謹んで新年のお慶びを申し上げます
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
ここ数年、ブログ更新を行っておりませんので、写真のアップの方法も覚束ないほどですが、リンクを張らせていただいているブログ仲間の方々のサイトは時折覗かせていただいています。
酉年にちなんで、2006年撮影のヨコハマ動物園ズーラシアの「ベトナムキジ」です。
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11/24(月・勤労感謝の日の振替え休日)
第5回 音楽大学オーケストラフェスティバル ミューザ川崎シンフォニーホール 15:00開演。全席指定。1000円。(終演 18:00頃)
上野学園大学 指揮:下野竜也
武蔵野音楽大学 指揮:時任康文
洗足学園音楽大学 指揮: 秋山和慶
9月頃の新聞の夕刊の広告に掲載されていたのを見つけ、全席指定1000円は安いし、指揮者陣は日本の一流クラスなので超お得ということもあり、7月のミューザ川崎のコンサートが楽しめたので、長男と行く約束をしていた。11月初めに最寄りのローソンチケットでチケットを購入しようとしたら、11/16(日)の東京藝大の回は売り切れ(その後、ミューザ川崎のHPで見るとローソンに回した分が売り切れで、舞台後方のP席などは未だ購入可能だったらしい。)で、今回の11/24の回が一階席ブロックが空いていたので、予約したところ、なんと舞台から2列目のこれまでほとんど経験したことのないような前の席が予約されてしまった。その後、妻も都合がつくので行きたいということになり、後日申し込んだところ、これも2列目の少し離れた席になった。
川崎駅前は、私たちがこちらに引っ越してきたから再開発が進み、かつての工業都市の玄関の面影がすっかり消えてしまい、都会的なショッピングモールやミューザの入っているようなオフィスビル、高層マンション群がそびえる、近代的で整然とした街並みになっている。
晩秋とはいえ、小春日和に恵まれた三連休の三日目で、前夜の長野県北部の地震の余震の心配はあったが、いそいそと約1時間を掛けて川崎駅に向かった。ミューザでは、この音大オケのフェスティバル以外にも、モントルージャズフェスティバルの日本版?がこの日あたりからスタートしていて、ホール入口の歩道のコンコースでは、野外ライブも行われていたりした。
14時半頃、ホールのロビーに入場したが、ホール内への入場は何かの都合があったらしくしばらく差し止められていた。多分リハーサルが長引いたのではなかろうか?見回してみると聴衆は、前回と同じく悠悠自適の年金層の60代、70代の音楽好きらしい男性が比較的目につき、そのほか音大の関係者や音大生の家族や友人と見受けられる人達も多かった。
1階の指定席は、まさにステージの際から2mもないほどの近接さで、ミューザのステージは30cmの段差もないほどの低さなので、ほとんど指揮者が聴くのと大差ない音響を聴くことができるようで、わくわくしながらオーケストラの登場を待った。
場内アナウンスが「このフェスティバルは各大学間の交流と協力を目的としています。その一環として、各大学の演奏の前には共演校からのエールを込めたファンファーレの演奏があります。」と聴衆に紹介していたように、各大学の演奏前に、今回の出演大学の学生が作曲しその大学の学生が演奏するファンファーレが、他の出演大学の演奏の前にエールとして演奏されたが、ステージ最前列に、ずらりと横一列に金管アンサンブルが整列し、喨々とファンファーレを吹き鳴らしてくれたのには驚いた。金管の音のエネルギーというのは、オケで金管の前に座る木管などの奏者が難聴になる恐れがあり、その対策のため、木管奏者の椅子の背もたれ部分に小さい遮音装置を付けたり、奏者自ら耳栓をするなどの話を聞いたり見たりしていたが、約2mの近距離で吹き鳴らされる音は物凄い迫力だった。
さて、トップバッターは、読売日響の常任を務めていたこともあり、時折深夜に日本テレビで放送される読響シンフォニックライブでも数多く登場しその指揮ぶりに馴染んでいる下野竜也氏と上野学園。上野学園は、第五回目の今回が初出演ということだ。
下野氏の録音は、日本人指揮者としては我ながら珍しく、大阪フィルとのブルックナーの0番のCDを保有している。薩摩隼人らしい肝の据わった感じと、エネルギッシュさと、ブザンソンで優勝したほどの繊細精巧流麗な指揮技術の持ち主という印象を持っていたが、まさにかぶりつきの直後の席なので、指揮台なしのステージを大きく使ったその指揮ぶりは見ごたえがあった。近い席だと指揮者や奏者のブレスまでが聞き取れる。極小編成で極短いヴェーベルン(ウェーベルン)の作品10の5曲。ヴェーベルンのオーケストラ曲と言えば、30年ほど前に小澤/ボストン響の来日公演のバルトークのオケコンをメインにしたプロの第1曲目で聴いたことがあったが、作品番号は何番だったか。あの時は、上野の文化会館のステージからは遠い席で、ポツンポツンと鳴らされる音響を遠くから眺めるような感じだった。その後、カラヤン/BPOの新ウィーン楽派曲集などでその独特の音楽には多少馴染んだ(Op. 10は収録なし)が、無調で、さらにこのような室内楽ともいえるほどの小編成のミニマル的な音楽は、今回のような生演奏で、それも演奏者に近い席で聴く方が楽しめるようだ。その楽しみだが、いわゆるメロディーや和声を愉しむような通念としての「音楽」としての受容ではなく、楽器が発する様々な短い動機的な楽音の交錯と、休符や楽曲の間による楽音のホールに消えていくさまや、ホール全体が静けさに包まれる瞬間の緊張感のような一体感が感じられるというものだ。
このほかの新ウィーン楽派の作品の生の体験では、ベルクの弦楽四重奏による「抒情組曲」を、昔仙台にいた頃にあのアルバン・ベルク弦楽四重奏団の仙台公演で聴いたことがあるのだが、今聞けばどうか分からないが、不協和音の連続に麻痺してしまい、耳には音が入ってくるのだが、別のことが脳裏に浮かぶような状態だったことを思い出すが、それとはまったく正反対の聴体験だった。
2曲目のモーツァルトのハフナー交響曲は、あまりにも馴染の曲だが、生で聴いたのは初めてだったと思う。練習の成果か、アンサンブルもきっちりと揃っており、若きモーツァルトの思わず駆け出してしまうような楽想の溌剌とした魅力が楽しめる演奏だった。下野氏の指揮は、躍動的で、全身で音楽を表現し、思わず見とれ、聴きほれてしまった。音響的には、目の前に位置していた低弦(チェロ、コントラバス)のボリュームが小さ目だったのが気になった。これは席の特徴なのか、指揮者の解釈なのか、オーケストラの特徴なのかははっきり区別が付かなかったが、少々物足りなく思った点だった。いわゆる響きのベースとしての量感が不足気味だった。(補記 当日プログラムに書き入れたメモより:ティンパニがよく鳴っていて格好良かった。音色的には近年一般化してきたピリオド演奏的な少々硬めの音だったが、キビキビしていて全体を引き締めていた。)
席のことだが、ホールのセンターだが、ステージに向かってやや右側で、弦楽器の前列はよく見えるが、その後ろになるひな壇上の管楽器や打楽器奏者の姿はほとんど見えない。
第2団体目は、時任康文氏と武蔵野音楽大学によるバルトークの管弦楽のための協奏曲(通称、オケコン)。若い頃に何度も聴き、聴き比べて親しんだ曲。FM放送のエアチェックでも様々な指揮者、オケのものを集め、その後CD時代になっても初演者のクーセヴィツキーとボストン響の歴史的録音など数種類がいつの間にか集まっている好きな曲の一つ。前述したように、小澤とボストン響というコンビによる生で聴いたことのある曲とはいえ、最近は聞く機会が減っていた。
素人的な事前予想では、果たして膨大な協奏曲的な難しいソロやデュエットが含まれ、変拍子の箇所や、カノン、フガート的なアンサンブル上相当難しそうな箇所を含み、なおかつバルトーク的な緊張度を保ち、夜の音楽の静寂さ・神秘さを対比させ、野蛮と洗練を合せ持つような演奏が、音楽大学オーケストラに期待していいのだろうか、という少々意地の悪いことを危惧していたが、誠に見事な演奏だった。時任氏は寡聞にしてマスメディアを通じてはこれまで知ることは無かった人だったが、手際よくこの難曲を捌き、もし自分が奏者だったとしても演奏しやすいだろうな、と思わせてくれるような指揮ぶりだった。20世紀のモダンのフルオーケストラの大編成ということもあり、今度は低弦部の響きも物足りなさはなかった。難しい「対の遊び」でのデュエットには生ならではの微かな瑕瑾はあったが、全体的には申し分なく、また、中断された間奏曲での、ショスタコービチとメリー・ウィードウに淵源のあるという「愉快なテーマ」とそれに対する哄笑は、非常にビビッドな表現だったし、あのライナー/シカゴ響の名盤でもよく揃っていないフィナーレの冒頭の精密な弦楽器の刻み(この部分はセル/クリーヴランド管がダントツ)は、素晴らしく訓練されていたりして、とても満足のいく演奏だった。(なお、弦楽器の奏者の中には、大学の先生と思われる年代の奏者の方も交じっていたのは、それだけ難しい曲だということか、それともそのような伝統なのだろうか。)
第3団体目は、名指揮者、秋山和慶氏による洗足学園音楽大学によるレスピーギの「ローマの泉」と「ローマの松」。ステージ一杯のマンモスオーケストラは、見るだけで壮観だった。これも、20世紀のオーケストラピースとしてオーディオ的にも人気のある曲で、やはり若い頃には耳にすることが多かった。トスカニーニとNBC響による規範的なリファレンス録音がある曲で、比較的近年ではソ連の指揮者スヴェトラーノフによる爆演が話題になった曲でもあり、古くはオーマンディやムーティによるフィラデルフィア盤や、ライナー/シカゴ響で楽しんだものだが、生演奏としては初めて聞くものだった。秋山氏の指揮による演奏には、以前北海道旅行の折、新聞記事を読み立ち寄った北海道道知事公舎での札幌交響楽団の野外コンサートで触れたことがあるが、齋藤秀雄門下の名匠として、テレビ、ラジオなどでも触れる機会が多い人ではある。サイトウキネンオケの立ち上げでは、秋山氏も主導者の一人だったが、それがいつの間にやら「オザワキネン」になってしまった現状に疑問を感じている音楽ファンもいるのではなかろうか。閑話休題。
総白髪の紳士然とした佇まいで、にこやかな笑みを湛えて登場。この柔和な表情には、奏者は安心感を抱くだろうし、リスナーの側もその雰囲気に包まれる。イアフォンでのリスニングが専らになってしまった昨今、このような大オーケストラによる楽曲を聴くにしても、大音量で聴くことが少なくなっているし、さらに華麗で親しみやすく覚えやすいメロディーや音型にあふれているこのようなショウピース的なオーケストラ人気曲は、かえって途中で飽きてしまうことが多いのだが、前回このホールで聴いた「シェエラザード」もそうだったが、実演に接すると、あまりの面白さに集中力が途切れなかった。「泉」も「松」もメディチ荘だの、トレヴィの泉だの、ボルゲーゼ荘だの、アッピア街道くらいしか覚えておらず、交響詩の題名はうろ覚えだが、情景が極彩色で目に浮かぶようで、オーディオで聴いている音響が写りがそれほどよくない写真葉書だとすると、実演の鮮明で情報量が多く、ダイナミックレンジも無限に広い演奏は、まさに実景を味わっているようなもので、これはこの一連のコンサートの締めとして計画されていたのだろうが、アッピア街道の松でのローマ軍団の大行進の強烈なクレッシェンドは、圧巻で、最後のフォルティッシモ?が鳴り終わったあとの残響とともに、終演後は万雷の拍手とブラボーだった。そうそう、ジャニコロの松のナイチンゲールの鳴き声は、どうするのだろうと思っていたが、打楽器奏者?が録音の音源を流していて、上手くはまっていた。ただ、レスピーギの時代はミュージックコンクレートの走り的でそれも珍しくて話題を呼んだのだろうが、人口音響が氾濫している現代ではその意義はどのようなものだろうかとも思い、再現芸術としての音楽の難しさに改めて思いを馳せたのだった。
総じて、音大に入れるだけの技量を備えてその後訓練を積んだ若さ溢れる音大生のオーケストラが、一線級の指揮者によって、ここ一番の全力投球で奏でてくれる音楽は、やはりすがすがしかった。そして十分に聴き応えがあった。青春の息吹というものは、それだけ貴重な瞬間だ。
今回の帰省は、8月13日(水)に帰省、8/16(土)に帰宅と、まさに帰省と帰宅ラッシュによる渋滞のピーク時に、渋滞の名所を通過したが、それほどの混雑に巻き込まれずに往復することができた。
お盆Uターンラッシュがピーク 55キロ渋滞も 2014年8月16日21時08分(朝日新聞)
高速道路は朝から混雑が始まり、日本道路交通情報センターによると午後4時半ごろ、上信越道上りの甘楽パーキングエリアを先頭に55キロ、関越道上りの高坂サービスエリアを先頭に42キロ渋滞した。
通過時刻は、甘楽(かんら)SAあたりが午前11時半ごろ、高坂(たかさか)SAあたりが午後12時半ごろだったが、関越道で多少の事故渋滞があった以外は、比較的スムーズだった。午後、実家を出発していれば上記の大渋滞に遭遇したのだろうと思うと、少し早目に動いてよかった。
下り方面は、午前中。帰路の上り方面は、午後がどうも渋滞のピークなので、それをうまく躱すことがポイントのようだ。
追記: 現在のクルマでの帰省は3回目。
1回目は、2007年5月 7日 (月) 5/3-5/6 クルマで帰省 (往:中央道八王子IC経由、復:上信越道・関越道練馬IC経由)
2回目は、2008年8月18日 (月) ようやくネット再接続して帰省のあれこれ (往:圏央道あきる野IC経由、復:圏央道あきる野IC経由)
今年の6月28日、圏央道の相模原-八王子間部分の工事が完了し圏央道西部では、東名(海老名JCT)、中央(八王子JCT)、関越(鶴ヶ島JCT)で接続したため、今回は、圏央道、関越、上信越道という最短ルートに近い自動車旅行が可能になった。最寄りのICは、東名なのだが、ここが行楽シーズンの渋滞の名所なので、東名利用は最初から想定していなかった。
次男がクラブ活動などの所用のため、妻と次男は自宅に残り、長男との二人での帰省だったが、長男はナビ役、記録役として活躍してくれた。
往路 10:00頃自宅発------15:30頃実家着
復路 10:00頃実家発------14:45頃自宅着
7月13日(日)14時開演。指揮者:ユベール・スダーン、ピアニスト:イリヤ・ラシュコフスキー 、管弦楽:東京交響楽団。 (名曲全集第99回)
曲目:ムソルグスキー「モスクワ川の夜明け」、ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番、リムスキー=コルサコフ「シェエラザード」
2004年開館で、今年満十周年になる音楽専用ホールだが、これまで開館直後に見物に行ったことがあったが、2011年の大震災でホールの天井が落下(手抜き工事の疑いがあったという)し、その後改修工事が進められ、ようやく最近(昨年4月に)再開館した。
長男の誕生日プレゼントでその日前後のN響や新日フィルなどのコンサートがいくつか候補に挙がっていた。ミューザ川崎に興味があったこともあり、1曲目を除いて有名曲過ぎるプログラムだし、ピアノ協奏曲は2年前聞いた曲だということはあったが、チケットもローソンで取得でき、聞きにいってきた。
予約できた席は2階席で、舞台正面客席側から見ると右手(いわゆる上手)の奥側、つまり舞台を右袖上部から見下ろすような席だった。以前別のホールの同じような二階桟敷席でツィメルマンのリサイタルを聴いたときに、音は上に昇ってくるという性格が実感できて、音の素晴らしさが堪能できた経験もあったが、それでも初ホールではどのような音が聴けるか少々不安だった。
管弦楽、協奏曲、ホールの響きを満喫できた。
オランダ出身の指揮者スダーンは、東京交響楽団の音楽監督を長らく務め、近年名誉指揮者に退いたそうだが、いわゆる手兵だけのことはあり、指揮とオケともまったく遺漏が無いほどの安定感で、前回聴いたプロオケの神奈川フィルとは違い、ヒヤヒヤしながら聴くような精神衛生に悪い聴き方をしないで済んだ。それに加えて、若手の生きのいい男性ピアニストとの協奏、競奏が凄かった。やせ形長身イケメンピアニストだが、馬力は凄く、猪突猛進的な速いテンポを取る箇所もあったが、オーケストラとの齟齬が生まれることはなく、一体となった音楽は凄かった。
スダーンは、とても知的な指揮者らしく、ラプソディックにやろうとすればそうできるピアノ協奏曲を、折り目正しく形式を明らかにしていたし、ピアニストもその土台の上に乗っての驀進だったので、破たんも無かったのだろうと思われる。難所と思われるピアノとオーケストラによるフガートの部分では、アンサンブル的な要素がピアニスト、指揮者、オーケストラから感じられた。正面から鑑賞するだけでは分からないが、側面から見ると、指揮者と楽員特に木管、金管、打楽器奏者との距離は結構あり、そこで指揮者は身振り手振りと視線で奏者と会話し、奏者もそれに応え、また奏者間での楽想の受渡しなども目に入ってくるのが面白い経験だった。
「シェエラザード」は、いい言葉ではないが、「通俗名曲」として遇されることの多い曲で、ディスクでもそれなりに聞いてきてはいるが、少し食傷気味であり、新たな発見などないような印象をいだいてい今にいたっているが、今回初めて聴いた実演によって、意外に「深い」音楽なのかなという印象を持った。
PCでのデータ再生などのとても安易なリスニングでは、途中で飽きれば停めてしまうようなことが当たり前で、若いころに「入門曲」として聞いたような「名曲」はライブラリに入っていてもあまり熱心に聴くこともなくなっているのだが、こうして自前でお金を払ってのコンサートでは、周囲のリスナーたちにも気を遣いながら、最後まで集中して聴くことが常なので、聴きなれたと思い込んでいる曲の意外な魅力を発見することもあるように思う。ソリスティックな楽器の扱いはもとよりアンサンブルにもリズムや楽想の変化が激しく、相当の練度が求められる曲であり、なかなかの難曲だと感じた。
以下素人考えの開陳で気が引けるが、この交響組曲は、作曲者は交響曲として聞かれることも想定していたとはいえ、「動機労作」のような楽想の「展開」が乏しいように感じる。そのため、構成がやや平板で、聞き飽きるのではないかと思うのだが、集中して聴くと、主要モチーフのシャリアール王とシェエラザード以外のモチーフも引用、再現が行われ、終楽章では複合的に組み合わされ、大団円と穏やかな終結を迎える。
千一夜の「うたかたの夢」が豪奢な絨毯や宮殿、波瀾万丈の物語などをちりばめながら、虚空に消え去っていくようなイリュージョンを見せられるかのようだった。
リムスキー=コルサコフが、どれだけエンターテイメント性と芸術性について意図したのかはよくは知らないが、華麗な音の絵巻とだけ評して敬遠するだけがこの曲への接し方ではないように思えた。
コンサートマスターは、名物コンミスの大谷さんではなく、若手の男性だった。シェエラザードのソロは美しかった。ホールトーンがとても効いていた。コンサートマスター的にも微妙な音程が難しいソロとアンサンブルの要として、なかなか大変な曲だっただろうと思う。
公演は、土日などの休日に行われるマチネーコンサートで、「名曲全集」というシリーズ。チケットは当日売り無しのほどの盛況で、ほぼ完売だった模様。客席も9割以上埋まっていた。客層は、いわゆる退職後の世代と思われる60歳以上と見受けられる男女が多く見受けられた。客層の特徴は、今回の「名曲」過ぎる名曲プログラムの影響なのかも知れないとは思ったが、もしかすると近年の中高年が豊かな生活を送り、若年層が貧困にあえぐようなこの国の現状を象徴するものかも知れないなどと、ふと思った。
ミューザ川崎は、川崎駅の西口ロータリーに面したビル内にあり、アクセスが非常に便利だ。駅の改札口からホール入口までゆっくり移動しても10分もかからないほどなので、平日の19時開演でも、会社の定時を終わってからかけつけても何とか間に合う。横浜のみなとみらいホールも、東横線直通ができたので、アクセスはよくなったが、ミューザもほとんど同じくらいの利便性だということが分かった。
(2014/7/14追記・修正)
「家系」は、普通「かけい」 と読むのだが、ラーメンが後に続くと、「いえけい」と読むのをご存じの方は、神奈川方面の人か、ラーメン好きの方だろう。
醤油豚骨スープに、チャーシューと海苔とホウレン草が載せられているのがスタンダードらしい。下の写真は、海苔を追加載せし、さらに煮卵を載せた のりたまラーメン。ここ20年ほど前に、吉村家という屋号のラーメン屋さんが始めたスタイルで、その「家」の流れをくむということで、家系ラーメンと呼ばれるらしい。屋号には、「家」が付く店が多い。
また、サンマーメンと聞いて、秋刀魚が具材として乗せられた不思議な料理ではなく、どんな麺料理かを正確に想像できる方も、同じタイプの方々だと思う。
酸麻麺と書くらしい。モヤシ炒めを葛餡で閉じて、ラーメンに載せたもので、いたって素朴な麺料理である。こちらは、相当古い時代から横浜で食べられていたラーメンらしい。
2009年4月にアフリカの熱帯雨林ゾーンに「チンパンジーの森」ができて、その年の11月28日にそれを見に行って以来、とんとご無沙汰をしていたズーラシアだった。それまで毎年最低一回は行っていたのだが、さすがに子ども達も小学生高学年、中学生の年代になると、動物園には行きたがらなくなる。
9月22日の日曜日は連休の中日でもあり、それほど暑くなさそうな晴天なので、ぶらっとでかけてみた。しかし、予想に反して屋外は暑い日だった。
動物園の入園者は、とても特異な年齢分布を見せるところで、幼児や小学生低学年とその親の年代(20代と30代)が圧倒的に多く、それに加えて幼児の祖父母の年代の人たちが目立つ。中学生、高校生の年代はほとんど見られない。20代の男女や、女性の友人同士のようなグループはたまに見かけるが、40代、50代の中年層もほとんど見られないことに気が付いた。
今回目新しかったのは、2008年2月12日 (火) ツシマヤマネコをナマで見るではいい写真が取れなかったツシマヤマネコが、すっかりケージでの生活に慣れたらしく、ケージ外から見つめるヒトの目を何のその、ケージ内を盛んに動き回っていた様子だった。
森見 登美彦の「有頂天家族」で注目のタヌキも珍しく全身を見せてくれていた。
ちなみに同じムジナの仲間である?(たぬき・むじな事件)アナグマはこちら。暑さでぐったりしていた。
ズーラシアのシンボル オカピは 優美な姿態を披露してくれていた。
モウコノロバ(蒙古・野驢馬)がかわいかった。
ズーラシアは、10数年かけて現在も整備中で、ようやく待望のアフリカ・サバンナの動物たちのエリアができあがるようだ。工事もだいぶ進んでいた。
アニメ映画「サマーウォーズ」の舞台にもなった上田市の千曲川の左岸(塩田平)の奥に別所温泉がある。
清少納言「枕草子」の第117段「湯は」の「ななくりの湯」が、この温泉を指すという説があるほど古くから知られた名湯である。(ただし、「ななくりの湯」として最有力なのは、三重県津市榊原にある榊原温泉だと言われているらしい。)
また、この地は、鎌倉時代に、執権北条氏の一族の領地であり、北条氏にゆかりのある古寺が多いことでも知られている。そのため信州の鎌倉の別称がある。
さらに時代を下ると戦国時代には真田氏が上田を本拠にしていて、池波正太郎の「真田太平記」には、この温泉を舞台にしたフィクションも含まれている。その影響か、外湯には「幸村の隠し湯」の名を持つものもある。
べっしょ【別所・別処】
1 別のところ。よその場所。
2 仏語。八大地獄のそれぞれに一六ずつ付属する小地獄。
3 修行者が大寺院などから離れた一定の区域内に集まり、それらの草庵が一村落のような形になっている所。法華念誦・念仏修行の場所として、浄土信仰の盛行によって各地に形成された。別院。
4 新しく別にかまえた道場。別に開いた修行の場所。
5 墓所。墓地。
べっしょ‐おんせん(‥ヲンセン)【別所温泉】 長野県上田市にある温泉。泉質は単純硫化水素泉。皮膚病・リューマチ・婦人病などにきく。
Kokugo Dai Jiten Dictionary. Shinsou-ban (Revised edition) Shogakukan 1988/国語大辞典(新装版)小学館 1988
3月末に次男の高校合格の報告に帰省した際に、上田電鉄に乗ってみたいという子ども達と、列車に乗りがてら、久しぶりに別所温泉を訪れた。これまで何度となく散策しているが、最近では1990年代に初詣で北向観音にお参りして以来かも知れない。
あいにくの春雨だったが、半日のんびりと過ごせた。
上田電鉄別所線 上田駅
上田電鉄 丸窓電車 (展示車両)
北向観音 愛染桂
安楽寺 本堂への参詣路
本堂 屋根の 三つ鱗(みつうろこ)紋 (鎌倉北条氏との縁を示すものか?)
国宝 八角三重塔 (最下段の 裳階(もこし)は、重には数えない。)
この夏に帰省したときに、しなの鉄道の引退列車の展示が見たいというので、次男に付き合って、軽井沢に行ってきた。(新幹線開通前は、特急停車駅として栄えた地元の駅前があまりに変貌していて驚いたが、それはまた別の話。)
しなの鉄道沿線は、赤松の松枯れが目立つが、モグラ新幹線と違い、小諸から御代田、追分あたりからの浅間山の眺めは見ごたえがある。上の写真は、追分駅で停まった時の車窓からの風景。
終点の軽井沢駅で降り、木造時代の軽井沢旧駅舎が鉄道ミュージアムになっているところに、くだんの引退列車が展示してあるので、料金を払って入場して、二階の貴賓室などもゆっくり見学させてもらった。(この復元駅舎は、妻の弟が勤務している設計事務所が担当して復元図面を引いたものと聞いていたが、後日当の弟に確認してみたところ、国会図書館まで出かけて当時の資料を調べたと言っていた。)
ここでの見学を済ませてから、旧軽井沢まで足を延ばしてみようかということになった。
これまで約半世紀、東信州の土着民としては、都会人が「避暑」に訪れる軽井沢なんて、と相当斜に構えて、真夏の旧軽銀座などに行くものではないと思っていたが、短い帰省でもあり、子ども達も南関東育ちで、偏見・先入観もないので、歴史散歩的に、中山道の面影でも追っみるつもりで、軽井沢にしては最大級の猛暑の中、テクテクと歩を進めた。
カトリック聖パウロ教会
100年前の軽井沢 (土屋写真店)
ショー記念礼拝堂入口
芭蕉句碑「馬をさへなかむる雪のあした哉」
室生犀星別荘
この春に、久しぶりに鎌倉を訪れた。花見の時期だったので、段葛の桜を愛でようかということになった。
江ノ島電鉄に乗りたいという子ども達のリクエストで、藤沢まで東海道線で出てから、江ノ島駅まで乗車した。いつもながら休日の混雑は凄かった。
これまで何度も行った江の島側ではなく、初めて竜口寺を参拝した。ここは、日蓮が元寇の時の幕府批判によって、鎌倉幕府から斬首の刑に処せられそうになったが、落雷?によって刑を免れたことで知られるお寺で、五重塔や仏舎利塔が遠くから眺められたのだが、初めてお参りしてみた。
どうせなら、腰越のこの辺りを散策してみようということになり、江ノ電モナカを買ったり、腰越名物のシラス丼をお昼に食べたり、腰越状で知られる義経、弁慶ゆかりのお寺万福寺を訪ね、腰越神社に参詣したりした。
ここから、腰越駅まで戻るのも電車の混雑もおっくうなので、そのまま江ノ電と海に挟まれた国道を延々と歩いてみることにした。渋滞の名所だが、意外に道路は空いていた。よくドラマのロケなどに使われる鎌倉高校前までは比較的簡単に歩けたが、そこからが結構遠かった。それでも、腰越・鎌倉高校前・七里ヶ浜・稲村ケ崎駅まで江ノ島駅からだと四駅分を歩いたことになる。稲村ケ崎駅から江ノ電に乗り、極楽寺駅、長谷駅を経由して、鎌倉文学館を訪ねるため、由比ヶ浜駅で下車した。
文学館を訪れるのも初めてだった。鎌倉を舞台にした三上延の「ビブリア古書堂の事件手帖」シリーズが大ヒットし、さらにテレビドラマに取り上げられて話題になったことがきっかけらしく、鎌倉・神奈川ゆかりのミステリー小説の特別展(鎌倉文人録シリーズ7「ミステリー作家翻訳家」)が開かれていたのだが、その中に、澁澤龍彦は没後25周年特集展示で紹介されていた。サドの翻訳などで知られ耽美・倒錯的な作家というイメージではあったが、そういえば晩年の作「 高丘親王航海記」を読みたいと思いつつ、読んでいなかったのを思い出した。また、何でもこの洋館は、このころ放送された「カラマーゾフの兄弟」の舞台にも使われたと妻が言っていたが、由緒ある歴史を持つ洋館のようだった。
鎌倉文学館を見学してから、バスで鎌倉駅前まで行き、そこから段葛の花見をしながら、久しぶりに鶴岡八幡宮に詣でた。
数年前に倒れた大銀杏の切り株からは、ひこばえが生え始めていたが、舞殿からみる石段と神社の遠景は相当印象が変わっていた。
2008年3月の大銀杏のありし日の姿
参詣した後、以前鎌倉を訪ねた父母が歩いて廻ったという北鎌倉方面へ、やはり歩いて行ってみることにした。八幡宮の裏山に当たるのだが、歩道はあまり広くない。それでも北鎌倉方面から歩いて来る行楽客は結構多く、すれ違いに難儀することもあった。
初めてみる建長寺の山門は巨大だったが、時間もあまりなく門前で記念撮影をしてから、円覚寺方面に向けて歩き、しばらく小道を行くと北鎌倉駅にたどり着いた。
ビブリア書店が設定上あるはずの北鎌倉駅前の小道は、現実の風景の中では円覚寺側にしか道路が無いため、小説の舞台設定と現実には少し齟齬があるように思えたが、どうなのだろうか?
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