concerts with the Berlin Philharmonic Orchestra. He appears with Orchestre de l'Opéra de Paris at the Bastille on February 7, returning to Vienna for Zauberflöte für Kinder on February 20 followed by Vienna State Opera's Eugene Onegin in March. During April he will be in Japan for performances with the New Japan Philharmonic, Ongaku Juku and the Mito Chamber Orchestra. Returning to Paris in May, he conducts the Orchestre de l'Opéra de Paris with Renee Fleming on May 7; then tours with the Berlin Philharmonic also in May. Maestro Ozawa returns to Vienna State Opera for Eugene Onegin in late May/early June and following this period he has concerts in June with the Vienna Philharmonic. He will conduct and hold classes at his Swiss Academy June 25-30, returning to Japan for Ongaku Juku performances of Hansel and Gretel at the end of July followed by the War Requiem and concerts during the Saito Kinen Festival between August 26 and September 9, 2009.
Born in 1935 in Shenyang, China, Seiji Ozawa studied music from an early age and later graduated with first prizes in both composition and conducting from Tokyo's Toho School of Music. In 1959 he won first prize at the International Competition of Orchestra Conductors in Besançon, France, where he came to the attention of Charles Munch, then the Boston Symphony music director, who invited him to Tanglewood, where he won the Koussevitzky Prize as outstanding student conductor in 1960. While working with Herbert von Karajan in West Berlin, Mr. Ozawa came to the attention of Leonard Bernstein, who appointed him assistant conductor of the New York Philharmonic for the 1961-62 season. He made his first professional concert appearance in North America in January 1962, with the San Francisco Symphony. He was music director of the Ravinia Festival, summer home of the Chicago Symphony (1964-69), music director of the Toronto Symphony (1965-1969) and music director of the San Francisco Symphony (1970-1976). He first conducted the Boston Symphony in 1964 at Tanglewood and made his first winter subscription appearance with them in 1968. He was named Artistic Director of Tanglewood in 1970, Music Director of the Boston Symphony in 1973, leaving a legacy of brilliant achievement evidenced through touring, award-winning recordings (more than 140 works of more than 50 composers on 10 labels), television productions (winning 2 Emmy awards), and commissioned works.
Through his many recordings, television appearances, and worldwide touring, Mo. Ozawa is an internationally recognized celebrity. In recent years, the many honors and achievements bestowed upon Mr. Ozawa have underscored his esteemed standing in the international music scene. French President Jacques Chirac named him (1999) Chevalier de la Légion d'Honneur, the Sorbonne (2004) awarded him Doctorate Honoris Causa and he has been honored as "Musician of the Year" by Musical America. February 1998 saw him fulfilling a longtime ambition of joining musicians around the globe: he led the Opening Ceremonies at the Winter Olympics in Nagano, Japan, conducting the "Ode to Joy" from Beethoven's Ninth Symphony with the SKO and six choruses located on five different continents - Japan, Australia, China, Germany, South Africa, and the United States - all linked by satellite. He received Japan's first-ever Inouye Award (1994), named after Japan's pre-eminent novelist, recognizing lifetime achievement in the arts. 1994 also saw the inauguration of the new and acclaimed Seiji Ozawa Hall at Tanglewood. Mo. Ozawa also has been awarded honorary degrees from Harvard University, the University of Massachusetts, Wheaton College, and the New England Conservatory of Music.
その間の録音はあまり聞いたことがないが、少なくともツィメルマンとのラフマニノフの「第1番」の協奏曲の伴奏などは見事なものだったが。
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同書に対する感想(ネット検索で見つけて読んでみたもの)
http://blogs.yahoo.co.jp/shimabunbun6944/30346959.html
http://blog.livedoor.jp/akiravich/archives/51095423.html
管楽アンサンブルによる「フィガロの結婚(ヴェント編曲)」をかつて愛聴していたことがある。思えばこれが「フィガロ好き」になったきっかけだった。1970年代の中学生時代のモノのラジカセによるFM放送のエアチェック。まだその頃のカセットテープは実家の押入れかどこかにあるだろうか?当時は、「フィガロの結婚」についての知識もほとんどないながら、アナウンサーの「ヴェント編曲によるフィガロの結婚」というナレーションまで録音してあったため、記憶に強く刻まれている。思えば、面白いオペラ入門だった。
さて、190枚全集には、モーツァルト自身の編曲らしい(K Deest:ケッヘル番号なしになっているのかどうか未確認だが) 「後宮からの誘拐」の
Harmoniemusik nach Die Entführung aus dem Serail K 384 (序曲を含めて全18曲)が収録されていた。たぶんこのYoutubeの Bläserensemble Sabine Meyerと同じもの。
https://www.youtube.com/watch?v=I61IP7fldvA
歌詞が無い器楽のみの方が聴きやすい。
このほかに、
Johann Georg Triebensee (1772-1846、作曲家、オボイストで、アルブレヒツベルガーの作曲の弟子なのでベートーヴェンの相弟子にあたる)の編曲による「ドン・ジョヴァンニ」(同13曲)と 上記のJohann Wendt(1745-1801、作曲家、イングリッシュホルニスト、オーボイスト) の編曲による「後宮からの誘拐」(8曲)が収められているが、我が懐かしの「フィガロ」は収録されていなかった。
Youtube をあたったところ「フィガロ」のハルモニームジークが数点あったのは、便利な世の中になったものだと思う。
◆The Bratislava Wind Octet のもの:
https://www.youtube.com/watch?v=Yt3vzvXQfGM
編曲者不明。記憶の演奏と少し編曲が違う気がする。
◆Zefiro Ensemble(Arranged by Alfredo Bernardini)というのも見つかった。
(1/2) https://www.youtube.com/watch?v=USJslsQhS-c
(2/2) https://www.youtube.com/watch?v=XzADjCpIz3g
こちらの編曲者Alfredo Bernardini。このアンサンブルのメンバーらしい。
それでも、ヴェント編曲のフィガロをGoogleで探してみるとそれなりにヒットはする。
◆楽譜情報が見つかった。
http://trove.nla.gov.au/work/6131791
http://catalogue.nla.gov.au/Record/1418867
オーストラリアの楽譜情報
Bib ID | 1418867 | ||
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Format | Music | ||
Author |
|
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Uniform Title | Nozze di Figaro. Selections; arranged | ||
Description | London : Musica Rara, [c1975] Score (2 v.) and 8 parts ; 31 cm. |
||
Notes |
Cover title. Includes bibliographical references. |
||
Subjects | Wind octets (Bassoons (2), clarinets (2), horns (2), oboes (2)), Arranged - Scores and parts. | Operas - Excerpts, Arranged. | ||
Time Coverage | 1786 | ||
Other authors/contributors | Wendt, Johann, 1745-1801 | ||
Music Publisher Number | M.R. 1825 |
◆「管楽器による室内楽への注釈付きガイド」という本
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それにしても、ハルモニームジークの響き。伸びやかでお気楽な気分で、とてもくつろげる。
モーツァルトやベートーヴェンの時代には、作曲者自身や同時代の音楽家の手によりこのようなリダクション(縮小編曲)が数多く作られ、これらが遠隔地等での音楽の紹介、普及に役立てられたらしい。
ただ、ヴェントの編曲の「フィガロ」もそれなりに録音はされてはいるようだが、ネット情報を見てもそれほど顧みられてはいないようだ。Imslpにもヴェント編曲の「フィガロ」は登録がなく、またNMLにも見当たらない。
デジタルコピー時代の現代には仕方がないのだろうが、このような楽しい編曲は忘れたくないものだ。
今日は、春分の日。
2014年9月 2日 (火) 小学館 モーツァルト全集のCDを夏の帰省時に持ち帰った で、書いた190枚のCDの外付けHDDへの取り込みがようやく完了した。
iTunesを使っているが、懸案のケッヘル番号の第1版と第6版によるソートの問題は、第6版の番号をiTunesで普段使わないエリア「グループ」に001から626を入力し、簡単にソートできるようにしてみた。パリソナタ(1778年)と呼ばれた第10番K330 (300h)ハ長調から第11番K331(トルコ風ロンドを伴う)、第12番K332(300k)のピアノソナタは、現在はマンハイム・パリ旅行の最中の作品ではなく、ウィーンに移住後、コンスタンツェとの結婚の頃(1783年)に作曲年代が変更され、第6版の順序も再度入れ替えが必要らしいが、そのほかは概ね第6版の順番でソートすると作曲年代順に聴き進めることができるようになった。
MP3のタグダータを自分なりに統一した形式で、できるだけ演奏者情報、録音年代なども正確に修正しようとしたため、結構億劫にもなり時間を要した。
全部で2807曲(楽章やオペラのナンバー別のため)。
演奏所要時間は、8日と3時間12分50秒。
ヘンデルのメサイアなどの編曲作品、別巻の父と子の作品や、同時代作曲家、ベートーヴェン、ショパン、チャイコフスキーなどもCDで12枚、13時間ほど含まれてはいるが。
これでHDDへの取り込みデータも、再生所要時間が74日分となり、これが一度に失われてしまうのは怖いので、このリッピングデータのバックアップのため、500GBのHDDを購入したが、薄く音も熱もあまり発生せず、廉価になっていて驚いた。
なお、iTunesの音楽データを外付けHDDに保存する場合、一緒に ライブラリ"iTunes Library.itl" "iTunes Library.xml" などのデータを移動してやっておくと便利だ。
Shiftキーを押しながらiTunesを起動すると、ライブラリの選択画面が出てくるので、外付けHDDに移動した "iTunes Library.itl" を選択することができるので、HDDの切り替えもできる。
他のバックアップHDDにバックアップを取る際には、ライブラリデータも含めてHDDまるごとコピーをすれば、完全なミラーリングが可能になる。もし、一方のHDDに不具合が生じても、問題ない。
コピーには、FastCopyのようなフリーウェアが便利だ。これだと差分コピーや同期コピーが可能だからだ。(HDDの識別レターは、管理ツールのコンピュータの管理のディスクの官吏によってあらかじめ別々にセットしておく必要がある。)
以前はライブラリデータは、iTunesをインストールしたPC内においていたのだが、これを音楽データと同じHDDに置いた方が、PC内においておいたときよりも、気のせいか音質がよくなるようでもある。高音の伸びや解像度があがったような印象がある。
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追記:
Foobar2000:ID3 Tag Mapping では、
iTuneの group は、CONTENT GROUP にあたり、 フィールドは、 %CONTENT GROUP%と記述する。
同様に 作曲家は、COMPOSER で、同じく %COMPOSER% で、カラム等の表示ができる。
11/24(月・勤労感謝の日の振替え休日)
第5回 音楽大学オーケストラフェスティバル ミューザ川崎シンフォニーホール 15:00開演。全席指定。1000円。(終演 18:00頃)
上野学園大学 指揮:下野竜也
武蔵野音楽大学 指揮:時任康文
洗足学園音楽大学 指揮: 秋山和慶
9月頃の新聞の夕刊の広告に掲載されていたのを見つけ、全席指定1000円は安いし、指揮者陣は日本の一流クラスなので超お得ということもあり、7月のミューザ川崎のコンサートが楽しめたので、長男と行く約束をしていた。11月初めに最寄りのローソンチケットでチケットを購入しようとしたら、11/16(日)の東京藝大の回は売り切れ(その後、ミューザ川崎のHPで見るとローソンに回した分が売り切れで、舞台後方のP席などは未だ購入可能だったらしい。)で、今回の11/24の回が一階席ブロックが空いていたので、予約したところ、なんと舞台から2列目のこれまでほとんど経験したことのないような前の席が予約されてしまった。その後、妻も都合がつくので行きたいということになり、後日申し込んだところ、これも2列目の少し離れた席になった。
川崎駅前は、私たちがこちらに引っ越してきたから再開発が進み、かつての工業都市の玄関の面影がすっかり消えてしまい、都会的なショッピングモールやミューザの入っているようなオフィスビル、高層マンション群がそびえる、近代的で整然とした街並みになっている。
晩秋とはいえ、小春日和に恵まれた三連休の三日目で、前夜の長野県北部の地震の余震の心配はあったが、いそいそと約1時間を掛けて川崎駅に向かった。ミューザでは、この音大オケのフェスティバル以外にも、モントルージャズフェスティバルの日本版?がこの日あたりからスタートしていて、ホール入口の歩道のコンコースでは、野外ライブも行われていたりした。
14時半頃、ホールのロビーに入場したが、ホール内への入場は何かの都合があったらしくしばらく差し止められていた。多分リハーサルが長引いたのではなかろうか?見回してみると聴衆は、前回と同じく悠悠自適の年金層の60代、70代の音楽好きらしい男性が比較的目につき、そのほか音大の関係者や音大生の家族や友人と見受けられる人達も多かった。
1階の指定席は、まさにステージの際から2mもないほどの近接さで、ミューザのステージは30cmの段差もないほどの低さなので、ほとんど指揮者が聴くのと大差ない音響を聴くことができるようで、わくわくしながらオーケストラの登場を待った。
場内アナウンスが「このフェスティバルは各大学間の交流と協力を目的としています。その一環として、各大学の演奏の前には共演校からのエールを込めたファンファーレの演奏があります。」と聴衆に紹介していたように、各大学の演奏前に、今回の出演大学の学生が作曲しその大学の学生が演奏するファンファーレが、他の出演大学の演奏の前にエールとして演奏されたが、ステージ最前列に、ずらりと横一列に金管アンサンブルが整列し、喨々とファンファーレを吹き鳴らしてくれたのには驚いた。金管の音のエネルギーというのは、オケで金管の前に座る木管などの奏者が難聴になる恐れがあり、その対策のため、木管奏者の椅子の背もたれ部分に小さい遮音装置を付けたり、奏者自ら耳栓をするなどの話を聞いたり見たりしていたが、約2mの近距離で吹き鳴らされる音は物凄い迫力だった。
さて、トップバッターは、読売日響の常任を務めていたこともあり、時折深夜に日本テレビで放送される読響シンフォニックライブでも数多く登場しその指揮ぶりに馴染んでいる下野竜也氏と上野学園。上野学園は、第五回目の今回が初出演ということだ。
下野氏の録音は、日本人指揮者としては我ながら珍しく、大阪フィルとのブルックナーの0番のCDを保有している。薩摩隼人らしい肝の据わった感じと、エネルギッシュさと、ブザンソンで優勝したほどの繊細精巧流麗な指揮技術の持ち主という印象を持っていたが、まさにかぶりつきの直後の席なので、指揮台なしのステージを大きく使ったその指揮ぶりは見ごたえがあった。近い席だと指揮者や奏者のブレスまでが聞き取れる。極小編成で極短いヴェーベルン(ウェーベルン)の作品10の5曲。ヴェーベルンのオーケストラ曲と言えば、30年ほど前に小澤/ボストン響の来日公演のバルトークのオケコンをメインにしたプロの第1曲目で聴いたことがあったが、作品番号は何番だったか。あの時は、上野の文化会館のステージからは遠い席で、ポツンポツンと鳴らされる音響を遠くから眺めるような感じだった。その後、カラヤン/BPOの新ウィーン楽派曲集などでその独特の音楽には多少馴染んだ(Op. 10は収録なし)が、無調で、さらにこのような室内楽ともいえるほどの小編成のミニマル的な音楽は、今回のような生演奏で、それも演奏者に近い席で聴く方が楽しめるようだ。その楽しみだが、いわゆるメロディーや和声を愉しむような通念としての「音楽」としての受容ではなく、楽器が発する様々な短い動機的な楽音の交錯と、休符や楽曲の間による楽音のホールに消えていくさまや、ホール全体が静けさに包まれる瞬間の緊張感のような一体感が感じられるというものだ。
このほかの新ウィーン楽派の作品の生の体験では、ベルクの弦楽四重奏による「抒情組曲」を、昔仙台にいた頃にあのアルバン・ベルク弦楽四重奏団の仙台公演で聴いたことがあるのだが、今聞けばどうか分からないが、不協和音の連続に麻痺してしまい、耳には音が入ってくるのだが、別のことが脳裏に浮かぶような状態だったことを思い出すが、それとはまったく正反対の聴体験だった。
2曲目のモーツァルトのハフナー交響曲は、あまりにも馴染の曲だが、生で聴いたのは初めてだったと思う。練習の成果か、アンサンブルもきっちりと揃っており、若きモーツァルトの思わず駆け出してしまうような楽想の溌剌とした魅力が楽しめる演奏だった。下野氏の指揮は、躍動的で、全身で音楽を表現し、思わず見とれ、聴きほれてしまった。音響的には、目の前に位置していた低弦(チェロ、コントラバス)のボリュームが小さ目だったのが気になった。これは席の特徴なのか、指揮者の解釈なのか、オーケストラの特徴なのかははっきり区別が付かなかったが、少々物足りなく思った点だった。いわゆる響きのベースとしての量感が不足気味だった。(補記 当日プログラムに書き入れたメモより:ティンパニがよく鳴っていて格好良かった。音色的には近年一般化してきたピリオド演奏的な少々硬めの音だったが、キビキビしていて全体を引き締めていた。)
席のことだが、ホールのセンターだが、ステージに向かってやや右側で、弦楽器の前列はよく見えるが、その後ろになるひな壇上の管楽器や打楽器奏者の姿はほとんど見えない。
第2団体目は、時任康文氏と武蔵野音楽大学によるバルトークの管弦楽のための協奏曲(通称、オケコン)。若い頃に何度も聴き、聴き比べて親しんだ曲。FM放送のエアチェックでも様々な指揮者、オケのものを集め、その後CD時代になっても初演者のクーセヴィツキーとボストン響の歴史的録音など数種類がいつの間にか集まっている好きな曲の一つ。前述したように、小澤とボストン響というコンビによる生で聴いたことのある曲とはいえ、最近は聞く機会が減っていた。
素人的な事前予想では、果たして膨大な協奏曲的な難しいソロやデュエットが含まれ、変拍子の箇所や、カノン、フガート的なアンサンブル上相当難しそうな箇所を含み、なおかつバルトーク的な緊張度を保ち、夜の音楽の静寂さ・神秘さを対比させ、野蛮と洗練を合せ持つような演奏が、音楽大学オーケストラに期待していいのだろうか、という少々意地の悪いことを危惧していたが、誠に見事な演奏だった。時任氏は寡聞にしてマスメディアを通じてはこれまで知ることは無かった人だったが、手際よくこの難曲を捌き、もし自分が奏者だったとしても演奏しやすいだろうな、と思わせてくれるような指揮ぶりだった。20世紀のモダンのフルオーケストラの大編成ということもあり、今度は低弦部の響きも物足りなさはなかった。難しい「対の遊び」でのデュエットには生ならではの微かな瑕瑾はあったが、全体的には申し分なく、また、中断された間奏曲での、ショスタコービチとメリー・ウィードウに淵源のあるという「愉快なテーマ」とそれに対する哄笑は、非常にビビッドな表現だったし、あのライナー/シカゴ響の名盤でもよく揃っていないフィナーレの冒頭の精密な弦楽器の刻み(この部分はセル/クリーヴランド管がダントツ)は、素晴らしく訓練されていたりして、とても満足のいく演奏だった。(なお、弦楽器の奏者の中には、大学の先生と思われる年代の奏者の方も交じっていたのは、それだけ難しい曲だということか、それともそのような伝統なのだろうか。)
第3団体目は、名指揮者、秋山和慶氏による洗足学園音楽大学によるレスピーギの「ローマの泉」と「ローマの松」。ステージ一杯のマンモスオーケストラは、見るだけで壮観だった。これも、20世紀のオーケストラピースとしてオーディオ的にも人気のある曲で、やはり若い頃には耳にすることが多かった。トスカニーニとNBC響による規範的なリファレンス録音がある曲で、比較的近年ではソ連の指揮者スヴェトラーノフによる爆演が話題になった曲でもあり、古くはオーマンディやムーティによるフィラデルフィア盤や、ライナー/シカゴ響で楽しんだものだが、生演奏としては初めて聞くものだった。秋山氏の指揮による演奏には、以前北海道旅行の折、新聞記事を読み立ち寄った北海道道知事公舎での札幌交響楽団の野外コンサートで触れたことがあるが、齋藤秀雄門下の名匠として、テレビ、ラジオなどでも触れる機会が多い人ではある。サイトウキネンオケの立ち上げでは、秋山氏も主導者の一人だったが、それがいつの間にやら「オザワキネン」になってしまった現状に疑問を感じている音楽ファンもいるのではなかろうか。閑話休題。
総白髪の紳士然とした佇まいで、にこやかな笑みを湛えて登場。この柔和な表情には、奏者は安心感を抱くだろうし、リスナーの側もその雰囲気に包まれる。イアフォンでのリスニングが専らになってしまった昨今、このような大オーケストラによる楽曲を聴くにしても、大音量で聴くことが少なくなっているし、さらに華麗で親しみやすく覚えやすいメロディーや音型にあふれているこのようなショウピース的なオーケストラ人気曲は、かえって途中で飽きてしまうことが多いのだが、前回このホールで聴いた「シェエラザード」もそうだったが、実演に接すると、あまりの面白さに集中力が途切れなかった。「泉」も「松」もメディチ荘だの、トレヴィの泉だの、ボルゲーゼ荘だの、アッピア街道くらいしか覚えておらず、交響詩の題名はうろ覚えだが、情景が極彩色で目に浮かぶようで、オーディオで聴いている音響が写りがそれほどよくない写真葉書だとすると、実演の鮮明で情報量が多く、ダイナミックレンジも無限に広い演奏は、まさに実景を味わっているようなもので、これはこの一連のコンサートの締めとして計画されていたのだろうが、アッピア街道の松でのローマ軍団の大行進の強烈なクレッシェンドは、圧巻で、最後のフォルティッシモ?が鳴り終わったあとの残響とともに、終演後は万雷の拍手とブラボーだった。そうそう、ジャニコロの松のナイチンゲールの鳴き声は、どうするのだろうと思っていたが、打楽器奏者?が録音の音源を流していて、上手くはまっていた。ただ、レスピーギの時代はミュージックコンクレートの走り的でそれも珍しくて話題を呼んだのだろうが、人口音響が氾濫している現代ではその意義はどのようなものだろうかとも思い、再現芸術としての音楽の難しさに改めて思いを馳せたのだった。
総じて、音大に入れるだけの技量を備えてその後訓練を積んだ若さ溢れる音大生のオーケストラが、一線級の指揮者によって、ここ一番の全力投球で奏でてくれる音楽は、やはりすがすがしかった。そして十分に聴き応えがあった。青春の息吹というものは、それだけ貴重な瞬間だ。
クリストファー・ホグウッド逝去の追悼記事が金曜日の新聞に掲載されていて、驚いた。先月亡くなったフランス・ブリュッヘンに続き、古楽演奏界の著名な指揮者・演奏家が相次いで亡くなったことになる。
二人とも生演奏で聴く機会は無かったが、CDではこのブログでも何度か記事で取り上げたことがあり、自分の音楽鑑賞にとっては親しい指揮者・演奏家だった。
特に、ホグウッドがピリオド楽器、奏法による大規模なモーツァルト交響曲全集を発表した頃は、ちょうど自分の学生時代で、まだ次々に発売される高価なLPを買うことはできず、FM放送で流される新鮮な演奏スタイルによるモーツァルトをむさぼるようにして聴いたという記憶がある。自分にとっては、ホグウッドの名前は、古楽の代名詞のようなものだった。
ベートーヴェンにしても、コレギウム・アウレウムは知られていても、グッドマンやノリントンなどの先駆的な録音は田舎町では容易に入手できず、メジャーレーベル系のホグウッドのものは小さなCD店の店頭にも並んだこともあって、英雄、第九は発売直後に購入して、よく聴いたものだった。
ブリュッヘンは、リコーダー(ブロック・フレーテ)奏者としての演奏に触れるよりも早く、バッハのロ短調ミサのCDで親しんだ。
ピリオド演奏による、ピッチの低さは、ほとんどまったく気にならないが、今聴いても少々ハイ上がり的に聞こえる弦楽器群の響きは、スタンダードなモダン演奏に比べて、刺激がやや強く、ときにはあまり愉快でなく聞こえることもある。ただ、音響としては、新鮮ではあるが、それが心を打つようなことがあまりない。テンポの速さやリズムの強調、そして音色のためか生き生きとしているようには聞こえるのだが、今を生きる現代人の感性によるよりも、頭脳的な再現になっているように感じられ、その意味で、「博物館」的な演奏なのかも知れない。
また、バッハや、ハイドン、モーツァルトがモダン楽器で演奏されることが、今やアナクロニズム的にみなされるようになってしまったのは、古楽器演奏の功罪の両面でもあろう。
その一方で、サイモン・ラトルやダニエル・ハーディング、デイヴィッド・ジンマンなどのモダン系の指揮者がピリオド演奏スタイルをモダンオーケストラ演奏にも取り入れるなどして、次第にピリオドの領域が狭められているような気もし、一種の揺り返しの現象なのかも知れない。
ただ、作曲者当時の演奏楽器、スタイルを「復元」して再現するという行為は、音楽・演劇などの再現芸術にとってある種の極限的な形態だとは思うので、そのオーセンティシーは別にして、その試みの先鞭となり、それを私たち一般聴衆にも広めてくれた彼らの冥福を祈りたい。
ホグウッド指揮(コンティヌオ演奏)によるモーツァルトの交響曲第40番を聴きながら。
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