watermark には第一番目の意味として「水位線」というものがあるが、その他に「水で出来た染み/汚れ」という直訳的な意味もあり、また「(紙の)透かし(模様)」というものがある。最近、HOMEPAGEの素材集などにも WATERMARK(透かし) という語が普通に出ているので、なじみのある言葉になった。
さて、この5月の初めに日本国の天皇と皇后が、アイルランド共和国を非公式訪問しその後現在ノルウェー王国を公式訪問していることを *astroblog の記事で知った。
アイルランドの著名文化人であるフルーティストのジェームズ・ゴールウェイ氏や、このエンヤ氏とも歓談したという別の記事を読み、急にエンヤの「ウォーターマーク」を聴きたくなった。中古屋で探したところ、見つかった。¥1,000.-
"Watermark" は、1988年に日本でもヒットしたアルバムで、当時貸しCD屋で借りてカセットにダビングしてよく聞いたものだった。その後しばらくして、縁があってアイルランドと仕事上の関係が生じ、いろいろ調べ物をしたおりに、音楽分野でエンヤの名前が、ロックグループの "U2"のボノなどと同様頻繁に出てきたのを覚えている。当時参加していたNiftyの海外旅行フォーラムでは、彼女の父親の経営するパブを訪れると彼女本人にも出会えることがあるというビックリするような情報もあった。
ところで、以前にも気が付いていたのだが、改めてライナーノートの歌詞対訳を見てみると、ラテン語の歌詞の楽曲をアイルランド語と誤解して訳出していなかった。ネットで探したところ、そのことに触れたサイトがあり、「Enya(エンヤ)の歌詞(英訳付き)」からこのラテン語歌詞とアイルランド語歌詞を英語に訳したサイトを見ることができる。
さて、肝心の音楽だが、シンセサイザーと彼女自身のボーカルの多重録音を多用した音楽作りが当時は非常に新鮮だったのだが、今となっては風通しの悪さを感じさせるようになった気がする。特に、非エレクトロニクス(いわゆるアコースティック)の楽器(ハープ、ホイッスル、フィドル、ドラムなど)を用いたトラディショナルなアイリッシュ音楽に少し馴染んでいる者にとって、民謡の繊細さとジグなどのエネルギッシュさを併せ持つトラディショナル音楽とのギャップを感じる。当時はシンセサイザー全盛でテクノというジャンルもありYMOなども活躍していた。現在そちらへの興味も薄れたので現状は分からないが、電子音は相当飽きられてきたのではないだろうか?アコースティック系では最終曲に、伝統楽器のバグパイプが使われているようだが、逆に新鮮だ。
このアルバムの曲はたゆたいや揺らぎを感じさせるものが多い。レオナルドのスフマート(ぼかし技法)や、ターナーの霧や靄のようなあいまいさも連想させる。自分のようにトラディショナルなケルト音楽に拘らなければ、非常に上質な音楽ではある。
大ヒットした Orinoco Flow はこのアルバムでは Storms in Africa と並んで数少ないリズミックな曲の一つだが、歌詞を読むとオリノコ川の流れそのものを歌ったのではなく、世界各地の地名の一つとして挙げられているようだ。以前、アマゾン川の大逆流ポロロッカ現象と混同して、このオリノコフローがオリノコ川の洪水ということを表しているのかと誤解していたことがある。
このアルバムの前に発売された THE CELTS や エンヤが属していたことのある 家族による音楽グループ「クラナド」に興味が湧いてきた。
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