カテゴリー「ファンタジー」の19件の記事

2015年9月25日 (金)

ジョージ・R・R・マーティン「氷と炎の歌」シリーズ

昨年末、家にあったジョージ・レイモンド・リチャード・マーティン著、岡部宏之訳の「七王国の玉座」のハードカバー上下を手にとってみた。妻が入手したものだが、表紙イラストはヤングアダルト的で少々おどろおどろしい派手なもので、まずはあまり食指が動かなかった。さらに一頁が上下二段に分割してあり、相当小さいポイントの活字がビッシリ埋まっており、遠視(老眼)にはとても読みにくいこともあった。

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或る日手にとってみて読み始めたが、イントロダクションも、掴みがパッとしない始まりだった。ジェイムズ・P・ホーガンの「星を継ぐもの」ほどちんぷんかんぷんではなかったが。ただ、その後しばらく読み続けようという気にはならなかった。

その後、この大河小説を読むようになったのだが、本格的に読み始める前に、一昨年のBSで米国テレビドラマの「ゲーム・オブ・スローンズ」の無料放送の第1、2話を見る機会があった。その頃はまったく知らないストーリーだったのだが、妻は以前からこのシリーズを読み進めていたので、録画を頼まれた。それを或る日何の気なしに見たところ、ヴァイオレンス&セックスが満載で、そうとうエグイ外国ファンタジーだが、多彩さな群像劇でもあり、その続きを見てみたいと思わせるものではあった。その意味では映像から入門したようなものだ。

それから家にあった上記のハードカバーを改めて読み始めたのだが、再読を開始した時には、この本が上記ドラマの原作だとは知らなかった。読み進めるにつれて、その関係に気づき、妻に尋ねたところ、まさにその通りだという。

未だ、シリーズが完成されていないが、現在日本語訳は米国で出版されたものは全部訳されて出版されており、第3部からは初めてデジタルブックを購入して、半年以上かけて、日本語訳を読み通した。

  1. A Game of Thrones 『七王国の玉座』
  2. A Clash of Kings 『王狼たちの戦旗』
  3. A Storm of Swords 『剣嵐の大地』
  4. A Feast for Crows 『乱鴉の饗宴』
  5. A Dance with Dragons 『竜との舞踏』
  6. The Winds of Winter 『冬の狂風』(未完)
  7. A Dream of Spring (未完)

欧州と中近東、アフリカ北部を舞台にした中世的な混沌の世界とは、ドラマ「大聖堂」でも描かれたが、洋の東西を問わずこのようなものだったのではないかと思わせる、残酷苛烈な描写も多く、また(ネタバレではあるが)勧善懲悪や復讐劇は完全に捨て去れれているため、感情移入できるような人物が、ストーリー(出来事、歴史)の進展により、あっさりと舞台を去ることも多い。逆に、反感を覚えるような登場人物が長々と居残り続けることもあるし、次第に人物観が読み進めるにしたがって変わってくるようなこともある。

イギリスらしき島が主要舞台ではあるが、設定上はグレートブリテンよりもよほど大きく、規模は西ヨーロッパほどの南北の規模を持つ巨大な島が七王国の舞台で、その西にそれより大きい大陸が広がっている(らしい)世界である。南にはアフリカ大陸的な大陸は想定されていない。

ドラゴンが存在した世界であり、また季節の廻りは現実の地球世界とは異なり、さらに北方からは人類以外と思われる何者かによる脅威が迫る。超自然的な現象は描かれるが、「ロード・オブ・ザ・リングズ」とは異なり、魔術の存在は相当不確かだが、何らかの超自然力による殺人や死者の復活などが描かれるし、巨人も存在する。

他の名作と呼ばれるファンタジーが持っていたいわゆる道徳的、倫理的な枠組みは敢えて捨て去られており、その意味で非常に「現実的」で、リアリスティックなファンタジーとなっている。弱者は滅び、強者が生き残る、まさに弱肉強食の世界が繰り広げられる。

その意味で、最初見たり読んだりしたときは、より強い刺激を求める現代社会がこのようなファンタジーを要請し生み出したのかとも思ったものだが、よりリアルな古代社会、中世社会を描こうとすると、ある程度はこのような混沌と非倫理的、猥雑なものであり、その意味で人間の強さ、弱さが非情に描かれているのかも知れないと思う。

作者は、特別な話法を用いて、膨大な登場人物と広大な世界のストーリーを紡いでいく。この話法に慣れないうちは違和感があるが、慣れてしまうと、神の視点ではないこの話法は、とても合理的で素晴らしいと思うようになってきた。

趣味に合わない向きも多いとは思うが、興味があればWIKIPEDIAなどで調べてみてはいかがだろうか?

2014年8月 3日 (日)

ジブリ映画『思い出のマーニー』鑑賞

8月2日(土曜日)の午後、最寄りのショッピングセンター内のシネマコンプレックスに見に行ってきた。(少々ネタバレ気味なので、未見の方は飛ばしてください。

原作を完全に映像化しているわけでは無かったが、原作を一応読んだ者にとっても楽しめる映像と脚本だったように感じた。

原作の舞台は、1960年代のイギリスの東海岸だが、映画はそれを現代日本の北海道に変更、登場人物たちも日本人で、どのようにその設定を回収するのかと初めの内は懸念があったが、原作の肝の部分は外さずに、落ち着いて楽しめた。傑作とまでは言えないかも知れないが、佳品ではあった。児童文学に関心のある人には是非見て欲しいものだと思う。

(以下多少ネタバレ)
敢えて難点を言うならば、原作では納得できたのだが、現代日本が舞台であるのとは違和感があり過ぎるマーニーの設定だろうか? もし現代で生きているとすると70歳ほどの老婦人が中学生頃だとするとマーニーの時代は1960年代だろう。さらに、養子の養育手当という制度が現代日本にあるのかどうか?(*)  さらに、アンナと屋敷を購入した家族との関係が、原作では次第に密になっていく設定なのだが、映画では唐突に始まってしまうこと。

観客の吸収力はあまりよくないようで、150人ほど収容のシネコンのスクリーンの入りは、我が家を含めても30人ほどだった。「アナ雪」の方は、同じシネコンでも吹き替え版がいまだに上映が続いているくらいなので、少々寂しさを感じた。

追記:(*)

里親手当  http://sato-oya-net.jp/satooya4.php

2014年7月18日 (金)

明日公開のジブリ映画「思い出のマーニー」の原作(新訳版)

「思い出のマーニー」  高見浩の新訳(新潮文庫書き下ろし)2014年初版を書店で見かけ購入。読了した。新潮は映画公開をターゲットに刊行したようだ。角川でも別の人の訳で出ているらしい。

ジブリ映画のマーニーでは、岩波少年文庫版をベースにしたらしい。

「アリエッティ」もそうだったが、多くの児童文学(ファンタジー)の「名作」を網羅的に調査しているのが分かる。「ゲド戦記」は、若いころから自分も知っているほどで、それなりにメジャーだったが、「ハウル」は、日本の大手では訳が出ていなかったと思う(後で調べたら 1997年頃、ジブリと関係のある出版社の徳間書店から初訳が出たのだという。その3部作は、長男が好んでおり、その中では、「チャーメインと魔法の家」 原題:House of Many Ways 2008はとても面白かった。)

「マーニー」を読み進めると、以前読んだ英国児童文学の「トムは真夜中の庭で」に、似たところのある設定だな、との考えが浮かんできた。(本文を読み終えた後に、高見浩のあとがきを読んだら、まさにこの作品のことが語られていた。自分の想像力も今回は的外れではなかったようだ。)

言ってみれば現実と過去の交錯のような設定。イギリスでは古い建物(シェークスピア時代の16世紀だったかの建物が、もちろん何度も改修はされているものの未だ住居として使われているものもあるという。以前訪れたことのあるアイルランドでも、古い土壁で作られたような大きな茅葺風の民家を見かけたことがあった。)に、何代もの人々が住んでいるというが、そのような国ならではの設定だろうか?

古い時代の遺跡を訪れてそこに佇んだりしていると、その時代を「感じる」ような幻想的な気持ちになるようなこともないではないが、それが特別な史跡ではなく、身近な民家だったりするのは、人々の精神風土にも影響を残すような気がする。

幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー なるテレビ番組(NHK)でも、イギリスやスコットランドの幽霊屋敷のことが「科学的」に取り上げられているが、後天的記憶の遺伝(あるいは、エピジェネティクスの範疇だろうか?)でも、精神的な風土というものは説明できるのかも知れない。

もちろんそのような幽霊譚として見なくても、とても上質な小説(物語)だった。私の場合、読み進むにつれて次第にこのミステリー小説とも読める物語の謎の答えが見えてきたので、劇的な展開ではなく、むしろ心温まる内容だった。

それと同時に、子育てというものが、いずれの時代、どのような環境であっても困難を宿しているのだということを認識させられたように思われる。

映画は、特に関係している日本テレビで、宣伝番組が連続して行われ、トレイラーも何度か流されたのを見た。場所の設定は、「アリエッティ」と同じく、原作のイギリスが日本に変更されているようだが、原作の雰囲気とはそれほど違和感が無いように思える。ただ、海岸の湿地と、内陸の湿地では砂と泥の違いは大きいように思えるのだが。

家族の動向を見ると、この夏もジブリ映画かも知れない。

2014年7月15日 (火)

"FROZEN" 日本版 一日先行発売

Frozen_3 最寄りの量販店では、一日早く、本日発売だった。

ディズニーが始めた新しいパッケージ販売で、MovieNEXという。

Blu-ray disk, DVDが一つのパッケージに入っていて、値段は定価4,000円(税別)。それに加えて、デジタルコピー(クラウド)へのアクセス権(コード)が封入され、モバイル機器やPCで見ることができる。またおまけ的だが特設サイトで限定コンテンツを見る権利も付与される、といった仕組みのようだ。アクセスしてみたが、発売日の明日にならないとダメとのメッセージが出た。

ジブリなどの別売り(DVD4700円、Blu-rayが6800円)よりも廉いのは、製造・販売側でも管理が楽という理由があるのではなかろうか?

追記:7/16午前0時過ぎにアクセスしてみたところ、受け付けられた。Gmailを利用しているため、ユーザアカウントが登録してあったので、GooglePlayを使って鑑賞できた(日本語吹き替え版のみ)。アクセス可能期間は、2年間のようだ。ブラウザはFirefoxでは、私の環境ではライセンスの関係?で上手くいかず、IEにしたらきちんと動画が再生された。(翌日、FirefoxでGooglePlayとYoutubeで試してみたら問題なく再生できた。もしかしたらMovieNexとFirefoxが相性がよくなかったのかも知れない。)

※本編取得の登録期限は以下の通りです。Google Play(2016年7月15日) / niconico(2016年7月15日)
※選択できるのはいずれか1つのプラットフォームで、視聴に際しては、ユーザーアカウント(Google Playもしくはniconicoデジタルコピー)が必要になります。

一度アクセス手続きをすれば、その後はMovieNEXを開かずとも、GooglePlayで「無料」購入したという扱いになっていて、GooglePlayを開いて鑑賞ができる。さらに、Youtubeでも購入済として登録されてた。取得の期限が2年後までということで、Youtubeでの有効期限は、「有効期限なし」となっていたので、再生可能期間が購入後2年ということではないらしい。

DVDで英語音声、英語字幕で通しで初めてみたが、英語ネイティブな子ども向けなのだろうが、瞬間的に意味が取れない台詞などもあり、少々隔靴掻痒だった。

また、これまでに何度もみた「Let it go」のシーンは、押し詰まったクライマックスだろうと予想していたが、意外にも前半に登場したのには驚いた。

2013年4月14日 (日)

2冊組105円で買ったハリポタ第7巻(最終巻)を読んだ

しばらくブログ更新を怠ってしまっていた。ネット接続はしていたのだが、WebのLogに書き付けたいという意欲が低下していたようだ。ちょうど歌舞伎の市川海老蔵氏(35才)がブログを初めてそれにはまったのと逆な感じだ。

さて、久しぶりに書くネタだが、ベストセラーこそ数年後には古書店で投げ売りされることがある、という当たり前の内容である。

ハリー・ポッターシリーズの最終巻である第7巻は以下のように読んで、第6巻まではハードカバーで購入していたのだが、これまで第7巻は買わずじまいだった。

2008年10月12日 (日) 『ハリー・ポッターと死の秘宝』 日本語版を読んだ

2008年7月24日 (木) 7/23 ハリポタ最終巻日本語訳が発売されたが

2007年7月21日 (土) ハリー・ポッターシリーズ最終作 発売

ところが、大阪のユニバーサル・ランド・ジャパン(USJ)にハリポタのアトラクションができるらしく、その宣伝のために映画の再放送が地上波で始まり、家の者が再びハリポタを読み始め、第7巻を読みたがったため、ブックオフで安く買えるだろうと探してみたら、なんと2冊組新品で3,990円のものが、比較的良好な状態の初版本でなんと105円だったのだ。

また、最近村上春樹の最新作が書き下ろしの単行本で発売され、その売れゆきが凄いという話があり、そういえばと思って「2009年7月23日 (木) 図書館で借りて『1Q84』(村上春樹)を読んだ」のだが、こちらも廉いだろうかと思って探してみたら、第1巻はやはり105円で売られていた。第2巻は1000円の値札だったが。文庫本も発売されてはいるが、ベストセラーの古本は何と安くなることか。需要と供給の模範例だろうが、何だかとても空しい気分にもなる。

ところで、読後感だが、世間がワイワイ騒いでいるころよりも、こうして距離を置いた感じで読む方が、すんなり頭に入ってくるように思った。どうしてだろう。ハリポタにしても、こんなに細かく描かれていただろうかと驚くほどだったし、1Q84の方も構成の特異さにも慣れたこともあるのだろうが、わりとすんなりと味わえるように思える。これは第2巻、第3巻をすでに読んだことも影響があるのかも知れない。


2012年6月30日 (土)

腰痛で休んでいた間に読んだ本

月、火は何とか出勤したが、腰痛から足がしびれる感じがあり、水曜日から腰痛が悪化したため、木、金と仕事を休んだ。まだ腰の違和感はあるが、ようやく今日あたりから動けるようになった。その間、妻が図書館から借りてきた最近の小説を仰向けになって読んで過ごした。

多少ネタバレを含むため、ご注意を。

◆葉室麟『蜩ノ記』(祥伝社) 平成23年11月10日初版第1刷、平成24年2月25日第10刷

 一気に読み進められた。面白かった。欲を言えばかたき討ちのシーンは、微妙だった。また直木賞ということで、逆に期待をしていなかったが、読む価値はあった。

◆森晶麿『黒猫の遊歩あるいは美学講義』 (早川書房) 2011年10月20日印刷 同10月25日発行 (第1回アガサ・クリスティー賞)

 書名からストレートに連想できるようなペダンチックな内容。E.A.ポーの小説を下敷きにした短編推理小説。つまらなくは無いが、主人公の若き教授と助手役の女子大学院生のキャラクターが少々弱く感じた。

◆中田永一『くちびるに歌を』(小学館)

 五島列島の中学校の合唱部をテーマにした小説。主人公のASDの兄のエピソードが印象に残る。文章や構成などは少し未熟(読みにくい)だが、題材的に感動的な青春小説だった。補助のピアノ教師の人物造形が少々類型的もしくは現実感が薄いか?

◆原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮社)2012年1月20日発行 2012年6月16日11刷

 これは題材的にも、ストーリー的にも面白かった。特に近代絵画に興味のある人(ちょうど、『ギャラリー・フェイク』ファン)にはどっぷりと嵌れる内容だと思った。設定的な不自然さは少々感じないではなかったが、ある画家への愛情あふれる作品だと思った。

◆東野圭吾『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(角川書店)平成24年3月30日初版発行

 ドラマ『秘密』の人気作家の新作らしい。ほとんど読んだことがないが、さすがに読みやすい文章と凝った構成、設定だと感心した。ファンタジー(現実にはあり得ない)的設定の現実を舞台とした人情物語だが、それなりに面白かった。

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追記

◆有川浩『三匹のおっさん』(文春文庫)、『三匹のおっさん ふたたび』(文藝春秋社)

これを読んだのを忘れていた。スイスイ読めて面白かったのだが、妻がすぐに図書館に返却してしまったため。有川浩の作品は結構読んできており、多彩な小説家というイメージがあるが、これも未だ十分に若さが残っている還暦過ぎのシニア世代を主人公群にした物語で、現代世相をうまくすくいとっているものだった。横丁の寅さん、熊さん的であり、小市民的冒険活劇的であり、舞台は現代だが、昔風のテレビドラマを見たような既視感があった。

 

2012年5月21日 (月)

上橋菜穂子『獣の奏者』 外伝 『刹那』 (第5巻にあたる)

妻が図書館から借りてきてくれて、ようやくこの外伝を読むことができた。

前に正編の第3、4巻を読んでから3年ほど経ってしまったので、細部の記憶があいまいにはなっているが、なじみ深い主要登場人物たちの正編では描かれなかった物語がスピンオフとして書かれているもので、大変面白かったし、感動的でもあった。作者があとがきで書かれているように、正編にこれらを入れなかったのは納得できた。

『守り人』シリーズは少々長すぎてついていけなかったが、『獣の奏者』は物語として適度な長さであり構成感もあって、日本発のハイファンタジーとして多くの人に薦められるものだと思う。

2007年8月31日 (金) 上橋菜穂子のファンタジーが面白い

2009年12月23日 (水) 上橋菜穂子『獣の奏者』第3巻、第4巻

2012年3月21日 (水)

荻原 規子『空色勾玉』『白鳥異伝』『薄紅天女』三部作

備忘録

昨年8月に、妻が図書館から借りてきたのをまた借りして読んだ。

日本神話と古代史をベースにしたファンタジー小説として著名な作品らしい。

結構読みごたえがあった。

2011年6月28日 (火)

伊藤計劃『虐殺器官』(ハヤカワ文庫 JA984)、『伊藤計劃記録』(早川書房)、『ハーモニー』(ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

2010年は、ガラパゴス携帯不況の日本でスマートフォンの普及がこれほど急速になるとは思われなかったための勤務先の再編もあり、4月から9月までの期間、長年通いなれた通勤経路より、倍以上かかる勤務地で勤務していたこともあり、生活のリズムも変わり、ブログでの投稿は大幅に減ったが、その間特に読書に相当勤しんだ。

しかし、ブログの下書き記事としては、タイトルの入力はしても、記事を書き起こす気力が湧かずにそのままにしていたものが多かった。

昨年10月からの再度の勤務先変更からようやくリズムも落ち着いてきたので、その当時記事にしようと思っていたものを、前回の『神曲』から少しずつアップしてみようと思っていたが、なかなかそうもいかなかった。

伊藤計劃の『虐殺器官』は、確か2009年の6月日曜日の朝日新聞の書評欄で紹介されていた。最寄の書店に話題作ということで平積みされていたのを覚えていて、ものは試しと購入した。タイトルが禍々しいと思いながら。

画期的な近未来小説だった。英米の作家の翻訳と言っても通用するような作品ではなかろうか?別に英米作家の方がどうだと言っているわけではないが、言語的に日本語で書かれているが、内容的には西洋文明圏ならばどこでも受け入れられるような内容だと思った。バルカン半島やアフリカ諸国の紛争は、この小説が予言的ではなかったとは言え、蓋然性的なものは相当高いと感じた。

続編的で絶筆的な完成作の『ハーモニー』は、比較的日本を舞台や登場人物に使ってはいるが、それでもグローバルな広がりをもった近未来小説だった。

夭折したこの小説家の残した記録をまとめたものが、『伊藤計劃記録』(早川書房)だが、未完の小説やネットのホームページの映画評などがまとめられていた。『虐殺器官』のあとがきに、作家のご母堂が作家の最後を淡々とつづっているが、とても印象的な最期だった。

2009年12月23日 (水)

上橋菜穂子『獣の奏者』第3巻、第4巻

現在、アニメーション化されて今週の土曜日に最終回を迎える『獣の奏者』(第1巻、第2巻)の続編が出るという噂はネットで知っていたが、数ヶ月前の新聞の一面広告で宣伝されたのには驚かされた。

もう一月ほど前になるが、妻が図書館に借り出しの予約を入れていたのだが、ようやく借りられる順番が回ってきて、第1巻、第2巻からファンになった長男と競うようにして読み終えた。次男はアニメは楽しんでいるので、家族から読め読めと奨められてもまだ読もうとしないのは不思議だ。

壮大な構想という点では、やはりアニメーション化された守り人シリーズの方が優れているのだろうが、獣の奏者は、闘蛇と王獣という魅力的な想像上の動物が物語の重要な部分を占めるので、その点が非常に魅力がある。人間の兵器として使われるそれらの獣の存在は、現代の核兵器、生物兵器などのアナロジーで、かつてその兵器である獣を使った戦争によって一国が壊滅するほどの悲劇が起こったという前史が、物語の基礎を形づくっている。

上橋菜穂子は、私とほぼ同年代のオーストラリアのアボリジニに造詣の深い文化人類学者であるが、その知識や経験を生かしたファンタジーは、文化人類学の影響からアーシュラ・ル=グィンに通じるものがあるが、ユング心理学的な深遠さは持ってはいない。舞台が架空の東洋の古代、中世あたりに設けられることが多いようで、その面からもアジア的なテイストが感じられる。アニメーションにもなった『十二国記』(小説は未読)も連想されるが、膨大な筆量は凄いと思う。

第1、2巻は、作者自身が言うように、完成した物語であるが、その大団円は、それまでの詳細な叙述に比べてあっさりとしたものだった。それが余韻を生んではいたのだが、やはりその謎、その先を望んでしまっていたので、第1、2巻で満足した読者でも、第3、4巻には満足することだろうと思う。

なお、アニメーションは、原作の第1,2巻をある程度翻案しているが、これは作者自身もこれに関っており、その取り組みが第3、4巻を生む下地にもなったとのことである。

以前の記事: 2007年8月31日 (金) 上橋菜穂子のファンタジーが面白い
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